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扇 その壱

粉雪が舞う中を

華やかで厳かな長い花嫁行列が

江戸城近くに差し掛かった。


雪が白い花弁(はなびら)のように

花嫁行列を彩る。


この婚礼は、四代将軍家綱が甥のために

直々に声を掛けた。


数百人の甲府藩士達が守り付き従う

甲府徳川家の御簾中(ごれんちゅう)となる花嫁の

京から江戸への冬の中山道の険しい旅も

ようやく終わる。



「姫君様、千代田のお城が見えて参りました。

 甲府宰相様の御殿は

 お城の直ぐ近くにございますれば

 もう(しばら)くの御辛抱ですぞ」


実家の近衛家が付けてくれた

御用人 早川のじいの声が輿の外から聞こえる。


姫君(後の六代将軍 家宣の御台所 近衛熙子)は

白く細い指で輿の窓を少しだけ開け

扇で顔を隠し目だけを覗かせ外を見る。


これが千代田のお城…


壮麗な石垣が何処までも続く。


白い塀の内側からは大きな木々が

雪を(まと)った枝を伸ばし、池のような堀には

鳥が風雅に浮かび波紋を広げ絵の如く美しい。


姫君は目を輝かせて見蕩れていたが

不意に視界が閉ざされた。


じいが窓を閉じたのだ。


「姫君様、寒うございます。

 大事な御婚儀の前に

 お風邪など召されてはなりませぬ」


優雅な花の絵に彩られた輿の中で

十三歳の姫君は

ふぅと微かな溜息を漏らした。


綺麗な景色だったのに。

将軍の住まう名高い千代田のお城を

もっと眺めていたかったのに。


姫君は顔を隠していた

藤と牡丹の描かれた見事な檜扇に

ぼんやりと目を落とし物思いに沈んだ。


夫となる甲府宰相徳川綱豊様とは

どのような御方なのだろう。


年は四つ上の十七歳

将軍である家綱公の甥で

去年、父君を亡くし家督を継いだという。


父君の綱重公と側女(そばめ)との間の子で

家老に里子に出されていたのを

呼び戻されたと聞かされた。


逆臣二人を許した慈悲深い御方とも聞いた。


 噂通り、お優しい御方なら良いけど


まだ少女の姫君には

結婚と言われても実感が沸かない。


ただ実家の五摂家筆頭、近衛の家名と

祖父の後水尾天皇の御威光を傷つけないよう

この江戸で生きていかなくてはとの

漠然とした重責が覆い被さる。



「姫君様、甲府宰相様の御屋敷

 櫻田御殿に到着いたしました」


いつの間にか

千代田のお城を通り過ぎていたらしい。


じいの声に重い空気に囚われていた姫君は

(うつつ)に引き戻される。


将軍の連枝に相応しい堂々たる大名家の玄関で

甲府徳川家家老の藤枝が出迎えた。


葵と近衛牡丹の紋を散りばめた

豪華な輿の御簾が上げられると

五色の糸の長い房が揺れる優美な扇で顔を隠した

姫君が現れる。


姫君は白くしなやかな手を

京から付き従ってきた

凜として美しい上臈の手の上に預け

ゆっくりと玄関に降り立つ。


扇で顔を隠してはいるものの

艶やかな光沢の紅梅の重ねの袿を纏った

華奢で可憐な姿からは

高貴で美しい姫君の気品が溢れている。


「近衛の常子(つねこ)姫君様には

 御無事に御到着なされ

 祝着至極に存じ申し上げまする。

 先ずは、姫君様の御殿にて

 長旅のお疲れを癒やされますよう」


挨拶を終えた藤枝は、美しく気品ある姫君の姿に

これぞ御簾中に相応しいと満足そうに頷き

立ち上がり、姫君の一行を

居室である御殿に案内する。


御殿に向かう長い廊下を静々と歩くその行列を

廊下の隠し格子から覗く三人の影があった。


「扇で顔が見えぬ」


姫君の一行が目の前を通り過ぎると

若い侍が不満を漏らし

中年の侍がやれやれと呆れ、潜めた声で(いさ)める。


「ひと月もしないうちに御婚儀でございます。

 そう()くこともありませぬでしょう」


「妻となる女御(おなご)の顔は

 気になるではないか」


この櫻田御殿の主

甲府宰相の綱豊(後の六代将軍 家宣)は

腕を組んで、つまらなそうに壁にもたれ掛かった。


「殿は若うございますなぁ」


綱豊のじいの田中が

柔らかな笑みを浮かべた。


田中は綱豊(つなとよ)の母方の親戚筋で

綱豊が幼い頃から側について成長を見守ってきた。


綱豊が無事家督を継ぎ正室も迎えることとなり

内心ほっとしているのだ。


「殿もお部屋にお戻りになり

 お召し替えをなされませ」


綱豊は未来の妻を一目見たいがため

月次の登城を終えると

着換えもせず(かみしも)のまま

大急ぎでこの隠し部屋に駆け付けていた。


綱豊は落胆と消化不良を抱え

暗い隠し部屋を後にする。



姫君は若々しい木の香り漂う

暖かな御簾中御殿に通されると

部屋を見渡しながら歩いた。


京風に(しつら)えられ

優美で贅を凝らした部屋。


豪華絢爛な満開の桜が描かれた襖や障子

欄間にも優美な桜の透かし彫り

格子天井には百花の絵に、美しい御簾が垂れ

どれも贅を凝らした設えに目を見張る。

甲府徳川家が心をこめてくれたのだろう。


 京から持参した道具類を飾れば

 少しは寂しさも消えるかしら


姫君は心細さを隠しながら

入り側まで歩くと立ち止まった。


「御庭を見たいわ」


京から付き従ってきた侍女達が驚く。


「早速にございますか?

 外は雪でございます。寒うございますよ」


「いいの。寒くても」


侍女達は顔を見合わせると

御簾を床まで降ろし、障子を開ける。


淡く白い光が差し込み

御簾越しに白い庭が広がった。


庭は思ったより広く、奥行きがあり

向こうに見える松の枝には

綿帽子が可愛らしく載っていて

手前の山茶花や椿の赤い花は雪化粧

春には花見が楽しめそうな

大きな桜や桃の木々がある。


庭を見渡す姫君の顔が輝く。


すると、またしても

目の前で障子が閉じた。


「お風邪を召されてはなりませぬゆえ」


障子の外から

早川のじいの声がした。


姫君は小さな溜息を漏らすと

温かな御殿火鉢が置かれふかふかの(しとね)が敷いてある

上段の間に向かった。

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