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やさしい声がした日

作者: みゆ

作者自身が書いてても読んでいてもわかやすいように、名前呼び固定、爵位記載なしにしております。


貴族の令息令嬢たちが通う学び舎──その門をくぐれば、朝の陽光が石畳にやさしく注ぐ。

その道を歩くたび、金糸で縁取られた制服の裾が風に揺れ、香水のほのかな香りが花のように漂う。

すれ違いざまに香るそれは、まるで優雅な空気の渦のようだった。

けれど、その香りの渦の中で、セレナ・フィルモアは今日も静かに、親友と肩を並べて歩いていた。


─隣にいるのは、リディア・ヴァルモンド。

白磁のように滑らかな肌に、繊細な筆で描いたような眉と長い睫毛。

瞳は朝の湖面のように静かに輝き、花弁のように色づいた唇と、すっと通った鼻筋。

微笑めば、薔薇の花がほころぶような美しさを纏っていた。

絹のように艶やかな金髪は陽光を受けて煌めき、ただそこにいるだけで人々を引き寄せる魔法のような存在だった。


対して、セレナは髪も瞳も秋の木漏れ日のような栗色をしている。

穏やかで温かな色だけれど、どこか影を宿すように揺らめいていて、陽の光を受けても静かに沈む湖面のようだった。

伸びた髪も飾り気のないリボンで軽くまとめている。

華やかさや目を引く美しさとは無縁で、自分でも“平凡”という言葉が似合うと理解していた。



─リディアとは、幼い頃から家同士の親交があり、共に過ごす時間も長かった。

間違いなく、大切な親友である。

けれど、二人で歩けば、声をかけられるのはいつもリディアだけ──

それはまるで、“リディアと、その隣の子”と曖昧に括られるような関係だった。


「おはようございます、リディア嬢!」

「今日もお綺麗ですね、リディア嬢!」


朝の挨拶はいつも彼女一人に向けられ、セレナの耳元をそっと通り過ぎてゆく。

笑顔で返すリディアの隣で、自分も笑うべきかと一瞬迷うが、その表情を作る間もなく、相手はリディアの返事に満足して去っていく。


──それでも、いい。

それが当然だと、何度も何度も言い聞かせてきた。

けれど、冷たい水滴が少しずつ染み込むように、心の奥が静かに冷えていくのを止めることはできなかった。


─そんなある日。

リディアたちのもとに、ひとりの生徒が現れた。

背がすらりと高く、立ち居振る舞いにも品がある。

彫りの深い顔立ちは決して派手ではないけれど整っていて、漆黒の髪は風に揺れるたび柔らかく流れ、その奥から琥珀色の瞳がのぞく。

彼─ユリウス・エヴェレットは、どうやら友人に連れられてきたようだった。


彼は、友人に合わせてリディアに穏やかに挨拶をした。

そのあと、ふとセレナのほうへと視線を移す。


「ごきげんよう、セレナ嬢」


──名前を呼ばれた。

誰にも気づかれずにいたわたしに、ちゃんと。


胸がふわりと熱くなった。彼の声は春の風のように柔らかくて、それだけで涙がにじみそうだった。

ほんの一瞬のやりとり。

けれどそれは、これまでの日常の中にはなかった温もりだった。


その後も、ユリウスは会えば必ずセレナにも挨拶をしてくれた

彼と言葉を交わすたび、冷えきった心がほんの少しずつ解けていくのがわかった。


──「それは……グレンベルの詩集だね」

「……はい。ご存じなのですか?」

「父の書斎で、昔よく読みました。少し難解ですが、情緒が深くて……僕は好きです」


微笑んだユリウスに、セレナの頬がふわりと紅く染まる。

誰かと本の話をするのも初めてだったし、自分の選んだ本に興味を持ってくれる人などいなかったから。


それ以来、庭園のベンチで偶然出会っては、本の話や学園の何気ないことを交わすようになった。

ユリウスがおすすめの詩集を紹介してくれたり、セレナが見つけたお気に入りの読書スポットを教えたり。

─その時間は、外の喧騒から切り離されたように穏やかだった。


気づけばセレナは、ユリウスの姿を自然と目で追うようになっていた。

話しかけられた日には胸が高鳴り、声を聞くだけで嬉しくなる。


──これは、“恋”なのだと、ようやく自覚した頃のこと。


それは、ある午後だった。


中庭のアーチの向こうに、陽だまりのベンチに並ぶリディアとユリウスの姿が見えた。

リディアが楽しげに話し、ユリウスが柔らかく微笑んでいる。


──ああ、やっぱり。


あんな素敵な人が、自分を選ぶはずがない。

彼がリディアに惹かれるのは、何も不思議ではなかった。

ずっと昔から、世界はそういうふうにできていたのだから。


親しげなふたりを見ていると、胸の奥に冷たい何かが流れ込み、それ以上近づくことができなかった。


─それから。

ユリウスの挨拶を避けるようになった。

視線を合わせず、小さく会釈を返すだけ。

話しかけられても目をそらし、素早くその場を去った。




─そんな日々が続いたある夕暮れ。図書室の奥の隅。

本棚の影に座るセレナに、静かな声が届いた。


「セレナ嬢」


顔を上げると、ユリウスが立っていた。

戸惑いと、少しの寂しさを湛えた瞳で。


セレナが慌てて席を立とうとしたその瞬間──「待って」とユリウスがセレナを止めた。


「……僕は君に何かしてしまっただろうか」


その言葉に、セレナはうつむき、小さく首を振った。


「……いえ。

わたしが勝手に……リディアとユリウス様がふたりきりでいるところを見て、てっきりおふたりが想い合っているのだと思って……。

それで、勝手に落ち込んで、避けてしまって……ごめんなさい」


震えそうになる唇を必死で押さえる。

恥ずかしさも、情けなさも、混ぜこぜになってうまく話せない。

セレナはなんとか言葉をつなぎながら、懸命に胸の内を伝えた。


ユリウスは、言葉を急かすことなく、ただ静かに耳を傾けていた。


やがて、ユリウスはセレナにそっと一歩近づいて言った。


「……誤解をさせてしまったのなら、すまない。

あの日、リディア嬢とは君の話をしていたんだ。

──君のことが気になって仕方ない、そう言ったら、彼女に笑われてね。

『やっぱり』って」


その言葉にセレナの目の奥が熱くなった。

涙がこぼれそうになるのをぐっと堪えて、セレナはユリウスを見つめた


「……ほんとうに?」

「ほんとうに。

君が僕を避けるようになって、寂しかった」


「……ごめんなさい」

「いいんだ。


──セレナ嬢も僕と同じ気持ちだって知れたから」


ユリウスの優しい微笑みに、セレナの頬がゆっくりと染まっていった。




──翌朝。


変わらずリディアのもとに挨拶が飛び交う中で、セレナは小さく笑ってユリウスを探した。

視線が合った瞬間、彼は誰よりも優しく微笑んでくれた。


その微笑みに背中を押されて、セレナの背筋がほんの少し伸びる。


───「おはよう、ユリウス様」


──わたしも、ここにいていい。

そう思えた朝だった。




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