名無しの罪人
扉の軋む音がした後、複数名の足音と怒号が聞こえてきた。
目を開けた青年の前には、セオドスを先頭にした屈強な者たちが四名、腕を組んで立っている。
青年が何か言う前にセオドスは巻物を眼前に開くと、そこに記された文言を声高らかに読んだ。
「罪状、王宮侵入罪、及び王宮窃盗罪。貴様を第一級罪人として、国外追放の刑に処す」
「……はぁ?」
「ひっ捕えよ! 烙印の準備を始めろ!」
床に尻をついたまま目を白黒させる青年。寝ぼけていた頭がようやく冴え始めた頃には、両脇を兵士に取り押さえられていた。
あとの二人は金属製の腕輪を青年の両腕にそれぞれ二つずつはめる。青年の細腕よりも一回りは大きい。留め具をはめると、兵士たちはぶつぶつと何かを唱え出した。
すると、不思議なことにブカブカだった腕輪はキュッと小さくなり、青年の腕にぴったりの大きさになった。
青年は腕から伝わるひんやりとした感触に、心臓を片手で掴まれたような気分になる。
「おい! 離せよ! 外せよ!」
当然、非力な青年が反抗したところで鍛え上げられた肉体に叶うわけがない。
「セオドス殿」
「何だ」
「ヘミングがおりませんが、烙印を押してしまってもいいんですか。烙印を押すには副団長四名の承認が必要ですが」
「構わん。王からの特令だ」
「承知いたしました。天から降れ神の罰、」
暗闇の中、白い光が青年の腕を包み込む。
「業を裁くは人の罪。罪を犯すは人の業」
一言の後に、白は赤へ。
「されど、我は下さん。理の審判の名にかけて」
二言紡げば、赤は腕輪に集約する。
「おお、神よ。消えぬ罪を魂に刻みたまえ。未来永劫、その身が朽ち果てるまで」
最後に腕輪と皮膚の隙間から肉が焼ける匂いと白い煙が細くたなびいて、銀の腕輪は地面に落ちた。
「痛っ……」
あまりの痛みに青年の身体はうずくまろうとするが、両脇を抑える兵士がそれを許さない。
涙が滲む視界、両腕に二本ずつ赤い焼印がくっきりと刻まれているのが見えた。
「こ、これ……」
青年の唇から色が無くなる。
「第一級罪人、名無しの男。その腕に刻まれし赤い刻印と共に貴様は惨めな生涯を送るが良い」
セオドスがそう静かに告げると、青年はがっくりと肩を落とす。
青年の右肩を支えている兵士は、少しだけ同情した。
(可哀想に。あなたは何も悪いことをしていないのにね)
薄汚い灰色の髪の毛、その隙間から表情を窺うことはできない。
(あんな父親のせいで神様から名前を貰えなくて)
同年代と比べても明らかに細い身体。
(国のすみっこに追いやられて、お母さんと二人ぼっちであんなに寂しいところで暮らして)
その母親とももう会えないだろう。外で新しい友人や家族を作ることもできない。
(なんで酷いんだ。どうしてあの方はこの子をここで殺してしまわないんだろう。勇者だから?)
兵士は勇者、と小さく呟いた。
その称号をか弱いこの青年に背負わすのは、ひどい罰のような気がして、兵士は青年の体を掴む力をほんの少し弱くした。
「お、俺!」
青年は顔を上げる。眉尻も、目頭も、全て下がった滑稽にも見える哀れな顔で必死に噛み付いた。
「そこまで悪いことはしてねぇよ! そりゃあ、ちょっとだけ魔素薬を拝借はしたけど、でも、ちゃんと事情があって」
「事情など知らん。逆に聞くが、貴様は第一級罪人の基準を知っているのか? まさか、知らないのに反抗しているのか?」
セオドスは青年の言葉を全く取り合わない。身が凍るような冷たい視線。青年にとって、それは初めてのものではない。
「知らねぇよ!……でもさ、お前の仕えている国っていうのは、何の事情も聞かずにいきなり人に一生ものの罪を背負わすような国なのか?」
「人……か」
冷たい視線はそのままに、意地悪く唇を開いてセオドスは小さく嗤った。
「この世に産まれ落ちた人ならば、誰もが神より授けられる自身の名。それさえも与えられなかった貴様が我々と同じ人間だと? 馬鹿馬鹿しいな」
「俺は……勇者、だぞ」
その忌々しい称号を、青年は涙を堪えて言う。
「さっきまであんなに嫌がっていたというのに、自ら名乗るとはな。それともなんだ。もしや、貴様は未だに勇者が待ち望まれていると思っているのか?」
「お前は、勇者になりたかったんじゃないのかよ。お前だけじゃねえ。お前らもだ」
青年は視線をセオドスから両脇の兵士にも向ける。兵士たちは兜を被っていて、その表情も歳もわからない。
「何が言いたい?」
「わかんねぇのかよ。お前らが首を長くして待っていた勇者サマにこんなもんつけて恥ずかしくないのか?」
青年は自身の両腕を見てせせら笑う。
雲間から漏れ出る月の光は、青年の顔に影を作る。影が覆うのは、不吉な色の髪と瞳。
青年の口元だけが闇に浮かんだ。
セオドスの胸が一瞬、大きく膨らむ。しかし、何を思ったのか彼は大きなため息をついた。
「十七年前、貴様の父が勇者に選ばれていなければ、な」
「……じゃあ、俺、何も悪くねぇじゃねぇか」
青年は喉から搾り出すように呟いた。
「そうだな」
セオドスは肯定した。静かに頷いて。
憎しみも嘲りもない、ただ現実を静かに見据える瞳が青年の胸を射抜く。
初めてかけられた肯定の言葉だった。青年はもちろん、誰もその真意はわからない。穏やかな真顔だった。
その真意を問いただそうとした時だった。
ガシャン、と棚から木箱が落ちる音がした。中に入っていた魔素液の瓶から漏れた液体が倉庫の床を濡らす。
驚いたセオドスが振り向くと、そこに立っていたのは行方をくらましていたヘミングと、一人の女であった。
「……母さん」
口を手で抑えて青ざめるアンナ。青年は己の腕に赤い刺青が刻まれていることを思い出す。
「母さん、俺、違う……違うんだ! 母さん!」
「本当に……本当なの……? あんたをそんな子に育てたつもりはなかったのに……ごめんね」
倉庫に忍び込んだ時、魔素液を勝手に飲んだ時、青年は自分が悪いことをしているとは微塵も思っていなかった。
むしろ、自分は被害者の側だと、これは当然の行為だと思っていた。
しかし、母は泣いている。己の姿を見て、涙を流している。
「母さんが、母さんのせいで……!」
青年の目が自身の腕に刻まれた赤い線から離れなくなった。視界にある赤い線の輪郭がぼやけて、段々と滲んでいく。
「あぁぁぁぁぁぁぁぁ……!」
青年の喉から悲鳴が上がり、今にも裂けそうなまなじりから涙が溢れだす。
唇に血が滲み、赤く染まった唾液を血に吐きながら、青年は必死に首を振る。その様、まさに暴れ牛が如く。拘束から逃れて母へ近づこうと、灰色の頭を前へ前へと押し出す。
両脇の兵士は青年の腕を掴む力を強くした。
「ヘミング、お前か。いつからそこにいた」
「つい先ほど。倉庫の扉が開いていたので、もしやと思いまして」
無言で佇むヘミングは上官に睨まれようとも、表情を崩さない。
腰を抜かして座り込むアンナと、不機嫌そうに鼻を鳴らすセオドスの横を通り過ぎて、ヘミングは青年の前に皮袋を突き出した。
その大きさ、成人男性の胴体ほど。中には物がぎっしり詰まっているのか、床に置かれた袋からドン、と音が鳴る。
「これを渡しに来たものでね」
「なんだ、それは」
「ディアマンディス議長から勇者への差し入れです。世界地図と、数日分の食料。その他諸々、旅をするのに必要な物が入っています」
「……私は聞いていないが」
「そうでしょうね。ともかく、勇者。君にはこれを持って行って、この国から出てもらう」
青年はがむしゃらに否定する。人の話に耳を貸さず、違う、違うと喚き続ける。
「人の話を聞け」
ヘミングは躊躇いなく青年の頬を打った。途端に青年の涙は引っ込み、その視線がヘミングへと向けられる。
「お前が母さんに何か言ったのか」
「違うと言えばそうだし、そうだと言えばそうだ」
「ふざけるなよ! 昔から母さんに色目を使う気色悪いおっさんが……」
「うるさいのはお前だ」
再度、青年の頬が赤く腫れる。今度は反対の方だ。
青年の瞳にはじわりと涙が滲み出た。
「ヘミング、もう少し手加減をしても良くない?」
青年を取り押さえている兵士の一人が呆れたように言った。
「大丈夫だ。回復すれば良い」
事もなげに手の平を青年の方へと向けたヘミングの肩を、セオドスは掴んだ。
「団長、如何されましたか」
「回復する必要などなかろう。この者は罪人だ」
「しかし団長。この刺青を持つ罪の本来の意義とは、なるべく長く生きながらえさせることで、苦しみを長く味あわせること。他人から情けをかけてもらうこともできず、魔法も使えず、身体能力の落ちた己の身一つで生きていかねばならない地獄を歩ませること。回復はさせるべきでは?」
スラスラと水が流れるように言葉を紡ぐヘミングを睨む眼光をセオドスは緩めなかった。
顎に手を当てた後、さらに言葉を発しようと口を開いたヘミングを見て、セオドスはため息をついた。
「もう良い。勝手にしろ」
「では」
ヘミングの手のひらから緑に光る幾何学模様と古代文字が組み合わさった環状のものが浮かび上がった。
「願うは奇跡。奇跡は治癒。治癒を願うは、我が魂。慈悲」
光が当たったところから、青年の頬の赤みが消えてゆく。光が完全に宙に消えると、青年の頬はすっかり元通りになっていた。
「満足か」
「はい、団長」
「それでは、勇者を連行する。行くぞ」
「はっ」
セオドスの命に従って、二人の兵士は青年を立たせると、歩き出す。それに釣られた青年の足は一歩ずつ、前に進む。
糸のついた人形のように、歩かされる青年。倉庫から出る前、最後に見たのは震える母の背だった。
*
アティナス王国の端の端の更に端、青年の家を通り過ぎたところに王国と外の街道を繋ぐ門はあった。
兵士が青年から手を離すと、青年は糸の切れた人形のように門の外に放り出された。
かくして、青年は勇者となって旅に出る。
月が照らす道を青年は力無くフラフラと歩く。
ふと空を見上げてみれば、とりわけ大きく眩い満月であった。
(丸い……明るい……空……太陽)
かつての勇者は太陽の化身と讃えられていたらしい。
(今頃どこで何してるんだろうな。いや、もう死んでいてもおかしくない。むしろ……)
青年は頭の中に顔も知らない父親の姿を思い浮かべる。
星のように輝く髪と太陽を閉じ込めたような瞳の快活な男だったらしい。きっと、身体は筋肉質に鍛え上げられていて、見る者に安心感と信頼を与えていただろう。
それに引き換え自分はどうだろうか。
髪は薄汚れた灰色。瞳は光を宿さぬ蒼色。腕には罪人の印の赤い刺青。筋肉の陰もない薄い身体。青年はおおよそ勇者には相応しくないものしか持っていなかった。
「あー、クソが! カスが! クソ……クソ……」
青年の目からは涙が止まらなかった。止めようとしなかった。
(神様、俺は十分にわかったよ。つまり、俺が勇者に選ばれたのは、そういうことだろ?)
最後の雫を拭うと、青年は前を向いて歩き出す。胸に強い怒りを込めて、前進する。
(俺にあいつの代わりをしろってことだろ? 英雄になれってことだろ? そんなこと、死んでもごめんだ。俺はお前の望むような勇者になんて、なってやらない。清廉潔白で盗みの一つもしないような人間になんて、なってやらない)
月明かりが青年の顔を照らし出す。
目の縁は真っ赤に染まり、青年の怒りがくっきりと表れていた。
「何がなんでも、速攻で魔王を倒してやる。道端で子どもが親を探していようと、老人が倒れていても知らない。魔物に襲われている村があっても無視をする。食料が無くなりゃ、そこら辺のやつから盗ればいい」
神様、と青年は空に向かって呟いた。
「俺が魔王を倒すのは、世界のためじゃない。俺は、俺のために魔王を倒してやる」
十七年前のとある夜。地上から一度姿を消した悪魔が魔物を率いる姿が目撃された。
それは、誰が言い出したのかわからない。されどまことしやかに囁かれている言説。あるいは、噂。
『勇者ヘリオスは一度倒したはずの魔王を復活させた』
真実だと断定するにはおぼろげで、妄言だと唾棄するのは躊躇われるその話は、いつしか人々の中で形のあるものへとなっていく。
ただ一つ確かなのは、勇者ヘリオスの行方は今日に至るまで、誰も知らないということだけだった。
ああ、神よ。遥か彼方の時代の支配者よ。悪魔に魅入られし我が魂をお救いください。
おお、勇者よ。証明せよ。天から受けし運命が宿る魂が真に聖なるものであると、我が眼に見せてみよ。
どうか、■■よ。しばし待たれよ。
ようやく序盤を投稿することができました。次の投稿がいつになるかわかりませんが、ここまで読んでいただいた方、前作から続けて読んでくださる方、もしいれば、気長に待っていただきたいです。
それでは、これからよろしくお願いします。