3-11 三角形の裏(三人称視点)
――再誕の暦867年6月3日、探検艦隊旗艦ラズエム=セグネール、気球班待機室――
セイレーンの群れに遭遇してから一日過ぎた。今日もまた、ゼオリム班が夜番の日。気球班は2班しかいないから2日一度に10時間の夜番がある、負担がかなり大きい。だから気球班の夜番はただ待機室にいればいい。読書してもいいし夜食を食べてもいい。もし出番が来たらブリッジの方で呼び起こすから寝ても構わない。暗い夜で気球班に偵察させることは稀だから。それで今はまだ夜9時なのに、ゼオリムはもうベッドの上に。
「……全く、脳天気なやつだね。こっちがこんな大変なことになってるのに、全く気にせず、すやすやと気持ちよさそうに……」
「そうでもない。ゼオリムは今日の私達の様子がいつもと違うと気づいた。でも自分は何もしないほうがいいと判断したみたい」
「まぁ、確かにそんなところはあるよね。この子」
キャラメルのお菓子をぼりぼりしながら、ゼオリムの穏やかな寝顔を眺めて毒を吐くフィレリッタ。士官学校でゼオリムと初めて出会った時も、彼女はこんな風にゼオリムに厳しく当たった。目上の人を除けば、スジェアラ以外の誰にもフィレリッタはこんな感じだから。実家のことが嫌だから海軍に来たのに、周りの人は相変わらず実家のことばっかり。それで士官学校一年生の時フィレリッタはかなり荒んだ。でもゼオリムは他の人みたいに萎縮することなく、根気よくフィレリッタに接するから、いつしかフィレリッタの態度が変わった。言ってることは相変わらずきついが、拒絶の言葉からゼオリムを守るための言葉に変わった。
フィレリッタは一日中ずっと悩んでいた。仲がいい幼馴染にまさか、あんなことをされるなんて。朝の仕事中はなんとか耐えてたけど、本当はスジェアラと目が合うだけでも恥ずかしい。そのスジェアラが完全に普段通りに見えるのも納得いかない。そんな気まずい静寂の中、待機室のドアがノックされる。もし気球班の出番なら、正規の手順はまず連絡用の魔石ライトパネルが光る。ブリッジから人が来るのは待機室の全員が寝ていて反応がない時だけ。二人はちょっとおかしいと思いつつも、とりあえずゼオリムを起こす。
「ほら、起きるわよ!私達の出番みたいよ!……んん?」
「どうしたの、フィレ?」
「いや、様子がおかしい……なんで起きないの?体調が悪い?でも、そうには見えない……」
「心配する必要がありません。ゼオリムなら大丈夫です」
扉を開けて入ってくるのは、紫色の波の髪の女性。探検艦隊司令の副官、ファルナ。
「「ファルナ様!」」
「ごめんなさい。反応がないから勝手に入りました」
「申し訳ありません!今すぐこいつを叩き起こしますから!」
「謝る必要がありません。ゼオリムが起きないのは、わたくしが一服盛ったからです」
「なっ!どうして、そんなことを……」
「大事な話がありますから。貴女達三人はいつも一緒にいるから他にいい方法が思いつきません。安心してください。アンネ様には話しておいたから、今夜は気球班が呼ばれることはありません。もしどうしても必要なら2番艦を使います」
「大事な話、って……まさか……」
「ええ。悪いとは思いますが、貴女達昨日甲板での会話は聞かせてもらいました」
「……最悪ぅ……はぁ、じゃ、アンネ様にも……?」
「とりあえず、場所を移しましょう。ゼオリムが隣で寝ているままじゃ、貴女達も話しづらいですね」
ファルナの先導で、三人は無人の作戦室に移動した。
「あの……聞いてもよろしいでしょうか?あの時の話、アンネ様にも聞かれましたか?」
「その質問に直接答える代わりに、わたくしからアンネ様のお言葉を伝えます。『気球班の全員が大切というのは建前ではない、誰ひとり欠かさずに船に戻ることが一番大事だ』。フィレリッタさんはそこをちょっと誤解しているみたいですね」
「はっ、はい……(げっ、全部聞かれてるじゃないの……)」
「次は、スジェアラさん。船の上で過剰なスキンシップをしたので給与10日分の罰金を課します。本来なら双方罰するべきだが、状況を鑑みてフィレリッタさんに非があるとは思えないので、貴女にだけ2倍の罰を与えるのが妥当だと判断しました。この判定に不服がありますか?」
「……ありません。罰を甘んじて受け入れます」
「よろしい。ならわたくしの権限でこの件の処分は秘密裏に済ませます。他の誰にも貴女達の問題を気づかせないように」
「ご配慮、ありがたく存じ上げます」
話を一区切りにして、ファルナは本題を切り出す。
「さて、事務的な話はこれでおしまいです。貴女達は、これからどうするつもりなんでしょうか?」
「どうする、って……そんな簡単に結論を出せるものじゃないですよ……」
「申し訳ありません。もう少し時間を頂けることはできないでしょうか?」
「ごめんなさい。わたくしの言い方がよくなかったみたいですね。貴女達を急かすつもりはありません。今最も重要なのは、貴女達は問題を抱えているまま気球班の仕事を全うすることができるかどうかです。もし貴女達が空にいる間チームワークが乱れるようなことがあれば、全員を危険に晒すことになります。それは貴女達が一番理解していると思います」
「……ファルナ様の言いたいことはわかりました。スジェ、あなたはどう?」
「私は多分、何事もなかったように振る舞うことができる。でも、フィレは……」
「はぁ、そうよね……はっきり言って、自信がありません……」
朝の仕事中、スジェアラは一見いつもと変わらない様子だったが、フィレリッタは明らかに変だった。気球の姿勢を安定させるためにスジェアラが風操作の魔法を使うたび、フィレリッタは顔が強張って、身構える。それでゼオリムも二人の間になにかがあったと感づいた。
「もしできないと言うなら、安全のため第二気球班はしばらく任務から外すしかありません」
「だ、駄目です!そんな不名誉なこと……」
「私達が外されると、また臨時気球班を組むのですか?」
「そんな……ファルナ様も艦長もすでに激務に追われているし、カーシュレさんは客分。これ以上負担を増やすなんてできない!今はミレスファル先輩が負傷した時と訳が違う。私達でなんとかしなければならない……」
ファルナは何も言わず、二人に考える時間を与える。そしたらフィレリッタはスジェアラにずっと懸念していることについて聞くと決意した。
「一つだけどうしても聞きたいことがある。納得できる答えを得られたら、多分私は安心して任務を遂行することができる。正直に答えてくれる?」
「もちろん」
「スジェは、私を独占するために、ゼオリムに害をなすつもりなのか?」
「え?そんなこと、するわけないじゃない。どうしてそう思う?」
「……昨日セイレーンにやられた時、スジェは私だけ助けようとした」
精神魔法の影響を受けたフィレリッタとスジェアラが操作を誤っって、気球が大きく揺れた時の出来事。それがフィレリッタにとっての気がかり。スジェアラはゼオリムとも仲がいいと思ったが、なぜかあの時見捨てようとした。最初は実家絡みでなにかがあったと考えたが、スジェアラが自分の気持を明かすと、別の答えが浮び上がる。
「だから、それはフィレの誤解だって言った。私は本当に全員が安全に帰還できるように手を尽くしただけ」
「でもスジェは左手で私を掴んだ。あの時ゼオリムは危うく気球から落ちるところだったよ!」
「私は右手でゼオリムを掴もうとしたが、空振った。あの時本当に肝を冷やした」
「そ、そうなの?……本当、だよね?」
「私が、フィレに嘘をつくことは絶対にない」
フィレリッタが思い返す。あの時は自分も混乱していたから、スジェアラの動きがよく見えなかった。それで勘違いしたかも。
「そもそも私は、ゼオリムにすごく感謝しているから、危害を加えるはずがない」
「感謝?どうして?」
「……私は、自分の恋が普通の人と違うから、きっと実ることがないと割り切って、ただフィレの側にいられるだけでいいと思った。でもフィレは、ゼオリムのことが好きになった。私は、初めて希望を感じた。それなら私にもチャンスがあると」
「希望、って……でも、仮に私はゼオリムが好きだとしても、結局スジェの望みが叶わないじゃないか?」
「それでもいい。ゼオリムと一緒に過ごすフィレは笑顔を取り戻した。私にはできないことだ。フィレの幸せは何よりも大事。それに……フィレの側にいられるのは、一人だけとは限らないと思う」
「……はぁ?」
「実家のことが嫌いなのはわかっているが今はどうしても話さなきゃならないから許して。フィレだってカセシアル家本家の人間。複数の人間と関係を持つのは別におかしくないと思う」
「な、なにを言ってるの?あれは直系の男性に限った話。本家の人間でも、女性が愛人を持つのが許されるなんて聞いたことないよ!そもそも私はもう、実家とは関係を絶ったつもりでいるし、あんな節操がない男たちのようになりたくない!」
「私は、ご当主様のことが好きじゃないが、たくさんの女性を愛しながら、自分が唯一ではないのをみんなに納得させる手腕は素直にすごいと思った。フィレにも同じことができると信じている」
スジェアラの常識外れの提案に頭を抱えるフィレリッタ。それを見てファルナは苦笑する。小さい頃から本家のお嬢様を支えるように躾けられ、そして愛人を囲むのが当たり前のカセシアル家の異常な環境。おそらくスジェアラの歪んだ価値観はこうして形成したんだろう。
「フィレが望むならゼオリムを落とすのに私が手伝ってもいい。さっきも言った通り私はゼオリムのことが嫌いじゃない。今までみたいに三人一緒に仲良くやっていくのも悪くないと思う」
「話が飛躍しすぎよ……」
「まぁ、二人にもゆっくり考える時間が必要みたいだし、その話はここまでにしましょう。フィレリッタさんはスジェアラさんの話に納得できましたか?」
「……はい。まだ色々問題はありますが、仕事はちゃんとできると思います」
「それは良かったです」
席を立って作戦室から出る前に、ファルナは少し考える素振りをして、また別の話をする。
「どうも、スジェアラさんを見ると他人事とは思えないので……ちょっとだけ、アドバイスというか、参考になりそうなわたくしの経験談をしましょうか。スジェアラさんが昨日最後にやったこと、昔わたくしもアンネ様にしました」
「昨日最後にやったこと、って……えっ?まさか?」
「スジェアラさんならわかると思います。自分を抑え続けて、どうしようもない気持ちが一杯で、最後は暴走するしかありません。でもわたくしの場合、スジェアラさんとは一つ大きな違いがあります。あの時はアンネ様の心が深い傷を負って、なんでもいいからとにかく気を逸らさないといけない、と考えての行動でした。でも昨日のスジェアラさんはただ追い込まれて、他に局面を打開する方法が思いつかないから自分の気持ちを優先にしました。違いますか?」
「そう……かもしれません」
「フィレリッタさんへの献身が生きる意味のスジェアラさんにわざわざ言う必要はないかもしれませんが……どんな時でも初心を忘れてはなりませんよ」
「ご教授、ありがとうございます」
「わたくしはいつでも相談に乗りますから、遠慮なく愚痴でもなんでも言ってくださいね」
結局ファルナは第二気球班の色恋沙汰問題に対して特になにもしなかった。でもフィレリッタ達にとって、自分達の事情を知っていて理解がある先輩がいるのをわかっただけでも非常に心強い。翌日以降、第二気球班の勤務中の雰囲気は普段通りに戻った。




