昼の盗賊とハーブの街
二日目は、前日と打って変わっての快晴だった。青い空からさんさんと降り注ぐ日光の下、街は朝から大いに活気付いている。
しかし、トーヤは太陽からも街の喧騒からも逃れるようにカーテンを引いて、午前中の間ずっと眠りについていた。昼過ぎになってようやく目を覚ましてからも、起き出さずに横になったまま、ぼんやりと虚空を見つめる。
「……どうなってやがる、あそこは」
昨夜の出来事を思い返して、ぽつりと呟く。
昨夜、トーヤが地下の聖堂から上がってくると、すでに夜が明けていた。そして彼は、地下に下りるまでは埃一つなかったはずのその階が、他の階と同じように埃まみれになっているのを目の当たりにしたのだ。驚愕した彼は慌てて城の外に出てみたが、城の外見は何も変わっていない。変わったのは、女性がいた四階だけだ。
「いっそのこと外見もぼろくなってりゃ、納得できたのに、な……」
それならば、夜の間にしか神の力が働かないのだと考えればいい。あの姫が夜の明ける寸前に聖堂に戻った理由もそれで事足りる。だが、実際はそうではないのだ。
「そもそもご神体がないのに、なんでまだ力が働いてるんだよ」
通常では、少なくともトーヤの持つ知識の中では、彼らが認識している神々の力はご神体を中心として働くものなのだ。それが何であるかは様々だが、ご神体というのはその神が自分の力を集積して作り出した物体であり、力の源となるものだ。どんな神もそれなしでは能力を実際に具現化することができない。何故そんなものが必要なのかということまでは伝えられていないが、そういうものだと聞いている。この国に国教として広まっている一神教の絶対神と違い、彼らの神々は全知全能ではないのだ。
自分が持つ知識を頭の中でざっと並べ立てたトーヤは、おかしいだろ、と呟いて寝返りを打つ。それから、昨日からもう何度目になるのかもわからないため息をついた。
「考えてても仕方ない、か」
そう言って起き上ると、出かけるために身支度を整える。もう一度、今度は昼の内にあの城に行ってみようと思ったのだ。
外に出ると、昨日よりも多い人通りが彼を出迎えた。まずは市場に行って昼食を調達しようと、人込みをかき分ける。
市場に着くと適当な出店を選んで、歩き食いできそうな食べ物を物色する。そうしていると、やけにハーブ入りの食べ物が目に付いた。店主に聞いてみると、ハーブはこの街の特産品なのだと言う。
「特によく採れるのは、パセリとセージ、ローズマリーにタイムだね。昔っから、この街ではこのハーブを料理に使ってたんだよ」
気さくな女店主はそう言って、トーヤが選んだパイを歩き食いしやすいようにと紙で包んでくれた。
「他の土地じゃあ、料理の付け合わせにだけして食べずに捨てちまう、なんてところもあるようだけどね。あたしらに言わせたらそんなのもったいないよ。この街には昔から発明家が多くてね、どうしたらおいしく食べれるのかも昔の発明家の人が考えて、ちゃんと伝えてくれてるんだよ」
温かい内に食べなと手渡されたパイを受け取って礼を言い、トーヤは歩き出した。買ったばかりのパイを一口頬張ると、中に詰められた肉の汁と共に、少しだけつんとするハーブの香りが口の中に広がる。きつすぎない香りが肉の旨みを引き立て、かつ生臭さを殺しているのだ。
「確かに、これを料理に使わない手はないな」
そう頷きながら、街の北端にある城に向かう。
城に着くと、正面の正門も昨夜使った通用門も、昼の内は国教会直属の兵が警備していた。異教徒の建物に街の者が立ち入らないようにするためだろう。
彼らはあの四階の不思議な現象を知っているのだろうか。いや、間違いなく知らないだろう、知っていたら平静を保って警備などできるわけがない。そんなことを考えつつ、トーヤは警備兵の前を素通りする。門を通らなくても、城の中に入る方法などいくらでもある。
「とりあえず、この壁を乗り越えるか」
警備兵の見えない位置まで歩いたところでそう呟いて、トーヤは懐から細いロープを取り出した。先端に小さいが頑丈な鉤爪が付いている、盗賊道具の一つだ。
その鉤爪が付いた方の端を、城壁の上に向かって放り投げる。すぐに、手元に残った側のロープにかちりと手応えが伝わってきた。試しに引っ張って、ちゃんと引っかかっているかを確認する。これなら大丈夫だ。
トーヤはそう判断すると、何の取っ掛かりもない細いロープを腕の力だけでするすると登り始めた。大の大人を縦に五人重ねたほどの高さの壁をあっという間に登り切る。そうして、今度は反対側にロープをたらし、一気に滑り降りた。とん、と地面に足が付くと同時に、手にしていたロープを微妙な角度をつけて引っ張る。するとそれだけで、それまでしっかりと城壁の上部に引っかかっていた鉤爪が落ちてきた。
「よし、と」
ロープを再び懐に収めたトーヤは、城の北側に向かって歩き出した。目指すは昨夜の聖堂だ。入り口は地下にしかなくても、窓があるのだから建物は地上に付き出ているはずだ。
本丸の周りを大きく迂回し、敷地の北の端に出る。そこには特別大きな建物などない。あるのは入り口のない、大柄な男性の背丈ほどの小さな石造りの小屋だけだ。一目見ただけでは窓もないように見えるので、中がどうなっているのかを確かめる術はないように思える。それに昨夜来た時は、あまりにも小さすぎてそれが聖堂なのだとは思いもしなかった。
その小さな建築物の北側に回り、トーヤはそこで膝をついた。地面すれすれの、あると知っていなければ見落としそうな所に、人の頭ほどの大きさもない穴があいている。
地面に腹ばいになって、その窓を覗き込んでみた。窓が一つしかない聖堂の中は昼間でも大して明るくはない。それでも、できるだけ自分の身体で光を遮らないように苦労して下を覗くと、内部の様子がなんとか見えた。
「……やっぱり、いる、よな」
昨夜四階の窓辺にいた女性が、明け方横になった寝台で眠っている。じっと見つめても目を覚ます気配はない。こうして離れた所から眺めていると、その格好といい造形美といい、本当に彫像のようだ。
「彫像だったら、相当値が張るだろうな」
「そりゃそうだ。なにせ三国どころか、十国一の美人と言われてたんだからな」
唐突に後ろからそんな声がした。聞き覚えのあるしゃがれ声だ。窓から頭を出して振り向くと、予想通り、昨日の白猫がお座りの体勢でこちらを見ていた。目が合うと、にやりと笑うように目を細める。
「女性の寝姿を覗き見するとは趣味が悪いぞ、夜明けの子」
「……その呼び方はやめろ、化け猫」
名前は教えただろうが、と言うと、お前こそ化け猫言うなと返される。
その言葉は無視することにして、トーヤはもう一度小さな窓を眺めやった。
「あれが誰だか知ってるのか?」
そう聞くと、猫は当然と言うように頷いた。
「この城の最後の主だ」
「いや、それは見ればわかる」
なにせ、城が使われなくなってからもずっとここにいるのだ。しかも眠る場所は王族が祭っていたはずの聖堂とくれば、自ずと彼女の出自は知れる。知りたいのはいつから、どういう理由でここに眠るようになったのか、だ。だが、それを聞いても猫はしれっとこう言っただけだった。
「それは自分で調べるんだな、盗人」
「………お前な」
今度は盗人呼ばわりだ。間違ってはいないが、あまり気持ちの良い呼ばれ方ではない。抗議しようと口を開きかけて、ふとトーヤは目を瞬かせた。思わずまじまじと猫の顔を見つめる。すると猫は、器用に首を傾げる動作をした。
「なんだ?」
「……長生きしてたら、人の顔を見ただけで職業までわかるのか?」
自分が盗賊だと言った覚えはないし、言うはずもない。それにこの猫は昨日も出会い頭に言ったのだ。宿は日が暮れるまでのものだろう、と。夜に働くと知っていなければ、そんな言葉は出てこないはずだ。
そう言うと、猫はふっと口を噤んだ。そしてすぐにふんと鼻で笑う。
「別に、顔だけで判断した訳じゃない。お前、街に入る前に依頼書を広げていただろう。あんなところであんなものを広げるなんて、不用心だとは思わないのか」
「………あそこにいたのか?」
人の気配には気を配っていたが、流石に猫の気配なんて気にしていなかった。
「ああ。なんか壁際でごそごそやっている奴がいるなと思ったから、壁の上から覗いていた。壁際は確かに横からは覗きこまれんが、真上からはよく見えるぞ」
これからはもっと注意すべきだな、と猫は一人で頷いている。トーヤはぼそりと呟いた。
「……そもそも、人の文字を読める化け猫の方がおかしいと思うんだが」
「読めるに決まっているだろう。それから、化け猫言うな」
ぴしゃりと言い返してきた猫は、それにしても、と言いながら尻尾をぱたんと振った。
「お前も大変だな。信じてもいない神を崇める連中に使い走りにされているとは。しかも、やらなきゃいけないのは自分んとこの神を封じることだ」
お前自身はまだ、ちゃんとこちら側の人間なのにな。
猫はそう言って、憐れむような視線を向けてくる。その視線の居心地の悪さにトーヤは身じろぎをして、猫から目をそらした。そのまま、ぽつりと漏らすように呟く。
「俺の場合は、どちらを信じる信じないの問題じゃないから、な」
「でもお前は、自分の郷にもここにも神がいると信じているんだろう?」
「信じている訳じゃない。ただ、知ってるだけだ。俺達の神は実際に存在するってな」
「ほお?」
猫は興味深いと言うかのように、その大きな瞳をぱちりと瞬かせる。先を促されていると感じて、トーヤは逡巡した。今まで誰かに話そうと思ったことなどなかったし、これからもそんなつもりはなかった。しかし、この化け猫には話しておいた方がいい気がする。根拠などはない。ただの勘だが、昨日は無視したそれを信じてトーヤは口を開くことにした。
「俺の故郷が、土着の神を信仰していた最後の里だったそうだ。滅ぼされた後にそう聞いた。もう十年以上前の話だけどな」