第088話〜覚醒〜
「ドロシー!!!」
敵の魔素奪取でマナを奪われ、散々痛めつけられたであろうドロシーが、身体を支えられず床に倒れている。
そんな彼女をビートが抱きしめた。
「良かった⋯⋯生きててくれて⋯⋯」
いつもと違い、暖かい言葉をかける彼の瞳からは、とめどなく涙が流れている。
ドロシーは、そんな彼を抱きしめ返そうと腕をまわした。
しかし、その手はピタリと止まる。
彼女の脳内には、汚く、醜い身体をしたシルドルの姿が映し出されていた。
そしてドロシーはギュッと目を閉じ、拒絶するようにビートを引き離した。
「ビート⋯⋯わたくし、汚いですから⋯⋯」
彼女の目は、絶望したように光がうしなわれている。
夢見る少女はもう居ない。
彼女の身は助かったかも知れない。
しかし、その心は暗い深海の底で息絶えたように、冷たく沈むばかりだ。
そんなドロシーをすくい上げるように、ビートはもう一度、彼女を優しく抱きしめた。
「汚くねぇよ、お前はキレイだよ」
いつもなら絶対に言わないであろうセリフだったが、今は取りつくろう必要も無い⋯⋯。
いや、むしろストレートに気持ちをぶつけるべきだと、ビートはドロシーに言葉をかけた。
ドロシーは目に涙を浮かべながら、
「バカですわね⋯⋯」
と、ビートを強く抱きしめ返した。
その優しい体温を確かめるように、強く、強く⋯⋯。
ドロシーは激しい緊張から解放された安堵からか、自らが受けた屈辱を思い出してしまっているようだった。
「ビート⋯⋯わたくし⋯⋯」
ドロシーの手が震えている。
「わたくし⋯⋯もうお嫁に行けませんわ。こんなに穢されてしまっては⋯⋯」
そう言って彼女は、ビートの首筋にそっと額をつけて、静かに泣いた。
どんな仕打ちを受けたのか⋯⋯想像するだけで吐き気がする。
彼女は、村のみんなを守るためにその身を差し出した。
しかし、二十歳にも満たず、純潔を守ってきた彼女にとって、それがどれほど耐えがたい事だったのか。
どれほどの苦痛で、どれほどの悲しみなのか。
想像にかたくない。
「穢れてなんかねぇよ」
ビートが口を開く。
「お前はキレイだよ。⋯⋯お前が村のために貴族と結婚したがってたのは知ってる。ちいさい頃から貴族のしきたりや言葉遣いをブライに習ってたのも。⋯⋯ぜんぶ村のみんなの為だろ? そんなお前が穢れてるわけがねぇよ」
そう言って、彼はドロシーの頭を優しく撫でた。
「誰よりもキレイだ、ドロシー」
悲しみの海に深く沈んだ彼女を、ビートは優しくすくい上げる。
そして、世界で一番美しい彼女に。
世界で一番優しい、口づけをした。
「ビート⋯⋯」
ドロシーの目は光を取り戻し、悲しみの海に止められていた肺は、呼吸を思い出す。
そして、大声をあげて泣いた。
「わたし、わたしね⋯⋯? あなたが好き、すきなの⋯⋯」
子供のように泣くドロシーを胸に抱き、頭を撫でるビート。
彼の目は、涙で優しく光り輝き、彼女の悲しみを。
その心のかげりを。
そのすべてを照らすようであった。
――そして、その光はより激しさを増した。
彼の胸に沸き起こる。
プリース王国への憎悪、憤怒、殺意。
それを糧とし、決意の炎となって燃え上がる。
その炎は熱を帯びて、彼を奮い立たせる。
ギリギリと奥歯を噛み締める彼。
「エータ、頼みがある」
ビートは、ドロシーを抱きしめたまま言った。
「国を、造ってくれねぇか」
それはちいさな声だったが、不思議と力強く、ハッキリと一同の耳に入った。
「ビート、君は何を⋯⋯」
フィエルは問う。
エータはビートの真剣な言葉に耳をかたむけている。
「簡単じゃねぇのはわかってる。俺が想像できねぇほど、たくさんの障害があることも⋯⋯でも!」
ビートは言葉を紡ぐ。
先のことなんか考えちゃいない。
ガキの戯言だってわかってる。
でも⋯⋯。
それでも彼は言葉を紡いだ。
「俺はイヤなんだよ。誰かが奪ったり奪われたり、ひでぇ事したり、されたり。だから⋯⋯」
愛する人を抱きしめる腕に力が入るビート。
「だからエータ! 頼む! 国を造ってくれ!! お前はプリース王国を造った伝説のアーツを持ってんだろ!? なら、きっと出来る! お前を殺そうとするヤツが出てくるかも知れねぇけど! 俺が騎士になってかならず守る!! だから!!」
彼は、祈るように叫んだ。
「みんなが悲しまなくて済む、そんな国を造ってくれ!!」
エータの中の迷いが、完全に晴れた瞬間であった。
宮下瑛太はずっと迷っていた。
自分は人の上に立つような人間では無いと。
それなのに『村長』という身の丈に合わない役職についてしまっている。
ノバナの言う通り、自分は相応しくない。
ブライが継続するべきだったのだと。
ずっとそう思っていたのだ。
彼をそんな風に卑屈にさせてしまったのは、前の世界での不当な扱いも原因の一つである。
入社早々に両親が事故で無くなり、新人研修の期間中、休まざるを得なかった。
仕方のない事である。
しかし、時代が時代。
パワハラなんぞ日常茶飯事の世の中。
エータは「入社早々に休んだナマケモノ」というレッテルを貼られ、いくら頑張っても認められず。
二十年という長期に渡り、辛酸を舐めさせられてきた。
その長期間の不当な扱いが、エータの中の『自信』や『自己肯定感』という物を完全に折ってしまっていたのだ。
――だが、この世界は違う。
信じた分だけ、頑張った分だけ。
認めてくれる人たちが居る。
自分の足りないところを補ってくれる仲間が居る。
良いんだ、やりたい事をやっても。
ワガママを言っても。
それをきちんとやり遂げる『覚悟』があるのなら。
ビートの言葉をトリガーに、エータの心に変化が訪れた。
そして、それに反応するように、身体から少しずつ月光のような輝きが放たれる。
「わかった、造ろう」
エータは、なぜ自分の身体が輝いているのかわからなかったが、一つだけわかっている事があった。
それは、これがバスティ様の祝福であるという事。
「この世界の人類⋯⋯人間と亜人が安心して暮らせる。そんな国」
エータは拳を握り、胸に手を当てて誓う。
「誰も差別されず、理不尽な暴力に悲しまなくて良い、そんな国を造ろう!!」
月光の輝きはより強まり、辺りを包んでいく。
「俺は! 国王になる!!」
そして、エータの頭の中に月女神バスティの声が響いた。
――――――――
諦めない心と、博愛の魂に祝福を。
理想を現実に、無謀を勇気に。
不可能を可能にする力を、あなたに。
――――――――
「バスティ様⋯⋯?」
エータの脳内に、文字が浮かび上がってくる。
――職業・皇帝――
これは、彼が。
世界に絶望し、一度人生を諦めた彼が。
どこまでも青く、どこまでも真っ直ぐで。
すぐ悩み、すぐ傷つき、すぐ感情的になる彼が。
情けなくて、誰かに支えて貰わなければならない。
ちっぽけなクセに無謀な夢をかかげた彼が。
ちいさな村から世界を再建する物語だ。