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2−2ブラン城星霜の間

 不意に黒く連なっていた影が途切れると、再び月灯りに照らされた。

 公爵の肩越しに後ろを覗けば、針葉樹林が見る間に遠ざかっていく。

 一行が馬に鞭を入れる回数が減り、ゆっくりと速度を落としていく。

 目的地に着いたのだと、雫は周囲の空気の変化から何となく悟る。




「開門! レオン陛下がお戻りである! 開門せよ!」




 夜気を切り裂くイシュトバーンの叫びに、雫は華奢な両肩をビクリと小さく震わせる。

 思わず視線をそちらに向けると、白亜の巨大な城が視界を埋めた。




「わ、綺麗。ポストカードみたい」




 雫には目に映る全てが現実感に乏しく、遠い異国での出来事をモニター越しに見ている感覚が拭えない。

 それでも不思議と違和感はあまりなく、今現在置かれている状況を自然に受け入れてしまっている自分が確かにいるのが不思議だった。

 さっきのうたた寝で夢を視てから、確実に何かが変わった。

 夢の内容を全く覚えていないのがもどかしい。




「ポストカード? それは一体何です? ブラン城にに何か関連が?」


「あ、違います。ブラン城に関連があるんじゃなくて、ポストカードなんかでよく見る風景に似てるなって思ったんです。あ、ポストカードって言うのは――」




 公爵の右手が動き、雫の口唇に、彼の骨太でありながらも繊細さを残す人差し指がそっと置かれた。




「いえ、やはりそれはまた後程お聞かせ願えますか? 顔色があまり宜しくない。記憶も多少混濁なさっているようだ。今暫くは、お静かになさっていてください」




 コバルトブルーの瞳が限りなく甘い。

 雫はその視線あまさに耐え切れずに、さりげなく視線を反らす。


 白い石造りの尖塔が、見える範囲だけで大小合わせて五つ、夜空に向けてそびえ立っている。

 視線をあちこちに巡らせながら下に降ろしてくると、見張り台上にいる銀の甲冑姿の騎士が、城壁の内側に向かって合図をしているのが見えた。




「開門!」




 重厚な音を響かせ、くろがねで補強された巨大な木製の両開きの扉が、ゆっくりと左右に開いていくと、数人の人影が隊列を成して佇んでいるのが見えた。

 先頭に立つのは、隊列の中でもやや小柄で華奢な少年だった。綿毛の様にふわりとしたベビーブロンドに、煌めくエメラルドグリーンの瞳。天使に見紛う程の美貌の持ち主だ。

 そのあまりにも優美な所作、そして麗しき姿に、雫は思わず視線を奪われた。

 綿密な飾り刺繍が施されたショート丈のジャケット、膝までのパンツにタイツ。襟元から前身頃をフリルで飾ったブラウスを合わせた中性的な装いが良く似合っている。

 全身を白で固める中、唯一髪の色に合わせた金砂のサッシュを腰に巻き、帯刀している姿は凜として実に様になっていた。




「ぼくに執務を全て押し付けて、ようやくお帰りかい? レオン。この政情不安の折、そんな軽装で城外に出るなんて。きみには国主たる自覚がまだまだ足りないようだね」


「当たるはずのない敵の攻撃を怖れてどうする」


「暫く大人しくなるように、その根拠のない自信を切り刻んであげようか?」


「わたしが玉座の上に落ち着くのは、トランシルヴァニアの独立を周辺国に認めさせてからだ。国境近辺で何か異変があれば確認するのは当然だろう?」


「斥候を出せば済む話だね。この国がまだ未熟なのは同意する。内政に外政、国としての体裁を整える為には、やらなければならない事がたくさんある。それにはまず、自らが大人にならなければならないんじゃないのか?

 何時までも前線に立っているようじゃダメだし、力だけのごり押しでは国は纏まらないと知って欲しいね。

 何の為にイシュトバーンや、ぼくがいる?」




 天使の微笑みを湛えながら、率直かつ辛辣な言葉を吐き続ける少年は才気に満ち溢れている。

 早熟なのか見た目程には幼くないのか、その外見とのあまりの落差に、雫は思わず目を瞠る。




「いい加減、小言はそれくらいにしろ。女神の御前だ」


「神であろうが悪魔であろうが、そんなの関係ないね。確かに神気は凄いけど、同等の魔力を持つぼくの目には、ただの小娘にしか見えない」


「ね! 名前、教えて?」




 雫が思わず声を上げると、天使は不快感も顕わに眉をひそめた。




「……会話の途中で、いきなり割り込んで来て欲しくないね。場の空気を読めない奴は嫌いだ」


「あ、ごめんなさいっ。でもどうしても、あなたの名前が知りたかったの」




 ――わたしを特別扱いしない、初めての人だから。




 雫が馬上からじっと少年の瞳を見つめていると、さりげなく視線を外されてしまう。

 だが、その目許には微かに朱が走っている。




「ジョルジュだ。ジョルジュ=スタインバーグ。この国の宰相だが、形だけの敬称なんてどうでもいい。ジョルジュと呼んで欲しいね」


「わたしは星埜雫。アストライアと呼んで」


「ならアストライア、そんな水に濡れたままでどうしたんだ? 何故、定理を使わない? いや、それより大の男が雁首揃えて、全く気が利かない。待ってろ、今乾かしてやる」




 二人が交わした言葉に場が一瞬ざわめいたが、定理と聞いて脳裏に数式が駆け巡っていた雫がそれに気付く事はなかった。




「っ!? 術式が走査しない? ユーリィ! 〈解析〉しろっ、定理が全く通じない」




 ジョルジュの驚愕を含んだ声に、雫が我を取り戻すと、彼の左斜め後方にいた軍服に身を包んだ護衛とおぼしき女性が、何ら動じる様子もなく機械的に答える。




「城門が開いてから既に〈解析〉を試みてはいるのですが、アストライア様に対する術式が全て消去されてしまいます。いえ、最初から発動しないと言った方が宜しいかもしれません」


「――結界か」


「はい。我々にとって未知なる概念の結界なのでしょう。公開されている既存の術式なら、わたしは全てを記憶していますがゆえに」


「未知なる結界だと? となれば〈解除〉するのは無理なのか?」


「絶対に。とは言い切れませんが、現時点ではそう捉えて頂いて構いません」




 呻くようなジョルジュの言葉に、ユーリィと呼ばれた女性は無表情のまま、さらに追い討ちをかけるようにしてそう言った。

 彼女はハニーブラウンの髪をざっくりとラフに編み込み、左肩から前方に向けて垂らしている。

 瞳は髪と同色で、端正でありながら表情と姿勢を一切崩す事のないその佇まいは、著名な古代彫刻に通じる美しさがあった。




「誰と誰の力が同等だって? これで分かったか、ジョルジュ、己の不敬を?  アストライア様御本人には、いかなる定理の術式も走査しない。解を導けないのだ。そうでもなければ、むざむざと発熱させてしまう事もなかった。可及的速やかに星霜の間に御案内し、着替えを召されたのち、暖を取って頂かなくては」


「レオン、そういう事は早く言え。肺炎にでもさせてしまったらどうするつもりだ。それにしてもアストライア、結界を張るのはまだいい。だが、何故自ら定理を使わない?」




 ジョルジュの二度目の問いに、雫は戸惑いを隠せなかった。




「定理って? えっと、何。ピタゴラス?」




 雫の言葉に表情を歪めたジョルジュが、未だ馬上のレオンに向けて言い募ろうと、一歩踏み出したその時だった。




 一面の飾り扇子が、雪のようにはらりと空から降って来た。




 場にいる全員の視線が上空に向けられると、最上階南側の一角にある大きな窓に色鮮やかな人影が映っているのが、誰の目にも見て取れた。




「――緋の姫君」




 場にふと漏らされた誰かの呟き。その響きに、多大なる畏敬の念が含まれているのは、雫の耳にも疑いようがなかった。


 やがて滑るようにして、飾り扇子が石畳の上に柔らかく舞い降りると、開かれた面の上に緋色のリングが浮かび上がり、宙に舞った。




『何時まで妾を待たせるつもりじゃ。空気の読めぬ(・・・・・・)輩は嫌われるのであろ?』




 定理のリングが再生した声を聞くと同時に、レオン以外の騎士は一斉に馬から降りて、手綱を引いた状態で礼を執る。

 ジョルジュとその護衛たちも背後の城に向き直り、騎士たちの後に続く。

 その光景を見下ろし、満足したかのようにあでやかな笑みを一つ浮かべると、緋の姫君は窓辺から消えた。

 辺りは水を打ったように静まり返っていたが、ようやくにしてレオンが苦々しげに呻き声を漏らす。




「侍女長は何をしている? あの部屋の位置は、確か――」




 レオンの誰に向けたものでもない問いに、ジョルジュはゆっくりと振り返ると、表情も固く形の良い口唇をわずかに歪めた。




「――そう、“星霜の間”だ」

 毎回読んでくださっている方、お気に入り登録してくださっている方。

 どちらも本当にありがとうございます。


 今後も御期待に沿えるよう、頑張ります。

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