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罪人の名は勇者  作者: 五十嵐直人
第ニ章 聖剣への旅路にて、勇者は誓う
5/9

勇者と商人とじじい

 旅を始めて五日目、青年は早いもので環境に慣れ始めていた。


 宿屋の主人の態度から大罪人とは全ての人から避けられるものだと思っていたが、案外そうではなかった。


 特に、路銀や人手の足りない商人は力も後ろ盾もない大罪人を重宝する。遥かに安く雇えるし、いざとなれば身代わりに使えるからだ。


 なんなら、勇者の方が嫌われているような気がする。一度、通りかかった大きな馬車の持ち主に勇者の証文を見せると、泡を食ったように逃げていかれたのである。


 青年は二日前からある商人に雇われていた。その商人はアティナスからノルートの方に向かう途中であり、金が無いのか、草臥れた青年の姿を見るや否や声をかけてきた男である。


 男はパルトゴラスと名乗った。


「おい小僧! こっちまで運べ!」


 髭面の筋骨隆々の男が怒鳴る方へ走っていると、手のひらに乗るほどに小さな兎が大群となり、青年に牙を剥く。


「小僧! 箱に傷をつけたらてめぇにも同じことしてやるからな! なんとしてでも避けろ!」

「できるかぁ!」


 無理もない。牙兎(オプティラゴス)は普通の兎よりも遥かに小さい。小さいが、その凶暴性と数の多さは比べ物にならない。


 両手が塞がっている青年がどうにかできる相手ではないのだ。


「いでぇぇぇぇぇぇぇぇ!」


 青年は服の中に箱を入れて体を丸める。牙兎の大群の中、青年は背中が次々と刺すような痛みに襲われていた。


「チッ! 小僧、どうにかしろ!」


 怒鳴るパルトゴラスはパルトゴラスで、積荷を襲いくる牙兎から守っていた。剣を振り、魔法を放てど攻撃が止むことはない。


(くっそ。あのおっさんが無理してここの道を行かなきゃよかったってのに)


 街道から離れたこの平野は牙兎の群生地であった。無論、パルトゴラスはそのことを承知しており、十分に気を付けていたが、縄張り意識の強い牙兎がやすやすと通してくれるわけがなかった。


「我が手に……痛い!……奇跡を宿……ぐっ……奇跡よ、その力に名を与えん……」


 青年は地に頭をつけながら、息も絶え絶えに魔法を紡ぐ。


「その名は、治癒(エウラペイア)


 淡い光が青年の背中を包んだ。しかし、痛みが引いたのは一瞬で、またすぐに肉が刺される痛みが走る。


(くそ……俺も攻撃魔法を覚えていれば……)


 痛みに負けず、回復の魔法を唱える青年の目尻に涙が溢れた時だった。


「願うは奇跡」


 しゃがれた男の声が聞こえた。青年は牙兎の隙間からその姿を見る。


「奇跡は炎。炎を願うは、我が魂」


 男は黄ばんだ服を纏っていた。髪の毛と髭はぼうぼうに伸びており、その顔を拝むことはできない。


 みずぼらしい姿とは対照的な神聖な力が男の周りに集まるのを青年は見た。力の色は赤。炎の色。


穿て(ベリュス)


 その言葉の後、赤い炎が細い矢となり、青年を襲っていた牙兎一匹一匹を確実に射抜く。


 体の芯を貫かれた牙兎たちは体が燃え尽きる前に天を仰いで叫ぶと、黒い粒子となって霧散していった。


 地面と頬をつけながら、青年はその老人に唾を吐く。

 

「じいさん。どこに行ってやがった」

「その前に何か言うことがあるだろう。あと、私はじいさんじゃない」


 青年は擦りむいた頬に顔を顰めながら、男に礼を言う。


「……ありがとう」

「え!? 聞こえんが?」

「そういうところがジジイなんだよ! ありがとよ!」


 青年が叫ぶと、男は髭を撫でて頷く。髭からはフケがパラパラと落ちた。


(なんなんだこのじいさんは。強いのかボケてんのかわかんねぇ……)


 腰は曲がりくねっており、背は青年の胸の辺りまでしかない。不潔なただの老人にしか見えなかった。


「小僧! ヨルゴス! 早くこっちに来い」


 労いの言葉もなく、パルトゴラスは青年と老人ヨルゴスを呼びつけた。

 ヨルゴスがしっかりとした足取りで歩いていくのを見た青年は舌打ちをしてそれについていった。

 

「けっ、奴隷と変わんねぇじゃねえか」

「何か言ったか? 小僧」


 リヤカーに箱を乗せながら、パルトゴラスは青年をギロリと睨みつける。


「何も言っていない……です」


 青年が慌てて首を振ると、パルトゴラスは唾を地面に吐いて作業に戻った。


(飯を減らされちゃあ、困るからな)


 パルトゴラスの背中に向かって青年が小さく舌を出すと、ヨルゴスが頭を小突く。青年はヨルゴスの足を踏もうとするが、ヨルゴスはさっと動いた。


 青年はギリギリと歯を食いしばる。


 もう一度、ヨルゴスの足を踏もうとすると、今度は勢い余って地面に顔をぶつけた。


 鈍い音が聞こえたパルトゴラスは肩をすくめながら、ひたいに手を当てた。


「小僧、ヨルゴスに怪我をさせるなよ。お前はいざという時の魔物の贄にとってあるが、ヨルゴスは使えるからな。なんなら、次の街までと言わず、ずっとついてきて欲しいぐらいだ」


 鼻の頭に血が滲む青年をヨルゴスが見下ろす。そして、無言で手を差し伸べた。


 青年はその手に唾を吐こうとして、飲み込んだ。


「ありがとよ」

「君も礼が言えたんだな」

「本当に一言多いジジイだな!」


 指を指して青年が文句を言うが、ヨルゴスは我関せず。地平線の奥を見ていた。


「お前ら! 出発すんぞ!」


 パルトゴラスがそう怒鳴ると、青年はリヤカーの荷台に乗り込む。ヨルゴスとパルトゴラスはリヤカーの前についた取っ手を掴んだ。


 ガラガラと引きながら、パルトゴラスは声を張り上げる。


「おい小僧! 起きろ! 魔物が出たらお前が一番に前に出るんだぞ!」

「寝てねぇです!」

「当たり前だ! そんなにデケェ声で言わんでも聞こえとるわ!」


 青年は頭が痛くなった。それはパルトゴラスの声が頭に響いたからだけではない。


(早くこいつと別れてぇ……でも、ちゃんと飯はくれるんだよな)


 青年ははっきり言って、ほとんど使い物にならない。


 荷物のたっぷり乗ったリヤカーを引けるような力は無いし、魔物を一網打尽にできるような魔法の術もない。


 魔物の餌になるぐらいしか取り柄のない男だ。


(優しい……のか?)


 二日前に出会ったパルトゴラスとの記憶は怒鳴られているものしかない。一日二つのパンを渡すときでさえ、こちらに投げて寄越してくる男だ。


(優しいと言えば、ヨルゴスのジジイだ。こいつは一体、何がしたいんだ?)


 本人の弁曰く、大罪人の刺青を入れるほどではないが、大きな罪を犯したので、贖罪の旅に出ているらしい。


(こんなに強いんだから、どっかの傭兵団にでも入れば良いのに)


 ヨルゴスは強かった。老いた身であるはずなのに、青年よりも遥かに強い腕っぷしだった。もしかしたら、パルトゴラスよりも強いかもしれない。


(一番気に入らねぇのは、こいつだけ肉も貰っていることだがな。しかも、それを俺に分けてきやがる)


 青年は空を見上げた。日差しを背に受けた鳥の群れが飛んでいた。


「訳わかんねぇよ……」


 夕方、青年たちは宿場町についていた。


 人の往来も多く、宿屋の種類も多い。青年が今まで通ってきた中で一番大きな町だった。


 町の名前はフォサイラス。


 中央には大きな噴水があり、その周りでは井戸端会議をする主婦、地図を見て首をかしげる旅人など様々な人が集っている。


 アティナスの王都には負けるが、なかなかに活気があった。


「意外か? 国の外が栄えていることが」


 唐突に、パルトゴラスが語りかけてきた。まるで、友人に話しかけるように。


「……まぁ」

「そりゃ、あの門の内側に産まれることができたんなら、そうだろうな。小僧、これで最後だから教えておいてやるよ」


 青年はいつもと違う雰囲気のパルトゴラスが少しだけ気味悪かったが、その話に耳を傾けた。


「今となっちゃあ、国ってのは城のある王都とその周りだけの都市国家だが、昔々はそんなことはなかった。大陸中をいくつかの国々が分割するようにして治めていて、国の中にはたくさんの村や街があった。村と街を結ぶ街道なんかも国の領土の中にあって……どうして、今は都市国家になったかわかるか?」


「魔物に侵攻されたからじゃないですか?」


「それもあながち間違いじゃねぇがな。王都の連中はな、見捨てたんだよ。俺みたいに末端の村や町に住んでいるやつらをな」


 へっ、と吐き捨てるようにパルトゴラスは言う。


「門の内側の奴らは国家の全滅を避けるため、とかもっともらしいことを言っていたが、要は重要度の低い場所を守る兵士の数が足りないから国家として民を守る責任を放棄したんだよ」


「そう、なんですか」


 青年は頷くことしかできなかった。自分の産まれる前の話を聞かされても、よくわからないのだ。


 それよりも、青年はヨルゴスのことが気になった。


 ひどくぼさぼさな髪の毛と髭で表情が見えないのはいつものことだが、今はちょうど夕陽が作る影に姿が隠れていて、側から見れば布がかけられた毛玉のようだった。


 建物の隙間から夕陽が差し込む。往来の人々の笑顔、喧騒、生命を照らす光だ。


「パルトゴラスさん」

「あん?」

「何でそんな話をするんですか?」

「んなことどうでもいいだろ。ほら、俺の台車からさっさと降りろ。お前らとはもうここまでだ」


 パルトゴラスはいつものしかめっ面に戻った。

 青年は渋々台車から降り、ヨルゴスは台車の持ち手を離した。

 

「小僧、ヨルゴス。手、出せ」


 言われるがままに手を出すと、手のひらにちょうど乗るぐらいの小さな袋を乗せられる。袋からはずっしりとした重みが伝わった。


「か、金……!?」

「しーっ。早くしまえ」


 青年はそれをずた袋の一番下に入れた。ヨルゴスは手のひらを前に出した体勢から動かない。乱れた毛の奥の瞳がいつもより少しだけ大きくなっていた。


「な、なんで……?」

「ヨルゴスの爺さんは物凄く世話になったしな。正直、こんな安い金しか払えないのが申し訳ないぐらいだ。で、小僧、お前はどちらかと言えばお荷物だった。お前に声をかけてからすぐに声をかけなきゃよかった、って心の底から思ったよ」


 パルトゴラスはくいくいと指を自分に向かって二、三度曲げた。青年はパルトゴラスの口元に耳を寄せた。


「小僧。俺はなヘリオス様に助けてもらったことがある。ろくに礼も言えなかったことが、今でも気がかりだったんだ」

「そ、そうなんすか」

「そうだ。じゃあ、俺はもう行く。言いたいことも言えたしな」


 青年は不思議な気持ちだった。たった三日ほどしかパルトゴラスとは過ごしていないが、母親以外の人間で青年とまともに会話をしてくれる人はほとんどいなかった。

 乱暴な扱いをされることもあったが、飯はくれたし、寝床もくれた。


「小僧はノルートの方に行くんだったな」

「そうです」

「気をつけろよ。南に行けば行くほど、魔王城に近づくから、魔物や悪魔と遭遇することも増える。最北端のアティナス育ちのお前にはわからんだろうがな」


 そして、なんだかんだ言って、親切なのだ。今もこうして、青年に忠告をしてくれている。


「そうそう、最後に一つだけ忠告しといてやる」


 ニヤリとパルトゴラスは笑って振り返る。むさ苦しい顔いっぱいに唇を釣り上げて言った。


「袋の口はちゃんと締めておけよ。お前、良い紙持たされているんだからな」

「は? 紙?」


 商人は青年とヨルゴスの返事を待たず、体の向きを変える。


「我が身を囲む神の力。彼の地に漂う神の力。刻む紋様、異すれば身は砕けん。同すれば身は転移せしむ」

「魔法、使えたのか」


 聞き馴染みのない言葉を紡ぐパルトゴラスを見た青年は呆気に取られて、ポカンと口を開ける。

 パルトゴラスは宙に溶けるように薄くなった顔で苦笑いをした。


「下手くそだけどな。この転移魔法一回がちょうど俺の魔力の最大だ。本当に世話になったなヨルゴス。小僧、お前は元気でな。お前の顔、ほんの少しだけヘリオス様に……」


 最後の方はほとんど何を言っているのか、聞こえなかった。青年は一瞬、忌々しい男の名前が聞こえたような気がしたが、考えていると気が滅入るので考えないことにした。


(なんか、あれだな)


 しばらく青年は動かなかった。


(アティナスを追い出された時とは……違うな)


 青年の頭の中でゆっくりとその感情は形を成していく。


「寂しいな」


 悲しいとは少し違う。割と長く使っていた布巾が擦り切れてとうとう使えなくなったときのような、ほんの少しの喪失感。彼といたのは二、三日だったけれど、母以外の人とそれほど長く過ごしたのは初めてのことだった。


「そういえば、パルトゴラスがなんか言ってたな」


 ふと気になった青年は袋の中身を確認するが、特に無くなったものはない。勇者の証文もわずかばかりの残りの路銀もちゃんとある。


「何言ってんだ? あのおっさん」

「そりゃあ、君。袋の一番上に証文を置いて袋を開けたままにして、眠っていたからだろう」

「おわ!」


 彫像のように動かなかったヨルゴスが青年の頭の上から話しかけてきた。

 ふっ、と髭の間から息が漏れたのが見て取れる。


「君は勇者なんだろう」


 しゃがれた声は雑踏に紛れて消える。しかし、青年の耳にははっきりと聞こえた。


「あ、え、は?」


 青年はうまく言葉を発することができず、間抜けな音が口から漏れた。


「ごまかしても無駄だ。私もあの商人も知っている」

「お、俺のどこが勇者だってんだよ……」

「私は勇者のことを嫌ってなどいないがな。あの商人も同様にだ」


 ヨルゴスはそこで言葉を切ると、青年のおでこにデコピンをした。


「ってぇな! 何すんだよ!」

「君は少々単純すぎる。嫌ってないと口で言いながら、腹の底では殺してやりたいと思っている人間はこの世にごまんといる。私の言葉ひとつでそんな緩んだ顔をするな」

「……知ってる」


 曲がりなりにも青年は数年間、王城で暮らしていたのだ。人間が上辺だけ取り繕える生物なのは知っている。


「でもさ、何年経ってもわかんねぇんだよ。そういうの」


 青年はチッと舌打ちをする。目線をヨルゴスから逸して、西の方を睨みつけた。

 

「人を疑うことができない……ま、それもまた勇者としては美徳か。結果論的でしかないがな」


 また、ふっと髭の中から息が漏れて重たい髭を揺らした。


「君」

「なんだよ」

「ノルートまで私が着いていこう。そんな顔をするな。これは本当だ。そのために私はここに残ったからな」

「何でだよ。俺、じいさんには何もあげられねぇぞ。じいさんだったら雇ってくれるところ、いっぱいあるだろ」

「私がアティナスの民だということは話したね?」

「ああ、言ってたな。そんなこと。本当に俺のことを知らねぇのか?」


 青年の存在はアティナス中に知られている。悪い意味で。どこに行っても遠巻きにされていたのだ。


「正確に言えば、昔、アティナスの国に含まれていた村だ。とはいえ、アティナス国民としての誇りを失った覚えはない」

「はっ! あの国に誇りもクソもあるかよ!」

「ま、君のことを思えばその言葉を否定することはできないが……かつてあの国に属していた一人として、勇者ヘリオスには……思うところがある。そんな人間があの国にはいる」

「思うところってなんだよ」

「思うところは思うところだ」


 要領を得ない回答。目の前の老人がいかに強いか知っているが、青年はそれでも彼と行動を共にする気にはならなかった。


「あんたの言うことを聞いていると、アティナスには俺に同情していたやつが大勢いるようだが……」


 青年はヨルゴスのローブの襟首を掴む。ボサボサの髪から二つの目の光がわずかに覗いた。青年はその二つの光を睨んで、唾を吐き出しながら、言葉を叩きつけた。


「何も知らねぇくせに、一丁前なこと言ってんじゃねぇよ! ボケ老人!」


 そして、青年はヨルゴスの頬を一発平手打ちをする。ヨルゴスは避けなかった。


「街中を歩いているだけで、殴られたことがじいさんにはあるのか!? ねぇだろ!」


 青年はヨルゴスから手を離すと、袋を持って走り出そうとして、最後にもう一度、ヨルゴスのことを見た。


 まさに、茫然自失。顔が見えなくとも、指先まで体が動かなくなっているであろうことがわかった。


(これじゃあ、あいつらと一緒じゃねぇか……)


 下唇を噛みながら、青年はヨルゴスに向かって手をかざす。


「奇跡、その名は、治癒エウラペイア


 老人の顔を光が包んだのを見た青年は、今度こそ、本当に走り去っていった。


パルトゴラスは39歳です。勇者ヘリオスと同年代の男です。

おっさんとじじいしか出てきていませんが、次の話ではとうとう女性が登場します。

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