第097話〜ケイミィ①〜
これはまだ、ブライたちがプリース王国を脱する前の話。
貴族御用達の調剤師、ケビン。
その一人娘、ケイミィ。12歳。
彼らを知らぬ者は、この街、パイナスには居なかった。
「安いよ安いよ〜! 今ならポーション各種が格安だよ〜! 持ってけドロボー!」
「どろぼー!!」
荷車いっぱいにポーションの瓶を乗せ、貧民街を歩く父と娘。
壁の薄い土の家から、次々と現れるマダムたち。
「ケビンとケイミィが来たわよー!」
「これとこれとこれ! お願いね!」
「あたしゃこれを!」
「ケビン〜! いつもありがとねぇ〜!」
飛ぶように売れていくポーションたち。
「はいはいはい! 一人三本までね! みんなに行き渡らないといけないからさ! あ〜、おばあちゃん。腰悪かったでしょ? ほら、こいつを持っていきな」
悪政がつづき、高すぎる税で薬が買えなくなった人たちの元へ、ケビンとケイミィはいつも薬を売り歩く。
二束三文。
売上なんかない、むしろ大きくマイナスだ。
「今日も正義のために! わっはっはっ!」
ケイミィは、空になった荷車の上に乗り、ポーズを決めている。
「おっ! いいぞー! ケイミィ! こっちは正義の味方、父さんのポーズ!!」
街中で変なポーズをし合う親子。
そんな二人の背中から殺気が⋯⋯。
「ケビ〜ン、ケイミィ〜? ま〜たせっかく作ったポーションを配ったのかしら〜?」
――ギクゥ!!
「み、ミザリィ⋯⋯これには深〜いワケが⋯⋯」
「お父さん! ここは戦略的撤退!!」
その言葉を聞いたケビンは、
「りょーかいであります! 隊長!!」
と、言って、荷車を全速力で運び出した!
「こらー!!」
遠くのほうでケイミィの母、ミザリィの声が聞こえる。
「わっはっはっ! 正義は勝〜つ!」
「逃げるが勝ちってかぁ〜!? 大丈夫かなぁケイミィ、あとで俺たち余計に怒られるんじゃ⋯⋯」
「その時は、二人で謝ればいーの! お父さん!」
ケビンはニカッと笑い、
「それもそうだな! わっはっはっ!」
と、元気よく娘の乗った荷車を引いた。
そんな二人の背中を、
「もう、仕方ないなぁ」
と、ミザリィは困ったような、誇らしいような顔で見送った。
――――――
そんな一家が、国に愛想を尽かすのに、そう長くはかからなかった。
「国を捨てて新天地へ⋯⋯だって!?」
ブライから誘われたプリース王国随一の錬金術師、ケビンはニカッと笑い、
「心おどるじゃねぇか! 貴族たちの無意味な調剤にも飽き飽きしてたんだ! あいつら、不死の薬がどーとかって言うんだぜ? 付き合ってらんねーよったく!!」
と、言い
「俺には時間がねぇ、この国は病気だ。首都でさえこんな調子なんだ。僻地はもっとひでぇはず。⋯⋯一人でも多くの患者を助けてぇんだ。あんたらについて行く!」
力強く、ブライの手を握った。
――――――
夜にまぎれて首都を出る。
道中、立ち寄った村は襲撃にあった後だった。
どうやらエルフの仕業らしい。
北の山にあるエルフの里を焼いたというあの事件から、四方へ散った残党の一つだろう。
「お父さん、これは酷いね⋯⋯」
村はほぼ壊滅状態で、そこら中が焼け野原となっている。
幸い、エルフたちも余力が無かったようで、食料を奪い、家屋に火をつけた後は、すんなりと退散したようだった。
逃げのびた村人たちを山々から保護し、合流するブライ率いる亡命組。
そんな中ケイミィは、木の陰にうずくまる二十歳くらいの女性を見つけた。
「あなた! ケガしてるの!?」
花の髪飾りをつけた女性はなにも答えない。
村人たちが集まっていると言うのに、こんなところで、一人で⋯⋯。
「⋯⋯⋯⋯」
すべてを悟ったケイミィは、上着からちいさな瓢箪を取りだし、そっと彼女にふりかけた。
優しく、さわやかな花の香りが、辺りをつつむ。
そのにおいにつられて、女性はゆっくりと顔をあげた。
その顔には、何時間も泣いたであろう、跡が残っていた。
「ウチ、ケイミィ。いまは旅の途中なの」
ケイミィは彼女の手をゆっくりと引く。
「立って、一緒に行こう?」
女性は顔を左右に振る。
「もう、生きてても、意味がない、から」
カラカラに乾いた唇とこころ。
大切な人も、ふるさとも失った彼女は、生きる希望そのものを奪われてしまったようだった。
「ウチは、あなたが死んだら悲しい」
ケイミィは言う。
しかし、女性にはまったく響いてないようだ。
「私は、あなたが死んでも悲しくならない。⋯⋯なれない」
女性はまた、抱えたヒザに顔をうずめてしまった。
「⋯⋯」
ケイミィはそっと隣に座り、香水の入った瓢箪をくるくるとまわす。
「これね、アネモネっていう花の香水なの。ウチが作ったんだ」
女性はケイミィの言葉に反応することなく、うずくまったまま。
「主張しすぎない。でも、周りをそっと笑顔にするような、前向きにさせるような。そんな香りが好きで⋯⋯」
ケイミィの独り言ような会話はつづく。
「花言葉もね、ステキなんだ。⋯⋯真実。ウチ、錬金術師だからさ。真実って言葉、好きなんだ。それとね⋯⋯もう一つ」
――希望。
ケイミィは女性のほうを向いた。
「あなたの髪飾りも、アネモネ。希望の花」
女性は、髪飾りをくれたときの、愛する人の言葉を思い出していた。
(ノバナ、君に良く似合ってる。大好きだよ)
アネモネの花飾りをつけたノバナは、もう枯れたと思っていた大粒の涙を、また、こぼした。
それは、死んでしまいそうになっていた『感情』が、動きはじめた合図だった。
「ノバナ⋯⋯」
女性はぽつりとつぶやいた。
「ノバナ、あなたの名前ね」
ケイミィは優しく微笑み、立ち上がった。
そして、彼女に手を差しのべた。
「行こう、ノバナ。希望を持って」
ノバナは顔をあげ、ゆっくりとその手を取った。
――――――
道中、プリース王国の追っ手やモンスターの襲撃だけでなく、亜人の襲撃もあって、鬼の住処につく頃には二十人の死傷者が出ていた。
⋯⋯道半ばで倒れた者たちを、各地で埋葬する。
「助けられなかったか、チクショウ⋯⋯」
ケビンは己の不甲斐なさを嘆いた。
「材料になる物を採取しながら行かなきゃね」
ケイミィは棒のような足にムチを打ち、周囲をくまなく探しながら進む。
――――――
目的地である『鬼の住処』についてからも、過酷な環境はつづく。
ケイミィが困ったのは、村人たちの無鉄砲さだ。
ブライやダストンが亡命のために選んだ人たちは、善人だらけである。
ゆえに、すぐに自らの命を盾にしようとする。
「お願いだからムチャしないで!」
「な〜に! ケビンとケイミィが居るんだ! 多少ケガしても大丈夫だろ!?」
その言葉に、ケビンは激怒する。
「そんなわけないだろ! たまたま生き残っただけだ! もっと身体を大事にしやがれ!」
しかし、村人たちがムチャをしなければならないのもまた事実。
神じゃらしの草原を開墾し、安全な生活圏を手に入れるには、周囲のモンスターを十分に狩らなくてはならない。
特に、繁殖力の高すぎるゴブリンは脅威だ。
単体の強さであれば、ダストンやギムリィをはじめ、職業を持つ者たちは遅れを取らない。
問題は『規模』だ。
同時多発的に攻められては、対処が不可能。
「戦闘職をもっと連れてくるべきだった⋯⋯」
若きブライは後悔に押し潰されそうになっていた。
――――――
それは、必然であった。
無職である母、ミザリィの衰弱。
村に建てられた診療所のベッドで休ませる。
治療のため、危険な山に薬の材料を取りに行かなければならない。
「錬金術師だからって戦えないわけじゃねぇ! 俺も行ってくる!」
「ダメ! お父さんはお母さんのそばに居るの!」
「ケイミィ⋯⋯」
その様子を、クルトとブライが見守っている。
「ミザリィを助けるにはこれしか無いんだ⋯⋯母さんのそばにはケイミィが居てやってくれ」
「イヤ! ダメ!!」
ケビンの服の袖をつかみ、必死に止めるケイミィ。
「村長としても、許可する訳にはいかない」
ブライが静かにいう。
「ケビン、あなたは優秀な錬金術師だ。もし、あなたの身になにかあれば、流行病が起きたときに村が壊滅する」
そんなブライに、ケビンは真剣な表情でこたえる。
「ブライ、大丈夫だ。ケイミィがいる。それに⋯⋯」
ケビンは、大量の汗をかき、うなされるように眠る愛する妻のほおをなでた。
「自分の女は、自分で助けたい。そうだろ?」
「ケビン⋯⋯」
しかし、ケイミィはケビンの服をギュッと掴んで離さない。
「ダメ!! ダメ!!! 絶対ヤダ!!」
そんな我が子の頭をなで、ケビンはまっすぐにブライを見た。
「頼む、村長⋯⋯!」
ブライの心は揺れ動いていた。
そして⋯⋯。
「わかった、許可しよう。ただし、かならず生きて帰ること。⋯⋯いいね?」
その言葉にケビンは心からの感謝をのべた。
「イヤ! イヤだよ!! お父さん行かないで!!」
「ケイミィ⋯⋯」
ケビンはヒザを曲げ、ケイミィに視線を合わせた。
「だ〜いじょーぶだ! 俺は死なねぇ!! なんせ正義の味方だからな!! 正義の味方は〜〜??」
ケイミィは祈るようにつぶやいた。
「かならず⋯⋯勝つ⋯⋯」
その言葉にケビンはニカッと笑い、
「そーゆーこった!!」
というと、強く、強くケイミィを抱きしめた。
「俺は死なねぇ。母さんを頼む」
ケイミィは目を閉じ、ケビンの腕をギュッと抱きしめた。