第5話 一杯の香りから、世界を変えるカフェを
開店の朝、私はまだ誰もいない店内をゆっくり見回していた。
――これが、私の新しい城。
天井には金縁の魔法灯、床は木目の暖かみを活かした落ち着いた雰囲気。
壁際には白い石材を使い、シンプルながらも高級感を出している。
窓辺には丸テーブルをひとつ。ふたり用の対面席。
その中央には、摘みたての香草と一輪の花。
「カップル席」のつもりで用意したが、意外にも母娘連れの予約が入っている。
店の奥には本棚とランプ付きの“静かな席”を設けた。
読書や筆記、書類仕事にも使えるよう、机は広め。
私が一番気に入っているのは、中央のテーブル群。
四人掛けで、女子会にぴったり。椅子は少し低めで、座ると自然に会話が弾む設計。
机の端には、それぞれ違う香りの小瓶が置いてある。朝は柑橘、昼はバニラ、夕方はシナモン。
「ふぅ……やれることは全部やったわね」
「お嬢様……いえ、店主様、開店まであと十五分です」
ミリーが厨房の扉から顔を出した。フリル付きの黒い制服に、白のエプロン。
領地の仕立て屋に頼んだ「一杯亭」専用の制服だ。気に入ってくれているらしい。
「準備は?」
「チャーラも、スイーツも、すべて完了しております!」
「メニュー、最後に確認しておくわ」
私はカウンターに置いた木製のメニュー板を開いた。
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《一杯亭》 本日のおすすめ
•ミルクチャーラ(温/冷)…………2リル
•蜂蜜ココナッツチャーラ……………3リル
•フルーツチャーラスムージー……3.5リル
•焙煎チャーラの焼きプリン………2リル
•自家製ハーブサンドセット………4リル
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ぴしりと整った字で、すべてのメニューは私の手書き。
安すぎず、高すぎず。
「ちょっと贅沢したい日」に選ばれる価格帯に設定した。
「……よし。戦いは、これから」
カウンターの横に立ち、チャーラ豆を挽く。
香りが立ちのぼる。
苦味と甘さと、希望の味。
外のドアが、カラン、と音を立てて開いた。
「いらっしゃいませ。一杯で、心が華やぐ時間を――《一杯亭》へようこそ」
ーーー
昼を過ぎた頃、店内はほぼ満席になっていた。
窓際のカップル席では、若い貴族の娘と、商人風の青年が並んでチャーラを啜っている。
娘はそっと微笑みながら、ミルクチャーラに口をつけた。
「苦いのは苦手だったけれど……これは、飲みやすいですね」
「うん。香りもいいし、なんだか頭がすっきりする気がする。チャーラって薬なんだよな? でも、これなら……日常でも飲みたいかもな」
青年がそう言うと、娘はうなずいて笑った。
「ねえ、今度は“柑橘のやつ”も頼んでみようかしら」
別の席では、若い母親と子どもがスイーツを分け合っていた。
「この焼き菓子、チャーラの味がほんのりして美味しいね、ママ!」
「ええ、でもあまり食べすぎると目が冴えて眠れなくなるかもよ?」
「それでもいい〜! お姫様のおやつみたいだもん!」
母親は微笑みながら、私の方へちらりと視線を送ってくれた。
私はカウンターの内側から軽く会釈を返す。
厨房の扉がわずかに開き、ミリーがそっと顔を覗かせる。
「お嬢様……いえ、店主様、今のところ苦情は一件もなく、追加注文ばかりです!」
「よし、在庫と焼き時間、しっかり調整してね」
「はい!」
ーーー
カウンターの奥から厨房の様子を見ていると、扉のベルがカランと鳴った。
入ってきたのは、見慣れた銀髪の紳士――父、レオポルド・ミルフォード侯爵。
「……お父様?」
「ふむ。このような庶民的な場は初めてだが……まあ、たまには良かろう」
そう言いながら、なぜか恥ずかしそうに帽子を脱ぎ、カウンター席に座る父。
「注文は、セリーナのお勧めで頼もう」
「じゃあ、今日は一番人気の“ミルクチャーラ”と、“焼きチャーラプリン”のセットね」
「うむ。……しかしセリーナ、お前がこのようなことを始めるとはなあ。父としては……感慨深い」
目尻が下がりまくっている。
「……私が家の財政を傾けたのも、ひとえにお前の望むものを全部買ってやったからだ。ドレス、宝石、舞踏会の席……」
「それを許してたお父様の方が問題だったのでは?」
「否! お前の“可愛い”という一言に、父は逆らえなかった……!」
「…………」
私は呆れつつも、笑ってしまう。
けれど、そんな父が、チャーラに口をつけたとたん、表情が少しだけ真面目になった。
「……これ、良いな。体がしゃきっとするし、なんだか……気持ちまで落ち着く」
「薬として扱われてたけど、飲み方を変えれば、癒しになるのよ」
「まさにそうだ。これなら、老いた貴族たちも好む。……セリーナ、やるではないか」
そう言って、父は焼きプリンを一口食べ、ほうっと息をついた。
「甘い……だが、くどくない……これ、まさか……セリーナのレシピか?」
「もちろん。自分で考えたわ」
「やはり我が娘は、天才だな……!」
さっきまでの真面目な空気がどこかに消え、父はもう完全に“親バカ顔”になっていた。