4-22 眠れる王の使い 1
――再誕の暦867年8月11日、タシフォーネの砦、東の居住区劃――
ジレンディスが終わってから10日近く続いた猛暑は急に終わった。気温は多分少し下がっただけ、まだまだ暑いけど、気持ちいい海風のおかげでだいぶ過ごしやすくなった。今日は大事な客人が来る予定だから、私とファルナは丸一日休暇にした。こっちに到着直前また遠話で知らせてくれるから、それまで私たちはタシフォーネの東側に散策すると決めた。この数日間居住区劃に新入りが多数入ったから、彼らの様子を見ておきたい。
「次は昼の挨拶の言い方です。私の次の言葉を覚えてくださいね」
8人の子供たちに簡単なカリスラント語会話を教えているのはミリシェラ。彼女にカネミング石のイヤリングを支給したので、覚えさせたい言葉を話すときだけ外せば非常にスムーズに言語の授業を進められる。部屋の隅にメーミィちゃんが自分の勉強をしながら、時々子供たちと話して授業のアシストをする。そう、海外領地行政官僚ティランズと家族たちは一昨日6番艦と共にこっちに移動した。トリスタ=フィンダール島の初期整備は一段落ついたので、後の開拓は増援に来た人たちに任せる。ティランズにはタシフォーネの砦の施設を全体的に見直してもらいたい。特にこの居住区劃は砦攻略のとき砲撃によって大半の建物が焼失した。島の帰属問題を解決したら大幅にリニューアルする必要がある。
ここにいる子供たちはクルジリオンから引き取った孤児。子供たちの面倒を見る役目はミリシェラが引き受けてくれた。メーミィちゃんにも同年代の遊び相手が必要だし、これが一番だと思う。リミアも休暇時間中時々手伝いに来るから、今のところ人手は足りてると思う。この先子供が増えるとさすがにスタッフも増やす必要がありそうけどね。
「アンネ様、おはようございます」
「おはよう。アインシリーさんも勉強しに来たの?」
「はい。私は、その……進捗が芳しくないので……」
カネミング石のイヤリングの貸出に期間が設けられているから、アインシリーもカリスラントの言葉を学んでいる。しかし他の人よりちょっと上達するのが遅くて、それで悩んでるみたい。まぁそこは仕方ないと思う。彼女はすでにストリュア神聖帝国と北の大きい島国ハインフェーカの言葉を習得した。カリスラント語は3つ目の外国語になるから、勉強の進捗が遅いのは当然だと言える。彼女を激励するために一つご褒美を約束しようかな。
「実はね、探検艦隊が帰国するとき、もしアインシリーさんがカリスラントに行きたいなら、連れて行こうかなと考えている」
「……えっ?本当に、いいの?」
「うん。アインシリーさんにたくさん助けてもらったからね。カリスラントに行くとき言葉がわかるなら、もっといろんなものが見れるし、もっと楽しめるよ」
カリスラントへの旅に思い馳せて、静かに燃えるアインシリー。とりあえずこれでモチベーションは取り戻したんだろう。
そんなとき、アインシリーに遠話が来た。シーリンタで待機しているクルジリオン支部の職員からだ。大事な客人はシーリンタでの用事を終わらせた。これから船に乗ってこっちに来る。タシフォーネ周辺の航行禁止は現在も継続しているが、今回はクルジリオンの仲介で特別許可した。
「すべて予定通りだよね?」
こっちの準備に問題がないかを確認するために、一度港に停泊中のラズエム=セグネールに寄る。
「はい。使者が乗る船はレーダーで確認できました。警護中の2番艦の分隊は海峡中央から護衛につく手筈です」
「よし、じゃ私たちは執務室に戻ろう」
私とファルナ、リミア、ジャイラは紺色の軍礼服に着替えて、入念に身だしなみを整えた。中央砦にある、館の三階の執務室でしばらく待つと、海兵隊が客人たちをこっちに案内した。従者一人と護衛一人を連れて入ってくるのはカーチマス王の使者、ミンスター。彼は20代後半、長い艷やかな黒髪、中肉中背、普通の貴族男性に見える。事前情報によると、彼は今のカーチマス王の側近にして従兄。幼く即位して権力基盤が弱かったカーチマス王と共に数々の苦境を乗り越え、王から深く信頼されているらしい。従者は細身の30代男性で、護衛は眉間に深いシワがある、おそらく40代の男性。3人とも聖樹の信者だから右肩が空いてる服を着ていて、「ユールカ」という聖樹信仰の赤い入れ墨を露出させる。
「私はカリスラント王女、アンネリーベルです。カリスラント探検艦隊司令、そして海外領地総督でもあります」
「ミンスター・リンサマスです。カーチマス王の代理として、アンネリーベル殿下に挨拶しに来ました」
ミンスターは穏やかな微笑みを浮かべているが、彼の従者は露骨にこっちを値踏みする。護衛のほうは無表情で任務に専念しているみたい。ファルナとジャイラを少し見たのは、多分任務上こっちの腕が立つ人を観察する必要があるからだろう。
ミンスターは3日前にシーリンタに到着し、リガンジエル城のフェインルーサ大公に面会した。ここまで来るとタシフォーネ島を失った事実はもう隠せない。それに対して大公がどう弁解したかは、こっちにもわからない。
「フェインルーサ大公によると、そちらは勝手にタシフォーネ島を占拠しました。そちらの言い分も伺いたいと思います」
「これまでのカリスラントの行動は、クルジリオンの友人たちが同盟議会に事細かに報告したと思いますが、それでは不十分と?」
「なぜ自分の口から説明しないのですか。やましいことでもあるのでしょうか」
無礼とも言える従者の態度に空気がピリピリする。なるほど。そういうスタンスでやるのね。あれは多分わざと悪役を演じてる。友好的な態度を見せるミンスターがやりやすくなるように。しかしその役回りは最悪の場合責任を取る形で切り捨てられる。本当すごい覚悟だね。
「やましいこと何ひとつもありません。タシフォーネ島は海賊に占拠されていました。これはカーチマス王国も公式に認めたことです。そして我々はその海賊を討伐して、平和を取り戻しました。ただこれだけのことです」
「本当にそういうことでしたら、タシフォーネ島はこちらに返還すべきと思わないのですか?」
「どうして、そんなことをする必要があるのですか?」
「っ!タシフォーネは古くからカーチマスの固有領土です!そちらがやっているのは領土侵犯です!戦争がお望みですか?」
無礼な態度に反応しないようにすれば、彼が責任を取らされる確率が下がると思って、私はあえて従者の顔を見ずに答える。
「そんなこと言われても……タシフォーネ島が海賊のアジトになったのに、カーチマス王国は20年も奪還できずにいました。しかし我々は成功しました。これがどんなことを意味するのを、おわかりですか?」
「……もちろん、ただで返すとは言いません。相応な見返りを用意するから、そちらの要望を伺いたいです」
「違います。そういう意味ではありません。海賊がこんなにも長い期間タシフォーネ島を占拠できたのは、カーチマス王国に自国の領海を守る力と意志がないから。海峡の安全通航を維持するには、タシフォーネはこちらの保護下に置くべき――これがこちらの主張です」
抗議しようとする従者を制止して、ミンスターは少し考えてから話す。
「それを証明するために、例のシーリングス海峡自由航行保証作戦を実施しましたか」
「確かに、そういう意図もあります。でも主な目的は作戦の名の通り、海峡の安全を守るためです。海賊の残党が近くに潜伏して、タシフォーネ島を奪い返そうとする可能性が高いと我々が判断しました。そして予想通り、作戦の初日で大勢の海賊が現れて、我々が責任を持って対処しました」
本当はわかっている。私たちが殲滅したのは海賊ではなく、フェインルーサの艦隊。でもこっちはカーチマスの正規軍を攻撃した事実がなかったほうが都合がいい。どうせ向こうも同じ(正規軍が私たちに歯が立たないのを知られたくない)だからこの件はこれでおしまい。自由航行保証作戦で与えた被害が責任を問われることはないだろう。
「その作戦で、多数のカーチマスの民間船も被害を受けたと聞きましたが」
「我々の通告を無視する船団を攻撃したことは認めます。しかしあれは海賊を排除した直後の非常時期でした。治安を回復するために必要な施策です。商業ギルドクルジリオン支部の職員は作戦に同行して、我々の行動は正当だと証言してくれます」
人間が習得できる外国語にキャパシティがあるのは本当だと思います。私の実体験でもそうです。昔は英語がそこそこ上手でしたが、日本語の方が得意になった頃から英語の能力が著しく退化したような気がします。一度街で英語で道を尋ねる外国人に遭遇したことがありますが、彼が言ってることもどう答えればいいかもわかっているのに、なぜか口から出たのが日本語でした。そして私の頭の中は「なんで?」がいっぱいになって逃げ出したのです。恥ずかしかったです。
(追記)誤字報告いつもありがとうございます。ここでは正規軍と交戦した事実がなかったように、アンネはあえて軍という表現を避けようと考えますから、そのまま適用するのではなく少し言い回しを変えました。




