2-3 絶望と微笑ましさと
”奴隷市場”
それは昔、地球上にも存在したものである。もちろん俺、ナギサがいた現代では世界各国で違法であり、直接見たことは無かった。
だからこそ、この初めて見る空間は彼にとってとても異質なものに見えた。
人がまるで物のように扱われ、値段がついている。売られている彼、彼女らには足に巨大な鉄球を括られているものがほとんどで、首から値札を下げられていた。目はもはや光をともしてはおらず、生きながらにして死んでしまっている。そんなふうに思えた。
足を踏み入れるとすえたような独特な匂いが鼻を突く。ステージ上からは今まさに競りが行われているのだろう、オークションと呼ぶことも憚られるような乱暴な競売が行われていた。
「早く抜けよう」決して衛生的とは言えないその場所を離れようとしたとき、俺の目は一つの檻に吸い寄せられた。
市場の端の端に置かれている小さな檻。木でできていて値段の札は置かれていない。誰もいないのかと思えば、弱々しい呼吸音と小さな気配を感じ、中を覗き込む。そこにはアッシュグレーの髪を持つ、10歳くらいの子供が横になっていた。
俺は心配になって声を掛ける
「大丈夫か…?」
返事はない。よほど弱っているようで唇をかすかに動かすものの、声が出せないようだった。
正直見捨てることは簡単だった。しかし、振り返って檻を後にしようとした瞬間。閉じられていた目がかすかに開いて、赤い瞳からきれいな涙が一粒こぼれ落ちた。
さすがに夢見が悪いな……
「あの。この子っていくらですか?」
俺は近くに座っていた店番であろう恰幅の良い男に声をかけた
「おや。わたくしどもの商品を購入なさるので?であれば!そんな死にかけのガキよりもっといい商品を揃えておりますとも!ええ、ありますとも!わたくしの名はラッシャルと申します。ぜひお知り置きください。ええ、お知り置きください」
男は気持ちが悪い笑顔を浮かべながら揉み手をしてちかづいてきた。立派に肥えたお腹がボヨンボヨンと揺れる。何故か俺はその姿にひどい嫌悪感を抱いた。
「すまん。ほんとうにすまんが俺は初対面でもう君のことが嫌いだ。あの子を連れていければそれでいいからさっさと値段を…。腕を引っ張るな!どこにつれて行く気だ!」
「ええ、どこと言われましても。わたくしどもが自慢とする商品置き場へとでございます。良品はきちんと室内で管理するものなので。ええ、するものなので」
「いらないいらない。金もないし俺はあの子がいい」
「本当にあのガキでいいんですか?ええ、すぐ死んでも保証はできかねますよ?ええ、できませんよ?」
それでもいい。と頷くと彼、ラッシャルはなぜか一気にハイテンションになって小さくスキップをしながら歩き出した。
「お買い上げ誠にありがとうございます!ええ、ありがとうございます。あんなのでも餌などの維持費はかかりますので、わたくしどもも手を焼いていたのです。それを購入していただけるとは……。ええ、ありがたい!」
小躍りしながら檻へと戻り、鍵を開けて彼は手を差し出してくる。
「お代は…まぁ銀貨3枚でいいでしょう。格安とさせていただきます!ええ、させていただきますとも。もちろん契約料込みですとも!」
「契約?」
俺は財布から銀貨を三枚取り出して、渡しながら聞いた。
「おや。契約をご存知ではない?」
ラッシャルがキラリと目を輝かせて説明を始めた。
「契約とは、奴隷に魔法をかけることで、様々な制限をかけることができるものです。かけられる制限も”嘘を付くな”といった基本的なものから”喋るな”という強力なものまで様々です。ええ」
「なるほどね」
そう変えていると、ラッシャルによってあの子供が檻より連れ出されてくる。
「ではお客様。血を。ええ血をいただけますかな?」
彼の手にはシャーレがおいてあった。中には魔法陣の書かれた紙があり、ここに血を入れろということらしい。俺はナイフで指先を切ってシャーレに血を一滴落とした。
中の紙に血が染みたことを確認したラッシャルは中から紙を取り出し、奴隷の子の脇腹に押し当てた。
すると、俺の目の前に半透明のウインドウが浮かび上がってきた。
見てみると、並んでいるのは沢山のチェックボックス。どうやらこれで禁止事項を決めるらしい。少し悩んで俺は”嘘をつかない”、”指示に逆らわない”などいくつかの項目にチェックを押して、最下部に表示されていた完了ボタンを押した。
すると、子供の脇腹についていた紙が光ったかと思うとはらりと剥がれ落ち、そこには赤黒い五芒星形の文様が刻まれていた。
「おめでとうございます。これでこの奴隷は貴方様のものです。煮るなり焼くなりどうぞお好きに。ええ、お楽しみください」
「そんなことはしない。お前らと一緒にしないでくれ」
「これは失礼を。ええ、失礼しました」
ひどい物言いに顔をしかめ否定するも、ラッシャルのニヤニヤは止まらない。
いい加減イラついてきた俺は戸惑っている様子の子供の手を取り、早足でその場を離れた。
路地に入り、子供の状態を観察する。痛々しい打撲のあとはあるが、大きな怪我や病気は無さそうだ。
「とりあえず君の服とかを揃えないとな。あと、装備か…」
よくよく見てみると、この子。彼女は女の子だった。着ている服もみすぼらしく、ところどころほつれているが、もとはきれいであったろうワンピースだった。
「そういえば名前とかってあるのか?」
そう聞くとカサカサな小さい声が帰ってきた。
「フィア。です。13歳、です。ごめんなさい…」
どうやら一言声をかけただけでひどく怯えてしまったらしい。そのことに苦笑しつつ、「大丈夫だ」というように頭を撫でた。
少しして彼女が落ち着いたのを見てから、再び歩き出す。目的地は王都の外。その傍を流れる川だ。
道中で出店に立ち寄り、様々なものも購入する。彼女の服や武器。追加の道具などだ。しかし悲しいかな、ここ数日で稼いだお金はほとんど底をついてしまった。
「はぁ…また明日から稼ぐか…」
門での順番街をしている途中、中身が寂しくなった財布を除きながらため息をついていると、隣を歩くフィアが声を出した。
「ごめんなさい。ごめんなさい。私がいるから……」
「いや、そんなことはない。必要経費だな。だからそんなに謝るなよ?一度笑顔でも見せてくれ」
元気づけるつもりで彼女のアッシュグレーの髪の毛をわしゃーっとすると鬱陶しそうに、それでいて嬉しそうに。かすかに顔をほころばせた。
それに満足し、髪を手ぐしで整えてあげながら歩いていると、やがて川にたどり着いた。
「よし、じゃあ着替えを置いておくから川の水で体と髪を洗っておけ。これ石鹸と手ぬぐいな。使い方はわかるか?」
バラっと先ほど購入した品。彼女の私物となるものをリュックから取り出して、地面に置く。ちなみに石鹸はお花のかおりがするちょっといいやつだ。
冬の川は寒いので、枯れ木を集めて火を起こしておく。「終わったら着替えてあったまっとけよー」と声をかけ、俺は料理に取り掛かった。
食材はここに来るまでに購入したみんな大好きバカガラスの胸肉と各種野菜及びミルク。作るのは具材たっぷりで栄養が豊富なシチューだ。
袋の中に入っている高速飛行する人参。熟れすぎると爆発するじゃがいも。葉っぱを尖らせて抵抗してくるパセリなど賑やかな野菜に順番にとどめを刺していき、カットしたお肉と一緒にコトコト煮込む。
いつの間に川から上がってたのか。フィアが身を乗り出して手元を覗き込んでおり、お腹から「ぐー」と健康的な音が聞こえた。
振り向いて彼女のを見ると、体についていた汚れは取り除かれ、異臭は消えてお花のいい香りがしてくる。痩せていて不健康そうではあったが、その顔には生気が戻っており、丸くかわいらしい顔に「食べたい!」と大きく書いてあった。
「食べるか?」
「うん!…あ……」
「いいぞ遠慮しなくて。ほら」
シチューを木の器に盛り付け、スプーンと一緒に渡すと、彼女ははじめは恐る恐る。二口目からはバクバクと勢いよく食べ始めた。
よほど嬉しかったのか、赤い瞳から涙を流している。
その様子に満足しながら、自分の分を器に注ぎ、俺も食べ始めた。
新しい子が出てきました。




