2-10 紫の女帝
頭上から迫る大アゴ。たとえそれを避けても、檻のように広げられている沢山の足からは逃げられそうもない。
「せめてフィアだけでも……」と尻餅をついていた彼女に覆いかぶさって”女王”からの攻撃に備える。腕の中で悲壮な顔をしているフィアに微笑みながら、俺、ナギサ。はその人生を終わらせ……
……なかった。
[ギィィィイ!!!]
耳障りな悲鳴を聞いて思わず顔を上げると、俺達を囲むように紫色の半透明なバリアが張られていた。”女王”はこれに自慢の大アゴをぶつけたのか距離を取って体をくねらせている。
「なんだ…?これ」
「みた、こと、ある」
困惑を隠しきれずに俺が声を漏らすと、フィアが同じく混乱した様子でこたえてくれる。
「これ、ほるんむら、の、おとこの」
「…!」
言われてみればたしかにそうだった。今俺達を覆っている半球状のバリア。その形は、ホルン村の前で俺達二人に襲いかかってきた謎の男が使っていたものによく似ていた。違いとしては色。だろうか。あの男が使っていたものは濃い紫色だったのに対して、今展開されているものは薄く鮮やかな紫色をしていた。
「ひっ……!」
腕をギュッと掴まれる。何事かとフィアを見ると、彼女の視線は足元。いつの間にかバリア内の地面を覆っていた紫色の芝桜に注がれていた。
「なんだ…こりゃ?」
少し触れてみる。しかし不快な痛みやしびれは一切なく、むしろ走って逃げていたときについた擦り傷切り傷が癒えていくように感じた。少なくとも害あるものではなさそうだった。
芝桜はバリアの境界線を超えて今なお広がっていっている。
[ギギギギギギギ!!!]
不快な音に前方を見れば”女王”が体制を立て直したらしく、今度は配下の”子供”まで連れて攻撃しようと構えていた。
無駄だとわかっていても短杖を呼び出して呪文を詠唱する。隣ではフィアも心を落ち着かせながら、赤いオーラを放つ短剣をかまえている。二人でバリア越しに”女王”を睨みつけて、覚悟を決めた。直後。
突進が開始された。
1000や2000ではきかない大量の”子供”たちが隊列を組んで襲いかかってくる様子はまさに壁のよう。ネズミ一匹くぐり抜けられるような隙間もなく、俺達を閉じ込める動く壁として全方位より押し寄せてくる。
そして、前方。味方であろう”子供”を踏みつけながら猛進してくる紫色の巨大なムカデ。”女王”が放つ殺気はまさに別格で、”子供”を黒い濁流とするならば、彼女はその中を勢いよく流れる黒い大岩だ。濁流に飲まれてもすぐに死ぬことはないだろうが、大岩に潰されれば命は無い。
フィアに目配せをしてお互い全力で魔法を打とうとした瞬間!空間に語りかけるようなエコーのかかった荘厳な声が響いた。
[『歩みを止めよ』われは女帝 ヴィラ=ファル なるぞ]
いつかの謎の男と同じ。呪文らしい呪文は聞こえないが、全方位から押し寄せていた濁流が動きを止める。大岩。”女王”は完全に止まってはいないものの、その動きは大きく抑制されており、不快そうに身をよじっていた。
[ふむ。止まれぬか。ゼルドより離れて久しいとは言え、少々見苦しいぞ?”女王”よ]
再び言葉が響いたかと思うと、一面に咲き広がっていた紫色の芝桜の花びらが空中に舞い上がり、集まってある一箇所で二メートルほどの繭を形成した。
俺とフィアは呆然として言葉が出せない。
時間にして10秒ほどたっただろう。花びらたちが制御を失ったかのように地面に落ちて山になると、その中から、一人の女形の生命体が現れた。
手と体の間に謎の被膜があり、手を広げた姿は逆三角形でエイのよう。顔には優しそうな笑みをたたえていたが、片方の目は白色の花の蕾になっており、もう片方の目は姿こそ見せているものの、眼球には一切の感情を浮かべていなかった。
そして体は赤錆色と薄紫色で彩られており、様々な言語の文章を着飾るように刻み込んでいた。その中には日本語もあった。
「あ…ああ…」
フィアが声を漏らしている。しかし俺は突如現れた彼女(?)の放つプレッシャーに当てられて反応する余裕はなかった。
[さて。上手く顕現できたようだな。今引くならそれでよし。まだ理性はあるであろう?”女王”よ]
ヴィラ=ファルと名乗った女形の生命体は表面上は優しく。しかし絶対零度より冷たく”女王”に語りかけている。それは彼女なりの最後の慈悲だったのだろう。”女王”が首を持ち上げて咆哮による威嚇で返事をすると、次の瞬間。
[愚かな]
一陣の風。しかし放たれた斬撃は無数。”女王”は切り刻まれた姿となって地面に崩れ落ちた。
俺は目の前の光景が理解できなかった。あれだけの強さをほこった”女王”を瞬殺。その現実が見えてはいても受け入れることができない。しかし、手を真横に振り抜いたままの姿勢で優雅に残身を取っている彼女をみると、宣言通りその手によって下された結果だとわかってしまった。
[あぁ。忘れていたぞ。母と一緒に送ってやろう]
再び風が吹く。先程よりは穏やかな風。しかしそれが止んだときにあれだけたくさんいた”子供”は一匹残らず消えていた。そこにいたはずの場所には血煙が立ち込めている。
[終わったな。さて、貴様たちは眠ってもらおう。二度と目覚めぬ訳では無いから、安心するが良い]
こちらに振り向いたヴィラ=ファルがそう言うと甘い匂いが漂ってきた。それと同時に俺達二人の意識は徐々に抜けていった。
そういえば主人公君ってよく寝落ちしますね。
理由は単純で場面の切り替えがとっても楽だからです。




