彷徨う一途の不思議 part11
その時、黒山はちょうど入浴をしようとしていたところだった。着替えを用意し、自室を出ようとドアノブに手を乗せる。
「ん?」
机の上で振動している携帯端末に気付き、出ようとした足を止めた。何かしらの通知くらいなのであればそのまま入浴を優先するが、少し待っても鳴り止まないということは着信があるということだ。黒山は机に寄り、携帯端末を手に取って通話を優先した。
その相手は沙希。普段から雑談くらいで電話してくることはないので、緊急性のある電話だと黒山は察した。
「黒山だ。どうかしたのか?」
『透夜、助けて!』
彼女らしくない、切羽詰まった声。想像のつかない異常事態に沙希が巻き込まれていることが黒山にとって驚きだった。しかし、驚いているだけではいられない。そう簡単に沙希が落ち着けないことをわかった上で、詳しい状況を問う。
「助けが必要なのはわかった。それで何があったんだ?」
『なんかこう、やつれた男が何処からか侵入してきて、祖母を氷の刀で斬ろうとしてたところをお父さんが……!』
「氷の刀……。やつれた男……」
黒山は沙希から聞いた情報を呟くことで敵の情報を整理し、イメージした。黒山の記憶にあるのは伊塚だ。まさにタイムリーなので伊塚が真っ先に出てきたが、黒山の記憶では少しばかり違う。
かつて黒山を攻撃した時の伊塚が持っていたのは刀ではなく、どちらかといえば西洋の印象がある剣だった。だが「やつれた男が沙希の祖母を攻撃した」という状況を考えれば、やはり犯人は伊塚しかいない。
「状況は大体わかった。沙希の家に向かえばいいんだな?」
『そうよ! 急いで、お願い!』
「ああ」
黒山は自分から通話を終了し、入浴の為に用意した着替えをベッドの上に置いた。家の鍵と財布だけを持って階段を駆け下り、居間でテレビを見ていた沙苗に、ただ「少し出る」とだけ言って家を飛び出した。
能力が『全てを拒絶する為の漆黒』という1つのものに集約されたとはいえ、かつてのように人間の限界を『拒絶』して高速移動することが出来る。
黒山は文字通り「全力疾走」で地嶋家へと向かった。
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『はっ!』
伊塚は確かに怒りを秘めながら、冷静な斬撃を越郎に浴びせようと氷の軍刀を振りかざした。
「ふんっ!」
それを越郎が躱す。普段からデスクワークに従事していると見せかけて、実は移動の方が多い越郎は体力面で劣っていなかった。それに加え、能力の相性は良いとも悪いとも言えないが、頭のキレは越郎の方が遥かに上だった。その結果、越郎の狙い通りに2人は家の中ではなく中庭で戦っている。
『……津田と離れてしまったようだ。お前を斬ってからでも遅いはないがな』
「ふっ、笑わせてくれる。その程度でこの私を打ち負かそうと? 甘いわ!」
再び伊塚が『重圧』で潰される。触れずとも睨んで念じただけで相手を潰そうとする越郎の『重圧』は伊塚にとっても厄介だった。しかし、そこでやられるだけの伊塚でもない。
『うぅぅうらぁっ! はあっ!』
『重圧』を掻い潜り、今度は斬撃ではなく吹雪を吹かした。ただの吹雪ではなく、確実に相手を凍てつかせる風で越郎を仕留めようとするが、越郎は既に動いていた。
「狙いは仕留めることではなく、足止めしてトドメを刺すことだろう。しかし、私にはそんな小細工、通用しないぞ」
『ちっ』
越郎の手刀が伊塚を襲う。氷の軍刀でまともに受けようかと悩んだ結果、伊塚は後ろに下がって躱した。その判断が正しいことを証明するかのように、越郎が踏んだ地面に窪みが出来ていた。
『武器を出さずともこの威力が出せるのか。想像以上にやるな、お前』
「…………」
伊塚は越郎が「武装型を使用していない」と思っているが、実は単に越郎が武装型を使用出来ないだけだった。というよりも、越郎の能力的に武装型を必要とした場面が全く無かったから編み出していない。
いずれにせよ、伊塚はこのまま平行線な戦いをして復讐を延期させるつもりはない。そこで本気を出すことにした。
『あんまり俺の為にならんから使いたくなかったが、仕方ない。お前には凍ってて貰う』
「ふっ。先程からの繰り返しではこの私を倒せないぞ?」
『言ってろ』
伊塚は右手に握った氷の軍刀を腰にぶら下げた鞘に納めると、両手のひらを越郎に向けて目を瞑った。
「今度は何を……むっ?」
流石に越郎は違和感を感じた。伊塚の言う「凍ってて貰う」とは肉体的に凍結するわけではなく、時間ごと凍らせることだった。伊塚の指定した範囲の時間進行が遅くなっていく。
「くっ……ぬかったか」
越郎はせめてもの抵抗として『重圧』を使おうとしたが既に遅い。越郎に流れる時間と伊塚に流れる時間が異なっている以上、越郎の能力には矛先が無くなっていた。
『勝負あったな。あとは津田とお前の娘で俺の復讐は終わる』
伊塚は越郎にそう言い残してその場を後にしようとした。しかし───。
「悪いが、お前の復讐は成し遂げられない」
『何?』
越郎と戦いながら通った道を引き返そうとしたところ、そこには伊塚の纏う冷気に劣らない程に冷静な顔をした黒山と、わかりやすく敵意を剥き出した沙希が立っていた。沙希はともかく、黒山がいることに伊塚は驚きを隠せなかった。
『黒山……何故、お前がここに?』
「決まっているだろう。お前を止めに来たんだ」
黒山は沙希を「お姫様抱っこ」の要領で抱き上げ、高く飛び上がって伊塚を越え、越郎の近くに着地した。それと同時に『漆黒』を発動。止まっていた越郎の時間が再び動き出した。
「うおっ……くっ……」
「沙希。お父さんを安全な所へ」
「わかったわ!」
力なく崩れ落ちた越郎を沙希が支え、黒山の指示通りに安全な場所へと避難する為、建物の中へと入っていった。
それを黙って見ていた伊塚と黒山が向き合う。
『お前の目的は俺をこの世から消し去ることだ。だったら、津田への復讐を止めたりしないよなあ?』
「いや。俺の目的は七不思議の1つである開かずの間を普通の教室に戻すことだ。お前の復讐を助長するつもりはない」
『はっ、そうかい。でもお前は知ってるよな? 俺が津田を探していたことをよ。ようやくその目的が果たせそうなんだ。邪魔しないでくれ』
「言っただろう? 俺はお前の復讐を成し遂げさせない」
これ以上の話は無意味だと悟った伊塚は再び氷の軍刀を引き抜いて構えた。しかしその瞬間、黒山が目にも止まらない速さで突っ込み、伊塚を「武装型」で禍々しくした右腕で殴りつけた。
『ぐおっ!?』
伊塚が弾き飛ばされて壁にぶつかる。だが、彼は実体のない存在。黒山の攻撃によるダメージはあっても、壁にぶつかったダメージはない。
『この野郎……はあっ!』
伊塚も負けじと氷のつぶてを黒山に向けて放つ。まるで機関銃のように射出された氷のつぶては明らかに人を殺めてしまう程の威力を持っている。
「…………」
とはいえ、黒山にその程度の攻撃は通用しない。『漆黒』によって作られた半円の領域によって無効化された。
その対応には伊塚も驚かされたが、それで止まる彼でもない。氷のつぶてと防御領域との干渉を目眩しとして、全力疾走で黒山に接近し、氷の軍刀を振りかざした。
『くたばれっ!』
「…………!」
黒山は防御を選択せず、右腕の拳を氷の軍刀にぶつけた。かつて開かずの間で戦った時のようにはいかず、どちらも敗れることなく力が拮抗している。
『お前にはこの復讐心がわからんのか!』
「わからないでもない。別に無駄だとも思っていない」
『ならば尚更、お前に俺を邪魔する理由がないはずだ! そこを退け、黒山。俺に復讐をさせろ!』
「断る。……あの教室で、ただ一心に津田を待ち続けていたお前は何だったんだ? それは彼女を傷付ける為のものでは無かったはずだ」
『それは分離した俺の一部にしか過ぎん。俺の目的は最初から裏切り者への復讐。死んだ時から……否、死ぬ前から望んでいたことだ!』
伊塚が後ろに飛び、黒山と距離を取る。そして直後、伊塚の周りにブリザードが吹き荒れると、氷で作られた大量の兵器が黒山を狙っていた。
吹き止むのと同時に、伊塚が軍刀の剣先を黒山に向ける。それを合図に氷の機関銃や氷の大砲が黒山に向かって集中砲火を浴びせた。
「ここは沙希の家だ。あまり壊すわけにはいかない!」
黒山は「全身武装型」を使って空に飛び上がると『漆黒』のマントで氷の集中砲火を防御した。ぶつかり、爆ぜると同時に光で反射した細かな水滴が煌めいて落下していく。
『どうした、黒山! 守っているだけでは俺に勝てないぞ!?』
「その程度の事、言われなくても知っている」
顔が『漆黒』の仮面に覆われていても、黒山の声は伊塚にしっかりと届いた。どう見ても黒山には防御以外の為す術がないように見えるが、当の黒山は何を思ったのか伊塚に向かって突っ込みだした。
『なんだと!?』
「はあっ!」
黒山の右拳が軍刀の剣先とぶつかった瞬間、目に見えて『漆黒』が広がっていく。それに触れた瞬間、伊塚の兵器達は爆ぜて細かい水滴へと姿を変えた。
『俺の邪魔をすれば、俺は一向に消えないんだぞ!?』
「……わかっていないな」
『…………?』
黒山の悟ったような表情が伊塚には理解出来なかった。だが、黒山は伊塚に向かって自分が感じた真実を告げる。
「俺は幽霊を信じてはいない。そしてお前は幽霊ではない」
『何だと!?』
「お前は所詮、生前のお前が残した氷の幻影に過ぎない。だから俺は、俺の能力でお前の存在を『拒絶』する」
『なっ! よせ、ようやくここまで来たのだ! いくら恩人であるお前であろうと───』
「今度こそ、さようならだ、伊塚。俺は『漆黒』でお前を『拒絶』する」
『ぐっ……おお、うおおおお!』
黒山の右拳から『拒絶』を含んだ『漆黒』のオーラが伊塚に向かって放出された。その瞬間、能力の効果によってこの世に止まってきた伊塚の形が崩壊を始め、やがて断末魔と共に今度こそこの世から姿を消した。
───と思いきや、細かな水滴が再び伊塚の形を作り上げた。しかし、当の本人もこの現象に目を丸くしている。
『どういうつもりだ、黒山?』
「お前を跡形もなく消すつもりだったが、途中で気が変わった。せめて、彼女としっかり言葉を交わしてからでも遅くないだろう」
『……何?』
黒山が向いた先、伊塚もつられて見ると、そこには覗き見るようにこちらを見る沙希の祖母の姿があった。彼女はいることがバレているのに気付くと、ゆっくり2人の元に向かって歩き出し、伊塚の前で止まった。
『……津田、何故お前は俺を裏切った!? 俺はお前と人生を共にする為、励んだのだぞ!?』
彼女を責める伊塚の声。最早、彼の声は怒りよりも悲しみの方が強くなっていた。一方、彼女も本気で申し訳なさそうな表情で頭を下げた。
「ごめんなさい……」
言い訳をせず、ただ頭を下げる彼女の姿を見て、復讐の為に存在していた伊塚でさえ「明かされていない何か」があると思った。そんな伊塚が黒山の方を見ると、彼は首を縦に振ったので真実を問うことにした。
『津田、あの時……最後に2人で行った祭りの夜だ。何故、俺に別れを告げた? 内心では俺のことを嫌っていたのか?』
「いいえ、そうじゃないの」
部外者である黒山には知らない話が混ざっていた。あれだけ楽しみにしていた祭りで別れ話をされるとは、当時の伊塚に対して同情心が芽生えなくもないが、取り敢えずのところ聞き役に徹するつもりだ。
そんな黒山に気を使うことなく、2人は話を続ける。2人の脳内には、話題となったその日の光景が少しの欠落もなく思い出された。
夜空に打ち上げられた花火を見上げて、彼女は別れを告げ、そして逃げるように去っていった祭りの夜だ。
「伊塚君のことはずっと好きだった。───けれど、私は親の決めた結婚に逆らうことが出来なかった」
『……そうか』
「仕方ない」という言葉で片付けられる程、伊塚にとって簡単な出来事ではない。だが、当時を知っている者として彼女の苦悩がわからないでもなかった。
そういったどちらとも判断できない複雑な状態なのでその点で怒ることは最早無いが、それよりももっと、別のところで伊塚は怒りを感じた。
『では何故、それを相談しなかった!? 俺は、お前となら駆け落ちでも良いとさえ思えたぞ……!?』
「ごめんなさい……。でも言えないじゃない。共に生きる未来を約束していた人に、勝手とはいえ結婚が決まったなんて。だったら、私よりもっと良い人と結ばれた方が余程、伊塚君にとって幸せだと思った」
『勝手だな。……やはり、お前は裏切り者だった』
真実を知っても、伊塚は彼女を「裏切り者」だと罵った。しかし、それは真実を知る前と同じ意味ではない。言葉にはしないが、彼女が思っていたよりも、彼女を愛する伊塚の気持ちは大きかった。だが、彼女がそれを理解せず勝手に互いの歩む道を別れさせたことが、伊塚にとっての裏切りとなっていた。
伊塚にはもう、彼女と語り合うことはない。真実自体も彼にとって良いものではなかったが、それでも知る前に比べたらその表情はいくらか晴れやかである。
『黒山』
わざと彼女から目を逸らすように、伊塚は黒山の方を見て話しかけた。返事をすることなくただ無言で、黒山は伊塚を見た。
『結局、最後の最後まで世話になった。今更言うのも何だが、巻き込んで悪かったな』
「……もういいのか?」
『───ああ!』
伊塚が黒山に見せた表情は、既に復讐者のそれではなくなっていた。新しい「これから」を求める勇敢な表情だ。
『……俺は、生前の俺が変な能力で残した復讐心だ。当初考えていた形と随分異なったが、まあ、これで良しとするさ』
「そうか」
『お前からすれば、色々と聞きたいこともあるだろうが、あんまり話したくない。勘弁してくれ』
「わかった」
『助かる。───それじゃあな、我が友よ』
伊塚はやがて形を失い、小さな水の粒となって空へ舞い上がった。月明かりを反射し、輝くその姿は「伊塚勇」という男が本当の意味で旅立ったことを意味している。
そんな風に黒山は感じた。
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夜遅いこともあって、昨晩はすぐに解散したが、その翌日の昼に黒山はまた地嶋家の応接室に呼ばれていた。
「失礼します」
相変わらず、沙希はそそくさと席を外してしまう。以前、伊塚のことを聞きに来たときと同じように、黒山の前には沙希の祖母が座っていた。
「ようこそ、黒山さん。昨晩はお世話になりました」
「いえ、怪我人がいないようで何よりでした」
伊塚によって時間を凍結された越郎も怪我1つとして無かった。後遺症の存在も疑ったが、黒山が思っていたよりも優しい能力だったらしい。彼は既に仕事へ復帰していた。
「それも貴方のお陰ですよ。感謝しなければなりません」
沙希の祖母は礼が言いたいから黒山を呼んだわけではない。黒山もそれがわかっていた。
「伊塚は何故、死んだのでしょうか。病気があったようには見えませんでしたが。それに家族はいなかったのでしょうか」
多少なりとも伊塚の事を話す為に黒山を招待したわけだが、ここまでストレートに質問をされるとは思っていなかったので、思い掛けず笑ってしまった。
「死因についてはお教え出来ませんが、伊塚君は結婚もしていなければ、子もいなかったようです」
「そうですか」
「ええ。それにしても、流石にもう伊塚君に攻撃されるのはごめんです」
沙希の祖母は困ったように微笑を浮かべながら黒山に冗談ぽくそう言った。もちろん冗談なのだが、黒山はそれを真面目に捉えた。
「伊塚は満足そうでした。だからもう、俺達の前には現れません」
断言した黒山。沙希の祖母は不思議と黒山の言う通りなような気がして更にまた微笑んだ。
「そうですね。今回は本当にありがとうございました」
沙希の祖母が黒山に頭を下げると、黒山も恐縮して頭を下げて返した。その後、この件について憶えていても触れることはせず、時間の許す限り、瑠璃ヶ丘高校での生活について話した。
しかし、黒山にはどうしても納得出来ない点があった。復讐心でこの世に残った伊塚。そんな伊塚が2つに分けられていたのは何故なのか。
こういった形で痕跡を残している、未確認の能力。過去に他の誰かがこの件に首を突っ込んでいる証ではあるが、それがどんな人間なのか気になって仕方なかった。
だが今は、伊塚という1人の男が1人の女を一途に想い続けていたが故に彷徨い、起こった不思議があったことを心に刻むことにした。
「彷徨う一途の不思議」……終。
読んで下さりありがとうございます! 夏風陽向です。
ようやくこの章も書き終えました。もっとドラマティックな終わり方を考えていたような気がしますが、これで良いのかなって気もしてます。
一途な愛は愛のままでいてくれれば良いのですが、時に形を変えて人を傷付けるようなものになってしまうこともあります。そしてちょっとしたすれ違いで崩れ去ってしまうことだってある。今回はそんなことを書きたくて書きました。
最初の予定では津田がもっと別の形で伊塚を裏切っている形にするつもりでしたが、それでは津田を見つける難易度がかなり上がってしまう。そこで、沙希の祖母にしようと思ってこうなりました。
それではまた次回。来週もよろしくお願いします!




