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罪人の名は勇者  作者: 五十嵐直人
第ニ章 聖剣への旅路にて、勇者は誓う
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勇者と子どもたち

 朝焼けが照らす町を歩く。ところどころ建物が崩れたり、血の痕が残っていたりしている光景は夜に見たものよりもずっとひどい。青年の心は重くなっていった。


「これは……」


 町の外、魔物との戦いを終えた戦士たちは治療を受けていた。しかし、どう見ても治療が追いついていない。数少ない魔法を使える者たちは辺りを彷徨う魔物を防ぐ結界を張ることに必至であり、治癒の魔法を使える余裕のある者は少なかった。


 仮に、治癒の魔法を使えたとしても、彼らが日ごろ治している怪我とは比にならない大怪我を負った者たちも多い。


 そして、問題がもう一つ。 


「君たちはもしかして、僕らが獣人だからって手を抜いて治療しているのかい!」

「違います!」

「ならばどうして治らないんだ! 僕らはロストル君に君らは助ける価値のある人間だと諭されて協力したというのに、その恩もろくに返せないのか!」


 犬の頭を持った男が人間の少女に罵倒を飛ばしていた。

 男は青筋を立てて怒鳴っているが、脇腹は赤い血で染まり、頭には包帯を巻いている。対する少女は見た目こそ無傷だが、右足首が変な方向に曲がっていた。


 その光景を見た青年はエルリオと繋いでいた手を離すと、両手を広げて何度か握っては開く動作を繰り返した。


「よし」


 一歩踏み出した青年の姿を見たヨルゴスは静かに頷くと、結界を張る手伝いへと向かった。


「勇者さん」

「なんだ?」


 ロストルの声に青年は振り向いた。その顔はいつになく真剣であった。


「獣人の獣型は全く魔法が使えません。故に、魔法が効きにくいんです」

「知っている」

「あと、あまり彼を責めないでやってください」


 そう言ったロストルの顔が雨で濡れた子犬のようだったので、青年はつい頷いてしまった。


「なぁ」


 少女に声をかけてから、青年はどうすれば良いのかわからなくなった。


「勇者……」


 ぽつりと呟かれた言葉。少女は濡れた目で青年のことを見ている。勇者の一挙手一投足を観察しているような目つきだった。

 獣人の男も同じようだった。ふらりと現れた不吉な勇者が何をするのかを見定めている。


 青年は寝そべっている獣人の男の側に座った。赤い血は腹の部分を中心に広がっている。そのことを確認した青年は、男の腹の真上に手をかざした。


 そして、祈る。


「願うは奇跡。奇跡は治癒。治癒を願うは、我が魂。慈悲(リムミン)


 獣人の男は犬歯を食いしばった。神の奇跡が体を治していく感触。自然治癒とは違う、神の力。

 五感の鋭い獣人にとっては、むず痒い筆舌に尽くせない感触だった。


 しかし、それも一瞬のことだった。


「これが、魔法の力……」


 キラキラとした目ですっかり元通りとなった黄金色の毛並みを男は撫でた。


「すごい。これはすごい。勇者様、ありがとうございます」

「……おう」


 獣人の獣型は魔法が効きにくい。そんなことも知らないのかと青年は怒鳴ってやろうと思っていた。しかし、弾んだ声でお礼を言われてしまっては、文句を言うこともできない。


「お前、いくつだ?」

「何がですか?」

「歳だよ」

「えっと……」


 男は肉球の指と思わしきものをわずかに折り曲げて数える。全ての指が曲がって、握り拳を二つ作った彼は少しだけ首を傾げたが、すぐに答えた。


「十です!」

「いいえ。違います。十二です」


 元気の良い返答を即座にロストルが否定した。どちらにせよ、思っていたよりも幼い。地面に横たわっているから正確な大きさはわからないが、おそらく、青年よりも背丈は高いだろう。


「勇者さん……とそこの方。そうです。今しがたこのユノンを治癒しようと尽力されていたそこの貴女です。獣人の獣型は身体能力には長けていますが、知識の定着を苦手としています。全く経験したことのないものを覚えることが苦手なのです」

「つまり、おつむが弱い……?」

「そうではありません。あくまでも知識の定着が苦手なだけです」

「で、お前は何が言いたいんだよ」

 

 ロストルは少女と目線を合わせるように大きな身体をかがめた。少女はひっ、と小さく悲鳴を漏らした。


「貴女には大変申し訳ないことをしました。人手が足りない中、余所者である我々の仲間を治療してくださり、ありがとうございました」

「なー、なんでロストル君は謝ってんの?」


 雰囲気を壊すかのように、犬の少年、ユノンはロストルの頭に顔を乗せた。ロストルはそれを無視する。


「ユノンはまだ成人したてで、あそこまでの重傷を負ったことがなかったんです」

「あれ? 僕、まだ十歳なのに成人したの?」

「おまけに頭の方がかなり弱い。彼は十までしか数字を数えられない」

「ロストル君、僕の頭は硬いよ! ほら、触ってみて。毛皮の奥まで」

「この子は獣人の獣型に魔法が効きにくいということを知らなかったのです。教えたはずなのですが……ともかく、そのことを伝える者がいなかったのはこちらの不手際で……」

「あの、そんなに謝らないでください!」


 体を丸めて段々と小さくなっていくロストル。少女にその穏やかな物腰の中にある気遣いは十分に伝わっていた。


「私、その子に助けられたんです」

「そうなのか? ユノン」

「何が?」


 ユノンは鋭い歯を剥き出しにしてポカンと口を開けた。少女はそれを見てくすりと笑った。


「ユノンくん。ありがとう。勇者様も助けてくださり、ありがとうございます」

「ロストル君、僕、お礼言われたよ。何でかわかんないけど、嬉しいね」

「うん。良かったな」


 和やかな獣人たちと対照的に、不意打ちに礼を言われた青年は激しく狼狽えていた。


「えっ……あ、いや、それより! 足貸せ! 折れてるだろ!」


 少女が答える前に青年は詠唱を終わらせて、足が元通り動いたのを確認すると、立ち上がって叫んだ。


「獣人は俺が治療する! 俺ならできる! 俺は勇者だからな!」


 灰色の髪は艶を失い、目の下には黒い隈がくっきりとできていた。だが、蒼い瞳の奥には強い光が宿っている。

 青年は長袖を肘まで捲った。腕には依然として赤い二本線があるままだった。



「……やらかしたな」


 あれから青年は十人ほどの獣人に手当てをした。その時点で体は今までにないほど重く感じたが、頭は不思議と冴えており、体中を巡る魔力で気分が高揚していた。

 そして、二、三人、治癒の魔法を使える者に魔法をかけたあと、青年は真後ろに倒れた。


 今はフォサイラスの町の奇跡的に無事だった治療院のベッドに寝かしつけられている。

 枕元にはヨルゴスが座っており、青年を慰めるように青年の額に手を当てた。


「そんなに落ち込まなくて良い。ただの魔力欠乏だ」

「触るんじゃねぇよ。つーか、問題はそこじゃねぇんだよな」

「と言うと?」

「……さっきの俺、すごい恥ずかしくなかったか?」

「何の話だ?」

「さっきはさっきだよ。治癒の魔法かけてる時の俺! ぶっ倒れる前の俺! あー! 恥ずかしい!」


 徐々に早口になった青年は両手で顔を覆うと、ベッドの上で跳ねる。硬い木で作られた足が少したわんだ。


「誰なんだよあの自信に満ち溢れた俺は!」

「あの時の勇者さま、かっこよかったよ!」

「そうですよ! だから機嫌を直してください!」


 ベッドの脇にいたのはヨルゴスだけではない。

 体の弱いエルリオと頭の弱いユノンは町の片付けに参加できないので、青年と共に治療院に押し込められていた。


「子どもたちはこう言っているが」

「うーるーせー!」


 シーツに顔を埋めて足をバタバタさせる青年を見たユノンは満面の笑みで言った。


「今ここでバタバタしてる方がみっともないですよ! 勇者様!」

「しっ、ユノン。それは言っちゃだめだよ」

「えーでも、エリルも思った……んっ」

「お口閉め閉め〜」


 エルリオはユノンのマズルをガッチリ掴んだ。身長差のある二人だが、ベッドのそばで屈んでいる時はそう変わらない。

 ユノンは耳をピンと立てると、喉の奥から悲しげな鳴き声を出した。


「仕方ないなぁ」

「ありがとう!」


 やれやれと肩をすくめて手を離したエルリオ。そのエルリオに礼を言うユノン。

 そんな二人に青年はつい突っ込みを入れてしまう。


「お前、本当に十二歳なんだよな。で、そいつが九歳だっけか?」

「オマエとソイツって誰ですか? このおじいちゃんの名前?」

「お前よくそんなにでかくて頑丈に育ったな」

「ねー、ねー、エリル。オマエって誰?」


 そう聞かれたエルリオは普通に答えようとして、何か閃いたかのようにニヤッと笑った。そして、椅子に腰掛けるヨルゴスに何やら耳打ちをした。

 青年の耳には聞こえなかったが、ユノンの金色の耳はぴくりと動いた。


「えーと? 勇者さまにな……んぐっ」


 何かを口走ろうとしたユノンのマズルをエルリオは即座に握った。

 ヨルゴスはエルリオの話をふんふんと頷きながら聞いていた。


「それは確かに、良い考えだな」

「ですよね」


 エルリオの橙色の目は悪戯っ子のように輝いていた。その目が青年の蒼い目と合う。


「おい。ヨルゴス、止めろや。嫌な予感しかしねぇんだけど」

「別に悪いことではないから安心したまえ」

「勇者様!」

「おう……」


 青年の顔にエルリオの鼻息がかかる。そのぐらいエルリオは顔を青年に近づけていた。

 青年は上体を起こして距離を取るが、エルリオはベッドの上に身を乗り出してくる。すでにマズルから手は離しているようで、渋い顔をしたユノンが鼻筋を撫でていた。


「私は九歳のソイツです……が!」

「が?」

「ソイツではありません!」

「……そうだな」

「ソイツ……ではなく?」

「うーん、わからん。ヨルゴス、俺を……」


 期待に満ちた表情だったエルリオの顔がどんどん曇っていくのを見た青年の頭は混乱した。


「助けて!」


 普段なら絶対に出さないような悲鳴。そうなるような力が元気のないエルリオの顔にはあった。

 涙が出ているわけではない。ただがっかりしているだけなのだが、明るい色の瞳から光が失われたり、元気にぴこぴこ動いていた耳が垂れたりしているのは、情に訴えかけてくるものがあった。


「助ける……?」

「てめぇは相変わらずだよなぁ? ヨルゴスさんよぉ! このエルリオの顔見りゃわかるだろうが!」

 

 青年が指をさしたエルリオの顔は落ち込んでいる様子ではなかった。むしろ、ご機嫌です、と言わんばかりに目にいっぱい光を溜め込んでいた。


「エルリオ! そうです! 私はエルリオです!」


 エルリオはベッドの上で膝立ちになると、青年の肩に手を置いてしっぽをブンブンと振った。

 壁に追い詰められた青年は助けを呼ぶようにヨルゴスに目線を送った。


「その子は君に名前を呼んで欲しかったんだよ」

「名前?」

「だって、勇者様、私のこと一度も名前で呼んでくれていたかったじゃないですか。ロスくんとかヨルゴスさんの名前は呼んでいたのに」

「そう……だったか?」


 心当たりは特になかった。意図して呼んでいなかったというわけではないし、呼ぶ必要が無かっただけなのだ。


「勇者様のお名前は何ですか?」

「無い」

「ナイ様ですか?」

「そうじゃない。俺の名前は存在しないんだ」

「どういう……?」


 うまく説明できるかわかんねぇけど、と青年は一呼吸を置いて言った。


「うちの国の人間は産まれた時に神殿に行って、神様に名前をつけてもらうんだよ。正確に言えば、預言者が受けた神託を聞きに行くようなもんだがな。わかるか?」

「わかります」

「当然、俺も赤ん坊のころに行ったんだがな。俺の名前の神託は降りてこなかった。それだけだ」

「そんなことって……」


 気遣わし気な視線が痛かった。自分が可哀想な存在であるのだと、刷り込まれているようで嫌だった。

 しかし、相手は九歳の少女。憐憫が心の底からの善意であるものは疑いようが無かった。


(気にしないようにしていたんだがな)


 旅に出て人と関わってから青年は自分が他者の名前をあまり呼ばない節がある、とは思っていた。母と二人暮らしで互いに名前を呼ぶことがあまり無かった、というのもあるが。

 記憶の底、自分の名前が無いことを嘆く自分の姿を思い出す。てっきり名無しの人生にいつしか自分は慣れたのだと、青年は思い込んでいただけであった。


「……ごめんなさい。不躾なことを聞きましたね」


 エルリオの涙声に青年の意識は現実に戻る。部屋を出ようとする少女の腕を青年は瞬間的に掴んでいた。


「私、ロスくんのところに行きます」

「待て。謝らなくて良い。なぜおま……エルリオが謝らなきゃいけないんだ」


 少女はその手を振り切った。病弱であるが、魔力欠乏で体調を崩している青年の力では止めることができなかった。


「勇者さま。怒ってますか?」

「は?」

「怒ってる匂いがするし、顔もちょっと怖いですよ」

「匂いってなんだよ。あと、顔が怖いのは元々だ」

「ヨルゴスさん、匂うよね」


 眠っていたのか、呆然としていたのか、置物のように静かだったヨルゴスは体をビクリとさせて言った。


「私にはわからないが、きっと、ユノンなら匂いがわかるんじゃないか? 獣人は人よりも遥かに五感が鋭い、と聞いたことがある」

「へー……?」

「私には匂いで彼が怒っているかどうかわからない、ということだ」

「へー」

「しかし、私でも彼の顔がいつもより険しくなったのはわかるよ」

「けわしく?」

「怖くなった、ということだ」


 青年は不満そうに下唇を噛む。


「俺、怒ってねぇし」

「怒っていますよ。だから、エリルはどっかに行っちゃったんですよ」


 そう言われてしまうと、青年はなかなか反論できなかった。


「ねぇ、なんで怒ってるんですか?」


 とぼけたように尋ねるユノンは下手をすれば、青年の怒りを余計煽りかねなかったが、腕を組んで考える青年は気にも留めなかった。


「昔のことを思い出したから……かもしれねぇな」


 続きを促すようにヨルゴスは丸めていた背中を伸ばして、ユノンは耳をピンと立てた。


(そういや俺、誰にもあいつのこと言ってねぇな)


 あいつとは他でもなく前の勇者である父のことだった。今青年が受けている理不尽なことに対する理由の一翼を担う男である。


(ユノンはアホっぽいから大丈夫そうだが、ロストルが怖えし……ヨルゴスはよくわかんねぇな。本当になんなんだよこのジジイ)


 もし話してしまえばどうなるのか。先を想像した青年の背筋に寒気が走った。


「――」

「今、なんと?」


 青年の独り言はヨルゴスの耳には届かなかった。


「だれにですか?」


 ユノンの問いに青年は首を振ると、再び語り出した。


「そんな改まった態度で聞いてもらうほど大した話じゃねぇけどな。俺は名前を貰えなかった。その上、こんな髪と目の色だ。国中の人に不気味がられて、嫌われた。そんだけの話だ。だからエルリオは何にも悪くねぇ」

「わかりました!」

「ユノン?」

「今、勇者さまが言ったこと、僕ちょっとしかわかんなかったから、とりあえず、一言一句、エリルに言ってきます! エリルは賢いからわかってくれますよ!」


 言い終えるか否かのところでユノンは立ち上がると、青年とヨルゴスを置いてエルリオの後を追いかけるように建物から出ていった。


「足、早いな」


 気づけば窓の外を金色の毛並みの犬が走り去っていっていた。


「なぁヨルゴス」

「なんだ」

「エルリオが帰ってきたら俺、なんて言ったら良いんだ?」

「仲直り、をすれば良いんじゃないか」

「仲直り……俺はエルリオと喧嘩をしたのか?」


 青年の知っている喧嘩とは殴り合い、罵り合い、相手をいかに痛めつけるかのデスマッチである。


「さぁ? 私は喧嘩をしたことも仲直りもしたこともないからな」

「じゃあ、お前に聞いても仕方がないな」


獣人は人型と獣型の二種類がいます。人型は人間に獣の耳や尻尾が生えていて、獣型は獣が二本足で歩いて人の言葉を話している、というようなイメージです。

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