第043話〜シロウと交易〜
――エータが村に来て二ヶ月が経とうとしていた。
「エータ、だいぶ体力がついたんじゃねぇか?」
「あぁ、俺もそう思う」
野山を駆けながら談笑するエータ。
その上を、ビートがサルのように枝をつたっている。
以前のエータなら、すこし走っただけで息が切れていた。そう、ハイパー貧弱ボディ!だったはずである。
それがなんという事でしょう。
山道を走りながら会話ができるほどにビルドアップ。
(肉体が若返ってるとはいえ異常だな)
たった二ヶ月でここまで動けるはずがない。
なにか別のチカラが働いている。
そうエータは感じていた。
「ほんじゃ、そろそろアレやるか⋯⋯」
「アレ?」
エータは首をかしげる。
「あぁ、こっちの話だ。とりあえず今日は限界まで追い込むぞ」
「わっ! 待てよビート!」
急に加速したビートに追いつくため、エータは慣れない山道をドロドロになるまで駆けた。
――やっと村へ戻ったころには、猫じゃらしの草原は夕陽でオレンジ色に染まっていた。
「ダメだ⋯⋯もう鼻くそをほじる力も残ってねぇ⋯⋯」
聖域の中へ戻り、地面へどさりと倒れ込むエータ。
「頃合いだな。親父、頼む」
ビートがそう言うと、ずっと後を付けていたのかダストンが現れた。
「えっ? なに?」
エータはもう指先ひとつ動かす力も残って居ない。
「エータ。気をしっかり持てよ」
そう言うと、ビートが身体を押さえつけ、ダストンがエータの顔面へと瓦割りよろしくなポーズを取る。
「えっ!? なになに!? やめ⋯⋯やめろぉ!!」
刹那。「ぬぅんっ!!」という気合と共に、ダストンの巨大な拳がエータの顔面に振り落とされた。
「あばばばばばばば!!」
拳は間一髪のところでピタリと止まる。
しかし、拳圧により突風が吹き荒れた。
あまりの恐怖に思わず失禁!
宮下瑛太42歳。
異世界二度目のおパンティぐしょぐしょ事件である。
「よし」
「成ったな」
「なにがだよ!!」
恐怖よりも怒りが勝ったエータは、限界を超えた肉体にムチを打ち飛びおきた。
「ほれ、動けておるじゃろ?」
「どういう事?」
エータは股間をパタパタとさせながら問う。
「えーっと、つまりだなぁ『限界突破』ってやつだ」
なおも要領を得ないエータに、ダストンとビートは話を続ける。
「ワシが王国騎士団で指南役を務めていたとき、生徒を死ぬ寸前まで追い込んでしまった事があってな⋯⋯。すると、そやつのステータスが大幅に上昇したんじゃ」
「いや、指南役失格だろそんなもん」
心底あきれるエータ。
「ところがよ。俺も親父に追い込まれたことあんだけど、これがマジで効くんだって。まぁ、明日また山を走ってみたらわかるぜ」
「ホントかよ⋯⋯」
――結論から言うと、体力、筋力、俊敏性がとんでもなく向上していた。
「マジで走っても疲れねぇ⋯⋯」
「な? スゲーだろ」
ただ、これは『肉体が限界まで追い込まれる』『死を覚悟する』の二つが揃っていないとダメなため、訓練では二度と使えないらしい。
頭が『限界突破のための追い込みだ』と学習してしまうからである。
あとは実践あるのみ。
無職に毛が生えた程度であるが、エータの潜在能力が引き出された瞬間であった。
――それからしばらくして。
今日は、エータ、ビート、フィエル、ドロシーの4人で西の山へ狩りに来ている。
植物の生命力は見事な物で、ベヒモスにやられた場所には少しずつ緑が戻ってきていた。
獣たちの姿も見るようになり、ビートは嬉しそうにうさぎや鹿のモンスターを狩っている。
ビートの狩った獣をアイテムボックスに収納していると、フィエルが口を開いた。
「なぁ、気になっていたんだが。西の山はこんなに鬼が少ないのか?」
ビートは「いんや」と両腕を頭の後ろにまわし、
「ベヒモスが荒らす前はもっとウジャウジャ居たぜ。怖がって別の山に逃げたんじゃね?」
と、こたえた。
「うーん⋯⋯。すこし違和感がないか? もう二ヶ月だぞ? 恐れて逃げたとしても、この獣たちのように少しずつ帰ってきても良いのでは無いか? 痕跡すら見つからないのは異常だと思うのだが」
「確かに変ですわね」
「逃げたゴブリンたちの行方か⋯⋯もしかしてエルフの里があるっていう南の山に? エルフの里がまずいんじゃ⋯⋯」
エータは心配になってフィエルに問う。
「いや、それは大丈夫だ。南の山にはエルフの秘術がかけられていて、里に近づくと木々が折れ曲がり、侵入者をまどわすようになっている。それを利用した護衛隊の連携もあるのでな、ゴブリンが大量に居ても生活に支障は無いだろう」
「そっか⋯⋯それなら良かった」
フィエルは嬉しそうにフフっと微笑む。
エルフを気にかける人間。その存在がなによりも嬉しいのだろう。
「じゃあ、南の山でエルフたちに狩られたか、北の山からプリース王国の方に逃げたんじゃねぇかな? ゴブリンたちが居ない分、ケモノが多くなって狩り放題だぜ!」
「あんた、ハンターのくせに楽観的すぎませんこと? 生態系が大きく変わっているなら悪影響だって出てきますでしょうに」
ドロシーの小言にビートは「はーいはい!」と、どこ吹く風だ。
ゴブリンたちの行方か⋯⋯シロウの種族がいる東の山に行っていないと良いのだが⋯⋯。
そんなエータの心配を知ってか知らずか、ちょうどシロウが村に交易にやってきた。
――――――
午後、村の東口。
シロウが来たとの事でエータはそちらに向かう。
「久しいな。息災でござるか? この村は見違えるように変わったな。来る村を間違えたかと思ったでござるよ」
「お久しぶりですシロウさん。おかげさまで無事に発展してますよ。シロウさんも元気そうで何よりです」
シロウとの交易はアイテムボックスを持つエータの役割となっている。単純に仲が良いのも理由の一つだ。
「約束通り、南のジーニアス魔導国から種や苗を持ってきた。何かと交換してもらえると嬉しい。出来れば塩が良いでござるな」
「塩はいくらでも採れるので交換ではなくお土産に持っていってください。作物の種は、海産物や干し肉と交換しましょう」
「塩をタダでだと!? い、良いのか!?」
「俺たちじゃジーニアス王国まで行けませんし、妥当な取引だと思いますよ」
「しかしそれでは⋯⋯」
シロウは「むぅ⋯⋯」と、考え込んだ後、
「いや、お言葉に甘えるとしよう。恩に着る」
と、深々と頭を下げた。
この世界では、海がリヴァイアサンに占領されているため、塩は岩塩くらいしか入手方法がない。
当然、採れる量も場所も限られている。
結果、塩はかなりの貴重品なのだ。
「そういえばシロウさん、東の山に何か変化はありませんか? ゴブリンが大量に居るとか」
「変化? 特に無いでござるな⋯⋯いや、待てよ?」
シロウはうーん、とうなっている。
「やはり何かおかしな事が⋯⋯?」
「そうでござるな。鬼共がかなり減ったように感じる」
「えっ?」
それは意外な答えだった。
「ジーニアス魔道国まで交易に出ていたので、最近の東の山はあまり詳しくないのでござるが⋯⋯。ここに来る途中、いつもなら何度も見かける鬼共が大幅に減っていた。数匹の群がひとつ⋯⋯その程度でござったな」
減っている?増えてるんじゃなくて??エータは嫌な予感がした。
「シロウさん、もし東の山で何かあったらすぐにここを頼ってください」
「ありがとう。あの森人の娘を受け入れたこの村なら、安心して背中を任せられる。その時はぜひ頼りにさせていただきたい。拙者も⋯⋯個人ではあるが、この村の危機には馳せ参じるでござるよ」
エータとシロウは固い握手を交わした。
こうして、初めての交易はお互いに収穫の多いものとなった。