第008話〜赤髪の少年〜
まるで、世界中の雲を吹き飛ばしてしまったかのような、どこまでも澄みきった晴天。
それは、リヴァイアサンが天空をひき裂くほどの『攻撃』を行ったからである。
海そのものを圧縮したかのようなエネルギーの塊。それが、一人の人間のために振り落とされた。
山がまたひとつ三日月状にえぐられ、大きな砂ぼこりが徐々に広がっていく。
(⋯⋯逃げられたか)
リヴァイアサンは目を閉じ、感覚を研ぎ澄ます。
(月女神バスティ⋯⋯。ヤツの仕業だね。やれやれ、もうほとんど力も残って居ないだろうに)
リヴァイアサンはその巨体をゆっくりと海底へ沈めていく。
(私のテリトリーから出てしまったようだ。せっかく仕留められそうだったんだがね。もったいないことをした)
はぁ、とため息をつくリヴァイアサン。
(あとは、あの脳筋バカに任せるか。まぁ、バスティの子供たちは勝手に同族で殺し合うんだろうけどね。あぁ、とても残念だ。プタラム様に良い土産ができると思ったのに。あぁ、残念だ。残念だ)
――――――
あたたかい。
昨夜見た月の光に抱かれているようだ。
エータはゆっくりと目をひらいた。
生きてる。
それは信じられない事であった。
月光に似た光が、彼の身体から少しずつ消えていく。エータはあまり状況を理解できていなかったが、ひとつだけ確かにわかることがあった。
(ありがとう、バスティ様)
身体がバラバラになりそうなほど痛い。とても動ける状態じゃない。ここは一体⋯⋯?
首もろくに動かせない中、目だけで状況を確認する。
森⋯⋯?山⋯⋯?少なくとも、元いた海は近くにはない。なぜなら、さざ波ひとつ聞こえないからだ。
遠く離れた場所に吹っ飛ばされたと見て間違いないだろう。太陽が真上に見えることからおそらく正午あたり。どれくらい気絶していたのか。なんにせよ、モンスターが居る世界でこんなに無防備なのは危険である。
(せめて木の家に入るか⋯⋯)
エータがそう思った。その瞬間であった!
――⋯グルルルルル。
(おいおいおいおい。ウソだろ!? まさかアイツら、追いかけて来たのか!? どんだけ俺のこと好きなんだよ! 冗談じゃねぇぞ!! 早くアイテムボッ⋯⋯!)
次の瞬間、茂みから狼が飛び出し、エータの太ももに噛みついた。ブチブチと牙の食い込むイヤな感触と激痛が脳に登ってくる!!
「ああああぁぁぁ!!!」
ここまで近付かれてはもはや家に入ることは不可能。茂みから2匹目、3匹目と狼が出てくる。全部で五匹。やはり、昨日のあいつらであった。
(くそっ! コイツら、浜辺で襲ってこなかったのはリヴァイアサンを警戒してたのか!! 海から離れた俺は格好のエサ⋯⋯!)
――死ぬ⋯⋯!!!
エータが諦めかけた、その時だった!
太ももに噛みついていた狼の首に一本の矢がストンと刺さる。食いこんでいた牙がその頭ごとだらりと落ち、その様子を見ていた他の狼たちが一瞬戸惑ったように立ち止まる。
二の矢、三の矢が狼の急所を音もなく一撃で射抜いていく。ここでようやく異変に気付いたのか、残りの二匹は脱兎のごとく逃げて行った。
(助かった⋯⋯のか?)
「おい! あんた、大丈夫か!?」
木の上から流れるように降りてくる男の子。褐色の肌に燃えるような赤い短髪。身長は150センチほど。年齢はいまのエータと同じく15歳くらいだろうか。ケモノの皮で作られた衣服を着ている、肩から大弓をたずさえた赤髪の少年。
彼は近づき、エータの足のキズを見る。
「こりゃあ歩くのは無理だな。肩貸してやるからちょっと待ってくれ」
そういうと、赤髪の少年は片膝をつき、エータに腕をまわしてゆっくりと起こしてくれた。
「すまねぇ。いてぇよな。俺はビート。狩人をやってる。すぐそこに村があるから踏んばってくれ」
この世界に来てはじめての人。
ヒト⋯⋯人だ!
度重なるモンスターの襲撃と死線を独りで超えてきたエータにとって、他者の存在、その優しさと温もりは深く心に染みた。よかった。この世界に来て最初に出会ったのが優しい人で。本当によかった。そう思いながら目頭が熱くなる。
「おっと、忘れてた」
そういうと、ビートは腰にぶらさげた15センチほどのちいさな瓢箪を取りだす。
「フォレストウルフに噛まれてるからな、キズが化膿するかも知れねぇ。とりあえず応急処置ってことで!」
瓢箪の中からどろりとした緑色の物体が出てくる。えっ?なにこれ?大丈夫なやつ??、エータが疑問を口にするより前に、ビートはそれを足のキズにトロリと垂らした。
――ジュワァー!――
「ぎゃぁぁぁぁー!!!」
(酸!? 酸かけたコイツ!? 痛いを通り越してもはや熱い!! なんなら狼に噛まれた時よりも苦痛!! 謎の湯気があがってるけどなんじゃこれ!! コレ絶対あかんやつ!!)
「よし、消毒完了!! あとは、ほい!」
――べちゃっ!――
苦痛に暴れまわるエータをよそに、今度は背中になにか泥のような物を塗りつけるビート。
「うんこだ」
うんこかよ!!!
と、叫びたいエータだったが、身体はバキバキだし足は痛いし、なにより血は足りないしでもう声が出なかった。
「正確には、モンスターのうんこに焼いた香木と土を混ぜたモンだ。血の匂いでほかのモンスターが寄ってくるかも知れないからな。狩人の知恵ってやつだ。まぁ、俺には探知の武芸術があるから必要ないんだけどよ、用心のために一応な!」
赤髪の少年、ビートは二カッ!と笑う。
サーチ?アーツ??と、わからないことだらけだったが、確かに、肉食動物のいる森で血の匂いを振りまくのが危険な事はわかる。彼なりの考えがあることをエータは重々承知した。承知はした⋯⋯が⋯⋯。
(いきなりうんこ塗りつけることなくない!?)
本当に異世界ではじめて出会うのがこの人で良かったのか。そんなことを思いながらエータは、顔をひきつらせ「あ、ありがとう」と応えたのであった。