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糸 其の五

家康公の命日の

日光東照宮


法要のために

煌びやかに飾られたお宮


金色に輝き

五色に彩られ

大勢の僧侶達の

朗々たる読経の中


綱豊は

黒い束帯に身を包み

厳かに法要に臨む。


若く美しい

青年大名の束帯姿は

居並ぶ者達の感嘆を誘った。


流石

東照大権現さまの子孫よ、と。


そんな周囲の気持ちなど

我関せずの

綱豊は心の中で

東照大権現 家康公に

親代わりの愛情を注いでくれる

伯父の将軍 家綱の

健康と御代の繁栄を祈る。


そして

綱豊と照姫の

幸福な結婚の

報告をした。


滞りなく大役を終えた

綱豊は

控え室に戻り

着替えると

照姫のくれた

錦の小袋から

小さな紙包みを一つ

取り出した。


庭好きの照姫を想い

初夏の瑞瑞しい緑萌える

庭を眺めながら柱に(もた)

端正な長い指で

ゆっくりと包みを開き

有平糖(キャンディ)を口に含む。


甘さが

じんわりと口の中に広がり

張り詰めていた緊張と

疲れた体を癒す。


綱豊は

ふ、と笑う。


有平糖を持たせてくれた

最愛の妻

照姫の思いやりが

嬉しく

恋しい。


庭を眺める綱豊の

瞳は遠くを見る。


 照、

 無事、お勤めを終えたぞ

 待っていてくれ


綱豊は

照姫に心で語りかけた。



江戸城近く

甲府徳川家の櫻田御殿


照姫は

綱豊の誕生祝いの

着物を縫うため

順性院の部屋に

今日も通う。


背の高い綱豊の着物は

丈も長く

黄八丈の生地は硬い。


照姫は

柔らかな色味の

艶のある黄八丈の生地を

膝の上に広げ

同色の糸を

揺らめかせながら

針を進める。


横に座る順性院は

毎日の針仕事で

赤く染まり腫れている

照姫の細く白い指先を

見守る。


二人は

時に

微笑み合いながら

おしゃべり。


「御廉中さま

 殿がお留守で

 お寂しくはありませんか?」


「順性院さまに

 こうして教えていただけるので

 楽しゅうございます。

 殿の御出張が

 もう少し長くても大丈夫ですわ」


順性院の

優しい問いかけに

照姫は

花片が零れるが如く可憐に

はんなりと正直に応えた。


順性院は

夫の留守も余裕で楽しむ

照姫の

のほほんとした逞しさに

和む。


綱豊が聞いたら

衝撃(ショック)で寝込むだろうと

孫を不憫に思いながら。


そして

黄八丈の着物を縫う

照姫が飽きないように

話を続けた。


「ほほ、御廉中さまったら。


 御廉中さまお手縫いとあらば

 殿だけではなく

 上様もお喜びでしょう。


 上様は縞八丈の反物を

 御下賜なさるのですよ。


 それと言うのも

 上様の仕置き始め(政治)が

 八丈島に(まつ)わるからですの。


 上様は

 幼い頃に亡くなられた

 御父上の家光さまとの

 記念の土地の名産品に

 思い入れがおありなのでしょうね。

 

 上様がお小さい頃

 御父上の家光さまに

『島の罪人達は何を食べているの?』と

 お聞きになり

 周囲にいた家臣達は誰も答えられず。 


 上様は

 将軍家光さまに訴えたのです。


『生きることを許したのに

 食べ物を与えないのは

 意味がない』、と。


 家光さまは

 上様の賢さに大層お喜びで

 島流しの罪人に

 食べ物を与えることを

 上様の

 仕置き始めとされました」


二代に渡る将軍の(エピソード)

それは

歴史そのもの。


照姫の父

左大臣 近衛基煕は

有職故実(ゆうそくこじつ)専門家(エキスパート)


後に

将軍家宣となった綱豊に

江戸に招聘され

お礼に千両を贈られている。


いわば歴史は

照姫の実家の家業


照姫は昔話が

大好物なのである。


 もっと

 順性院さまのお話が聞きたい

 殿の出張が

 長いといいのに


照姫は

わくわくと飛び跳ねる心を隠し

黒曜石の潤む瞳で

順性院の美しい顔を見上げ

さり気なく

続きをねだる。


「上様は

 賢くもお優しい方ですのね。

 殿とわたくしの婚儀にも

 上様は

 とても手厚い御差配を

 くださいました」


愛らしい瞳で潤潤(うるうる)

子鹿のように

ねだられては堪らない。


綱豊でなくとも

一撃で心を撃ち抜かれてしまう。


 まぁぁ、可愛いわぁ


順性院は

照姫の愛らしさに(とろ)

昔話(れきし)に食い付く照姫の気持ちを

しかと受け止めた。


そしてそれは

順性院の大姑魂をも

燃え上がらせた。


 御廉中さま

 それでは

 行きますわよ?

 御覚悟は宜しくて?


順性院は

照姫の黒曜石の潤む瞳を

見つめ、話を続ける。


「家光さまが

 御隠れになったのは

 上様がまだ十歳の時でした。

 

 それ以来

 子供の頃から

 将軍として

 家長として

 ご姉弟の面倒を

 見てこられたのです。

 

 上様は

 それはそれは

 家族思いの将軍ですのよ。


 わたくしの息子

 上様の弟の綱重さまが

 ご病気の折

 わたくしを

 わざわざ大奥に呼び出し

 しっかり看病せよと

 御命令なさるほど。


 綱重さま御隠れのあとは

 殿の父親代わりになられて。

 

 ですから

 御廉中さまに

 上様肝煎りの

 黄八丈のお着物を

 殿に

 縫って差し上げて欲しかったのです」


うっとりする照姫。


 (ちび)将軍の家綱さまは

 どんなに可愛い将軍さま

 だったのかしら

 

 生まれながらの将軍は

 賢くもお情け深いのね


そして

将軍の目に止まり

側室となった順性院の

器の大きさにも

うっとり。


「順性院さまのご配慮

 なんてお礼申し上げたら」


照姫は

将軍家家族の順性院の

思慮深さに

感動と尊敬の念を抱き

それは

照姫の黒曜石の瞳を

一層潤ませ

順性院の心を掴んだ。


照姫の

手に持つ黄八丈の歴史(エピソード)


将軍 家綱の

情熱的な家族愛。


綱豊の

暑苦しいほどの愛情は

多分、伯父譲りの遺伝。


照姫の深く納得した様子に

頷き微笑む順性院。


仲睦まじい嫁と大姑の

打合(ラリー)いを

見守る侍女達は

うふふ、と

温かく微笑む。


細波(さざなみ)のような笑い声のさんざめく

束の間の

女達だけの日々も

終わりを告げつつある。



翌日

遂に

着物が完成した。


照姫は

着物を胸に

愛らしく美しい

薔薇色の頬を上気させ

達成感に

酔いしれる。


針を持つ指は

赤く腫れて痛かったけど

極上の黄八丈の反物を

殿の(つや)やかな着流しに変身させた

勝利の達成感!


「順性院さま

 できました! 

 順性院さまのお陰です!」


頬を薔薇色にして

子鹿のように弾み

順性院を見上げる

照姫の愛らしさ。


 まぁぁ、可愛いわぁ


「御廉中さま

 よく頑張りましたね」


順性院は(とろ)けながら褒める。


順性院は内心

照姫の細い指で

黄八丈の硬い生地を

縫い上げるのは

難しいかもしれない、と

思っていた。


でも

照姫は最後まで

投げ出さず完成させた。


白く細い指先を

赤く染めてまで。


そう、

順性院は

照姫を試したのだ。


そればかりか

照姫は

大姑に昔話を

強請(ねだ)る強者と判明。


順性院も

良き嫁を得た大姑として

勝利の美酒を浴びた。


これで

綱豊の誕生祝いの

準備も万端。


綱豊の出張最後の夜

照姫は

御廉中御殿の寝室の

豪奢な百花の絵に彩られた格子天井を

うつらうつらと見る。


 こんなに

 手足を伸ばして

 のんびり眠れるのも

 今夜で終わ…り…


照姫は

楽園の如き

自由な夜具の

夢の中へ誘われた。


一方、

江戸に近い岩槻城。


綱豊は

日光参拝の大名としての

大役を終えた安堵と

最愛の妻 照姫の元に帰る

嬉しさに眠れない。


夜具から起き上がると

ふらりと

簀の子縁に出て

夜空に照る月を見上げた。


綱豊は

照姫の香りのする匂い袋を

掌に包むが

八日間も懐に入れていたので

綱豊自身の匂いと交じり

照姫の香りが薄くなっていて

その寂しさが

綱豊の照姫への

恋情を掻き立てる。


綱豊は匂い袋を握りしめ

白く輝く月に

照姫の白い花の(かんばせ)を重ねた。


 なんとか

 照姫がいない

 八日間を耐えたぞ

 明日の夜は

 照姫を腕に抱いて眠れる

 ようやく…


照り輝く月に

早く夜が明けて欲しいと

願う綱豊だった。



翌朝、

綱豊が出立すべく

玄関に向け

廊下を歩いていると

庭の梅の木の枝に

メジロが留まっていた。


綱豊とメジロの

目が合う。


 照姫にもうすぐ着くと

 伝えてくれ

 

メジロは

綱豊の想いを

受け取ったかのように

飛び立った。 

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