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1−2壊れたメビウス

 ――星埜雫ほしのしずく




 確かに雫はそう答えたはずだった。初対面の相手に名乗る時、何時もちょっとだけ照れが入るけど、自分ではかなり気に入っている名前。


 星埜灯でもなく、星埜光でもなく――雫。


 その言葉の響きが、その言葉のイメージが、彼女はとても好きだった。

 自己紹介の時に茶化したりせずに、名前を褒めてくれる相手には無条件で好感を抱いてしまう程だ。

 殆んどの相手は、どの漢字を宛てるのかも含めて、必ず何らかの反応を返してくれた。




「――――……」




 だから、目の前の相手と無言で見つめ合う状況になって雫は少し慌てた。

 それも兄そっくりとはいえ、髪の色とか瞳の色とか、そして透明感のある肌とか、美形度がいろいろと反則的に増している。

 雫は軽い目眩を覚えながら、今更ながらに気付く。




 ――あっ、外人さんだよね。発音? 発音が問題なの?


 ――どうしよう、名字から名乗っちゃった。もう一度?




 言葉が何故通じるのかとか、それ以前にこの場所が何処なのかとか、更に言うなら突然に湖らしき水中で溺れかける状況に陥った不可解さとか、雫が気にすべき点は即座に幾つも列記できるのだが、今現在の彼女にとって優先すべき事項はあくまで自己紹介だった。




 ――だって知らない相手だし、自己紹介しないと始まらないしっ。




 それは、逃避規制という名の無意識下の防衛機能。PTSDから逃れる為に、問題点を先送りにしているだけの態度でしかない。

 だが、それでも前向きの姿勢である事には間違いなかったが。


 雫は血色を失ったままでいる紫色の口唇に、必死に微笑を浮かべると、場が何故か再びざわついた。




 ――そっ、そんなに顔色悪いかな?




 疑問に感じて周囲に視線を走らせると、目と目が合った美形揃いの騎士たちの顔が順を追って何故か一瞬で強張っていく。

 なかには後退りする者まで数名いた。

 理由も分からず、思わず手に触れた襟元に縋る様にして見上げると、直ぐ間近にあるコバルトブルーの瞳が揺らめき、その涼しげな目許に朱が走った。




 ――あ、兄さんと違ってちょっと可愛い……かも。




 雫は動揺の原因を問いかけようとして、呼びかけるべき相手の名前を未だ持たない事に気付く。




「えっと名前、教えてもらえません? わたしは雫。シズク・ホシノです」




 今度の反応は顕著だった。瞠目と共に息を呑む気配、それに続く茫然自失の表情。




「やはり、オリンポス一柱が御名……」


「――――あの?」




 意味不明の呟きに、雫は曖昧な態度で微妙な反応を返す。




「これは失礼、アストライア様。あまりに貴き御名に、暫し我を失っておりました。申し遅れましたが、わたしはワラキア公国よりブラン城を預かるトランシルヴァニア領主レオン=レフ=トランシルヴァニア公爵と申します。以後、お見知りおきください」




 よく響くバリトンの声に乗せられたその言葉が、契機だった。


 意外にも爵位と土地の統治者である事を告げられ、驚きに身を固くした雫を余所に、騎士たちが踵を鳴らして一糸乱れず姿勢を正す。

 近衛騎士団第一三隊総勢五名。

 その最前列中央。白い甲冑に同色のマント、藍色を含んだ黒の短髪で頬に傷ある野性的な雰囲気を纏う精悍な男が、しなやかな動きで一歩前に進んだ。




「アストライア様に捧げっ!」




 号令一下、騎士全員が立剣を両手に捧げ持ち、剣の切尖を天に向け、高く掲げた。 

 一部の狂いもない精錬度の高いそれらの所作は、騎士たちが生粋の精鋭である事を窺わせる。


 次に彼らが執った行動に、雫は心底驚く事になった。


 両の手首を中心に剣を一八度回転させると、流れる様な滑らかな動きで剣を鞘に納め、その場にいる騎士全員が躊躇う事なく一斉に跪いて、臣下の礼を執ったのだ。


 壮観なその光景。雫を中心に少し離れて事の推移を注意深く伺っていた、三頭のドーベルマンにも似た狩猟犬たちが、満足げに咽喉を震わせ、虚空に吸い込まれていきそうな咆哮を次々に上げた。




「待って! ちょっと待ってください。雫です、シ・ズ・ク。皆さん、きっと誰かと間違ってます!」




 何故だか、自分の名前が他人の名前に勝手に変換されてしまう事に、言い様のない不安を募らせ、雫は否定の言葉を必死に紡ぐ。




「これだけの神気を他の誰かと見誤るなどとその様な不敬、他国ならともかく、未だ伝説が色濃く息衝く我が領内では決して起こり得ぬ事。ご心配なさいますな。全てわたしにお任せください」




 トランシルヴァニア公爵は雫を軽々と抱きかかえたまま立ち上がると、騎士たちに向き直り厳かに口を開いた。




「これより帰城する!」




 叩頭する騎士たちの姿を眼下に、雫は再び軽い目眩に襲われる。

 体温低下による貧血だけが原因ではないと思われるその目眩が、今度は簡単には治まりそうもなくて、雫は自分が抱いた歓迎せざる心の裡なる予感に、小さく身を震わせた。

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