第001話〜存在しない憎悪〜
――西暦2025年。春節。
地球。極東の島国、日本。四国地方。
「納得できません!」
ガタンとイスの倒れる音が会議室に響く。
「なぜ私がクビなんですか!? 今回の件で我が社に損害が出たのは存じております! ですが、アレは部長が無理におし進めた物で、私はやめるよう進言していたのですよ!?」
顔を真っ赤にして訴える男を、イスに座る大柄な男はやれやれと言った様子で見つめている。
大柄な男は手元にある資料に目をうつし、口を開いた。
「あー、企画部の宮下瑛太くん? まぁ、落ち着いて。これじゃ話し合いにならないからさ。とりあえず、ほら、かけてかけて」
「⋯⋯失礼しました」
顔を真っ赤にしている男ことエータは、倒れたイスをひろい、腰をおろした。
「それじゃあ話を続けるね。えっとねぇ。今回、宮下くんが早期退職者に選ばれたのは、先の損害だけが理由じゃないんだよね」
「⋯⋯と、言いますと?」
エータはヒザに手をおき、前かがみに聞く。
「詳細は教えられないんだけど、社内での評価がね。あまり良くないのが原因かなぁ」
「そんな!」
また冷静さを欠こうとしている自分に気付いたエータは、ちいさく咳ばらいをし、口を開いた。
「私は入社してからこの20年間、大きなミスはしていないはずです」
「そうだねぇ。入社直後の休暇以外、大きなマイナス評価は無いね。業務で言えばとても優秀な人材だ。でも、君も気付いてるんじゃない? ほら、社内の人間関係とか、コミュニケーションとかさ」
ヒザに置いた手をグッと握りしめるエータ。
「会社って人が集まって作るモンだからねぇ。20年も居て馴染めないのは、君の人格に問題があるって思われても仕方ないんじゃないかなぁ。どうだろう?」
大柄な男の声は、もはやエータの耳には届いていない。彼の心中はとても穏やかとは言えなかったからだ。
(それだって俺はどうにかしようと⋯⋯)
――――――
20年前。
未開封の段ボールが山積みになっている1LDK。ピカピカの全身鏡の前で身なりを整える青年、宮下瑛太。その顔にはまだ幼さが残っている。
「ネクタイってこれで良いんだっけ⋯⋯。今日から俺も社会人か、実感わかねぇなぁ」
几帳面な彼は、30分前に会社に着くよう準備をすすめている。締めすぎたネクタイに違和感を感じながらも足早に家を飛びだし、朝の日差しを受けながら駅へと向かう。
おろしたての革靴が痛い。これを履きなれる頃には自分は一人前の社会人になれているだろうか。そんなことを思いながら電車に乗り、たくさんの人と共に次の駅へとゆられている。その時だった。
鳴りひびくケータイの着信。こんな朝早くになんだろう。まだ出社時間まで余裕がある、駅のホームで折り返しの電話をするか。そう思い、電車から降りてかけ直す。
――プルルルル、ガチャッ
耳に入る気まずそうな男性の声。
「宮下瑛太さんのケータイですか? わたくし、〇〇警察の者ですが⋯⋯」
それは、あまりにも唐突だった。
「父さんと母さんが⋯⋯死んだ?」
一人息子が無事に社会人となり、子育てを終えた両親が『自分たちの御褒美に』と出かけた旅行中のこと。
居眠り運転をしていたトラックとの正面衝突。
即死だったと言う。
現実味が無い。訳がわからないまま、すぐ会社に電話をし葬儀の手続きをするエータ。
やり方やマナーなど知らない。聞ける人も頼れる人も居ない。
連日の徹夜。つもる心労。
かなしむ余裕もない。⋯⋯涙も出ない。
そんな彼が日常を取りもどし、やっと出社できるようになった頃には、彼の居場所など会社のどこにも存在しなかった。
そのまま『入社早々に休んだヤツ』というイメージだけが先行し、会社から不当な扱いを受け、歩みよろうとしても受けつけて貰えない日々。
心の傷も癒えぬうちに、
「根性が足りないんだ!」
と、辛く当たってきた苦手な先輩は、20年の年月を経て部長までのし上がり。
風のうわさで、その部長が「宮下は俺のことを恨んでるはずだから使いづらい、信用できない」と言っていると耳に入った。
恨んでなどいない。
しかし、部長は一度エータに辛く当たってしまった以上『自分は恨まれているはずだ』という疑念が産まれ、それを晴らすことが出来ないのだろう。
自分の知らないところで、抱いても居ない憎悪に恐怖され、勝手に距離を置かれているエータ。
元々存在しないだけに、そのしこりを取りのぞく術など彼は持ち合わせていなかった。
(どうすれば良かったんだ⋯⋯)
飲みに誘おうがミスをサポートしようが、俺と向き合うのを逃げてきたクセに⋯⋯。
最後はすべての責任をなすりつけてゴミのように捨てたのか、部長。
そして、20年間尽くしてきた会社も。
これが人間、これが俺の人生⋯⋯か。
――――――
気付けばエータは、退職届をさらさらと書き上げ、
「20年間、お世話になりました」
と、頭を下げていた。
言われるがままに『自主退社』という"てい"にして。
(もう疲れた)
会社を後にし、何度も何度も通いつづけた駅のホームをふらふらと歩く。夜のとばりを払うように電灯がチカチカと光っている。
ぐらぐらとゆれる視界。
(いっそこのまま⋯⋯)
闇夜からせまり来る電車を感じながら、エータはその人生の幕をおろしてしまおうかと考えていた。
その時だった。
――あなたの魂。わたしにください
(えっ?)
鈴の音のような音と共に、女の子の声が聞こえた気がした。
――善良な魂がそちらの世界から離れようとしているのを感じます。もし、あなたが良ければ、どうか、どうかお願いです。わたしの⋯⋯
とうとう幻聴が聞こえるようになったか。いよいよ終わりだな。エータはフッと笑った。
(良いですよ。こんな俺を必要としてくれるなら⋯⋯)
そう思うやいなや、導かれるように線路へと落ちるエータ。
「お、おい!!」
「飛び込みだ!!」
「キャーーー!!」
電車のライトに照らされ、周りに居た人たちは『宮下瑛太の身体が輝いていること』に気付かなかった。
そして彼は電車にひかれる寸前、やさしい光と共にこの世界から『消失』した。