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1−4壊れたメビウス

『危ない、雫! そのパはやめろ! アッサンブレするな!』




 誰かが呼んだような気がした。見上げれば、闇を四角のフレームでくり抜いたかのような光が射し込んで来ているのが見えた。

 あの光の向こう、闇の彼方に、雫は大切な物を全て置いてきてしまった。


 学校やストリートのトモダチ。

 先月の誕生日に、機種変したばかりのケータイ。

 お気に入りのアクセや洋服。

 まだ一度しか履いてないミュール。

 試供品ばかりだけど、苦労して揃えた高級ブランドの化粧品ワンセット。

 売り切れ続出だったファッション雑誌の付録でゲットした、有名デザイナーがプロデュースしたトートバッグ。

 続きが気になる、読みかけのシリーズ物のコミック最新刊。




 そしてもちろん、何よりも大切な家族。




 脈絡も無くアトランダムに記憶がフラッシュバックする。

 明滅する映像のカットバック。

 それら全てが、遠去かっていく。


 かけがえのない日常を置き去りにして、雫は“こちら側”に来てしまった。




 ――戻らなきゃ。皆に、兄さんに心配かけちゃう。




 そう思うのに、躯は何故かフリーズしたまま動かない。

 焦ってもどうにもならずに、気持ちばかりが先走る。


 触れてはならない何かが、あの光の向こうにある。

 思い出したくない記憶が、あの闇の彼方にはある。


 帰りたい、帰れない。

 戻りたい、戻れない。


 触れてはならない何かに触れて、思い出したくもない記憶を取り戻してしまったなら。




 ――きっと、わたしは壊れてしまう。




 不意に何処かで、獣の遠吠えがした。


 哀惜と愛惜、そして哀切。誰かを偲ぶ様な、それでいて慈愛に塗れた響きが三つ、絡み合う。


 鎮魂歌レクイエムの響きを持った、子守歌ララバイ――そう聴こえた。




 ――そんなに心配そうな声を出さないで、アストライア(わたし)は大丈夫だから。ケルベロス(おまえたち)の反応を見れば分かる。この人たちは信用してもいいんだよね。




 白い装甲をその身に纏う、フルメタル・アーマー姿の騎士たち。


 短く揃えられた藍色を含んだ黒髪に、黒い瞳が鋭い頬傷の騎士。


 アッシュグレイの髪に、コバルトブルーの瞳が揺らめく公爵様。




 ――お願い。暫くは、この腕の中にいさせて。


 ――だってここは、こんなにも居心地がいい。




 心地よい揺り籠の中。できるなら何時までもこのまま微睡んでいたいと、雫は心よりそう願った。




「守ってくれるよね? お兄ちゃん(・・・・・)」




 ほんの一瞬の間。気付けば息が止まる程に強く、背中が反り返るくらいにきつく、限りない優しさで躯を抱き締められていた。




「――――」




 額にそっと置かれた掌の、その冷たさが気持ちが良かった。

 名前を呼ぶ柔らかな声音が耳朶に触れるのが擽ったかった。


 その名前が確かに自分に向けて呼び掛けられた物であるなら、例えそれが自分自身の名前で無く、アストライアの名前であろうと、今はもうどちらでも構わなかった。

 そう感じる自分に、雫は疑問すら覚えない。




 ――アストライアはわたしで、わたしはアストライアなのだから。




 二人に区別なんて、ない。




  ◇ ◇ ◇




 雫とトランシルヴァニア公率いる近衛一三隊の騎士たちの姿が、針葉樹が林立する西の国境付近の湖畔から消えて数刻後。


 群青に沈んだ湖面が漆黒の闇に溶ける頃、厚く空を覆っていた雲の切れ間から下弦の三日月がその姿を覗かせた。

 風もないのに湖面がさざめき、小さく細かな波が反射する光の粒子が揺らめきながら、磁極に集まる砂鉄の様に一箇所に集約していく。

 濃密さを増した光の粒子はやがて人の形をかたどり始め、そのイメージを明確にしていった。


 現れたのは、色素を持たないアルビノの女性体。


 ベリーショートの髪から爪先まで全身が白く、メラニンの保護を持たない瞳だけが、血液の色もそのままに真紅に染まっていた。

 長身でスレンダーな肢体の要所を金色のビキニ・アーマーと部分装甲で固め、薄刃の両手剣クレイモアーを皮のホルダーに納め、背に負っている。




「〈ウロボロス〉の円環」




 そう言い終えるや否や、抜刀一閃。

 躯を三六○度回転させると、白の少女は剣の切尖を足許に深く突き刺した。

 両手で柄を握り締めたままゆっくりと空中を浮上し始めると、剣先が描いた軌道そのままに湖面が円形に切断され、湖水が円柱状となってせり上がってくる。

 片手で軽々と大剣を取り回し、切尖を天に向けて掲げると、湖水は円柱の形状を保ったまま刀身の動きに合わせ付いてきた。

 その長さは、周囲に生える針葉樹の高さにも迫る程だ。




「間違いない。見つけた、アストライアの神気。月の光から、逃げ切れると思ったかい?」




 口角の持ち上がった、薄く血の気の無い口唇。

 酷薄な微笑を湛え、白の少女は言葉を続ける。

 その口調は何処か少年の様で、中性的だった。




「〈ウロボロス〉の円環と〈メビウス〉の定理。導く解が違うとは言え、同一概念上の力は二つもいらない。

 でも今回は見逃してあげるよ、アストライア。〈ウロボロス〉の存在を知らなかったキミと、〈メビウス〉の存在を知っていたボク。条件が対等でなければ戦いは美しくないからね。とりあえず暫くは、ボクの邪魔をしないで大人しくしていてくれればそれでいい」




 血を払うかのような仕草で剣を一つ振るうと、円柱状の湖水は再び元の液体に戻って、音を立てて湖面に降り注いだ。




「次に会う時を楽しみにしてるよ」




 その言葉を最後に、白の少女は光の粒子となって月光に溶け込み、凪いだ湖面へと静かに消えた。


 アストライアの宿敵登場です。

 勘のいい方なら、その正体に気付かれるでしょう。


 毎回、読んでくださっている方、ありがとうございます。

 お気に入り登録までしてくださった方にはもう、感謝の気持ちでいっぱいです。


 今後も本作をよろしくお願いします。




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