彷徨う一途の不思議 part1
黒山達が在学するずっと前。歴史ある瑠璃ヶ丘高校がまだそこまでの歴史を持っていなかった頃───。
制服である学生服を模範通りに着た丸刈りの男子生徒が、誰もいない教室の席に座り、夕陽が差し込む窓の外を眺めていた。
「お待たせ!」
突如、開いた教室のドアから入ってきたのは同級生の女子生徒。セーラー服は模範通りに着られており、髪も長すぎずに毛先が肩にかかるくらいだ。そんな彼女は真面目で明るく、成績が優秀なことから、学年で彼女を知らない者はいない。生徒会長の座は得られなかったものの、それでも彼女には生徒会執行部としての仕事があった。
丸刈りの男子生徒が席を立って優しく微笑み、ドアの付近で立ったままの彼女に歩み寄った。
「お疲れ様。それじゃあ、帰ろうか」
「うん」
通学鞄を持って顔を合わせた2人は両者とも笑顔だった。同学年の生徒達がどう思っているのかは別として、言うまでもなく2人は付き合っている。……といっても、女子生徒の両親が厳しい為、口付けを交わすまでに至れていないどころか、手すらも繋いだことがない。時代的な恋愛の価値観からしても、彼等の付き合い方はそこまで珍しくはないものの「2人だけの秘密」を作ろうとしない辺りは言葉通りの純粋だった。
学校を出るまでの間、2人はすれ違った先生全員に「さようなら」の挨拶をした。学校としては、あまり学生のうちでの男女交際を止めたいところではあるが、それも付き合い方による。特にこの2人の場合は相思相愛であるにも関わらず、一線を越えてしまうようなことはないのだから大人からすれば「付き合い方は友達と変わらない」という判断も出来る為、うるさく言うことはなかった。
それが2人の恋愛を正当化させている。だが、2人がそれで満足しているのかと問われれば、それは否だろう。2人の付き合い方が大人から見た「学生の理想」であったとしても、2人の理想とは異なる。今すぐに実現できなかったとしても、2人には2人の理想がちゃんとあった。
蝉の鳴き声や他の高校生の声が聞こえてくる下り坂。そこを下りながら、男子生徒が女子生徒に問い掛けた。
「俺達も高校生最後の年だ。もう、進路は決めたのか?」
「ううん、まだ。取り敢えずは生徒会の仕事を引き継いで、それから親と相談して決めることになると思う。伊塚君は?」
「俺か? 俺は、うーん……」
伊塚というのはこの男子生徒の苗字だ。2人は下の名前で呼び合うこともなく、苗字で呼び合っている。それも2人で渋々決めた「学生時代恋愛ルール」の1つだった。
伊塚は少し照れ臭そうに、右手の人差し指で頬を軽く掻きながら答えた。
「俺はそのまま就職するつもりだ。知り合いにツテがあって、工場勤務なんだけど、そこで働くつもり」
「そうなんだ! もう働く場所まで決まってるだなんて驚きだよ」
「ああ。そうしたら、俺は津田を迎えに行くんだ。今はこうしているしかないけど、その時は絶対、俺はもっと……」
「うん……!」
津田というのが女子生徒の苗字だ。伊塚が恥ずかしがりながら語る将来は彼女にとっても望ましく、そして嬉しいものだったのだろう。同じように照れてしまい、顔を赤くして下を向きながら歩いていた。
実を言うと、津田の両親は娘に恋人がいることを知らない。付き合い方に関わらず、両親が反対することは目に見えていたからだ。取り敢えずはこの状態で卒業をし、社会人として働き始めてから津田の両親に挨拶へ行く。そうしてから、もっと自分達の欲に素直な恋愛をすることが2人の思い描く未来。
今、自分達の欲を押さえつけている一方で、こうした明るい未来を語り、想像するのが2人にとっての僅かな今の幸せだ。
───しかし、結論を言ってしまおう。
2人の理想が現実になることはなかった。
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「ねぇ、そういえば、しーちゃん。知ってる?」
「知らない。……っていうか、この流れ久し振りね」
お昼休み。いつも通りに教室で昼食を食べていた詩織と真悠。文化祭も終わり、片付け後の寂しさからようやく生徒達が抜け出すことのできた今日この頃、真悠は詩織にとある話題を提供した。
提供前の文句を久々に聞いた詩織は、少しばかり懐かしさを感じてしまったのだが、話題の内容がすぐにそんな感慨深さを吹き飛ばしてしまった。
「しーちゃん、学校の七不思議って知ってる?」
「えー? うちの学校、そんなのあるの?」
「あるよー。ちなみに、黒山くんは知ってる?」
真悠が話を振った先、黒山は相変わらず自分の席で黙々と昼食を食べている。口に含んだ食べ物を飲み込んだ後、口を開いた。
「流石に7つも知らないが、1つだけなら聞いたことがある。二宮金次郎像の目の前で、ひたすら何かを呟きながら像を見上げる男子生徒の話だ」
「おー! 1つは黒山の言う通りだね! 像自体ではなく、像の周りで起こっているのが面白いところだよねー!」
「面白い……!? それって、単にヤバイ奴なんじゃ……?」
これでは七不思議というよりかは、普通とかなりズレた人の悪口になっているのではないか、と詩織は思った。ちなみに、黒山がこの話を知っているのは、黒山も実際にその男子生徒を見たことがあり、その近くにいた他学年の女子生徒2人が「七不思議」と話していたからだ。
その男子生徒が何故、二宮金次郎の像を見上げて何かを呟いていたのかは誰も知るところではない。
「……それで? 他の6つは何?」
「おー! しーちゃんも何だかんだで興味あるんだねー! あとは、夜の音楽室でシューベルトと誰だっけ……誰かが演奏してバトルしてるのと、下校時間を過ぎているのに図書館から出てきたという女子生徒。それから夜の格技室に出たという侍の幽霊と夜のプールで何かを嘆く太った男子生徒。それから、高校進学を羨むリーゼントヤンキーの幽霊と最後に開かずの間だね!」
知識に欠ける真悠の為に補足しておくと、音楽室の七不思議は吹奏楽部で話題となった話だ。ピアノ経験者によると、シューベルトと演奏で勝負していたのはレーヴェであり、演奏していたのは、かの有名な「魔王」だったそうだ。
それはともかくとして、詩織と黒山は最後の話が気になった。
「開かずの間? そんなのあったっけ?」
「俺も知らないな」
真悠はその疑問に「うんうん」と笑顔で2回頷いた。真悠はまさにその話をしたかったのだ。
「3年生になればわかるけど、上の階には本当に男子生徒の幽霊が出る教室があるんだよ。噂ではなく、本当に出ちゃったものだから、その教室は外から鍵が閉められていて入れなくなってるんだってー」
「本当に? そんな話、初めて聞いたけど」
「それがね、最近まで忘れられていたらしいよー? 知らずに教室の鍵を開けてしまった先生がその幽霊を見ちゃったらしくて、それを生徒に話したところ、生徒の1人がこの学校の卒業生である親からその話を聞いたんだってー」
その話を聞いて、黒山はどこか得心がいったようだ。
「成る程な。それを知る者が学校に残っていないから時代と共に忘れ去られてしまったわけか。……それにしても、心霊現象を体験した割には幽霊となった具体的な起因がよくわからないな。大体は、憶測でもなんでもそこまで付いてくるものだろう?」
「「あー」」
詩織と真悠は黒山がした指摘に「確かに」と思った。幽霊となってしまった原因や死因がある程度わかった方が、恐怖を駆り立てられる。少しでもヒントがあれば考察に繋がり、それがより人を恐怖に貶める。
「ね、だったら私達で見に行ってみない?」
好奇心旺盛にその提案をしたのは意外にも詩織だった。黒山はあまり乗り気でない表情だったが、真悠は詩織につられて目を輝かせていた。
黒山が溜息混じりに反対意見を述べる。
「そこは本当に幽霊が出るんだろう? だったらやめておくべきだ。わざわざ危険に身を投げるなど、馬鹿がすることだ」
「ほーう? それはつまり、透夜は幽霊を信じていると?」
詩織が黒山をからかう。しかし、今もまだ下の名前を呼ぶのに少し恥ずかしそうだ。真悠にとっては最初聞いた時こそ驚きだったが、今となってはそんな詩織を見てニヤニヤしている。
一方、黒山の表情は険しかった。
「信じる、信じないの話じゃない。出ようが出まいが些細なことが人に思い込みをさせる。その思い込みが暴走にも繋がりかねないんだ。やめておくべきだと思うぞ」
「まあ、そうだろうけど、外から見る分にはいいじゃん? 多分、頼んでも鍵は貸してくれないだろうし、廊下から見るだけだからさ!」
「そうそう! それでー、黒山くんは行かないのー?」
「…………」
黒山はペットボトルのお茶をひと口飲んで考えた。確かに、教室内ではなく廊下から雰囲気を感じる分には危険がないだろう。重度の中二病という病気は、思い込みが原因となる病気だ。だからこそ思い込みの恐ろしさが彼にはわかるのだが、この場は仕方がなく、2人に同伴することにした。
「わかった。外から見るだけだぞ」
詩織と真悠は顔を合わせて喜んだ。黒山は昼食を食べる手を再び動かし、心の中で「やれやれ」と呟いた。好奇心旺盛な2人にもそうだが、何だかんだで甘い自分にも少しばかり呆れていた。
結局、3人は放課後に3年生の教室がある階に行くこととなった。
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───そして、その放課後。
瑠璃ヶ丘の七不思議が再び広まってからあまり時間は経っていないはずだが、見物に来る人はあまりいなかった。そもそも、下級生としては上級生の教室がある付近には近寄り難いものである。
既に見物を終えている3年生は、見物に来た黒山と詩織と真悠の3人を微笑ましく見ていた。或いは、陰で馬鹿にする人もいただろう。そんな上級生の反応を無視して3人は例の教室前に辿り着いた。
「うーん……うーん?」
唸りだしたのは詩織だ。彼女は決して幽霊に乗り移られて唸っているわけではない。3人とも共通して感じた感想だが、実のところ見た感じでは「いかにも幽霊が出そう」というような雰囲気が感じられない。
ただ、黒山だけは別の何かを感じたようだ。
「栗川、その幽霊は教室のどの辺りに出たという噂なんだ?」
「え? えーっとー、確か5列ある席の真ん中の列、1番後ろだったかな……? そこに座っていた幽霊が席を立ってこっちに寄ってくるんだって」
「…………」
考え込む黒山。そんな彼の変化に詩織はいち早く気付いた。
「どうしたの、透夜? 何か感じた?」
黒山はすぐ我に返った。だからといってわかりやすく「ハッ」となったわけではなく、至って落ち着いて考えるのを止めたくらいだ。
「いや、何でもない。取り敢えず教室に戻るぞ」
「えっ? あ、ちょっと!?」
勝手に歩き出した黒山に詩織と真悠は驚いて後を追った。黒山の歩くペースは速いが、辛うじて2人でも付いていける速さだ。あっという間に2年3組の教室に到着するなり、黒山は出入り口の扉付近でピタリと止まった。
「ちょっと、どうしたの!? まるで逃げるかのような速さだったけど」
「……すまないが、2人は教室で待っていてくれ。俺は針岡の所へ行ってくる。事情は後でちゃんと説明する」
2人の返事を待たず、黒山はすぐさま針岡のいる職員室へ向かった。置いてかれた詩織と真悠の2人。ここで無理に黒山を追ったところでむしろ邪魔してしまうだけだろう。黒山の言う通り、大人しく教室の中へ入っていき、自分の席に座った。
「黒山くんはあんな感じだったけど、しーちゃんは何か感じた?」
「いーや、これ全く全然。外からだと至って普通の教室だった感じだけど?」
「そうだよねー。黒山くんだけが感じたということは、そういうことなんだろうけどねー」
そういうこと……というのは、重度の中二病関係だということだ。それが一体、どんな能力による効果なのかまではわからないが、黒山には見ただけで相手が重度の中二病患者なのかがわかる。
「あれ、でも待って? 透夜がそれかどうかわかるのは見てからだよね? 何で、幽霊を見たわけでもないのに教室の外からそれがわかったんだろう……?」
「それはー……うん、何でだろうねー?」
詩織と真悠にはいくら考えてもわからなかった。わからないことをいつまで考えてても仕方がないし、黒山が後から教えてくれるというので、詩織は別の話をすることにした。
「そういえば、他にも幽霊の話があったよね? 侍とプールと図書館がよくわからなかったなぁ。高校進学を羨むリーゼントヤンキーは少し予想がつく」
瑠璃ヶ丘高校は決して有名な進学校ではない。レベルも大体中間ぐらいなことから、昔から受験生に舐められやすい立ち位置の学校だった。そこで受けて落ちたリーゼントヤンキーが、この学校に進学した生徒を羨ましがっている、というものだろう。しかし、高校進学を未練としたリーゼントヤンキーとは、怖さに欠ける自分勝手な幽霊がいたものだ。
それは詩織でも予想できた内容なのだが、やはりそれ以外がイマイチよくわからなかった。
「確かねー、プールは女子更衣室を覗こうにも覗けなかった童貞さんの幽霊で、侍はかつて昔の剣道が好きだったとされる幽霊。図書館は、他に居場所のなかったかつての図書館の主っていう考察があるんだよー。そう考えてみると、余計に開かずの間が謎だよねー」
それを語る真悠はやはり楽しそうだった。詩織はそんな彼女の姿に少し感慨深さを感じる。元から何処か頭のネジが緩んでいる女子ではあったが、重度の中二病患者となってからは更に人と少しズレているような気がした。
それでも、そんな一面は心の底から信用した人間にしか見せない。真悠は男女共に交友関係の広い女の子ではあるが、きっと色んな顔を持っていて使い分けているのだろう。想像できない幼馴染の知らない一面があるのだと考えると、詩織は不思議な気持ちになった。
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一方、職員室に着いた黒山は入室のマナーをひと通りこなしてから、真っ直ぐ針岡が座っている席に向かった。黒山の存在に気付いた針岡は少し意外そうな顔をしていた。
「んおー、お前さんから来るとは珍しいなー」
「ああ、手短に済ます。……瑠璃ヶ丘高校の七不思議って知っているか?」
「ぶはっ!」
針岡は思わず吹き出した。この2人もそこそこに付き合いが長いが、針岡には黒山から「七不思議」の言葉が出てくるとは思わなかったので、つい笑ってしまったのだった。
「キャラじゃないだろー。大体なー? 七不思議ってのはどんな学校でも迷信だー。超超現実主義なお前さんから迷信が出てくるとは、流石の俺も驚きだってー」
「それはわかっている。俺が言いたいのは、七不思議全体ではなくて、開かずの間の話だ」
少し黒山の声が大きくなってしまったからなのか、その「開かずの間」という単語が聞こえた瞬間、周囲で仕事をしていた教師の手が止まり、一斉に黒山の方を見た。その様子から、職員の間でも何かと話題になっているようであることは一目瞭然だ。
そしてようやく、針岡は黒山の言いたいことを理解したようだった。
「……場所を移すぞー」
「ああ。どうやらそうした方が良さそうだな」
針岡は立ち上がって少し足早に職員室を後にした。黒山も遅れることなく付いていく。ただ、黒山にとって少し意外なのは、察した針岡の動きが速いことだ。誰よりも仕事に対してやる気を見せない針岡にとって珍しいことである。
移した場所はいつも通り、進路指導室だ。ほとんど進路指導の先生に対して顔パス状態で針岡は中にある応接室に入っていった。黒山も進路指導の先生に対して軽く会釈をし、ほとんど慣れたように応接室のソファに腰掛けた。
「どうやら、教師の間でも話題になっているようだな」
「あー、全くその通りだー。半信半疑だった他の先生も見に行ってなー。逆に幽霊の姿を見なかった先生がいないもんだから問題になってるんだわー。んで、あの部屋がどうかしたのかー?」
黒山は内心、幽霊の姿を見たという教員全員に突っ込みを入れたいどころだった。そもそも、霊感ある無しに関わらず見えてしまう時点で「本当に幽霊か?」と疑って欲しいところだ。しかし、そこに実在する生徒がいるという話もおかしい。そうなればとっくに警察沙汰になっているだろう。
黒山は落ち着いた表情で、幽霊の正体を少しだけ述べた。
「実在する人間なのか、それとも幽霊なのかは正直俺にもわからない。だが、奴が重度の中二病患者だということは間違いない」
「本当なのかー!? けど、お前さん、それってー……」
「ああ、いずれにせよ前代未聞の存在だ。ついては調査するから鍵を貸して欲しい」
「あー……」
黒山の要求に針岡は少し困った顔をした。その瞬間、黒山は何処か嫌な予感を感じた。
「鍵はなー、職員でさえも勝手に持ち出せない場所に保管されてるんだー。ちょっと校長に掛け合ってみねーとダメだなー」
「───それほどまでに、危険視されているのか?」
針岡は黒山の質問に対して両手を挙げた。どうやら職員としては正直なところ「お手上げ状態」なようだ。
「俺は見てないから知らないんだけどなー? どーも話によると、その幽霊は丸坊主でなー。学生服を着ているらしく、その歴史を辿れば随分と前の生徒が何らかでこの世を去って幽霊になったんではないかーって言われてるんだわー。んでもって、そいつは誰彼構わずに寄るらしいから、安全を守るって意味で教師すら入ることが困難になってるんだわー。まぁ、時代だよなー」
教員は生徒の安全を守らなければならない。それと同時に、学校は教職員の安全を守る義務がある。危険だとわかっているのであれば、尚更教職員を危険に晒すようなことをするわけにはいかない。その為、無理に開かずの間をどうにかしようとせず、これまで通りにそこを開かずの間にすることがベストだと判断されたのだった。
「まあ、いい。わかった。無理にあの部屋に入ろうとはしないから、針岡は鍵の手配をしておいてくれ」
「あー、わかったー」
「必ずだぞ」
黒山は教室で待たせている2人に悪いと思い、遠慮なく針岡を置いて応接室……そして、進路指導室を後にした。
深い溜息を吐いた針岡は少しの間だけ目を瞑って天井を仰ぎ、勢いよく立ち上がってから黒山に頼まれた仕事を早速進める為、進路指導の先生と少しばかり話をしてから校長室へと向かった。
読んで下さりありがとうございます! 夏風陽向です。
完全に更新するの忘れてました……。
新章ですね! これも前から書きたかった話ですので、ぜひ今回もお付き合い願います!
それではまた次回。来週もぜひ読んでください!




