第2話 悪役令嬢、厨房に立つ
帳簿に目を通して、思わず天を仰いだ。
「……これはひどいわね」
侯爵家の家計簿――というより、使用人任せの雑な収支記録――をひと晩かけて読み込んだ私は、絶望的な数字の山に眉をひそめた。
まず、収入が少なすぎる。領地税収は年々減少、特産品も競争力を失っている。
それに対して支出が……なんというか、散漫すぎる。
中でも目を引いたのは、食費の多さだった。
月に平均で1,200リル。これは下級貴族の家計並にかかっている。しかも、これでも以前より“抑えられている”らしい。
「なににそんな使ってるの? ステーキでも毎日出してるの?」
私は椅子から立ち上がった。
「これは現場を見ないと話にならないわね……」
「お、お嬢様? どちらへ?」
メイドのミリーが不安そうに私の後を追う。
「厨房よ。食費が高いなら、食材の使い方を見直さないと」
「えっ、きっ、厨房!? お嬢様が、厨房に……!?」
目を見開いて固まるミリーをよそに、私は迷いなく廊下を歩いた。
コツコツと響く革靴の音が、まるでどこかの社長が視察に行くようなリズムだった。
(貴族のお嬢様が厨房に立つのは確かに“非常識”かもしれない。でもね、ミリー)
私は心の中でつぶやく。
(私はもう、元の世界で“非常識”を生き抜いてきた女なの。貴族の常識なんか、赤字を見たら吹き飛ぶのよ)
ーーー
厨房の扉を開けた瞬間、目に飛び込んできたのは、鉄の鍋と木のまな板、そして忙しなく動く使用人たちだった。
火の魔石がはめ込まれたかまどには、香ばしいスープの香りが漂い、天井の梁には乾燥ハーブが吊るされている。
一瞬で目が慣れる。
私はここの“ムダ”を、すでに見抜く目を持っていた。
「……お嬢様!? まさか厨房に……!?」
調理台の前にいた年配のコック長が、信じられないものを見るような声を上げた。
「私の足がここにあるのがそんなに不思議?」
「い、いえ、その……貴族のご令嬢が厨房に立ち入るなど……!」
「大丈夫、見に来ただけ。あなたたちの仕事を横取りするつもりはないわ。でも……確認はさせてちょうだい。今、食材どう使ってるか」
私はズカズカと調理台に近づいた。
その横には、ちょうど下働きの少女が山盛りの野菜を剥いているところだった。
じゃがいも、にんじん、かぼちゃ――その横には、びっくりするくらい大量の“皮の山”。
「……ちょっと待って」
私の声に、少女の手が止まる。
「それ、全部捨てるつもり?」
「は……はい、お嬢様。皮なので……」
「皮なので、って……何度も言わせないで。皮には栄養があるのよ!」
私は皮の山に手を突っ込み、にんじんの端っこを持ち上げて見せた。
「この部分、βカロテンが豊富で、スープにすれば甘味も出る。じゃがいもも同じ。ちゃんと泥を落として芽を取れば、皮ごと使えるの」
「ですが、見栄えが……」
「料理はまず、命をつなぐためのものよ。食べ物を粗末にして見栄えだけ整えるのは、本末転倒じゃない?」
静まり返る厨房。
私は大きく息を吸い込んだ。
「今日からは、皮も使う。使い切る。廃棄を減らして、その分の食費も減らす。異論ある?」
誰も口を開かなかった。
その代わり、コック長が一歩前に出て、静かにうなずいた。
「……承知しました。お嬢様。では、皮ごとの野菜でスープをお作りいたしましょう」
「ありがとう。でも、今日のスープは私が作るわ。元・社畜の本気、見せてあげる」
「じゃあまず、皮付きにんじんとじゃがいも、それから玉ねぎ。細かく刻んで」
「えっ、お嬢様が……?」
「私が。刻むのは得意なの。包丁は握り慣れてるから、安心して」
ミリーが心配そうに見守る中、私はテンポよく野菜を切り始めた。
皮付きのまま。むしろ、皮の香ばしさと歯ごたえが欲しかったからだ。
鍋に油を少量。火の魔石で調整しながら熱し、にんにくと玉ねぎを炒めて香りを出す。
そこに他の野菜を加えて炒め、水と塩、少量のスパイスを加え、コトコトと煮込む。
「はい、骨から取ったスープストックもここに」
「ま、まさか……廃棄される予定だった骨から……?」
「そう。煮れば、立派な栄養と旨味よ」
湯気が立ち上る鍋の中。香ばしさと野菜の甘味がふわりと厨房に広がる。
そして、30分後――
「できたわ。試食してみて」
差し出したスープを、恐る恐る口にしたミリーが、目を見開いた。
「……お、美味しいっ! 皮付きなのに、全然気にならない……! むしろ、甘いですっ!」
次いでコック長、他のメイドたちも続々と口に運び――
「これで本当に、廃棄予定の皮を使ったのですか……? 信じられません……」
「野菜の甘みが活きてます!」
「これなら副菜いらないくらい満足感がある!」
厨房に広がる、驚きと感動と、ちょっぴり悔しそうな顔。
私はにっこり笑って、言った。
「これが“節約”よ。無駄をなくすって、こういうこと」
目を輝かせて見上げてくるミリーに、私はウインクした。
「ね、明日から皮、捨てないでしょ?」