発達した日常に、怯える頃
カーテンに、仕切られた部屋。
その端の空間で、文字通り、ベッドに縛られた相手を、茜は、無機質な目で見下ろす。
七十二で発症した、レビー小体型認知症。
それは茜の祖母の人格を根こそぎ破壊した。
優しかった祖母。
料理の上手だった祖母。
共働きで夜遅くに帰る両親に代わり、茜の全てを受け止めてくれた、祖母。
彼女の面影を僅かに残し、今、ベッドにある姿は、医療従事者を口汚く罵り、両手両足と腰を縛られた身体を、それでも震わせ、動かし、傷つけようともがく、何とも言い難い姿だった。
物忘れから始まり、火元管理と会計ができなくなり、自宅が分からなくなった祖母を、父と母は施設へと入れた。
仕方がないことだとわかってはいたけれど、何とも言えない感情を抱えたまま、気付けば祖母を忘れる日々が流れた。
日常をきり裂いたのは、一本の電話。
病名は、誤嚥性肺炎。
会わない内に祖母は、一人での食事もままならなくなっていた。
やせ細った小さな体で、それでも縛られた紐に抵抗する。話をした側から全てが彼女の、脳から零れていく。
「あら、瞳ちゃん?」
茜の顔を見て、八十を超える祖母の姉の名を呼ばれた時、彼女の脳の中で、茜の存在は、こんなにも、容易に消えてしまうものなのかと、唇をかみしめた。
父母と茜で、医師の説明を聞く。
誤嚥性肺炎。
今後も繰り返す可能性が高い。
リハビリにて、飲み込みの訓練をする。
食べれれば元の施設に、食べられなければ経管栄養か、中心静脈栄養か・・・。
当たり前の様に命を長らえさす説明をする医師と、頷きながら話を聞く父母とに、違和感。
思わず困惑した様子で茜が父母と、医師の顔を見つめれば
「どうした?」
「え?え・・・」
「だって、当たり前みたいに、話してる、から。」
「食べられないっていうのは、もう、死ぬんでしょ?」
「貴女!!」
母が困惑したように、声を荒げる。
「そんな簡単に死ぬなんて!」
「だって、あんな・・・縛られて、動けなくて、怒ってて・・・」
「それでもおばあちゃんでしょ!動けないから、もう、死ねだなんて!」
「死ね、なんて言ってない!」
そうじゃない。
そうじゃないのだ。
茜の姿を見て、医師が苦笑いをして伝える。
「おばあちゃんは、まだ七十代ですから。この後を事を考えると・・・」
「病気も、認知症も、治るんですか?」
「・・・うーん、それは多分、難しいかと。」
「なら、ずっとこのままですか?」
「・・・そう、とも、限らない、けど。」
「・・・私、なら」
「あんな状態のまま、生きたく、ない。」
あんな、わめき散らかして、暴れて、そのまま、いつ終わるともしれない命を、それでも続けていくだなんて・・・。
「優しかったのに、人に馬鹿野郎、なんて言わないのに。一度も叩かれたことはなかったのに・・・。」
「・・・・・。」
「そんな状態で、生きる、なんて・・・。」
「正直、言う、なら・・・。」
医師が少し目を伏せて告げる。
「この状態では、元の施設には戻れません。まず、肺炎の治療をして、そのうえで、今まで通り食べれるなら、元の施設へ。だけど食べれなかったり、吸引・・・口や鼻から管を入れて痰を取らなきゃならないなら、別の、そういったコトが出来る施設を探します。その際に、どうにかして栄養を取らなくてはなりません。その場合の栄養が、先ほどのNGか、ペグ、もしくはCV・・・。」
「・・・・・。」
「生きたくない、という選択肢を持ったまま、急性期の病院にはいられません。そうなると、施設が受け入れられる体制が整えられないなら、自宅です。」
「・・・・・。」
そんなこと、できるわけがない。
父母は、未だ仕事を持ち、同居をしているとはいえ、茜も都心にまで働きに出ている。
この状態の祖母を、家に置くなんて、とてもできない。
父母も、似たような反応をする。
家では、とても見れない。
食べられなければ、本人の意思とは関係なく、強制的に、栄養・・・。
今のあの、状態で、本人の意思は何処にあるの?
突き付けられた現実に、目の前がグラグラ揺れる。
優しかった祖母。
料理の上手だった祖母。
共働きで夜遅くに帰る両親に代わり、茜の全てを受け止めてくれた、祖母。
だけど、だから。
長生きを、させたくない、祖母。
医師の説明を聞いて、とぼとぼと病室へ戻る。
陰圧がかかる機械音と、看護師の声、それをかき消すほどの祖母の暴言が聞こえる。
やめろおおおお
きさまぁぁあああ
やめろっていってるのがばぁぁばばば
くそやろおおおはなせぇぇええばかものがぁぁぁ
「はい、がんばってー!!」
なにを、がんばる、の?
閉め切られたカーテンを開けることも出来ずに。
浮かび上がる影に、怯えて
茜は途方に暮れたように、立ちつくした。
歳を重ねればわ重ねるほどに、病気になるよりも、怖くて怖い、現実。




