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罪人の名は勇者  作者: 五十嵐直人
第ニ章 聖剣への旅路にて、勇者は誓う
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勇者の善

 青年が夜通し歩き続けていたことに気がついたのは、顔が朝日に照らし出されてからであった。


(あー……一人か)


 草原を振り返れば、まだアティナスの王城が見える。今からでも、まだ間に合う。しかし、青年は戻ることを選ばなかった。


 

 さて、勇者がこれから向かう場所の話をしよう。


 勇者の目的とは、魔王を倒すこと。その道中にて、立ち寄るべきところがいくつかある。


 そのうちの一つがノルートの国だ。


 アティナスが勇者を生み出す国ならば、ノルートはその勇者が持つ聖剣を守護する国。


 天より受けた預言により、国王は一人の少女を聖剣を守護する巫女に任命するのである。


 アティナスからノルートへは徒歩であれば、二週間はかかる。その間には当然、村や宿場町があるが、勇者が持たされる路銀は少ない。これは青年に限ったことではなく、勇者ヘリオスにおいても同じことであった。


 勇者とは清廉である。


 図らずとも、人々の間にはそんな認識がある。


 故に、先代のアティナス王ローライはあえて勇者ヘリオスに路銀をあまり与えなかった。

 

 それに一時に大量の路銀を与えたとて、いつどのぐらい必要なのか定かではないし、富を狙う者がいるかもしれない。そんな者ぐらい勇者ならば返り討ちにしてくれないと困るが。


 また、魔物の蔓延るこの時代において、勇者の到来は世界中の人々が待っている。

 ローライ王は勇者が道行先で支援を受けられるよう、すでに根回しをしていた。


 故に、勇者ヘリオスは宿に三泊泊まれるぐらいの路銀で足りていた。


 しかし、此度の勇者はどうだ。


 痩せ型で猫背の体躯はどこから見ても、勇者には見えない。

 目は絶望に溢れ、外見どころか内面も勇者には相応しくない。

 おまけに、唯一物で手に入る勇者の証の聖剣もまだ手に入っていない。


 あるのは罪人の証である腕の刺青だけ。


 どちらかと言えば、青年は勇者ではなく、勇者に討伐される側の人間である。


 青年の赤く腫れた目に朝日が沁みる。じんわりと光を浴びていると、また涙が溢れ出しそうになる。


 投げつけられた袋の中には、地図が入っていた。青年は自分が夜通しどのぐらい歩いたのかわかっていなかった。


 念の為、青年は魔物や盗賊がいないか辺りを見渡した。ここ最近は旅人や商人も減っているらしいから、盗賊はいないかもしれないが。


(もし、俺が盗賊だったら俺を狙うな。こんなひょろっちいやつを狙わねぇやつは馬鹿だ)


 青年は下唇を噛んで雑念を振り払うと、大きな地図を草原に広げた。

 昇り始めた太陽が灰色の髪と黄ばんだ紙を照らし出す。

 時折、青年は頭を上げて誰も何もない平地を見渡して、また地図に向き直る。かと思えば、太陽が作る影の方向を確認する。


「つーことは、だいたいこの辺か? 俺の持っている水はあと半日分ぐらいか……あいつら、俺が水の魔法を使えると思って、そもそもそんなに水を用意してなかったな?」


 そこまで口に出してから、青年は自分の口を手で覆った。誰に聞かせるでもない独り言は、えらく寂しく虚しく響いた。


(そういえば、一人ぼっちになったこと、ほぼねぇな。いつも、母さんがいたから……)


 前を向くと決めた青年は、羊皮紙に落ちた水滴を拭うと立ち上がって北を見た。


「川に行く! で、顔を洗う! 水も飲む! 待ってろよ! 川!」


 力強く行き先を指差し、青年は胸を反らせて

出来るだけ大きな声を出した。


 その時、砂を巻き上げて、風が吹いた。思わず目を閉じそうになった青年の視界に入ったのは、放置されていた大陸地図が空に巻き上げられそうになるところであった。


「ボケカス! ふざけんな! 風のくせに! ぶっ飛ばすぞ!」


 青年はいつもの調子が戻ってきたのを感じながら、古地図を追いかけた。



「ぷはぁ。生き返るな」


 街道から少し外れた森の中には川が流れていた。清流と謳われる大陸の中心を横断するポセヴァー川の支流である。


 木々の間からは木漏れ日が漏れ、小鳥のさえずりが時折呼応している。


(普通の森だな。てっきり、王国の外には魔物がゴロゴロいやがると思ってたんだが)


 青年は腰の剣に手をやる。剣は軽い鉄でできたものだった。刀身に錆はない。

 数枚の銀貨と三日分のパンと共に、投げつけられたものだった。兵士たちからすれば、盗みを働いた青年に罰を与えているつもりなのだろうが、青年の細腕には合っていた。


(ま、俺の腕じゃあ、ミュプロ程度しか倒せねぇがな。あんなネズミ野郎、母さんでも追い払える)


 赤い二本の線が掘られた自分の腕を見て、青年はため息をついて寝転んだ。


(あー、くそっ。こんなもんがあったら、誰かに鍛えてもらうこともできねぇしな)


 森の陽気に照らされて考え事をしていると、青年のまぶたは段々と重たくなった。


 意識が落ちかけたその時、青年の耳に一つの悲鳴が聞こえた。


 はっと目が覚めて起き上がると、青年は腰の剣に手をかける。周りを見渡しても、何かがいる気配はない。


 そして、もう一度悲鳴が聞こえる。


(無視だ。無視。俺はこういうのは全部無視して、魔王を倒すんだ)


 耳を塞いで目を強く閉じていると、断末魔が森の奥でこだました。



 街道を歩いていると、少しずつ人通りが増えてきた。魔物の気配も感じない。


 空は暗くなってきていた。青年の体力は残っていたが、念のために早めに宿を取ることにした。


 街道には二つの宿屋が並んでいる。一つはなかなかに立派なもので、建物の側には大きな馬車が二台ほど止まっていた。もう一つは民家が三軒並んだぐらいの宿屋としては小さくて、埃っぽい感じであった。


 青年は小さく古ぼけた方の宿を選んで中に入る。扉を開けたすぐそこのカウンターでは禿げた店主が一人、退屈そうに欠伸をしていた。


「男一人、一泊泊めてくれ」

「お客さん。あんた、腕を見せてみな」

「……は?」

「やけに若いと思ったら、やっぱり旅の初心者なのか? いくら魔物が減ったとはいえこのご時世わざわざ旅をするなんて行商人かよっぽどの物好き、それか、国を追われた大罪人ぐらいしかいないからな」


 店主は自身の手首を指差すと、青年に近づけた。


「だから、刺青が入っていないか見せて。うちの宿だって、厄介ごとには巻き込まれたくないんだ。ほーら、早く早く」


 青年は震える手で右腕の袖を捲った。


 赤い二本の線を見た店主の顔はみるみる険しくなると、カウンターの下から剣を出して、青年の首に突きつけた。


「失せろ」

「待て。俺は勇者だ」

「はぁ? 勇者?」

「証文もある」

「見せてみな」


 青年が差し出した証文を奪い取った店主は、証文を透かしたり、指でつまんだりした。


「どうやら、本物のようだ。こんなにも高級な紙を使えるのは、王族ぐらいしかいない。だからと言って、お前を泊めるわけにはいかないがな」

「な、なんでだ!?」

「決まってるだろ。お前は勇者である以前に大罪人だからだ。そもそも、この証文もお前が盗んだんじゃないのか?」

「ち、ちげぇし!」


 腕の刺青を慌てて隠した青年に、店主は追い打ちをかける。


「その証明はできるのか? どうして罪人は腕に刺青を入れられるかわかっているのか? そもそも、俺は勇者なんざ……これは言ったらまずいか」

「は? 聞こえないんだが」

「坊主、威勢だけは一丁前だな。そんなもの、糞の役にも立たないがな。失せな。三十秒後にはお前の首が床に転がるぞ」


 店主はカウンターの下からさらに斧を取り出す。黒光りする刃は筋骨隆々の腕によく似合っていた。


「一応、ここじゃあ殺しは御法度だ。いくら大罪人相手とはいえ、余計な噂が立つのは客商売の俺としては避けたい。選びな。自分の足でここから出ていくのか、俺の手でこの世から出ていくのか」


 次の瞬間、青年は後ろ手に宿の扉を閉めていた。外は寒い。このまま野宿をすれば、凍死とまではいかなくても、体調を崩すのは目に見えている。


 何よりも、食料が尽きそうであった。

 

 大きな袋に入ったわずかなパン。青年はそれを一欠片つまむと、口に入れた。


「この量で一食を済ませば、あと五日はもつか」


 指折り数えていると、寒風が青年の身に吹きつけた。

 はくしゅん、と口からくしゃみが出る。ついでに腹は大きな音を立てる。


(俺、本当に死ぬんじゃねぇか……?)


 一応、青年は知識として、勇者は魔王を倒すまでは死なない、ということを知っている。


 しかし、それはあくまでも古代の言い伝えの中の話。塔から飛び降りた時に無事だったのは、青年の魔法が間に合ったからかもしれない。


(俺はどんな手段を使っても生き残る。今からでも遅くねぇ。あの親父を脅して無理矢理にでも……せめて、食料だけでも……)


 青年の頭に宿屋の主人の太く逞しい腕がはっきりと思い浮かぶ。


 震える手で剣の柄を弄んでいると、一人の女が宿屋の後ろに向かうのが見えた。重たそうな木箱を抱えている。


 着ている服は着古しているのだろうが、ぼろを纏っている、という印象はなかった。


(ここの従業員か? もしくは、あの親父の嫁か……)


 あの宿屋の主人よりか弱いのは見てとれた。戦い慣れていない青年でも、腰の剣で脅してしまえば簡単に言うことを聞かせられるだろう。


(決めただろ。どんな手を使ってでも、魔王を倒してやるって)


 女は木箱を地面に置くと、しゃがみこんだ。背中はがら空きである。


 青年の体の震えは止まらない。


(くそっ!)


 なかなか最初の一歩が踏み出せない。時折、周りの建物から人の笑い声が聞こえてきては体をびくつかせる。


 暗い路地裏。いるのは青年と丸腰の女のみ。きっと、顔もバレやしない。


(早く、早くしないと……でも、今無理に盗らなくてもまだあと五日は持つしな……)


 そんな思考に陥った青年は、かぶりを振った。


(そんな考えだから、ダメなんだ。しゃーない。パン、全部食うか)


 青年は袋の中からパンを取り出すと、それを一気に食らおうとする。


(これを食えば、俺の飯は無くなる。つまり、他人から飯を取らざるを得なくなる。こんなやつが金を払っても、誰も飯を恵んでくれやしないからな)


 生唾を飲み込んだあと、パンをまず一口頬張った時だった。


「やめて! 触らないで!」


 女が誰かに襲われていた。暗がりで顔や姿はよく見えないが、大きな人影が女の肩を掴んでゆさっている。


(よし、やめよう。俺は勝てない)


 森で聞いた悲鳴と断末魔が青年の耳に蘇る。目が女と人影から離せない。


「まだ幼い息子がいるんです。どうか、命だけは……」


 喉の奥から搾り出すような嘆願。青年は自分の母の顔を思い出す。


 チッ、と小さく舌打ちを立てた。


「落ち着け……俺は勇者だ。つまり、死なない。あの時だって大丈夫だったし。それに」


 胸を左手で押さえて、右手で剣を掴んで、青年は人影を睨みつける。


「どうせ、物を奪うなら悪党からの方が良いに決まってる」


 青年は一歩を踏み出す。建物の影から出ると、走る。短い距離だった。


「おらぁぁぁぁぁぁぁぁ」


 不格好に剣を振り上げると、青年は人影に向かって体全体を振り下ろす。剣先が宙を切る感触がした。


(まずい! 俺の背中ががら空きだ!)


 刃か、魔法か、拳か。青年は襲いくるであろう攻撃に耐えるため、背中に力を込めた。


 しかし、何も衝撃はない。


 そっと顔を上げてみると、人影が黒いマントを翻して路地の奥に消えていくのが見えた。


「な、なんだったんだ」


 青年は尻を地面について空を仰ぐ。紺色の空にたくさんの星が光っていた。


「ありがとう」

「うわっ!」


 後ろから声がかかる。見ると、女がニコニコと笑っていた。アンナと同世代のようだった。


「見たところ、旅人さんかしら? うちで一泊していく?」


 青年は力強く首を横に振る。


「急いでいるの?」


 青年は曖昧に首を縦に振った。


「じゃあ、パンは大丈夫かしら? どこの通りでも買えるものだけど、旅人さんは食糧があっても困らないでしょ」


 優しい声だった。青年はまともに相手の顔を見れない。


 差し出された大きなパンを触る。手は冷たかったけれど、青年の胸は温かくなった。


「本当にありがとうね」


 青年は顔を上に向けた。そうしていないと、目から涙がこぼれ落ちてしまいそうだった。


 女からひったくるようにしてパンを抱えると、青年は掠れた声で言った。


「ありがとう……」


 その声が届いたかどうかはわからない。


 青年は涙の跡を地面に点々と残しながら、走り去っていった。



「人に意地悪をしてはいけません」


 あれは、まだ城に住んでいたときである。城の下働きの者達が住む館の狭くてカビ臭い屋根裏部屋にて、青年は母と二人で暮らしていた。


 母に静かに諭されて、頬を腫らした幼い青年―少年というべきか―は不満げに唇を曲げていた。


「意地悪じゃねえし。やり返しただけだし。あいつらが先に殴ってきたんだ」

「殴られたからといって、殴り返していいわけではないのよ」

「なんでだよ」

「また殴り返されるから」

「別に良いし! 俺、あいつらと喧嘩するの嫌じゃないもん!」


 目を見開いて、地団駄を踏む息子にアンナは怒鳴らなかった。


「じゃあ、例えばだけど、喧嘩相手がめちゃくちゃに怒って母さんに何かしたらどうする?」

「俺が母さんを守る!」

「うん、そうだねぇ。ありがとう。でもね、それは無理なの」

「無理じゃねぇし!」

「無理なのよ」


 アンナは優しく微笑んで、少年の灰色の髪の毛を撫でた。


「あのね、母さんは怒りたいわけじゃないの。そんなに泣きそうな顔をしないで。ただ、大切なことをあなたに覚えておいて欲しいの」


 小さな天窓から日光が差し込み、部屋に舞う埃一粒一粒を照らす。


「あなたには、これからたくさん理不尽なことがある。他の人と比べものにならないぐらいにね」


 少年はその言葉に顔を背ける。アンナは息子の脇の下に手を入れると、そのまま膝に乗せた。

 向かい合って座った少年は、母の胸に顔を埋めた。


「だから、あなたには他の人よりも優しい子でいて欲しい。やり返すのも時には大切だけど、あなたの世界にいるのは母さんだけじゃないの。母さん以外の人とも仲良くして欲しいの」


 しばしの沈黙。アンナが少年の体を優しく抱きしめると、少年はアンナの耳元で唇を尖らせた。


「意味わかんねー。なんで俺だけそんなことしなくちゃいけないんだ」


 ほんの少し湿る肩。アンナははっと息を呑むが、いつも通りに少年の背中を叩いて優しくあやす。


「母さんがいつまでもあなたと一緒にいれるとは限らないから。今日明日、いなくなることはないかもしれないけれど、あなたが大きくなったら母さんだって、歳とるんだからおばあさんになっちゃうの。そしてきっと、あなたよりも早くに死ぬ」


 ズビズビと鼻を啜る音が静かな部屋で鳴る。


「今はわからないかもしれない。もしかしたら、一生わからないかもしれない」


 母が想うのは息子の未来。自分の膝に乗ってしまうほど小さな少年がいつしか大きくなったとき、自分はその時そばにいられるかどうかはわからない。


「母さんはあなたの怒りは正しいものだと思う。母さんのために怒ってくれて嬉しかった。でもね、正しいことが善いこととはとは限らないの」


「善いことってなに」


 目の縁を赤くした少年がアンナの鳶色の瞳を覗き込む。その瞳の中には真剣な顔の少年がいた。


「そうね」


 アンナは天井を見上げる。天井は煤けていた。


「母さんにとっては、あなたが幸せに生きることよ」


 少年の顔を見て微笑んだアンナの頬には一筋の涙が流れていた。


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