4-8 城壁がない街々 1(三人称視点)
――再誕の暦867年7月1日、自由港クルジリオン――
時間は少し遡り、アンネが乗るラズエム=セグネールがトリスタ=フィンダール島より東の遠話通信ポイントに到着するよりちょっと前の出来事。
2番艦ミレギーレ=トリンヤが率いる分隊3隻は現地人レンダースの案内でクルジリオンの近くまで来た。クルジリオンの歴史は浅い、まだ新興都市と言える。100年前ストリュア神聖帝国との長い戦争が終結して、荒廃した半島西部で一番早く復興したのは対外貿易の富を手にしたテュークリム共和国。この100年間でクルジリオンは何も無い荒れ地から、自由港としてギーアル半島で最も重要な貿易拠点にまで発展した。しかし実はクルジリオンの港湾条件はあまりよくない。ここまで発展した原因はすべて周辺にある――北のテュークリム共和国首都まで河川と運河による内陸水運を利用できる。北東の山脈に鉄と銀が取れる鉱山がある。西の平野はギーアル半島の一大穀倉地帯。そして街の東近郊に一つダンジョンがある――このクルジリオンは優良な天然港湾があるから発展したのではなく、周辺の環境によってここに大きい港町を建設する需要があるから、良くない地形でもなんとか適合な地点を探して作った。
そういう背景だから、クルジリオンの敷地は異常に広い、港が複数の場所に分かれ、中にはかなり見つけにくいし管理もろくにされていない、よく密輸に使われる船着き場もある。砦の攻略までカリスラント艦隊の存在を知られたくないから、レンダースはこの人気が無い船着き場を選んだ。レンダースとカリスラント側の人員が降りると艦隊は一旦離れて、話し合いが終わったらまた迎えに来る予定。
今回のクルジリオン帰還、本命はもちろんタシフォーネの件だが、レンダースには個人的用件もある。トズルサ公国への輸送依頼が失敗したため、新リミジタース商会は違約金で倒産する――これはもう避けられない。幸い商取引が発達するクルジリオンでは、こんな状況に対応する法整備が進んでる。保険金を受け取り商会を清算すれば、レンダース個人は多大な借金を背負うが、部下たちに最低限な退職金を渡せるし家族も守れる。思い返せばあのトズルサ公国への輸送依頼自体が怪しかった。もしあの依頼に問題がないなら商会内部の情報をライバルに流す人間がいる。でないと海賊がレンダースの動向を掴めるはずがない。どっちにしても、新リミジタース商会に内通者がいるのは確かだ。だからレンダースは商会にも家にも寄らない。カリスラント探検艦隊副司令付き参謀テリークトと海兵4名と一緒に商業ギルド支部に直行。ちなみに元戦士団副団長のフラスダーンは家族に安否を知らせる手紙だけを託して、ここに降りていない。彼は今カリスラントの船に夢中だし、クルジリオンに用がないから。
「レンダースさん!ご無事でしたか?」
ギーアル半島にも遠話の技術があるから、レンダースの船がシーリングス海峡で襲われたことはすでにクルジリオンの支部に伝わった。それで受付嬢はレンダースの生還に驚きながら喜んでいる。
「まぁ、なんとかね。支部長に至急話したいことがある。今から会える?」
「今から、ですか?ちょっと確認します……」
「レンダースが戻ってきたか?」
受付嬢が確かめるまでもない、二階から声を聞いた支部長が自分から顔を見せる。それを見ているテリークトが思う。レンダースは自分を大したものではないと謙遜するが、本当は支部長からも一目置かれている実力者かもしれない。
2番艦にいる間で用意した事件報告、商会清算と保険金申請の書類を提出して、レンダースはテリークトと海兵1名と共に支部長室に入る。面識がない、軍服らしい姿の若者たちを連れて来る理由がわからない支部長は怪訝そうに聞く。
「そちらの人たちは?」
「僕を助けてくれた方々です。僕の船の件、どれくらい知っています?」
「海峡で襲われたくらいしか。あの海賊どもだな?」
「はい」
「ちゃんと『旗』がある船と契約したのね?」
「もちろんです。僕に『旗』を持たずに海峡を通る勇気なんてありません」
「そうか。じゃあ、あの噂(殺人依頼)は真実ということになるか……そちらの異国の方は、神聖帝国から?それとも……ハインフェーカか、トズルサ?」
この七国同盟では、ほとんどの人が右肩の赤い入れ墨を露出させる服を着ている。あれは聖樹信仰のシンボルだから。テリークトたちが外国人であることは一目瞭然。幸いクルジリオンほどの貿易都市となると外国人の存在は珍しくないから悪目立ちすることもない。
「僕はカリスラント王国探検艦隊参謀、スタニシア公爵の三男テリークトです。お会いできて光栄です、支部長殿」
「カリスラント王国、探検艦隊?……いや、そもそも、なんの言葉だ?私が知ってるどの言語でもないのに、なぜ意味がわかる?」
「それは貴重な翻訳用魔道具による恩恵です。我々は遥か遠い東から海を渡って、このギーアルの地に初めて辿り着きました。そこでレンダースさんを救助しました」
「遥か遠い東……そうか。友の命を救ってくれて感謝する。レンダースの急用と言うのは、カリスラントとの接触か?」
「はい。でもそれ以上に重要な用件もあります」
レンダースがカリスラントの計画を説明すると、支部長が最後まで聞かずに割り込んだ。
「はぁ?!タシフォーネを攻める?無茶だ!」
「無茶ではありません。たかが旧時代の艦船30数隻とならず者700人、我々が本気を出せば鎧袖一触にして討伐してみせます」
「いやいや、砦を守るだけならそれなりの戦力だろう?それよりも問題なのは、後ろにフェインルーサ大公がついてるだぞ?それをちゃんと理解しているのか?」
「もちろんです。まぁ、さすがにフェインルーサ領に攻め入り大公の首を取ることはできませんが、タシフォーネ島を守り抜くだけなら楽勝です」
「……本気で言ってるのか?本当にそれをやったら、大変な国際問題になるぞ?」
「その国際問題を回避するために、我々がレンダースさんに依頼してここに来ました」
最初はギーアル半島の情勢をよく知らないからそんな大言壮語ができると思った支部長だが、テリークトがアンネの計画を説明すると、カリスラントは想像以上にこのあたりの情報を集めたとわかった。
「……海賊を討伐してシーリングス海峡を開放。その見返りとしてタシフォーネの占領を認めろと……」
「はい。不利益を被るのはカーチマス王国だけです。我々の意図をはっきりと理解させれば七国同盟はきっと認めてくれると、アンネ様がそう考えています。逆を言うと、それをきちんと説明していないまま動き出したらいらぬ誤解を招く危険が極めて高いです。カリスラントは七国同盟の土地を奪う侵略者になるつもりはありません。海賊に占拠されている土地だから、賊を討滅して治安を回復させます。ただそれだけ」
「理屈はそうだが、最初の挨拶代わりにカーチマスゆかりの島を一つ占領するのはやり過ぎ……どうしても警戒と反感を……」
「ご心配していることはよく理解しています。そこで我々はレンダースさんとよく相談して、一つ気づいたことがあります。そもそも現在のタシフォーネ島の帰属は一体、どうなっているのでしょうか?」
「どういう意味だ?」
「『セルフェンギーア安全通航保証条約』の観点から、この問題を見るとどうなります?」
これはレンダースとより詳しい話をして引き出した情報。七国同盟が内部の貿易活性化を促進する政策は関税、通行料の撤廃だけじゃない。安全通航保証条約には、「それぞれの領海内で海難が発生すると所在国に保険金の一部を肩代わりする義務があり」と明記した。この条文は海上事故を減らすため、各国に海上救援体制を整え、そして港施設、灯台の整備を促すのが目的だが、海賊被害も含まれている。タシフォーネの海賊に襲われたら被害者は当然商業ギルドを通して保険金の請求をするが……
「通行料を徴収するための海賊行為だから、カーチマス王国が保険金を肩代わりするはずがありません。『タシフォーネ島は海賊に占拠されているから当国の責任外』と、給付を拒否したのですね。見方を変えると、商業ギルド各支部に保管されている、カーチマス王国の返答の書類はまさに、タシフォーネ島の領有権を放棄した証明になるのではありませんか」
「確かに、そうなるが……」
法的にはそうだが、タシフォーネ島はカーチマス王国の固有領土というのは、七国同盟だけでなく周辺諸国の常識。今まで誰もその点を指摘したことがない。初めて遭遇する状況に支部長が戸惑う。
「そこで、カリスラントが正式にタシフォーネ島を領有したら、過去の海賊事件による未給付の保険金を、海賊の資産で清算するのはどうでしょう?」
「なっ!12年前(安全通航保証条約が調印された年)まで遡るのだぞ!途方もない金額になる……」
「そうですね。さすがにカリスラントが自腹を切ってまで支払う義理はないので、あくまで海賊の資産がなくなるまで給付する、と言う話です。それでもカーチマス王国よりずっと責任感があると思います。そうですよね?」
「……海賊討伐の利益を捨てて、信用を買うと言うのか」
「はい。我々の目的はあくまであの島ですから」
支部長が考え込む。商業ギルドは単に商いの環境を良くするための組織ではない、七国同盟の経済活動を協調するから発言力は強い。この件に口を出してカリスラントの肩を持つなら誰も無視できない。それにテュークリム共和国を統治するのは貴族と商人で構成する議会だから、自分がこの件で功績を上げると政治の中枢に食い込む道を切り拓ける。そんな個人的野望を考慮しなくても、これはテュークリムの商人たちが長年受けた海賊被害を補填する絶好なチャンス。しかも銭と兵を出さなくてもいい、損をするのはあの腹ただしいカーチマスとフェインルーサだけ。やらない理由はない。後に必要なのは綿密な計画とリスクを下げる保証だけ。
「これが、アンネリーベル殿下の親書?えっと、カリスラントの文字なんだね?これ、こちらには読めないが……」
「そのための僕です。僕がこれから責任を持ってアンネ様の親書を読み上げ、そちらで別言語の複製を作成してください」
「わかった。用意するから少し待ってくれ」
「書き間違いがないように僕がチェックします」
カネミング石のイヤリングがあれば他の言語がわかるが、文字はどうしようもない。こんな風に会話を介して翻訳するしかない。もしレンダースとクルジリオンの支部長が結託して小細工したり、意図的に誤訳したら、ギーアル半島の文字が読めないカリスラント人は気付けない。しかし疑り深くなりすぎたら何もできないから、今は相手を信じるしかない。もし後で騙されたとわかったら、その時は相応の代償を支払わせる。




