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ロルフ  作者: 雨草ユキメ
1/7

零 記憶

「いつもありがとうね、輝夜(かぐや)ちゃん」

「いえ、ここにはお世話になったから」


 今月分、振り込んでおきました。

 以前見た時よりも少しやつれた表情で笑う輝夜を見て、彼女を幼いころから見てきた成田(なりた)は悲しげに眉をひそめた。

 今年五十四歳を迎えた成田のその表情に気付いた輝夜は大げさともいえるほど明るく、元気に笑って見せる。優しい成田を安心させるために。


「……本当に、無理はしなくていいのよ?」

「私が好きでやってるだけですよ」


 児童養護施設「夢の里」。

 あらゆる理由で家族と共に暮らせない子どもたちが過ごす場所。

 輝夜もまた、ここで育ち里親に引き取られることなく自立した子どもの一人だ。


 近年の就職難に苦しみ喘ぎながらどうにか掴んだ内定。それは今をときめく大企業の営業部のもので、高卒就職とはいえ三年も経った今ではそこそこの地位を手に入れた。

 服も、メイクも、遊びにも一切目を振らず、ひたすら仕事に打ち込んだ故の成果だ。

 もちろん容易ではなかったが、輝夜が世話になっていた当時から経営難に苦しんでいた夢の里を守るためならばどんなことでもやれる。

 ここがなくなってしまえば、輝夜には帰る場所がなくなってしまうのだから。


「今日はお休みだし子どもたちと遊んでいかせてもらいますね!」

「輝夜ちゃん…」

「おーい! かおりちゃーん!」


 何か言いたげな成田には気付いていたが、輝夜は心の中でごめんなさいと呟いて気付かないふりをする。

 会話を途切れさせるために叫んだのは子どもたちの中で一番耳が良くて元気な女の子の名前。


「おねぇちゃん!」


 予想通り軽やかな足音とともに夢の里の玄関へと走ってきた、ツインテールの女の子を認め輝夜は苦笑した。

 無駄のない動きで走ってくる姿はまさしく全力。これはタックルを食らうなぁ、と後ろ足を引けば女の子――香織は満足そうに微笑んで思い切り踏み切った。


「おかえりなさい! 今日は仕事お休みなんだね!」


 予想を上回る勢いで、タックルどころか飛びついて来た香織を受け止めた輝夜は二、三歩よろける。転ばなかったのは根性と言うほかないだろう。

 これからは飛びつきにも気を付けておかないと。目を遠くしながらそう思った。


「ただいま、かおりちゃん。そうだよ、だから今日はみんなでいっぱい遊ぼうね」


 クッキーもあるからね。と付け足せば「わーい!」と分かりやすい反応が返ってくる。素直で何よりだ。


「じゃあお茶の用意、しとくわね」

「あ、お願いします成田さん」



 香織が夢の里にやってきたのは今から七年前のことだ。当時二歳だった香織は、双子の姉である穂香とともに両親に連れられてやってきた。

 家庭の事情でどうしても二人を育てられなくなったのだという二人の両親は「必ず迎えに来るからね」と言い残して去って行った。

 子供染みているとわかってはいても、輝夜はそんな二人を羨ましく思ったことを覚えている。


 輝夜は両親の顔を知らない。顔どころか名前も、声も、何も知らないのだ。

 気が付いた時には、ここ「夢の里」にいた。

 中学生になった時成田に聞かされた話では玄関の前に放置されていたらしい。名前を書いたカードとともに。

 だから自分が不幸だというつもりは当然ない。

 ただ、両親がいる子どもたちが羨ましく思ったことは変えようのない事実だった。

 ――――――私の両親は、今もどこかで生きているのだろうか。そんな考えを振り払うようにかぶりを振った。


「みんなー! 輝夜おねえちゃんきたよー!!」


 腕の中から飛び降りた香織に手を引かれ、やってきたのは古びた遊具がいくつか置かれたグラウンド。

 香織の声は良く通り、遊ぶことに夢中になっていた子どもたち全員が輝夜たちのもとへ駆け寄ってきた。


「姉ちゃん今日は何持ってきてくれたの!?」

「おれねおれね! にんじんのこさずたべたよ!」

「わたしはみんなのおかおかいたの!」

「算数の宿題わかんなくて……教えて!」

「私の理科の宿題も!」

「僕が先に行ったんだから僕が先だぞ!」

「一緒に見てもらえばいいじゃない!」


 一斉に話し始めた子どもたちの言葉に耳を傾けているとき、輝夜はいつも聖徳太子を思い出してしまう。

 …そう、何を言っているのかさっぱり聞き取れないから!


「……あれ、信也(しんや)がいないね? それに、ほのかちゃんも……」


 輝夜がいなくなり、ここの最年長者となった男の子と香織の双子の姉である穂香の姿が見えず、首を傾げる。

 信也は今年中学二年生になったというのに反抗期らしい反抗期もなく、輝夜が訪ねてくれば必ず真っ先に出迎えてくれる。さっき香織を呼んだ時に出てこなかったことも、よくよく考えればおかしかった。

 何かあったのだろうか?


「おねぇぢゃぁん…っ!」


 輝夜の疑問をあっさりと解決したのは髪型以外香織とよく似た女の子、穂香自身だった。

 何かを大事そうに抱えた穂香は真っ直ぐ輝夜に向かって走ってきて、勢いを殺さぬままその腹に飛び込んだ。

 ぐふ、抑えきれなかった呻きが口からこぼれ本日二回目のよろめきを経験しながら少し体を鍛えた方がいいのかもしれないな…と輝夜は再び目を遠くした。


 開いている窓、輝夜がリビングと呼んでいた広間から飛び出してきた穂香を追いかけてきたのは姿の見えなかった信也。

 「あちゃー」と呟いているところを見ると、穂香は随分前から泣いてしまっていたらしい。そして信也はそんな穂香を慰めていた。

 穂香は快活で気の強い妹とは真逆で、内気で泣き虫な女の子だ。

 それでも今日の泣きようは……―――異常だ。


「ほのかちゃん、どうしたの?」

「ほ、ほのか……?」


 しがみついて離れない穂香の頭を撫でていると、香織を始め周りに居た子どもたちも輝夜の真似をして頭を撫ではじめる。それでも穂香の泣き声は治まる素振りも見せず、次第に周りに居た子どもたちまで涙目になり始めた。

 まずい、このままだと子どもたち全員が泣き始めてしまう。


「信也、ほのかちゃんどうしたの?」


 ここはてっとり早く原因を聞いてしまおう。

 小さな子どもたちが全員涙目になり始めたことに慌てていた信也は、輝夜の問いに「それ」と簡潔に呟いて穂香が抱きしめている何かを指さすことで答えた。


「輝夜がいなくなるって、思ったみたい」


 この施設で唯一輝夜を呼び捨てる信也の言葉を聞きながら、穂香の腕から指さされたものを抜き取る。ぐぐ、と何度か力を入れて、思いのほか力の強い穂香に舌を巻いた。

 穂香が抱きしめていたものは一冊の古びた絵本で、それは輝夜にもなじみの深いもの。


「…あぁ……なるほど」




 ――――――― かぐや姫




 輝夜と同じ名前を持つ女性の物語。

 もちろん輝夜はれっきとした地球人だが、穂香はこの絵本を読んで輝夜がどこに行ってしまうと思ったのだろう。月に、帰ってしまうと。

 「どこにもいかないで」その言葉に胸が痛くなった。

 穂香と香織は今年小学三年生になった。

 普通、この年の女の子が絵本を読んで不安になるなんてことは無いんだろう。だが、ここに居る子どもたちは多かれ少なかれ「置いて行かれる」ということに対し異常なほど恐怖を抱いているのだ。


「かぐや姫だ」

「かぐやひめ?」

「竹から生まれて来て、お月様に帰っちゃうんだよ!」

「かぐやお姉ちゃんはかぐや姫さんなの?」

「ここにいなきゃやだあああああ」

「どこにもいかないで、おねぇちゃんっ」


 元々涙目になっていた子どもたちが一斉にぐずり始める。

 いつでも気丈な香織までもが無言で輝夜に抱き付いてくるのだから、かぐや姫の効果は絶大だと言えるだろう。


「輝夜はかぐや姫じゃないから帰ったりしないよ。輝夜の帰る場所はここだし、な?」


 胸が痛みつつもついついにやけてしまっていた輝夜を睨みながら、信也が子どもたちに言い聞かせる。

 「な?」の部分に苛立ちが滲んでいたが、仕方のないことだと思う。自分がいなくなるかもしれない、それだけのことでこんなにも悲しんでくれるなんて…輝夜は仄暗い歓喜にもう一度だけ笑みを深めた。


 やっぱり、私にはここがあればもう何もいらないのだと。


「もちろん。私の帰る場所はみんなが居る場所、みんなが私を待ってくれてる場所。だから、私はお月様に帰ったりなんかしないよ」


 後で指きりしようね。こくこくと頷く子どもたちを撫でていれば穂香が飛び出してきた窓から成田が顔を出す。全員が輝夜を取り囲んで泣きべそをかいている光景に成田は目を丸くするが、すぐに少しだけ眉尻を下げた独特の微笑みを浮かべた。


「みんなー、おやつよー!」

「はーい! さぁみんな、手洗いうがい、誰が一番早く上手にできるかな!?」


 「走れー!」という掛け声を合図にどたどたと騒がしく走り出した子どもたちを見送り、輝夜はまだぐずっている穂香と不安気な香織の背中を押し出す。髪型と性格以外はよく似た双子は促されるまま数歩歩き、輝夜を振り返ると『ぜったい、いなくならないでね』と声を揃えていった。

 必ず迎えに来ると言った二人の両親。だが、もう七年経った。それが意味することをわからないほどもう二人は幼くない。「置いて行かれる」ということに一番怯えているのはこの双子だろう。

 つい力の入った拳をどうにか解きながら、輝夜は「いなくならないよ」と答えた。


 二人仲良く手を繋いで歩いていく姿を見送り、しかしどうして一人残った男の子は黙って自分の後ろに立ったままなのだろうと考える。


「信也?」


 にやけていたことに文句を言ってくるなり、何か話しかけてくると思っていたのに動く素振りすらない。首を傾げながら振り返ってみれば、信也はその綺麗に整った顔を情けなく歪め俯いていた。

 そんな顔をしてもイケメンはイケメンなのだから狡いなぁ、頭の片隅でそんなことを考える。


「……なぁ、輝夜」

「どうしたの?」


「約束だ。ちゃんと、帰ってこい」


 信也の少し赤茶気味の目が輝夜をまっすぐ射抜く。

 その姿はなんだか不安に怯える子どものようで、大人びていても信也もやはり14歳の子どもなんだと思い知る。

 大丈夫だと子どもたちに言いながら、本当は自分も不安に思っていた。


(……そうだった)


 置いて行かれることに一番怯えているのは確かにあの双子だ。けれど、目の前に居るこの男の子もまた「置いて逝かれる」ことを何より恐れていた。


「輝夜まで……母さんや父さんみたいに、いなくなったりするな」


 ぎゅ、と着ていたパーカーを握りしめる信也を見て輝夜は唇を噛みしめる。

 信也がここにやってきたのは実は穂香や香織よりも後のことだ。五年前、遠出をしたきり事故に遭ってしまった両親を失い、親戚の家をたらい回しにされてやって来た。

 初めに引き取ってくれた祖父もまた買い物に出た帰りに心臓発作を起こして亡くなったと聞いている。

 『俺は、死神なんだ』今の穂香や香織と同い年だった信也の言葉を思い出し、輝夜はたまらず信也を抱きしめた。


「うん、約束。私が帰る場所はここだよ」

「…………うん」

「あーもう、泣きそうな顔しないの!」


 くそ、さらさらストレートめ。くせ毛の妬みを口にしながら髪をかき混ぜてやれば信也も便乗して「うらやましいだろ」と笑う。


 輝夜がここを出てから、ここでの最年長は信也だ。輝夜と同い年の男の子も居たのだが彼は信也が来た翌年に里親に引き取られていったから。

 その下はまだ小学四年生。

 本当は悪い言葉遣いを子どもたちが真似しないように直して、子どもたちの勉強を見るために自分も必死で勉強する。

 さらには成田の負担を減らそうと家事の手伝いまで進んでするものだから、無理をするなと言えば「輝夜がしていたことをしてるだけだ」と返されてしまった。

 そしていつの間にか、それが当たり前になっていたのだ。

 信也は強いのだと、そんなはずないことは輝夜が一番分かっていたはずなのに。


「いつもありがとうね、信也。信也のおかげで成田さんも助かってるよ」

 私も安心して、外の世界で戦える。

「私はぜったい月に帰ったりしない。ここに帰ってくる。約束だよ」

「……絶対だぞ」

「うん、絶対」





 ゆびきりげんまん


  うそついたら


   はりせんぼんのます


    ゆびきった   !










「約束、したんだけどなぁ」


 あれから何週間か経ったある日、御堂輝夜は息を引き取った。

 夢の里から自宅マンションまでの一駅分を歩いていたとき、信号無視の車に跳ねられて。

 今思えば穂香や香織、そして信也は何かを感じ取っていたのかもしれない。


 本当にあっけない最期だった。やり残したことはいくつもあった。そして何よりも……約束を破ってしまった、この事実が輝夜の心を締め付けた。

 目を伏せれば考えるのは子どもたちのこと。

 泣いていないだろうか、信也は怒っているかもしれない。……よりにもよって、信也の両親と同じ交通事故に遭ってしまうだなんて。

 約束を守れなかった自分にそんな資格はないのかもしれないが、子どもたちが幸せになることを祈りつづけよう、と輝夜は思う。

 与えられてしまった二度目の人生を懸命に生きながら。


「ラインハルト様、いかがなさいました?」

「……なんでもないよ、ヴィリー」


ラインハルト・フォン・グランツ。

 めでたい7歳の誕生日、彼は自分の前世…御堂輝夜であった頃の記憶を思い出した。

 昔のことを思い返しながらアルバムをめくるように、「輝夜」は静かにラインハルトに定着する。

 自分のことなのに、どこか物語をみているような気分だった。

 ラインハルトは「おれ」にぴったり寄り添い記憶と感情を流し込んでくる「私」を感じながら目を伏せる。


 ああ、不思議な感覚だ。

 おれが「おれ」でなくなっていく。

 けれどそれは「私」でもない。

 「おれ」でも「私」でもないおれは、でも確かに「おれ」であり「私」だ。

 自己の完成、確立。そんな言葉がラインハルトの頭をよぎって消えた。


「行こう、ヴィリー。母上がお待ちだ」


 5歳の誕生日にこの国の主である父から直々につけられた、6歳年上の護衛騎士見習いの手を引きながらラインハルトは歩き出す。

 二年経って自分の主の性格を心得たヴィリーは掴まれた手に動揺することもなく「会場に着くころには離してくださいね」とだけ言った。

 護衛の手を掴む王子なんて、確かに頭の固い貴族たちには見せられないだろう。


「わかってるよ、今だけ!」






 子どもたちには悪いことをした。

 「私」は絶対にこの罪悪感を忘れないだろう。

 必要ならいつかはりせんぼんも飲む込むつもりだ。

 だけど、この人生は「おれ」、ラインハルトのものだ。

 「私」の……


       ―――――――輝夜のものじゃない。



「ケーキあるかな」

「ルチア様が腕によりをかけておりました」

「母上の手作り? やったあ!」



 ごめんね。みんな、信也。


 私はおれになって「おれ」の帰る場所を見つけてしまった。

 だけどいつか、「おれ」の人生が終わった時「私」の魂だけでもみんなのもとに帰って見せる。


 それまで、どうか待っていて。


 自分勝手なお姉ちゃんを、許してね。


感想等ございましたら是非お願いいたします!

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