愛と執着のボレロ
身内に「ホラーかよ!」と言われましたが純愛です(`・ω・´)
純粋に、今読まれると言われておる、「異世界恋愛執着身分差溺愛もの」を書こうと思ったんですうう
第一話 あなたを愛しています
王宮の庭で、私は初めてマテオ・ロハスに叱られた。
「姫様、馬から降りてください」
近衛騎士に任じられて間もない彼は、私の前に立ちはだかっていた。乗ろうとしていた馬が、落ち着かない様子で地面を蹴っている。
「私は乗るわ」
「鞍の留め具が緩んでいます。先ほどから馬も嫌がっている。今乗れば落ちます」
「あなたは、私の腕前を疑っているの?」
「姫様の腕前と、緩んだ鞍は別の問題です」
侍女たちは目を見合わせた。王女の言葉に、そんなふうに返す騎士はそれまでいなかった。私は腹を立てたけれど、彼が鞍の留め具を直している間、馬が少しずつ落ち着いていくのを見ていた。
「名前は?」
「マテオ・ロハスです。地方騎士団から参りました」
「そう。覚えておくわ」
「それは光栄です」
彼は片膝をついて礼をした。言葉は丁寧なのに、媚びるところがない。私はその不遜さが気に入らなかった。だから、忘れないようにした。
それから私は、彼を見かけるたびに声をかけるようになった。馬の具合を尋ね、任務の話を聞き、地方の暮らしについて話させた。王都の騎士たちは、私の質問に答える時、必要以上に言葉を選ぶ。マテオはそうしなかった。
「王宮の暮らしはどう?」
「食事はうまいです。ただ、食べる前に冷めることが多い」
「どうして?」
「姫様が食事を抜くからです。侍女たちが心配して、私に相談に来る」
「あなたが私に食べろと言うの?」
「言います。姫様が倒れたら、護衛の仕事が増えますから」
私は笑って、彼の腕を軽く叩いた。彼も困ったように笑った。その顔を見ると、私の胸の内がやわらかくなる。
王宮で私に向けられる笑顔は、たいてい私の立場に向けられたものだった。マテオの笑顔は、私が王女だからではなく、私が食事を抜いたり、馬に乗ろうとしたりするから向けられているように思えた。
彼と話す時間を増やしたいと思うようになったのは、自然なことだった。彼の任務の予定を覚え、交代の時間に庭へ出る。彼が鍛錬を終える頃に、偶然を装って回廊を通る。彼が休暇を取ると聞けば、その日の午後に私の乗馬に付き添うよう頼んだ。
「その日は休みでしょう?」
「そうですが」
「なら、私に付き合って」
「姫様の護衛は別の者が担当する予定です」
「私はあなたに来てほしいの」
彼は一瞬だけ考え、それから肩をすくめた。
「王女様はわがままだな」
「嫌なら断ればいいのに」
「断って、あとで姫様が不機嫌になるのを見るほうが面倒です」
彼はそう言って、私の頼みを聞いてくれた。私は彼が私を甘やかしてくれるのだと思った。私の望みを聞いてくれるのは、私を愛しているからだと。
彼が王都へ来て半年ほど経った頃、夜会の最後にボレロが演奏された。私は彼に手を差し出した。
「踊って」
「私は騎士です。踊りの稽古は受けましたが、得意ではありません」
「では、私が教えてあげる」
「姫様が?」
「王女が騎士を導くこともあるでしょう」
マテオは笑い、私の手を取った。彼の動きは少しぎこちなかったけれど、私の足を踏まないように気をつけてくれた。曲に合わせて回るうち、彼の手が私の背に添えられる。私は彼の胸元に頬を寄せた。
「マテオ。どうして騎士になったの?」
「家族を楽にさせたかったからです。地方の町に両親と妹がいます。いつか一旗あげて、家族を王都へ呼び寄せたい。妹には良い婿を見つけて、両親にはもう苦労をさせたくありません」
「あなたは自分のことを考えないの?」
「考えていますよ。家族が笑って暮らせるようになったら、ようやく自分のことを考えられると思います」
彼の言葉は、私の知らない場所に向いていた。王宮から遠い町。私の知らない家族。彼が私のそばにいない時間。
そのことが少しだけ寂しかった。けれど、彼がいつか家族を王都へ呼ぶのなら、ここにいてくれる時間も増えるだろう。私はそれを、二人の未来のように考えた。
「その時は、私にも会わせてね」
「もちろんです」
曲が終わると、私は彼の手を離さなかった。彼は困った顔をしたけれど、無理に振りほどきはしなかった。
「もう一曲」
「今日は一曲だけと約束したでしょう」
「そんな約束はしていないわ」
「では、姫様のわがままということで」
彼はまた笑った。
その夜、私は彼に口づけた。マテオは驚き、それから私の頬に手を添えた。彼が私の名前を呼ぶ声は、王女に向けるものではなかった。
私は彼を愛していた。彼も私を愛している。彼が私のわがままを笑って受け入れるたび、その思いは確かなものになっていった。
彼は私のそばにいてくれる。だから、私が望むことは彼にとっても幸せなのだ。そう思っていた。
第二話 あなたは私のもの
マテオが私の恋人になってからも、彼は近衛騎士としての務めを変えなかった。私はそれを誇らしく思う一方で、彼の時間を誰かに取られるのが嫌だった。
王太子の遠乗りに同行すると聞けば、私は自分の護衛に彼を指名した。貴族の令嬢が彼に話しかけているのを見れば、用事を思い出したふりをして彼を呼び戻した。
「先ほどの方と何を話していたの?」
「ご家族のことを尋ねられました」
「どんな話をしたの?」
「地方の町は冬が寒いという話です」
「ずいぶん楽しそうだったわね」
「そう見えましたか?」
「私には、あんなふうに笑ってくれないのに」
マテオは私の顔を見て、困ったように笑った。
「姫様はわがままだな」
「またそう言うのね」
「嫌なら、次からは笑わないようにします」
「そうして」
彼は本当に次の相手には笑わなかった。けれど、私の前ではすぐにいつもの顔に戻った。私は、それだけで満足した。
彼の休暇の日に、私のそばにいるよう頼むこともあった。彼が鍛錬のあとで帰ろうとすれば、「もう少しだけ」と引き留めた。彼は「姫様のわがままに付き合うのも、騎士の仕事ですか」と言いながら、しばらく残ってくれた。
私は彼が本当に嫌なら断ると知っていた。だから彼が残るたび、彼は私を選んでいるのだと思った。
ある日、マテオは故郷から届いた手紙を何度も読み返していた。目元が、いつもよりやわらかい。
「妹さんから?」
「ええ。ルシアです。王都へ来る日が決まりました」
「ご家族を迎える準備は進んでいるのね」
「まずは妹を呼びました。両親は長旅が大変ですから、妹と相談して住まいを探します」
「私に任せてくれたら、すぐに良い家を用意できるわ」
「ありがとうございます。でも、自分でやります」
彼の返事を聞いて、私は少し寂しくなった。彼の家族の暮らしに、自分が関われない気がしたからだ。
「あなたの家族なのに、私には頼ってくれないの?」
「姫様に頼りたくないわけではありません。これは、私が自分で成し遂げたいことです」
「わかったわ」
私は笑って答えた。その時は、本当にわかったつもりだった。
ルシアが王都へ到着した日、私は回廊から城門を見下ろしていた。マテオが朝から何度も外を気にしていたので、彼の妹が着いたら私にも知らせてくれると思っていた。
けれど、知らせを待つ前に、私は彼を見つけた。
旅装の若い女性が城門をくぐり、マテオのところへ駆け寄る。彼は驚いたあと、彼女を抱きしめた。彼女は彼の胸を叩きながら笑い、マテオも声を立てて笑っていた。
私が知っている彼の笑顔とは違った。気を遣うことも、私の機嫌をうかがうこともない、自然な笑顔だった。
私は回廊を下り、二人の前に立った。
「その方はどなた?」
マテオはすぐに姿勢を正した。
「イネス様。妹のルシアです。前にお話ししたでしょう」
ルシアは慌てて膝を折った。
「初めまして、姫様。兄がお世話になっております」
兄。その呼び方は聞こえていた。手紙に名前が書かれていたことも、彼が妹の話をしたことも覚えていた。
それでも、彼女がマテオに触れ、彼があんな顔で笑っていたことが、頭から離れなかった。
「妹だと言うの?」
「はい」
「本当に?」
マテオは、何を聞かれたのかわからないように眉を寄せた。
「本当です。私の妹です」
「あなたがそう呼んでいるだけかもしれないわ」
「イネス様」
「ずいぶん親しそうだったから」
「妹ですから」
「嘘をつかないで」
マテオの笑顔が消えた。
「嘘ではありません」
「あなたは、私にはあんな顔を見せない」
「それは、今の話とは関係ありません」
「彼女を抱きしめていたわ」
「一年ぶりに会った妹を抱きしめただけです」
ルシアは困った顔で兄を見ていた。マテオは彼女をかばうように、私との間に立った。その仕草に、私は胸を刺されたような気がした。
「ルシアを別の家に移すわ。王都の暮らしに慣れるまでは、信頼できる夫人の屋敷で世話をしてもらいましょう」
「必要ありません」
「あなたのために言っているのよ」
「妹のことを、姫様が決めないでください」
彼の声に、初めて怒りが混じった。
「私はあなたの恋人よ」
「それと、ルシアの暮らしを決めていいことは別です」
「私があなたを愛しているのを知っているでしょう」
「知っています」
「なら、どうしてそんなふうに言うの?」
マテオは私の目を見た。彼はもう、笑っていなかった。
「それほど私を信じられないのなら、もうあなたのそばにはいられません」
その言葉は、すぐには意味を持たなかった。彼は私を愛している。私が少し怒ったくらいで、そばを離れるはずがない。そう思いたかった。
「冗談でしょう?」
「冗談ではありません」
「だって、あなたは私を愛しているわ」
「愛していることと、何をされても受け入れることは同じではありません」
「私は、あなたのわがままを許してきたのよ」
「姫様はわがままだと、笑って流していただけです。私の気持ちまで、許したことにしないでください」
彼は一礼した。ルシアの肩に手を置き、私に背を向ける。
私はその背中を見つめたまま、動けなかった。
マテオが初めて、私の望みよりも妹を選んだように見えた。
第三話 どうして逃げるのですか
翌朝、マテオは近衛騎士団長に異動願いを出した。王都から離れた西の守備隊へ移りたいという。ルシアは城下の知人の家に身を寄せ、彼が両親を迎える準備をしているらしかった。
彼は本当に私から離れるつもりだった。
私は最初、それを信じなかった。少し怒っているだけだ。私が謝れば、いつものように戻ってくる。そう考えて、彼に謝罪の手紙を書いた。けれど、届けさせても返事はなかった。
次に、家族のための屋敷を用意しようとした。王宮に近い場所なら安全だし、両親も長旅のあとに落ち着ける。ルシアには、王都の良い家柄の青年を紹介できる。
「姫様のご厚意には感謝しています。ただ、家族のことは自分で決めます」
マテオは私の申し出を断った。
「あなたは家族を王都へ呼びたいのでしょう。私が助ければ、早くかなうわ」
「これは、私が自分で成し遂げたいことです」
「どうして私を頼らないの?」
「頼ることと、人生を決めてもらうことは違います」
彼は丁寧に話していた。私を怒らせないように、言葉を選んでいるのかもしれない。けれど、その声には以前の親しさがなかった。
「あなたが望むものを、私は何でも与えられるのよ」
「そうですね。姫様なら、私をここに留めることもできます」
「そうしてほしい?」
「いいえ」
彼は、迷いなく答えた。
「私はあなたを愛しています。でも、あなたのそばにいることはできません」
「愛しているのに、私を置いていくの?」
「愛しているから、あなたの言うことを聞かなければならないのですか」
私は答えられなかった。
「私は、姫様の寂しさや嫉妬を笑って受け流していました。それで姫様が安心するなら、と思ったからです。でも、あなたはそれを、何をしても許されるという意味にした」
「そんなつもりでは……」
「妹を疑った時も、私が何度も話していた家族のことを、あなたは信じなかった。私がどれほど家族を大切にしているか、知っていたはずです」
彼はそこで一度言葉を切った。
「私は、あなたの持ち物ではありません」
その言葉が、私の胸の奥に沈んだ。
「あなたは私の恋人でしょう」
「そうでした」
「今も愛していると言ったわ」
「言いました」
「なら、ここにいて」
「それはできません」
マテオは、翌朝に王の許しを得て王都を発つと告げた。王は異動を認めたらしい。私は王女の権限で命令を取り消すことができる。彼を城に留め、家族を呼び寄せることもできる。
けれど、命令で残された彼が、私を愛してくれるだろうか。
私が欲しいのは、彼の体だけではなかった。彼の笑顔が欲しい。私を見て、私を選んでくれる彼が欲しい。
それなのに、彼は自分で私のもとを離れると決めてしまった。
「マテオ、行かないで」
私は彼の部屋を訪ねて、そう言った。彼は旅の荷をまとめていた。鎧は磨かれ、剣は鞘に納められている。彼が故郷へ帰るための荷物は、思っていたよりも少なかった。
「姫様、もう決めたことです」
「私が変わるわ。もう嫉妬しない。あなたの家族にも会わせてもらう。ルシアに謝るわ」
「謝ってくださるなら、妹も喜ぶでしょう」
「それなら、ここにいて」
「それは別の話です」
「どうして? 私はあなたを愛しているのよ」
「姫様の愛が本物なのは、わかっています。けれど、その愛を理由に私の人生を決めないでください」
彼はまっすぐに私を見た。
「私は家族を迎えに行きます。妹の将来も、両親の暮らしも、私自身の行く先も、自分で決めたい。姫様のそばにいることだけが、私の人生ではありません」
「私が、あなたを幸せにできるのに」
「あなたが私の代わりに決めた幸せを、私は望んでいません」
マテオの言葉は容赦がなかった。彼が私を傷つけようとしていないことはわかっていた。だからこそ、逃げ道がなかった。
「あなたがいなくなったら、私はどうすればいいの?」
「私がいなくても、姫様は生きていけます」
「私はあなたなしでは生きられない」
「それは、私が決めることではありません」
彼は荷物の紐を締めた。会話は終わったのだと、彼の手つきが告げていた。
私は彼に背を向け、部屋を出た。
王宮の奥に、王家の者だけが知る小さな宝物庫がある。王位を継ぐ者には、決して軽々しく使ってはならないものがいくつか伝えられる。その一つに、古い小瓶があった。
王家の秘毒。王家の記録にだけ記され、外へ持ち出されたことはない。痕跡を残さず、誰にも正体を見分けられないと伝えられている。
私は、それを使うつもりはなかった。
ただ、彼が去ることを考えたくなかった。彼が私のもとを離れ、遠い土地で家族と暮らし、いつか別の誰かに笑いかける。その未来を、想像することができなかった。
小瓶を手に取った時、私は初めて、自分が何を望んでいるのかを理解した。
彼を連れ戻したいのではない。彼が私を選ばない未来を、なくしたいのだ。
第四話 永遠に、二人きり
マテオが旅立つ前の夜、私は彼を私室へ招いた。
最後に話がしたいと伝えると、彼は来てくれた。彼はまだ私を愛している。だから、私の頼みを完全には拒めなかったのだろう。
私は二人分のワインを用意した。マテオはそれを見て、少しだけ目を細めた。
「最後の晩餐ですか?」
「そんなつもりではないわ」
「では、最後の別れの杯ですね」
「あなたは、どうして何でも最後にしたがるの?」
「明日の朝には出発しますから」
彼は、私から少し離れた椅子に腰を下ろした。以前なら、私の隣に座ってくれたのに。
「あなたのご両親は、無事に迎えられそう?」
「はい。妹と相談して、住む家も決まりました。これから迎えに行きます」
「ルシアは、王都が気に入った?」
「気に入ったようです。ですが、あの子がどこで暮らすかは、あの子が決めます」
彼は私に向かって、静かに話した。以前のような笑顔はなかった。それでも、嘘のない声だった。
「あなたは、いつも正しいことを言うのね」
「正しいことを言っているつもりはありません。私がどうしたいかを言っているだけです」
「私のことは、どうしたいの?」
マテオはすぐには答えなかった。
「あなたを愛しています」
「それなのに、去っていく」
「はい」
「私が嫌いになったの?」
「いいえ」
「なら、どうして?」
「愛していることだけで、すべてを我慢できるわけではありません」
私は彼の杯にワインを注いだ。彼は疑うことなく、それを受け取った。二人で過ごした夜に、何度もこうして杯を交わしたからだ。
マテオはひと口飲み、それから私を見た。
「あなたは、私がそばにいることを、私が自分で選んだと思っていたのでしょう」
「そうよ」
「私は、あなたのわがままを笑って流していました。あなたが笑ってくれるのが好きだったからです。でも、私が笑っていたことを、何をしてもいいという許しにしないでください」
「そんなふうに思っていたの?」
「あなたは、私が断らないことを、私が望んでいることだと思っていた」
彼は、杯をテーブルへ置いた。
「妹のことを信じてもらえなかった時、私は初めて、あなたが私を見ていないのだと気づきました。あなたが見ていたのは、あなたのそばにいる私だけです」
「違うわ」
「違わない。あなたは私が何を望んでいるのか、聞いてくれなかった」
胸が痛んだ。彼の言葉を否定したかった。けれど、否定すればするほど、彼が正しいことを確かめるようだった。
「あなたは、私のことを愛しているのでしょう?」
「愛しています」
「なら、そばにいて」
「それはできません」
マテオは、やさしい声で言った。やさしいからこそ、私には受け入れられなかった。
「私は明日の朝、ここを出ます。王女として命令するなら、止めることはできるでしょう。でも、そうされたら私は、あなたを愛することができなくなる」
「あなたはもう、私を愛していないのね」
「そうは言っていません」
「あなたは私を置いていく。それが答えよ」
「イネス。私はあなたを愛している。でも、あなたのものではありません」
彼は立ち上がった。
「さようなら」
私は彼の手を取った。マテオは振りほどかなかった。ただ、もう一度だけ私を見た。
「あなたは、最後まで私の言葉を信じてくれなかった」
その声には怒りよりも、疲れがあった。
私は何も答えられなかった。彼の言葉は、いつものように私の気持ちを宥めるためのものではなかった。彼は本当に、私のもとを去ろうとしていた。
やがて、彼の手が私の手から離れた。
その先のことを、ここに記す必要はない。
翌朝、マテオ・ロハスは王宮で急死した。原因はわからず、どんな薬師にも、彼の身に何が起きたのかは判別できなかった。王家の秘事を知る者は口を閉ざし、宮廷には彼の死を惜しむ声があふれた。
王女イネスは、彼の死を深く悲しんだ。
彼の剣は、彼女の私室に置かれた。地方から王都へ上り、家族を迎えるために働き続けた騎士の剣。彼がもう手に取ることのない剣だった。
イネスは、夜になるとその剣を部屋へ運ばせた。誰にも見られない場所で、鞘に手を添える。彼がそこにいるような気がした。
「あなたは、私のそばにいるのね」
返事はなかった。けれど、それでよかった。マテオはもう、彼女のもとを去らないのだから。
しばらくして、王宮の夜会でボレロが演奏された。イネスは踊りの輪から離れ、窓辺に置かれた彼の剣を見つめた。
あの夜、マテオは彼女の手を取った。最後まで、彼女の言葉に耳を傾けてくれた。
イネスは目を閉じ、音楽に合わせて一人で踊り始めた。彼の剣を抱き、彼がそこにいると信じて、ゆっくりと回る。
「もう、どこにも行かないわね」
彼女は心から幸福だった。
これから先、誰も彼を連れ去らない。彼が自分を選ばなくても、もうかまわない。彼は永遠に、彼女のそばにいる。
曲が終わるまで、イネスは彼の剣を抱いて踊り続けた。
ハッピーエンドです!何と言われてもハッピーエンドです(`・ω・´)




