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ロルフ  作者: 雨草ユキメ
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伍 襲来

登場人物の簡易プロフィールなど掲載使用可どうか悩んでおります。

もしも登場人物のプロフィール欲しいよ!などあればどのキャラが〜なども教えて頂けると有難いです。

「……そろそろだね、シシィ」


 キーゴ(イチゴのような果実)を鍋で煮詰めながらそう呟くミッシャの姿は哀れな王子を助けたあの頃と何ら変わらない。妖しいほどに美しいその(かんばせ)をわずかに曇らせてほほ笑んだ。


「何さ、寂しいなんて言うようなら火炙りにするよ」


 わかっていたことだろ。書物を纏めていたシシィは背中を向けたままの双子の兄を睨む。豊かな胸を押し潰すように分厚い本を何冊か抱えているその姿もまた、あの頃と何も変わっていなかった。


「……嫌なにおいだ。禍々しい魔力に、血と涙のにおい」

「…ロルフには、嫌なものを見せてしまうね」

「しょうがないさ」

「……うん」


 美しい双子はどちらともなしに視線を合わせ、全く同じ動作でゆるやかにうなずいた。「旅立ちの時だ」高さの違うよく似た声が同時に呟く。


 双子の魔女が腰を据える森を所有しているグランツ王国の第五王子、ラインハルト・ロルフ・ジークオファ=フォン・グランツを我が子のように育て始めて早五年。

幼かった少年は18歳の青年へと成長した。


「……ロルフなら大丈夫だよ。あいつは強い。身も心も…阻まれてもそれを乗り越えられる強さがある」


 シシィが取り出したのは一つの皮袋。決して大きくないそれにミッシャが様々な……薬草や薬の瓶、干し肉やドライフルーツを詰めていく。

その量は到底入りきるものではなかったが、魔法が施された皮袋はまるでブラックホールのようにそれらを飲み込んでいく。


「そうだね…。ボクとシシィが愛し育てた子だ。……きっと、大丈夫」


 今はいない愛し子のための荷造りを進めながら、人嫌いで有名な魔女はほほ笑んだ。

 その表情は子を思う親そのもの。


「あの子はすぐに出ていくと言うだろうね。性格に違いはあれど、心の底の優しさは本当に彼に似ている」

「……あいつとロルフを重ねるなよ。あいつはもうここにはいないし、どんなにアタシたちが想っていてもあいつの心はあいつの故郷にあった。

 あいつのことは忘れろ。ミッシャ」


 酷く冷えきった声で言葉を吐く妹にミッシャは眉を下げてほほ笑む。


「重ねてなんかいないさ。ロルフを通して彼を見なかったと言えば嘘になる。だけど、ロルフはロルフだ。ロルフを愛する気持ちにほかのものは一つもないよ」


 彼らの脳裏に浮かぶのはもうずっと昔、自分たちを救ってくれた異界の人間。愛しい子と同じ黒い髪と猫のような金の瞳が印象的だった。


「それに忘れるなんてできないよ。彼がいたから今のボクたちが居る。ロルフに出会うことができたのも、彼が居たからこそだ」

「……ふん」


 必要と思われるものすべてを詰め込んだ皮袋の口を閉め、忘れ物がないかぐるりと部屋を見回す。そうして、隣に立つ妹を見たミッシャはいつも浮かべている笑みをさらに深めた。

 いつでも眉間にしわを寄せて、周囲を威嚇しているシシィはテーブルの上で拳を作り俯いている。「火炙りにするぞ」なんて気丈なことを言っておきながら、自分が寂しそうにしているのだ。


「…大丈夫、五年前の生活に戻るだけさ。ロルフの帰りを待ちながら…ね」


 窓の外が騒がしい。鳴き叫ぶ小鳥たちが、蹄の音を立てる鹿が、いつの間にか住み着いていた小さな妖精たちが、何から逃げるように西へ西へと逃げていく。

 その光景が意味することを、双子の魔女は知っている。


「……神は残酷だな。ロルフにこんな運命を背負わせるなんて」

「…神なんていやしないさ。この世界に居るのは、神のような力をもつ竜だけ。自分の運命は、自分で決めるものだ」


 唇を噛みしめるシシィの体を抱き寄せてミッシャは言う。


「もし、もしも、ロルフが行きたくないと泣いたら……三人でこの世界が滅ぶまで一緒に居ようか」


 冗談めかしていたが、その言葉はミッシャの本心のようだった。





      * * * *





 いつでものどかであたたかだった村は――――火の海と化していた。


 道中の森で仕留めた兎と、薬草を詰めた皮袋が手から滑り落ちる。だが、目の前の光景に絶句しているロルフには関係のないことだった。

 どうして、なにがあった、この村はどうなる。村の人々は、…――――イアンは。


「っイアン、イアン…ッ!」


 気が付いたら走り出していた足を追うように口が詠唱を始める。肉が焼けるにおいとともに煙を吸い込んだが、咳き込むことは無かった。


「 ――――― 時をたゆたうすべての源よ 命をつかさどる水の精霊よ 我が願いを聞き入れ その姿を現したまえ !」


 この世界には魔法があり、属性がある。火、水、風、土、雷、光、闇。無属性というヒト族が編み出した魔法もあるが、ヒト族は無属性に併せて基本一つか二つの属性に適性を持っている。種族によっては適性のある属性が決まっているものもある。

 ヒト族は魔石を生み出すことで簡易なものであればすべての属性を扱うことができるようになったが、本来すべての属性を扱うことができるのは神竜と特異体質である魔女だけだ。―――――すべての精霊に力を貸してもらう以外には。


 そんな数百年に一人の「精霊のお気に入り」であり、ここ何年と修業を重ねてきたロルフでさえも詠唱を省略できない最上級の精霊魔法の一つ。


「ウンディーネ…ッ」


 ――――精霊の、具現化。


 ロルフの足元から浮き出た一塊の真水が、美しい女性の姿を象る。彼女は水の(かんばせ)に微笑を浮かべると、燃え盛る村の上空へと舞い上がった。

 くるり、くるりと旋回し、次第に女性の姿はただの水の塊へと変化していく。村の上空全てを覆うまでになったそれは一度ぶるりと震えると、重力に従い落下した。


 白い水蒸気を上げて、悪夢のような赤が消えていく。完全に消えるのを待つことなどできるはずもなく、わずかに赤が残る中をロルフはがむしゃらに走り抜けた。


 倒れた柱の下で重なり合うように倒れているのは子どもたちのリーダー的存在だったリヒトと、その母親のカルラ。少し離れたところに倒れている真っ黒に焦げた遺体はメリダだろう。夫にもらったのだとはしゃいでいたブレスレットだけが悲しく光っていた。

 ハンネス、ズーク。いつもイアンを構っては泣かせてしまっていた悪戯好きの兄弟も、ロルフに「内緒よ」と笑って菓子をくれたアーデルも、すぐ居眠りするのはいただけないがいつでもどっしり構えていたアドラーも、みんなみんな、変わり果てた姿で変わり果てた村に倒れている。


「……そんな、嘘だ…っ」


 止まりかけていたロルフの足に当たったのは、脚の悪かった村長が使っていたこんな田舎では珍しい銀製の杖。ならば、そのすぐそばで倒れている不自然に四肢が欠損した遺体は、この村の長たるヘクタールなのだろう。

 力の抜けていく体に逆らえず、ロルフは膝をつく。わななく口からはもう一度「嘘だ」と音にならない言葉がこぼれた。


 他人の死は知っている。知っている、つもりだった。だが……これは知らない。こんなものは、知らない。

 これが「死」か。尊厳も何もない、理不尽な「死」。

 込み上げる吐き気を耐え切れず、ロルフはせめてとヘクトールから顔を背けて胃の中身を吐き出した。


 この村を包んでいるのはもうのどかであたたかな空気ではない。絶望と悲哀しかない―――「死」の空気だ。

 自分の吐いた胃液にまみれてしまった、三年前イアンの描いたロルフとイアンの絵を見つめてロルフは唇を噛み締める。鋭い犬歯が皮を突き破り、真っ赤な血が一筋流れた。


 ただただ打ちひしがれるしかないロルフの耳に、「くちゃくちゃ」という、何かの咀嚼音が響いた。

 涙があふれる目元を袖で乱暴に拭い、音の発生源―――元は万屋アドラーであった瓦礫の向こうを覗き込む。


「…っ…!? ぅあ…っ」


 背を丸めた、猿のようなシルエット。ひくりと震える頭頂部に生えた大きな耳は狐を彷彿とさせ、長いしっぽは大蛇のように太い。

 一言でいえば「異形」。そしてロルフは……目の前の「それ」が何であるかを知っていた。


 ―――――魔物。


 勇者がこの世界に召喚された当時、人々の暮らしはこの理性のない獣によって脅かされていた。

生きるものとみれば襲い掛かり貪欲に食らい続け、人との関わりを極端に嫌う魔族にのみ従い魔王の配下にある存在。それが「魔物」。


(勇者によって封じられた存在が、どうしてこんな場所に……っ)


 ―――――まさか。


「―――おや、まだ生き残りが居ましたか」


 ねっとりと、絡みつくような声が耳に吹き込まれ、顔を青くしていたロルフは怯えた猫のように飛び退いた。裏側に魔物がいる瓦礫ではなく、その横に崩れていた木片を背にして声の正体を睨む。

 風に揺れる長い髪は紫。エルフのように長い耳はひくひくと動きその上にある羊の角を強調させる。ばさり、と動かされた翼はかたい鱗に覆われていた。


「っ魔族…ッ!」


 瓦礫から顔をのぞかせた血と涎まみれの魔物を、唯一使役できる種族。

 勇者の働きにより、絶望の海と呼ばれる荒波の大海を超えた先に封じられたはずの二つの存在を目の前にして、ロルフは自分の憶測が外れていないだろうことを確信した。


「…魔王が目覚めたからって、随分と遠くまで出張したな」


 ―――――勇者による魔王の封印が、解けてしまったのだ。


 ロルフの存在に気付くや否や襲い掛かって生きた魔物を蹴り飛ばし、先程よりも強く目の前の魔族を睨みつける。

 この男が、仇なのだと。


「おやおや、怖いですねぇ」

「ここはお前たちが暮らす場所から最も離れた場所だ。答えろ、これまでどれだけの村を襲った。ここが初めてなわけじゃないだろう」

「いちいち覚えちゃいませんよ、そんなこと。まぁ今日はたまたま遠出がしたい気分だったので、ここ以外を襲ったのは…少し前ですねぇ」


 しかし遠出はしてみるものだ。うっそりとほほ笑んだ男がゆっくりと歩みを進める。その狂気に満ちた表情を、ロルフはただ睨み上げる。


「忌々しい勇者によく似た貴方に会えたのだから」

「っ……!!」


 緩慢な動きで頬を撫でられ、するりと深く被っていた外套のフード部分が落ちた。死人のように冷たい手で耳をくすぐられ、全身の毛が逆立つのを感じた。

 ぱしん、乾いた音を立ててその手を叩き落とし距離を取る。


「おや、ふられてしまった」

「……気持ちが悪い……っ!!」


 くすくす、笑い声が響く。


「ウンディーネを召喚するほどの魔力量、魔族を前にしても怯えることのないその態度、本物の勇者かと思うほどに似ている。

 ――――だが…彼よりもずっと初心なようだ」


 いいですね、実にわたし好みだ。

 その言葉にロルフの顔色がさらに悪くなる。気持ち悪い、もう一度吐き捨てるようにこぼした。


「彼は少し小賢しかった…本当ならわたしが飼ってさしあげたかったのに。人の寿命は短いですからねぇ、もう死んでしまったのでしょうか…残念です。

 あぁでも、今は貴方がいますね」

「……俺を飼うって? 冗談じゃない」

「今はしませんよ。貴方は大人しい子猫ではないようですし……わたしは肉体派じゃないんです」


 ロルフの手に握られたダガーナイフが空を切る。ついさっきまでそこに居たはずの男は、ロルフのすぐ隣で気味の悪い笑みを深めて立っていた。

 だが、ロルフの手から落とされた魔石には対処できなかったようだ。


 水で濡れた村にほとばしる閃光。初級の光魔法を込めた魔石の力に、けれども闇に属する魔族の男は苦しげに目元を覆い蹲る。


「飼われるつもりはさらさらないが、ここでみすみす見逃すつもりもないんだよ。俺はな」


 シシィから初めてもらったプレゼントであるダガーナイフを握りしめ、ロルフは鼻を鳴らす。

 天敵である光の力に呻く男を見下ろし、もう一つ魔石を取り出した。親指大のそれをダガーナイフに押し当てて、込められた魔力を移していく。


「この村の仇だ…っ!」


 光を纏ったそれを無駄の少ない動きで蹲る男の背に突き刺した。そこは、人体であれば心臓のある急所。魔族であっても要である核のある場所だ。


 ―――――だが。そのあまりの手応えのなさに目を見開いた。


 にやり、顔を上げた男が口元を歪める。謀られた、そう思った時にはもう遅かった。

 ダガーナイフを握ったままだったロルフの腕を掴み、素早く体を翻した男。自然とロルフの腕も背後に回され、いとも容易く拘束されてしまった。

 油断していた。その一言で片づけられないほどの力の差を、今やっと実感した。


「不意を衝くというところも、無駄なく弱点をつくところも素晴らしい。ですがね、いかんせん……詰めが甘い。

 やはり勇者よりずっと幼い……ますます貴方が欲しくなりましたよ」

「ぐっぅ…! はな、せ……!!」

「私は魔族の中でも特殊でしてね、心の臓の部分に核がないんです。私を殺すには実に面倒な手順が必要でして…あの勇者でさえも最後までそれに気付きませんでした」


 特殊。そんなことがあるのか。常識を覆されてしまったロルフは混乱する頭で男の言葉を反芻する。


 魔族とは魔素(自然に生まれる魔力のもと)が殻を得たものだ。魔素そのものに意識が宿り、魔力の塊となっている精霊たちと似て非なる存在。

 殻を得た分それを維持するための核があり、それは心臓のある部分にある。…ある、はずなのだ。


「おっと、でたらめに突き刺してもダメですよ。そんなことをしてもわたしの核は突けない」


 魔石も詠唱もなく行使された光の刃をいくつもその身に受けながら、それでも男は笑みを崩さない。―――恐ろしい。ロルフの心に男への恐怖が生まれた。


「ああ、いいですね。その表情。非常にそそります。……ですが、今日はここまでです。大変名残惜しいですが……これでも忙しい身でして。息抜きで魔物をいくつも無くしてしまいましたし、急いで戻らなくてはいけないんですよ」


 べろり。耳の裏を冷たくぬれた何かが這う。


「また逢いましょう。わたしの愛玩動物(ペット)


 拘束されていた腕が離され、その反動でロルフは膝をつく。

 大きな翼を広げて空に舞い上がった男を見上げ、悔しげに形の良い唇を噛みしめた。


(……こんな屈辱、たえられるものか…っ!!)


「 癒しの力 すべての穢れを流す光の精霊たちよ 彼の者を消し去りたまえ ――――プルガシオン!!!」


 死の気配に支配された地では光の精霊ルクスとその眷属たちは本来の力を発揮できない。だから魔石を使っていたのだ。

 だが、今唱えたのは光の精霊魔法。ありったけの魔力を込めた詠唱に、眷属たちが集まり空高く舞い上がった男に向かっていく。召喚でない故にルクス自身は現れないが、ロルフは確かに死の気配に苦しみながらも自分に寄り添う彼の気配を感じていた。


 ロルフの適正属性は水と風だ。光魔法も扱うことはできるが、魔族を傷つけられるほどのものは使えない。

 だから、無理を承知で精霊たちに頼った。それがロルフの今使える最大の武器だった。


精霊(できそこない)のお気に入りか……ッ!」


 本来の力を発揮できないとはいえ、もともとがかなりの上級魔法だ。焼け焦げた左腕を抱えて男は初めてその顔から笑みを消し憎々しげに吐き捨てた。

 核を持たないと言ったあの男にとって、それは重傷ではあれ致命傷ではない。わかっていても、やらずにはいられなかった。


「やられっぱなしは、性に合わないんだよ…ッ」

「…気が変わりました。貴方はちゃんと、躾直さなくてはいけないようだ…次会う時を楽しみにしていますよ。

 このわたしに楯突いたこと、後悔させて差し上げます」


 ロルフに寄り添っていたルクスの気配が消えると同時に、男もまたその姿を消した。





      * * * *





 村から歩いて約五分。森とも面した場所に花畑がある。

 一度だけ、村の若い女性たちに連れられてやってきた場所だ。


『この花はね、ルーエといって贈り物に好まれるのよ』

『花言葉は“あなたに安らぎを”! いい花でしょう?』


 ロルフと同い年だと言っていた彼女たちは焼けただれた状態で川の中に横たわっていた。魔物から逃げ、火から逃げ、川に飛び込んだが助からなかったんだろう。

 ガビ、マレーネ。噂好きの二人の声を思い出し、こぼれそうになった涙を泥で汚れた袖で拭う。


 白、淡いピンク、黄色。色とりどりな花たちは手のひらほどの大きさで、背はあまり高くない。


「あなたに……安らぎを……」


 花たちを傷つけないように掘り返した穴に最後の……誰ともわからない小さな体を横たえる。

 村の中を駆けずり回り、それでも見つからない村人がいた。魔物に食われてしまったのか、瓦礫に埋まりきってしまっているのか。―――――イアンの遺体も、見つからなかった。


 腕一本でも喰い散らかれた骨でも広い集め、この花畑に運んできたロルフは最後の墓を作り抜いてしまった花を植え直す。

 安らぎを花言葉に持つルーエたちが、彼らの魂を癒してくれるよう祈って。


 森の中で腐り倒れていた木から削り出した木片にナイフで村人たちの名を刻んでいく。一人一人丁寧に、村人分ある木片に刻み付けた。


「…妖精女王(ティターニア)、近くに居るなら…来てくれないか」


 ―――――― ここにいるよ ラインハルト


 風が揺れ、頭を優しく撫でられる感覚がする。そのあたたかさにロルフは安堵の声をもらした。

 初めてあった時と同じく少女の姿をした彼女はロルフの頭を抱き込むように宙に浮いている。あの頃は同じ大きさだったのに、今自分の頭を撫でる手は酷く小さい。


 言葉にせずともロルフの願いを読み取る彼女はただ頷く。


 ―――――― この地に悪しきものが近寄らないよう 私たちが守るわ

  ―――――― 妖精の国の一部になってしまうけれど それでもいい……?


「ああ。…十分だよ、ありがとう」


 長い金の髪がロルフの顔をくすぐって、それに自然と笑みがこぼれた。


「でも、ヴィリー・ファブレと彼が信用する人間だけはこの地に入れてくれ。一度だけだ」


 ―――――― わかったわ


 最後に優しい村の名前「ハイマート」を花畑を守るように佇む大木に刻み付け、ロルフは森に消えていった。





      * * * *





「隊長! 後続隊の姿が見えません!」


 いち早く以上に気付いたフィデリオは使い込まれた弓を握りしめ、前を行く上司に向かって叫んだ。


 王都から西に向かった先にある、最西端の村「ハイマート」。その村から火が上がっていると旅人から報せを受けた第五師団一番隊は速やかに事態を把握するべくハイマートへと急いだ。


 隊員は長であるヴィリー・ファブレを含めて総勢十五名。だが今この場に居るのはヴィリーとフィデリオ、そしてヘンゼルとエーミルの四人だけだった。


「こりゃ魔法かなんかか? なぁエーミル。……おい、エーミル?」


 いつもチャラけているヘンゼルも緊張した面持ちで剣を握り前を行くエーミルに声をかけるが、なぜか返事がない。真面目を体現したような男のありえない行動に、ヘンゼルは足を速めてその肩を掴んだ。


「おい、エーミル!」

「……ない」

「は?」


 覗き込んだ褐色の瞳はどこか虚空を見つめていて「ありえない」エーミルアはうわ言のように呟いた。


「澄み切った空気、穏やかな鳥の声、俺の魔力が心地よく流れるのにここに居ちゃいけないと、俺の本能が囁く。

 ここはそう。妖精の国そのものだ」

「、妖精……?」

「でも、ありえない。ありえるはずがないんだ。こんな人の国の辺境に…っ、なによりも、俺たちが入り込めるはずがないっ」

「おいおい、冗談だろ……?」


 自然に宿り自然を愛する、小さな人の姿をしているという種族、妖精。彼らは決して人の前に現れず、彼らの女王が造った次元すら違う彼らの国に棲んでいると言われている、

 その「妖精の国」がここだと、エーミルは言うのだ。


「…エーミルの魔力探知は騎士団の中でもトップクラスだよ。エーミルが言うなら、間違いない。後続隊がいないのも、妖精に拒まれたからだと考えれば合点がいく」

「あぁくそ、ややこしいな…っヴィリー隊長! どうしますか!」


 部下たちの動揺を気にせず、それどころかどこか焦るように進んでいたヴィリーの足がようやく止まる。

 どうにか落ち着きを取り戻したエーミルを始め、ヘンゼルとフィデリオもそんな自分たちの上司の背後を守るように並ぶ。


 彼らの眼前には、穏やかな風に揺れる花畑があった。


「ルーエの、花畑……」


 手のひら大の色とりどりな花々を見て、フィデリオがぽつりと呟いた。ルーエと言う花は温暖な気候であればどこでも生育する。だが、ここまで見事にルーエ「だけ」が咲き誇るのは珍しい。

 「綺麗だな」そう呟いたのはヘンゼルだった。


 贈り物に使われることが多い花々の海の中に不自然な隆起を見つけるのは、そう難しいことではなかった。


「“村長ヘクトールここに眠る”……」

「“万屋アドラー店主、アドラーここに眠る”“カルラとブリッツの子、リヒトここに眠る”“ブリッツの妻、カルラここに眠る”……これは、」

「……村人たちの墓―――…?」


 一つ一つ丁寧に文字が刻まれた木片を見て、息を飲む。

 少し離れた場所にある花畑を守るように佇む大木に刻まれた村の名「ハイマート」が、これらがなんであるかを示していた。


「いったい誰が……それよりも、どうして、こんなことに……」

「………隊長?」


 王命による徴収、その延期、さまざまな理由で訪れた村の最期を語る光景に絶句する部下たちの目の前で、ヴィリーは膝を折った。

 それは何があってもピンと伸びた背筋を崩すことがないヴィリーとは思えない行動だった。



「この字、この癖……やはり、生きているのですね、ラインハルト様……ッ」


 ラインハルト。「勇者の再来」と呼ばれた王子の名を呼び、ヴィリーはその背を丸めた。

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