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罪人の名は勇者  作者: 五十嵐直人
第一章 勇者出立
2/9

勇者は大胆

城の廊下には誰もいない。もうそろそろ昼食をとる時間である。窓から差し込む陽光が真っ赤なカーペットを照らしていた。


「はあ、なぜホメロス様は貴様のような者に目を掛けておられるのか……」

「ああん? んなわけねえだろ」

「……口だけでなく察しも悪いとは頭が痛くなる」

「あーそうですか。可哀想ですね。俺は知らんがな」

「もう少ししおらしくすれば良いものを……」


 兵士は青年が気に入らなかった。セオドス、ひいてはホメロスの命令とはいえ、王に無礼を働いたこの者の近くにいることが我慢ならなかった。おまけに、目つきも悪く、髪や瞳の色も不気味で、何よりあの勇者の血を引いている。

 とはいえ、王の命令に抗うことはしない。兵士はこめかみを抑えながら青年に帯同していた。


 城の中は驚くほど人がおらず、ついぞ王宮を出るまで誰とも顔を合わすことはなかった。


 外は晴れ。燦々と陽光が降り注ぐ秋の陽気に包まれた昼であった。もうすでに葉が落ち始めている生垣を通り抜けながら、青年はゲンナリとしていた。


(絶対、ここには二度と来ねえ……)


 しかし、家を出る前の母の様子を思い出すと、家から叩き出されそうな気もする。悶々と悩んでいると、兵士が立ち止まった。

 前を見ていなかった青年は兵士の背中にぶつかり、うっすら赤くなった鼻の頭を押さえた。


「何だよ。俺、早く帰りてえんだけど」


 もう門は目の前のすぐそこにある。兵士は真剣な顔で門を見ていた。そこから目を離すことなく右手で剣の感触を確かめる様子に青年も異変を感じ取る。


「……衛兵が、いない?」


 朝、ヘミングに連れられて城に来た時、確かに門の左右には衛兵が数名立っていたはずである。今は人の気配はない。ピッタリと閉じられた巨大な門が一人で立っているだけだ。


「一度、ホメロス様の元に戻るぞ」

「はぁ!? 帰らせろよ!」

「うるさい。口を閉じろ。これはおかしい。門番に勤めているのは極めて勤勉な者たちだ。何も言わずにいなくなるなんてことがあるわけないんだ」

「知らんわ。お前らの問題はお前らで解決しろ。俺は帰る」

「待て。お前はどれだけ素行や目つきが悪くて無礼であろうと、勇者だ。とびきり貧弱なお前をほっとくわけにはいかない。というか、考えてみろ。おかしくないか?」


 兵士の顔は青くなり、うっすらと汗を流していた。


「外に出るまで、俺たちは誰とも顔を合わせなかった。兵士や貴族だけじゃない。下働きの者たちさえ、見ていないだろう」

「そんなん、城が広いからだろう。良いから早く帰らせろ」

「阿呆。いくら城が広いとはいえ、廊下を歩いていれば誰かはいる。城の出入り口の前でさえ、誰もいなかったんだぞ」


 神妙な面持ちで語る兵士。青年はその言葉に耳を貸していなかった。奇妙な男たちが視界に入ったからである。


「は? なんだよあいつら」


 青年の言葉に兵士が振り向いた。一人ではない。ゾロゾロと五人ほど物陰から出てくると、あっという間に青年を取り囲んだ。

 ヘミングやセオドスのような王国の兵士というよりも、小綺麗になった野盗共、と言う方が相応しい者たちであった。


「その家紋、まさかディアマンディス議長の私設兵か!」


 下卑た笑いの侵入者たちは何も言わない。その剣の鞘や服には揃いの紋様が刻まれている。


 驚いたように叫ぶ兵士に首を傾げる青年は聞いた。


「あのツルッパゲのおっさんか?」

「こんな時までお前は無礼だな! 黙っとけ! 無礼な口を聞くなこの阿呆が。それよりも、ディアマンディス議長の私設兵の皆様はなぜ城においでになったのですか? よほどのことがない限り、そのような大勢でいらっしゃるのは……」


 兵士が言い終える前よりも私設兵たちが動く方が早かった。目線の先は青年である。


 咄嗟に兵士は青年を片手で庇うが、その甲斐なく首に衝撃をくらうと力無く倒れた。


「……は? え?」


 一瞬で行われた犯行に青年は全く反応できなかった。足元で突如うつ伏せになった兵士を丸くした目で見ることしかできない。


「なんだよ、来んなよ」


 大きな声を出すこともできず、息絶え絶えに後退りをするが、背後から近づくもう一人に気がつかなかった。

 兵士と同じように首に衝撃を受けると、青年の身体も緑の芝生に倒れる。


「悪りいな。もう勇者は信じられねぇんだ」


 意識が遠のく中、後ろからそう言われた気がした。


(母さん……)


 アンナとは似ても似つかない冷たい女の声だった。

 


 

 青年が意識を覚ますと、石の天井が見えた。窓から見える空はまだ明るい。あともう一時間もすれば、夕焼けが街を照らし出す時刻だろう。


(そんなに時間は経ってない、のか?)


 手に薄いベッドの感触を感じながら部屋を見渡すと、狭い部屋であった。


 青年がいるベッドを除けば、あとは小さな机と小さな椅子が一つずつ、そして、子どもの身長ぐらいの本棚しかない。


(ここは……なんだ?)


 青年は椅子によじる登ると、高い位置にある小窓から身を乗りだす。鳥の羽ばたきが間近で聞こえ、びっくりして身体が窓から半分出そうになる。


 どうにか体勢を整えた青年は地上を見下ろした。


「あれ、城か!?」


 青年の目には国で一番大きいはずの城の屋根が見えていた。そればかりではない。城下町の営みはもちろん、郊外の草原まで判別することができた。


「な、な、な」


 口をパクパクさせていると、青年は風景に違和感を覚えた。いつもよりも若干、空の色味が変化しているように見えたのである。


「これは魔術結界か? 初めて見た……」


 黄色い薄い膜の表面に古代文字の鎖が時折浮かび出ては消える。手を伸ばして触れると、水面を撫でたように波紋が広がる。


 青年は椅子から降りると、もう一度部屋を見渡した。唯一の出入り口のドアには鍵がかかっており、押しても引いても硬い音が鳴るだけであった。


「クソッ。なんなんだよ一体」


 気を失うまで一緒にいた兵士の姿もない。同じような別室に閉じ込められているのだろうか。


「ディアなんとか議長って王様の次に偉い人……だよな、多分。議会の長なんだから。ということは、王の命令ってことか? いや、でもあいつも襲われてたしな……」


 自分を先導していた兵士。貫頭衣は真っ白で兵団の団長や王のように裾に金の刺繍などの装飾は見られなかった。


「あいつ、雑魚そうだったし、教えてもらえなかったのか?」


 可哀想なやつ、と口で呟きながら、頭の中ではそんなわけがないと鼻で笑う。


「……俺、殺されるのか?」


 意識を手放す直前の冷たい声を思い出す。市井の人や城の兵士や大臣から受ける冷笑とは違った、芯まで凍りついている声であった。


 あの声に籠った感情を青年は知っている。


(勇者は信じられない、か……)


 尻をついた床は冷たい。無機質な黒い石が剥き出しになっている。

 灰色の髪の毛を束にして握っても、ろくな知恵は出てこず、弱々しい呟きが口から漏れる。


「……そんなん、俺が一番思っとるわ。いや、母さんが一番で、俺が二番か」


 どれだけ突き放されてもいい。あともう一度、一目だけでも母親の姿を見たかった。

 

 あわよくば、優しい声をかけてもらいたい。


 そんなささやかな幸せでさえ、今の状況では叶わないのである。


「よし」


 青年は前を向く。視線の先には、外界と繋がる窓が一つ。身体が通れることは既に確認済みである。


 窓辺に立つと、改めて塔の高さを感じた。いつもよりも明らかに風が強い。鳥の声も近かった。


(落ち着け、俺。この国に城よりも高い塔はあったか? 答えは、否。つまり、この塔の高さはまやかしだ)


 まやかし。幻影。


 人の手では、こんなに高い塔を隠すことなどできない。


(大方、何かしらの魔法が使われているんだろう)


 魔法。


 神が地上に残した奇跡の一端。物質の生成から現実の改変まで、ありとあらゆることを可能にする唯一の技。


(ある場所にあるものを別のところに移すことができる魔法がある、と本には書いていた。魔力量次第では、より遠くに大きなものを移せると)


 青年は強風に煽られないように気をつけながら、塔の下の方を覗き込んだ。


 そこには本来あるはずの下の階がなかった。代わりに黄色い魔術結界が続いているのがわかる。


(やっぱり。この部屋全体を魔術結界が覆っているのか。つまり、この部屋から落ちたとしても、本当にこの高さから落ちるというわけではない……のか?)


 そんなわけはない。どこかの塔の部屋ごと移動しているのならば、そこの中にいる青年も同じように城よりも空に近い位置にいるのである。


 決して、青年はそれを理解していないわけではない。


 しかし、思考に入れることをよしとしなかった。


「神よ、聞け! 俺は勇者だ!」


 窓辺に片足をかけて、神の住まう天に向かって吠える。激しい上昇気流が薄汚れた髪を乱していく。


「魔王を倒す運命を背負う者! つまり、魔王を倒すまで、俺には死なない運命がある!」


 太陽が眩しく輝いて、青年の顔を照らした。唇は真っ青で、頬からは血の気が引いていた。


「だから!」


 三回目、青年は点と線でできた街を見下ろした。足がすくむ。なまじりから涙が出そうになる。


 眼下に広がる王国ともう二度と大切な人に会えないかもしれないこと。


 どちらが恐ろしいのかは明白だった。


「俺は、死なない!」


 足元の支えがなくなると、内臓が全部浮き上がる感覚があった。


 後悔したのも束の間、青年の身体は落下を始める。生憎の暴風で目を開けることはできない。


「天よ、」

 

 青年の体は足から落ちた。


「我が手に奇跡を宿せ。奇跡よ、その力に名を与えん」


 青年の体は風を切って落ちていく。いよいよ地面の草と地面の分かれ目がよく見えてきたとき、青年は青い顔で叫んだ。


「その名は、治癒(エウラペイア)


 足の骨が折れるのと同時に、青年の体を白い光が下の方から包む。


 眩い光が散ったあとには、地に倒れ伏す青年がいた。大きな外傷はないが、すぐに起き上がることはなかった。




 意識を取り戻したのは、もうすぐ陽が沈む頃であった。


「あっ……ぎぃ……」


 夕陽がまぶたの裏に透けて見えたのが眩しくて、手で顔を隠そうとするが、右手が挙がらない。左肩より下はもはや感触が無かった。


 何とか立ち上がると、青年は歩き出す。歩いても足に痛みはない。目も見える。ただ、両手が使い物にならなくなっていた。右手は真っ赤に腫れ上がり、左手は肩から腕まで骨折し、動かすことができない。歩くたびに上半身が軋み、骨が悲鳴を上げている。肺にも穴が空いているかもしれない。


(確か、こっちに兵団の倉庫があったはずだ……しかし、本当に人がいねぇな)


 見回りの兵も、散歩をする貴族も、慌ただしく走る女中もいない。庭園には花だけが揺れている。

 青年は城の裏手に回ると、一番大きな倉庫の前に立つ。肩で扉を押して開けようとした時、青年は鍵がかかっていないことに気がついた。ディアマンディス議員の私設兵たちの顔が脳にチラつくが、体は今にも痛くて弾けてしまいそうだった。


 鉄製の扉を開けると、カビの匂いがした。倉庫の中は暗く、備品が所狭しと並べられている。


 入り口から小股で右に二歩、前に二歩歩くとお目当ての透明の液体が入った瓶がずらりと並んでいた。

 青年はその中の一つを手に取って、栓を抜く。暗くてよく見えないが、王国の兵団が使うものならば、質の悪いものではあるまい。青年はそれを口に流し込んだ。

 ほぼ無味無臭。若干甘い。青年はその微妙な味があまり好きでは無かったが、魔力が無くなった体にとってはまさしく甘露である。

 貪るようにもう一瓶飲めば、体中に力が漲ってくるのを感じた。何でもできるような、強くなったような、万能感と多幸感に酔いそうだった。


「天よ、我が手に……我が手にええと、奇跡を宿せ。奇跡よ、その力に名を与えん。その名は、治癒(エウラペイア)


 左腕が白く淡く光ると、青年は左肩を回して、動くことを確認する。もう一本、魔素薬の入った瓶を取ると、同じように飲んで、もう一度詠唱をする。

 何度かそんなことを繰り返しているうちに、青年の体の傷は全て消えていた。


(問題はこれからどうするかってことだな。ディアなんとかのアレがなんで俺を襲ったのかわかんねえし……あの王様の命令だったら、俺は外を歩けねえし……というか、ここも安全じゃねえし。城の中だしな)


 青年はあくびを一つした。魔法によって体の傷は治ったが、倦怠感はそうもいかない。

 薄暗い倉庫にはまだ陽の光がさしていた。


(夜まで寝るか……今出てもどうせバレるし……誰もここ来ねえだろ)


 倉庫の奥の方、なるべく光が当たらないところで青年は横になる。

 カビ臭い匂いが青年の鼻を刺した。


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