第016話〜陸神獣〜
――メキメキメキィ!!――
山の木々をなぎ倒し、巨大な牛が姿を現した。
体高は4メートルほどだろうか。前脚は破裂寸前の溶鉱炉のようにまっかに隆起し、蒸気が出ている。後脚が牛なのに対し、前脚は五本指。拳をたてて四足歩行であるいている。例えるならば、限りなくケモノに近いミノタウロスのようだ。しかし、プレッシャーは比べるまでもない。
身体全体は、マグマが入っているかのようにドクンドクンと赤黒く脈打っており、頭にあるモヒカンのような毛までそれが流れているようだった。
そして、なんと言っても巨大な牙と角。その牙は人を10人は貫くことも容易といった姿で、太く、するどく、禍々しい口から生えている。角の色はドス黒く、月の光さえ飲み込んでしまう錯覚を覚えるほどだった。
リヴァイアサンと比べると随分とちいさい。しかし、感じるプレッシャーはやつに引けを取らない。エータの全身が感じている。コイツも『神の次に強き者』だと。
ベヒモスは首を左右に振り、ブルルッとうめき声をあげる。まるで闘牛のように前脚で地面をザッザッと漕いでおり「いつでも殺してやるぞ」と、人間に誇示しているようだ。
「牛鬼かと思ったらなんじゃコイツは! こんなヤツは見たことが無いぞ!!」
「この山にこんなモンスター居ないはず⋯⋯! エータ、コイツを知ってんのか!?」
ビートは木から木へ飛びうつりながらエータに呼びかける。
「わ、わからない!! だけど、コイツからはリヴァイアサンと同じものを感じる!! とにかく人間が勝てるようなヤツじゃない!!」
「この牛! 大地の魔素と繋がってる!」
イーリンがさけぶ。
「大地のマナじゃと!? いったいどういう⋯⋯」
「大地そのものと戦うような物! 攻撃してもたぶんムダ!」
マナうんぬんはわからないが、攻撃してもムダという点に関しては全員がなんとなく感じていた。コイツは普通じゃない『なにか』を持っている。
(いやぁ〜ラッキーだぜぇ)
ベヒモスの口角がにやりと上がる。
(ウミヘビ野郎とクソ女神の気配がしたからよ〜。俺様の器になりそうな身体を見つけて顕現したらビンゴもビンゴ、大当たりよぉ!)
ベヒモスは不快な笑みを浮かべ、ブフブフとなにかを言っている。
「き、気味が悪いですわ⋯⋯」
ドロシーは震える腕をおさえ、吐き捨てるように言った。
(ククク⋯⋯。コイツの魂を連れていったらプタラム様に褒められっかなぁ〜。クソ女神の使徒さんよぉ、俺様とプタラム様のために死んで貰うぜぇ!!)
ベヒモスがゆっくりと動きはじめる。
(まずい!! アレが来る!!!)
エータは直感的にそう思った。
「みんな! ヤツは俺を狙ってる! 俺から離れろ!!」
なぜわかったのか。それはベヒモスの『目』であった。草食獣独特の感情がよめない瞳、その瞳がエータを獲物としてとらえている。ねっとりといやな視線を感じる。
エータは走りだした。
リヴァイアサンから無様に逃げだしたあの時のように。
「なんじゃ!? どうした!?」
「どこ行くんだエータ!!」
遠くなるビートたちの声に耳をかすことなく、エータは村と反対方向へ走る。
(この角度はダメだ、村に流れ弾がいく! 逃げるならもっと山の上!! 頼む!! 犠牲は俺だけであってくれ!!)
エータの村人たちとの交流はまだ浅い。しかし、現世で理不尽な大人たちに良いように使われた人生を歩んだ彼は、村人たちの確かな優しさに触れ、
(自分の命など盾にしてしまって構わない)
そう思うようになっていた。それは、彼自身が自分の命をあまり高く評価していない事も関係しているのだが、本人は無自覚である。
逃げるエータを見ながら、ベヒモスはゆっくりと二足歩行に転じる。立ち上がった時の全長は10メートルといったところだろうか。突然、木の上から顔をだした巨大生物に、バサバサと鳥たちが逃げまどっている。
――ブォォォォォ!!――
耳をつんざくような咆哮の後、ベヒモスは後脚をドズンッ!ドズンッ!と、大地が震えるほどに踏みしだき、地面の中に埋めた。
そして、上体をグググッとひねり、右の拳に力を込めはじめる。
ドグンッ!と、大きな鼓動のようなものがベヒモスの心臓から聞こえたかと思いきや、それは音圧でソニックブームを起こし、ドロシーたちの身体を人形のように軽々と吹きとばした。
ベヒモスの身体はゆっくりと赤みを増し、エンジンのアイドリングのような音を鳴らしながら大気を振動させている。
――またも絶望のはじまりである。
木々が、山々が、悲鳴をあげるようにざわついている。森に生きる生物たちはパニックを起こし、出来るだけベヒモスから離れようと駆けずり回っている。生きたい、生きたいと叫びながら。
「ドロシー!!!」
イーリンがドロシーに抱きついた。
ドロシーは先ほどのソニックブームに吹き飛ばされたまま、動けないでいた。ダメージがあった訳ではない。恐怖で動けないのだ。
ドロシーはイーリンを守るようにギュッと自身の胸に抱きしめる。しかし、視線はベヒモスに釘付けとなっている。
その身体は、オオカミから子供を守る草食動物のようにガタガタと震えていた。
「親父! 二人を連れて逃げろ! なんかやべぇのが来る!!」
するすると木の上から降り、ヒザをつきほうけているダストンの肩を揺らすビート。
「親父! どうしたんだよ! しっかりしろよ!!」
「無理じゃ⋯⋯こやつからは逃げられん⋯⋯」
「はぁ!?」
それは、ダストンが歴戦の猛者ゆえの言葉だった。
ダストンは強者としての自信があった。
いままで、どんな強力なモンスターも部下たちと共に見事に討ち取ってきた。国に仕え、武勲をあげ、王国最強の名声を得たこともある彼は、いつも死地に率先しておもむいてきた。
「トップが最前線に立たないでください!」と小言を言われても、それを無視して仲間に背中を見せ続けていたのである。
「自分が先陣を切ることで一人でも多くの仲間を救える」と、彼は知っていたからだ。
誰よりも人を愛し、誰よりも人を守ってきた。
そんな彼だからこそわかる。たくさんの強力な敵と対峙してきたからわかってしまう。
コイツはモンスターなどではない。
『死』そのものだと⋯⋯。
そうこうしている内に、ベヒモスの『攻撃』は着実に準備を進めていく。右腕は血のような赤い光を放ち、その熱で木が燃えはじめている。いや、もはや木が『溶けはじめている』。
エータは走った。
すこしでも生きる可能性を上げるために。
あの優しい村人たちが死なないように。
背筋が凍るような悪寒を覚え、後ろを振り返ると、煌々と輝く光が見えた。
「うわぁぁぁぁ!!!」
リヴァイアサンの青白い光を見たときの恐怖が蘇る。
(ダメだ!! 生き残る?? バカをいえ!! あんなもの⋯⋯あんなものどうにか出来る訳がない!! 死ぬ、死ぬんだ、みんな! 跡形もなく死ぬ!!)
バスティ様の暖かい気配も感じない。
きっと、リヴァイアサンからエータを守るときにすべての力を使い果たしたのだろう。
エータは生き残る可能性がゼロである事を悟りながら、それでも走った。
そんな彼の思いなど知るよしもなく、激しい光に包まれたベヒモスは最後の仕上げとばかりに咆哮をあげる。そして、全身全霊で拳をふった。
――陸神獣の拳撃――