参 決意
短いかもしれない……。
輝夜にとって、夢の里の外は敵しかいない「戦場」だった。
『やーい親なし子!』
『お前なんかいらなかったんだろうな! だから捨てられたんだろ!』
子どもと言うものは本当に残酷で、無知ゆえに他人の傷つけてはいけないところにまで平気でナイフを入れる。
違うと反論すれば嗤われて、無視すればさらに酷い言葉が投げられる。髪を引っ張るなどの軽い暴力も振るわれた。
それでも輝夜は無視を続けていたのだが、一度だけ、我慢できずにからかいに来る一人を突き飛ばしてしまったことがある。思いのほか力が入っていたのかその子どもは机を巻き込みながら後ろに転がって、体のいたるところにあざを作った。
そして翌日、輝夜はその子どもの母親の前に引きずり出された。
『親がいないから』
キーキー猿のように騒いでいたその子どもの母親は何度もその言葉を吐いた。
それなら親がいるのに平気で人の心を踏みにじる貴女の息子は何なのと、怒りに任せた輝夜がそう叫べば顔を真っ赤にしてさらにやかましく騒いだ。今思えばあれはモンスターペアレントというやつだったのだろう。
見守っていた担任は終始面倒くさそうで、たまに輝夜に謝罪するよう促していた。
あらかじめ担任に呼ばれていたのだろう成田が後から駆けつけて、彼女がひたすら謝る形でその場は治まった。
当然、輝夜が納得できるはずもなく。夢の里に帰ってきた輝夜はわんわんと泣き出してしまった。
当時は輝夜よりも年上の子どももいたため強がる必要があまりなかったからだ。
私は悪くない。壊れたラジオのようにそれだけを繰り返す輝夜を力いっぱい抱きしめて、成田は静かに背中を撫でてくれた。
夢の里には輝夜を傷つけるものは何もなかった。だがその分、外には輝夜を傷つけるものしかなかった。…輝夜は、そう思っていた。夢の里の外は「敵」ばかりだと。
でも輝夜には「夢の里」があったから、強くあれたのだ。
―――――― じゃあ、「俺」には?
果て無く広がる海。曇り空を映し出す水面の上にラインハルトと輝夜は佇んでいた。
―――――― 「俺」の生きる世界に夢の里はないよ
ラインハルトは淡々と、曇った空を見上げて呟く。その姿に輝夜はかぶりを振って、うっすらとほほ笑んだ。
―――――― 貴方には家族がいるじゃない 私にはいなかった家族が
―――――― 父上と兄上は死に バラバラになったのに?
あの頃は良かった。ラインハルトは吐き捨てるように言う。
―――――― 初めて血の繋がった家族が出来て浮かれていたんだ
――――――― 世界には 敵しかいないのに
―――――― 本当にそうなのかな
輝夜が俯くと、水面に一つの顔が浮かび上がった。優しげな表情で、白に染まり始めた髪は肩の上。成田さん。音にならない言葉が輝夜の口からこぼれた。
ずっとずっと、輝夜が来る前から夢の里に居て、輝夜が成人する頃には一人で夢の里を支えていた母のような人。彼女だけは絶対に輝夜の、夢の里の子どもたちの味方だった。
『ここのことばかり気にしないで、輝夜ちゃんは輝夜ちゃんの人生を生きて? 輝夜ちゃんはもっと外を知るべきよ』
成田は輝夜が外を嫌っていることに気付いた時から度々そう言った。あの頃は理解できなくて、したくもなくて。知らず知らずに聞き流していた言葉が、今ならわかる。
確かにそうなのかもしれないと。
―――――― 貴方はもっと世界を知るべきなのよ
―――――― この世界がどんなもので ここに生きる人たちがどんな人たちなのか
「だって「俺」は「私」じゃないんだから」
曇り空から光がのぞく。あたたかい光に照らされて輝夜は、「私」は、いたずらっ子のように笑った。
「大丈夫だよ。「俺」には離れていても信じあえる家族がいる。死にかけても助けてくれる誰かがいる。誰か信じて裏切られても、心を癒しれくれる人がいる」
―――――― 何より「私」がここにいる
「俺はもう無理に独りで頑張らなくていいんだよ!」
晴れ渡った空の下、朗らかに笑う「私」に抱きしめられて「俺」…ラインハルトは呆れたように、安心したように笑って目を伏せた。
「父上と兄上に約束した通り、俺がこの国を守るんだ」
* * * *
「……そうだ。俺が、この国を…」
不思議な体験だった。前世の自分との会話、誰かに話したら確実に頭の心配をされる違いない体験。
なんだか二重人格にでもなった気分だとラインハルトは思ったがどちらも「俺」であり「私」なのだから違うのだろうか? ……よくわからない。
「……ここ、は………?」
まだぼんやりする頭を押さえながらゆっくり、体を刺激しないように体を起こす。それでも少し右肩と額が痛んだが、動きを止めるほどのものではなかった。
ラインハルトが寝かされていたのはセミダブルほどの、一人で寝るには広いベッドだった。かけられていた毛布もしかれているシーツも肌触りのいいもので、なかなか値段が張りそうだなと考えてしまう。
床にはたくさんの本が乱雑に重ねられ、いくつも本の塔を作っている。中には開いた状態で放置されたものまであって、それらや散らばっている羊皮紙のせいで床が見えない。この部屋の住人は片付けができない性質のようだ。
……暖炉に火がついているが紙に燃え移ったりしないだろうか。
おそらく、ここは妖精たちに案内してもらった小屋の中だろう。なら気を失う前に聞いた声の持ち主、恐らく男女の二人組が家主だ。お礼を言わなくては。
いつもより狭い視界や肌に触れる感触からして手当がされていることがわかったし、着せられている服も真新しいものだ。随分と手を煩わせてしまっただろう。
質のいいシーツの上を這い進み、ひんやりとした外気に素足をさらす。探しはしたが靴やスリッパの類はないようなのでそのままベッドから降りた。
「…っとと、」
血を流しすぎたせいかふらつく体を、天井に届くほど高い本棚にしがみつくことで何とか支える。
暗くて見えなかったが、この部屋の壁には一面同じ本棚が置かれているようだ。ぎっちり詰め込まれているところを見るに床に置かれている本は入りきらなかった分らしい。
ラインハルトにはわからない言語のものが多い本を眺めながら重い足をなんとか前に送り出し、直線上にある扉へと向かう。思うように動かない体に思わず舌打ちがこぼれた。
なんとか扉にたどり着いたころにはすっかり息が上がっていて、現代日本人だった輝夜でもこれだけで息が上がることは無かったのにと落ち込んでしまう。今の自分の体を見てみろという話だが。
何度か深呼吸を繰り返して息を整えてから、気を失う前に見たものと同じ簡素なつくりの扉を開ける。
その先は今いる部屋の倍は広そうな、綺麗に整頓された部屋だった。床に本や紙が散乱していることもなく、むしろ埃一つすら落ちていない。
大きな本棚が置いてあるのはラインハルトが寝かされていた部屋と同じ。暖炉があるのも同じだ。暖炉の前にはモスグリーンの二人掛けソファがあって、部屋の中央には長方形のテーブルと同じデザインの椅子が四脚。
どこからか漂ってくるシュペック(ベーコンに近いもの)の良い匂いも相まって、どこはあたたかな食卓のように感じられた。
ふらふらと、またも本棚を頼りにしながら進んでいけば玄関らしき土間が見えてきた。竈や流し台があるところから、恐らく台所も兼ねているんだろう。
「あ、シシィ。シュペック焦げてるよ」
「うるっさいな焦げてないよ。アンタは早くスープとりわけな」
聞いたことのある二つの声を辿って目を細めれば、本棚の陰になっている場所に二人の人影が見えた。
夫婦だろうか、と考えて違うな、と考える。
友人と言うには近すぎて、愛を育む間柄と言うには遠慮がない独特の距離感。あれは仲のいい兄弟だと言ったほうがしっくりくる。
輝夜と信也のような、穂香や香織のような。
青みの強い紺色の髪も共通しているし、恐らく間違っていないだろう。
とにかく彼らが家主なのは間違いない。早くお礼を言わなくては。
もう一歩、重い足を押し出したその瞬間「ぐうぅぅ……」間抜けな音が鳴り響いた。あわててお腹を押さえてうずくまるが、もう遅い。
「おやおや」
「……元気なこった」
振り返った二つの綺麗な顔に見下ろされ、ラインハルトは一気に顔が熱くなるのを感じた。「す、すみません……」穴があったら最早埋まってしまいたい。
「思ったより早く目が覚めたんだね。でも起きてきたのは感心しないな」
うずくまるラインハルトを立たせようと思ったのか、本当に人かと疑いたくなるほど綺麗な顔をした男性に脇の下を掴まれる。
背は高いがその体は女性のように華奢でとても力が強そうには見えない。だが、ラインハルトの体は軽々と持ち上げられてしまった。もう決して小柄ではないのに。目を丸くする。
「さ、君はここに座ってて。すぐ用意できるからね」
「いいから早くしな、ミッシャ」
「わかってるよシシィ」
ミッシャと呼ばれた男性はラインハルトを四脚ある椅子の内のひとつに座らせ、見れば見るほどよく似ている女性のもとへと小走りで駆けて行く。
抱き上げられたときに見えた柔らかそうな髪は、肩を過ぎて耳の下で緩く束ねられていた。黒いシャツにスラックスというシンプルない出立ちながらとても上品なものに見えてしまう雰囲気を持っている。
シシィと呼ばれた女性もまたよく似た黒ずくめで、こちらはドレスとショール。髪はミッシャよりも長く腰まであるそれを毛先で軽くまとめている。
着るものすべてを黒で統一している彼らは存在自体がどこか浮世離れしていて、人ではない何かのように感じた。
だがそれを考えるよりもまずすることがある。「あの」と少し大きすぎた声で呼びかけて「助けてくださってありがとうございます」と頭を下げた。
「その、お礼が言いたくて…勝手に抜け出してしまって、すみません」
「あははっ、礼儀正しいんだね。いいことだ。妖精たちが気にかけるだけはある」
でもまぁ今は座って待っててね。その言葉に頷いて大人しく暖炉を眺めることにした。
ぱちぱち爆ぜる暖炉の火を眺めながら、彼らは何者なんだろうか。一度後回しにしたと疑問を手繰り寄せる。
今ここに居る場所は歩いた距離で考えると王都からそう遠い場所ではないだろう。だがラインハルトをここに導いたのは妖精である。妖精は普通人の世をそのまま移動したりはしないのだと、ウルリヒは言っていた。
妖精の道と呼ばれる、妖精の国でも人の世でもない場所を通るのだとか。
窓から見える景色からここは森だということだけはわかる。
「………魔女の、森…?」
確証なく呟いた言葉は幸い二人には聞こえなかったようだ。
グランツ王国の最西端、そこには深い深い森がある。元々グランツ王国は森に囲まれている国ではあるが、その最西端と最北端の森は普通の森ではなかった。
ちゃんとした名称は誰も知らない。だが、人々は最西端の森を「魔女の森」最北端の森を「エルフの森」と呼び恐れていた。
ラインハルトにその二つの森を教えてくれたのはノルベルトだった。『魔女の森には、人嫌いの双子の魔女が住んでいるんだよ』と。
魔女。人間であって人間ではない存在。
生まれた時点ではただの人間と変わらないが、成長するごとに体に無尽蔵の魔力をため込むことができる…いわば突然変異体。
何故か女性として生まれてくることが多いため「魔女」と呼ばれるようになった。だから男性の魔女もいる。
(……彼らは、魔女なんだろうか)
だが魔女と言うものは総じて人間を嫌っていると聞く。わざわざ自分を助けたりするだろうか……。魔力探知の勉強もしておくべきだった、ラインハルトは小さく息を吐いた。
「不気味なほど落ち着いたガキだね」
ことん。香ばしい匂いにつられるようにして視線を戻せば、ラインハルトの前に綺麗に焼かれたシュペックが置かれていた。「ありがとうございます」眉間にしわを寄せてラインハルトを見下ろすシシィに頭を下げる。
この人は魔女っぽいな。いかにも歓迎していません、と言う表情を見てそう思った。
「妖精たちに聞いた話じゃ勇者の再来と呼ばれていたらしいよ」
「……確かに、この黒い髪や顔立ち……そんでもって何かを隠したような金色の目はあの野郎そっくりだね。丁寧な言葉づかいもあいつの外面そっくりだ。
ああやだやだ、だから余計に浮かれてんのかい。あんた」
「まぁそれもあるけど……一番の理由は妖精女王に頼まれたからだよ」
彼女には恩があるからね。白い湯気を上げるスープカップがシュペックの丸皿の隣に置かれた。
「ま、待ってください。ティターニア……? それに、勇者を知っているんですか……っ!?」
勇者が生きていたのはもう八百年も前のことだ。だから人々は勇者のことを「古の勇者」と呼ぶ。
やっぱり、この二人は……。
「それも含めて話をしよう。食事をしながら、ね」
「ぐううぅぅ…」またお腹の虫が鳴いた。
* * * *
「ボクたち魔女は生まれた時は普通の人間と変わらない。それは知ってるよね?」
「は、はい。子どもの内に大気中の魔力を集め、蓄えられる体質を持つ。それが魔女……ですよね」
「そう。厳密には大気中の魔力と魔女としての記憶、知識をね。そして大量の魔力によりボクたち魔女の寿命は長命種と同等か、それ以上に長い」
温かいスープを喉に流し込みながらミッシャの話に耳を傾ける。
最近ろくなものを食べていなかったラインハルトは甘いマイス(とうもろこしのような植物)の味に思わず息を漏らした。
気が付かなかっただけで、お腹がすいていたらしい。通りでお腹もなるはずだ。
「…アタシたちの生まれはグランツ王国の前身、ハイリヒ皇国だ。歳で言えばそろそろ850は迎える。だからあんたらからしたら大昔の勇者サマのことだって知ってんだよ」
ロッケンブロートと呼ばれるライ麦パンの一種を薄くスライスして、スープに付け込んで(片目が包帯に覆われているせいで距離感がつかめず一度からぶってしまった)口に含む。
話を聞かなくてはと頭が訴えても空腹に気付いてしまった手が簡単に止まるはずもなく、悪いのは王宮のコックにも負けないほど美味しい料理だということで。
つまりはラインハルトもまだ13歳の子どもである。
「キミの身に何があったのかは妖精たちに聞いたよ。災難だったね」
ごくり、口の中にあったものをろくに噛まないまま飲み込んでしまう。
「これからどうするかはキミ次第だ。あ、ここには好きなだけいてくれていいからね」
「………ありがとうございます」
蘇る記憶。今でも背筋が震えてしまうほどに苛烈な憎悪の目を自分に向け、剣すら向けた次兄の姿を思い出す。それと同時に幸せだった家族の記憶も頭をぐるぐるめぐって、無意識のうちにラインハルトは唇を噛みしめた。
まだ名残惜しそうにスプーンを掴んでいた手をおろし、テーブルを挟んだ先にいるミッシャを見据える。
どうするかなんて、目が覚めた時に決まっていた。
俺の頭を力強く撫でてくれた父上はもういない。兄弟姉妹に強く言い出せないけれどすぐれた才を持っていた優しい兄上ももういない。
すべてが元通りにとはいかずとも、ラインハルトはあの幸せを取り戻したかった。
輝夜にはどんなに望んでも与えられることのなかった、確かなつながりを持つ家族を、その家族と交わした約束を――――――守りたい。
「俺は、強くなりたいんです。この国をおかしくしてしまった男を退けられるほどに。
あの男は危険だ。この国を乗っ取りたいのか、滅ぼしたいのか…それとも別の理由があるのか。俺にはアイツが何をしたのかさっぱりわからない。でもとにかくあの男は危険だ、このまま野放しにしちゃいけない。
あの男を殺せるほどの力が、あの男の謀策を上回れるほどの頭脳が、あらゆる意味での力が欲しい」
ラインハルトには少し高いテーブルに両手をつき、ゆっくり傷を刺激しないように頭を下げる。それでも引きつった右肩の傷は痛んだが。
「手当をしてもらって、食事まで出してもらった。そのうえでさらにものを頼むことがどんなに図々しいかは承知しています。でも、どうか…どうか俺に、知識を与えてください……っ」
ラインハルトは無知だった。知らないことが、知ろうとしなかったことが多すぎる。
兄オドの心も知ろうとしなかったから、大丈夫だと決めつけていたから、こんなことになってしまった。
無知は、罪なのだ。
「この傷が癒えるまでで結構です。だから、どうか…っお願いします…!」
かしゃん、乱暴な金属音が鳴り響いた。
「ふざけんじゃないよ」
不愉快だ、と言わんばかりの声に目の前が真っ暗になる。
しばらくの沈黙のあと、恐る恐る見上げたシシィの表情は先ほどまでと変わりないように見えた。…が、その形の良い眉の間に寄ったしわの数が増えた気がするのは…気のせいではないんだろう。
「傷が癒えるまで? 冗談じゃない。これだから人間は嫌いなんだ」
「ちょっとシシィ、そんな言い方」
「あんたは黙ってな、ミッシャ」
立ち上がり、ラインハルトのすぐ隣にまでやってきたシシィは腕を組んで傷だらけの体を見下ろす。女性にしては高い身長をしているせいか、威圧感がとてつもない。
怒らせてしまった。そう考えて嫌な汗が大量に背筋を流れる。
「いいかいクソガキ」
何を塗っているのか真っ黒で長い爪がラインハルトの鼻をつつく。そのあとに頬を爪があたらないようにつままれて、ひんやりとした感触に肩が跳ねた。
「すみま――――「知識をそんな短い期間で得られると思ってんのかい。四、五年は覚悟しな」―――――……へ?」
「なんだい、不満だってんなら今すぐたたき出すよ」
「そ、そんな! めっそうもない!!」
「なら別に言うべきことがあるだろう」
不機嫌に言い捨てられた言葉に思わず謝罪すれば、軽く目を見開いた後に大きなため息をつかれる。
もちろん、この言葉で適切でないことはラインハルトもわかっていた。わかっていたが、そこは現代日本人の記憶を持つ故の性分だ。許してほしい。
「ありがとうございます…っ」
本当に言うべき言葉を口にした途端、体から力が抜けてしまった。未来への確かな足掛かりを見つけたことを実感したのかもしれない。
嬉しさと安堵を噛みしめて笑うラインハルトの髪をシシィはわしゃわしゃとかき混ぜた。
「アタシはシシィ。攻撃魔法ならアタシにいいな。そんであれはミッシャ。薬作りが得意だけど本の虫だからね、歴史にも詳しいよ。
で、あんたの名前は?」
「あれとか本の虫とか、負担後の兄をどう思ってるんだよ…ホントに酷いなぁ」
いつの間にかラインハルトの背後に来ていたミッシャも一緒になって頭を撫で繰り回す。幼いころは兄たちに同じことをされたが、久しぶりの感覚に戸惑いつつ「ラインハルト」と、自分の名前を小さく呟いた。
が、シシィのお気には召さなかったらしい。
「そうじゃないよ。それだけじゃに、あんたには王族らしい長ったらしい名前があるんだろう。それを一つも隠さずに言いなって言ってんだ」
「そ、れは……」
「ごめんね。でも必要なことなんだ」
普通、名前とは本人を表すファーストネームとその人が属する家系などを表すファミリーネームで構成されている。たまに洗練名や父母の名をミドルネームにしている者もいるが、それを含めても三節くらいものだ。
だが、この国の…いやこの世界の王族には一般的な名前に加え、他にはない名前「プロフェツァ」と呼ばれる二節の名前を持っている。
それは神に等しい力を持っていると言われる神竜と人間とを繋いでいる「神竜の御子」により与えられるもので、この世界の王族は皆生まれてすぐに御子のもとへ向かい授けてもらうのだ。「プロフェツァ」……「予言の名」を。
「予言の名」はその響きの通り、その人の運命を示すものだ。
むやみに人に教えるものではなく、知ることができるのは本人とその実の両親、そして本にが心に決めた人間だけとされている。
「ラインハルト……ラインハルト・ロルフ・ジークオファ=フォン・グランツ、です」
だが、必要だというのなら。恩人たる彼らを信じ、ラインハルトは「プロフェツァ」を含めたすべての名を口にした。
「へぇ……御子はそんな名前を」
「ふん、どうでもいいさ。そんなこと。
いいかい、ガキ。あんたは今日からロルフだ。この国の王子でも何でもない。森に棲む双子の魔女の子、ロルフだよ」
「あはは、いいね。それ」
「あんたが満足するまでここに居ればいいさ。ここはもう、あんたの家だ」
その言葉に目を瞠れば、シシィは恥ずかしそうにそっぽを向いた。髪から覗く耳は赤くて「シシィはツンデレなんだよ、勇者が言ってた」楽しそうに笑うミッシャの言葉にラインハルトも小さく笑う。
たまらずシシィの胸に飛び込んで、その柔らかさにラインハルトの中に居る輝夜が少し悔しそうに呻いたのが分かった。
「ありがとう、本当にありがとう!!」
しかし「ツンデレ」とは……。勇者はいったいどんな人物だったのだろう。
ラインハルトの中でさらに謎が深まった。
感想等ございましたら是非お願いいたします!