第010話〜はじめての魔法〜
ボロボロの屋敷の奥の部屋に連れていかれ、ベッドに降ろされるエータ。やだ⋯⋯お姫様ってこんな感じなのねと、現世で経験することの無かった乙女の心境を知る。
さて、彼が寝かされたのは、植物の繊維を編んだシーツに枯れ草を詰めただけの簡素なふくろ。そして、ギシギシと激しく音がなる粗悪なベッドだった。チクチクとした不快感を背中に感じる。トゥルーなスリーパーが恋しい。
と、そこに赤髪の少年ビートが息を切らしてやってきた。
「早ぇよ親父! 身体強化状態で走んな!!」
「鍛え方が足りんのじゃビート、お前にはもっと筋肉が必要じゃ! ほれこのように!!」
ボディビルダーよろしくなマッチョポーズをするダストン。鎧の奥にあるでろう隆々とした筋肉がギュチィッと音を立てている。
ビートは、はぁぁと深くため息をつき、
「親父のそれは今はもう筋肉じゃなくてアーツの力だろ。それに、怪我人にあのスピードは身体に響くって言ってんの。ったく、加減しろよバカ!」
と、呆れたように返した。
ダストンは鼻の下にあるヨーロッパ貴族のようなクルンっと巻いたヒゲを触りながら、ふむ、一理ある。と、つぶやく。だが、表情はどこ吹く風といった感じだ。
ほどなくして、ブライが白いフードを被った金髪ボブの女の子と、白衣をまとったお団子頭のおばあさんを連れて帰ってきた。
少女の金髪は、光にあたると少し赤みがかったような艶やかな光沢を放っている。美少女、というより、牧歌的で優しい雰囲気のある母性あふれる女の子だ。エータは、
(クラスで密かにモテるタイプと見た!)
と、くだらない事を考えていた。
おばあさんは大きく腰を曲げ、手足がすこし震えている。だが、その眼光はするどく、身なりも彼女の凛とした顔立ちにふさわしいパリッとした襟付きの白衣。それはまさに『医者』と呼ぶにふさわしい風貌。
「クルト先生、ディアンヌ、早かったな!」
ダストンが元気に言う。
「ちょうど村の結界を張り終えたところでブライさんにお会いしたんです」
ディアンヌが細い目をさらに細くしながらウフフと笑顔で応える。その上品な仕草に、エータはドキドキと胸を高鳴らせていた。
「ブライからだいたいの事情は聞いてるよ。よそ様が来るなんてこの村ができて15年、初めての事さね。どれ、早速診てやろう」
「お願いします、クルト先生。」
ブライは敬意を込め、ふかく頭を下げる。
クルトと呼ばれたお団子頭のおばあさんはエータの胸に手をかざす。
「診断」
うおぉぉ!魔法!魔法だぁ!!と、エータは密かにテンションが上がっていた。物理法則を無視した謎の発光現象。それはまさに『魔法』としか言いようが無かった。
クルトは手を静かに光らせながら、ふむふむと頷いている。その間、ビートはブライやダストンにいきさつを説明しているようだった。
「はい、終わったよ。ビート、下級ポーションを使ったね? 良い判断だ。傷口は明日にでも完治するはずさね。まぁ、激しい運動をしたら開いちまうかも知れないが」
(あのヘドロみたいな物体、ポーションだったんだ。めちゃくちゃ痛かったんだけど⋯⋯)
思うところのあるエータだったが、最適な判断だったようなので「改めて礼をいうよ、ありがとう」と、ビート伝える。へへっ、と照れくさそうに鼻をこするビート。
「治癒魔法を使うまでもないね。ディアンヌ、魔力は不測の事態に備えて温存しておきな」
ディアンヌは「わかりました」と、顔を緩ませ、おっとり返事をする。
ダストンは「良かったな!ぶわっはっはっ!」と、屋敷が揺れんばかりの大声で笑った。
その笑い声を後目に、クルトはうーんと難しい顔をしている。
「ただ、問題は血さね。ちょっと流しすぎだね。しっかり食べて安静にしてたら良くなるんだけど⋯⋯」
村人たちの顔が一気に暗くなる。それは、明らかにこの村が食糧難であることを告げていた。
沈黙に耐えきれないと言った様子でビートが口を開く。
「俺、もっかい山に行ってくるよ」
「ダメだ」
すかさずブライが止めに入る。食い気味なその言葉は『ビートがそう言い出すだろう。』と、予測していたとしか考えられない速さであった。
「今朝も言っただろう? あの異常気象と轟音⋯⋯リヴァイアサンに違いない。危険すぎる」
(そう、あれはリヴァイアサンの攻撃。俺はそれでここまでぶっ飛ばされたんだよな⋯⋯)
エータは(ここで割って入ったら話がややこしくなりそうだ)と思い、静かにことの成り行きを見守った。
「そうじゃバカ息子。あれほど山に入るなと言ったのにワシの目を盗んで行きおって!」
ビートは固く拳をにぎりしめ、今にも泣き出しそうな顔で「でもよ!」と食ってかかる。
ディアンヌは「お、落ち着いてください!」と、おろおろと双方の仲裁に入るが、控えめなそれは事態の収集には繋がって居なかった。
見かねたクルトがまぁまぁまぁと割って入っていく。
「ビート。あんたが村のみんなを助けたいのはよぉくわかってる。でもね、ブライとダストンの気持ちも汲んでやんな。もし、万が一にもリヴァイアサンを刺激するようなことがあれば、村にどんな被害が出るかわからないんだ。村全体のことを考えるとブライはあんたを行かせることはできないのさ」
ビートはブライの方に目を向ける。
ブライは腕を組み、静かにうなずいている。
ブライの懸念はもっともである。相手は天候を変えられる。ビームが届かなくても、リヴァイアサンが本気になれば『生活をおびやかす事』くらいは出来るかも知れない。刺激しないのが懸命だ。
「そしてね、海辺のモンスターがリヴァイアサンから逃げて、村の近くまで来てる可能性があるさね。山と共に育ち、探知のアーツがあるあんたでも、今はなにが起こるか予測できん。そんな危険な場所にあんたを行かせる訳には行かない。そうだろ、ダストン」
「そういうことじゃ」
ダストンがビートに歩み寄り、肩を叩く。
「鬼どもの動きも活発になるじゃろうて。大人しゅうするんじゃ。後のことはワシらがなんとかする」
「なんとかするたって⋯⋯」
と、ちいさくこぼしたビートだったが、最終的に「わかった」と渋々返事をした。
「よし、そうと決まれば緊急会議じゃ! 行くぞ、ブライ!」
「わかったよ」
ブライは紳士よろしくな慣れた仕草で部屋のドアを開ける。なんとも品のあるさりげない仕草である。
「私たちもお暇しようかね。行くよ、ディアンヌ」
「あっ、はい! お母さま!」
そう言って、クルトとディアンヌが出ていく。
その後をダストンも続こうとしたとき、ブライが何やらそっと彼に耳打ちをした。ダストンはポリポリと頭をかきながらビートの方を振り返る。
「あー、なんじゃ。ビート。黙って山に入ったことなんじゃがなぁ」
突然声をかけられたビートは「なんだよ」と、ダストンの方に視線を送る。
「よく怪我人を助けた。山に入ったことは褒められたことではないんじゃが⋯⋯。結果的にお前は一人の命を救っとる。偉いぞ、ビート」
思いがけない言葉にキョトンとするビート。
「し、しかし!! しばらくは本当に山に行くのは禁止じゃ!! 次やったらもう狩りは禁止じゃからの!」
そう言ってダストンはドスドスと部屋を出ていった。
お、おじいちゃんのツンデレ!?と、エータは新たな知見を得る。需要はあるのだろうか。
やれやれ、と言った顔でブライはダストンたちの背中を見送る。そして、エータの方を向いた。
「騒がしくしてすまないね。君、名前は?」
「あっ、そういえば聞いてなかったかも!」
ビートは、頭の後ろに両手を組みながら言う。
「申し遅れました。俺は宮下瑛太と言います」
ベッドに横になり、多少回復してきたエータは答えた。
「ミヤシタエータ? 変な名前だな。よろしくな、ミヤシタエータ!」
(失礼な! 全国のミヤシタエータさんに謝れ!!)
そう思ったエータだったが、腐っても彼は42歳。ふた周りは違うであろうガキンチョに''マジ''になることは無いのだ。⋯⋯まぁ、いまのエータも15歳くらいなのだが。
「ミヤシタが名字でエータが名前なんだよ。だからエータって呼んで欲しいな」
冷静に、紳士に、大人っぽ〜く返すエータ。
と、その瞬間である。
「名字だって!? 君、家名があるのか!?」
突然、大きな声を出すブライ。
(あっ、そういえば名字って俺の居た世界でも貴族にしか無い時代があったんだっけ!? この世界では今がまさにそうなのか!? ヤバい! うかつだった!!)
「見たことがない生地の服を着てるし、リヴァイアサンが暴れた方向から来たみたいだし⋯⋯。やっぱり何かワケありなのか⋯⋯」
ブライはブツブツと呟いている。
「すまない。エータくん、体調が大丈夫であればまた後で話をさせてもらえないかな?」
「は、はい。大丈夫です」
「ありがとう、それじゃ私は会議に行ってくるよ。ゆっくり休んでね。ビートくんも今日はおかえり」
そう言って二人を残し、ブライは足早に部屋を出ていった。