3-7 常雷の海で足止め 1
――再誕の暦867年5月21日、探検艦隊旗艦ラズエム=セグネール、ブリッジ――
「北西方面は、激しい雷雨……西方面は、強風と激しい雷雨……南西方面、やっぱり激しい雷雨……」
「またか……5日前からそれしか出ないのね?」
午後のブリッジ。カーシュレに明日の天候予測をやってもらったら、また同じ結果が出た。ここから西の一帯の気象なんでずっと嵐なの?おかしくない?
新時代海軍は悪天候を回避するのが得意であって、悪天候の中での航行能力が高いわけじゃない。まだまだ探検が始まったばかり、ここで無理をして損害を出したくない。それで3日前から針路を南に変えて、嵐の予報が出たエリアを迂回しようとしたが……結局南の方も天候が変わらない。こんなところで足止めを食らうとは。この広範囲の雷雨は季節性のものかな?もう少し南へ行けば避けられる?
「アンネ様、これは流石に結果を疑うべきだと思います。2番艦のスルタキィームの予測も見てみましょう」
「本当にその必要があるのか?私はカーシュレの腕を信用している」
昔の海軍は複数のスルタキィームがそれぞれ天候予測をして、多数決で決める。でもあのトゥーリーストの大雨の一件から、私はカーシュレにだけ天候予測させるようになった。他の人の結果は意味がないし逆に有害だと感じるから。
「そう言ってくれるのは嬉しいですが、やっぱりファルナ様の言う通りにしましょう。これはあまりにも異常だから、私もちょっと自信がありません」
「わかった。カーシュレもそう言うなら。副艦長」
「はっ!2番艦に天候予測を要請する信号を出せ!」
しかし2番艦のスルタキィームによる天候予測は、全く同じ結果だった。
――30分後、作戦室――
「では、明日の航海計画はこれで決まり。後でブリッジに提出してね」
二人のスルタキィームの天候予測をもとに、私たちは明日もう少し南へ進んでみると決めた。
「ホーミルマはさっき処理が済んだ各艦からの報告、実習生たちにやり方を教えながらまとめて。他のみんなはもう休んでいい」
「はい!」
午後のティータイムにしようと、私とファルナが食堂からおやつを取って自室に戻る途中、客人として艦隊に同行する母娘の姿を見かける。
「メーミィちゃん、お散歩?」
「はい!」
元気な声で返事するのは、海外領地行政官僚ティランズの娘のメーミィちゃん。付き添うのは妻のミリシェラ。ティランズが連座で国外追放になったので二人もついていくしかない。
「船上での暮らしに不自由がない?」
「皆さんにとてもよくしてもらっています。おかげて快適に過ごしています」
なんだが毎回私がミリシェラに会うと同じ質問をするような気がして、しつこいと思われてないかちょっと不安だけど……客人は私たち海軍の人間みたいに海に慣れたわけじゃない。彼女たちの体調に気を配る必要がある。特に6歳のメーミィちゃんは先週体調を崩して寝込んだらしい。船上では治療の手段が限られているから、もし病気になったら大変だ。
「お姉さんたちがとてもやさしいのです!それに、リミアお姉さんも暇なとき私に勉強を教えてくれます!」
「そうか。船の上でもちゃんと勉強しているのね、偉い偉い」
そういえば、リミアは旦那さんを失ったショックで流産した。もし子供が生きていたら今のメーミィちゃんくらいの歳だね。
「勉強に頑張ってるということは、もう将来なりたいものがあるの?メーミィちゃんはどんな人になりたい?」
「わたしは、お姉さんたちみたいな海軍士官になりたいですっ!」
「海軍士官かぁ……」
その言葉にミリシェラも困った顔をする。現状海軍士官になるにはサーリッシュナルの士官学校に入るしかない。でもメーミィちゃんは本国に戻れない身……いや、子供のメーミィちゃんならさすがに数年後処分を撤回してもらえるだろう。しかし士官学校に行くと海外領地にいる両親と離れ離れに……まぁ、まだ先のことだし、海外領地の規模が大きくなれば分校を設立する可能性もあるね。
「ミリシェラさんとメーミィちゃん、こんにちは。あっ、アンネさま!挨拶が遅れて、申し訳ありません!」
「こんにちは、インスレヤ。休暇中だから気を抜いてもいいよ」
「はっ!」
反対側から姿を表すのは艦長のインスレヤ。ミレスファルの復帰によって臨時気球班の任務が終わった。負担を強いられた3人をねぎらうために、それぞれ追加の休暇期間を与えることにした。今日の夜までが休暇のインスレヤはどうやら、昼寝から起きたばかりみたいね。
「そうだ。ちょうど今からお茶にしようと思ってるから、みんなも一緒にどうかな?」
参加者が増えたのでティータイムの場所は急遽食堂に変更した。まだ午後の勤務時間だから、今食堂に寛いでるのはついさっき休暇に入ったタスリカだけ。みんなでおやつを美味しくいただいて、色々おしゃべりすることに。
「……しかし、海の旅は過酷なものだと聞きましたが、実際に経験してみるとそうでもないみたいですね。私も夫も、最初は娘のことがとても心配でしたが、これなら無事に新天地に着きそうですね」
「あぁ、その、ミリシェラさん……それは、この船だから、と言いますか……アンネさまの海軍でないと、船旅はやっぱりきついのですよ」
「同じく新型船のカリスラント商船も従来の船よりかなり改善したと聞きます。さすがに海軍には及びませんが」
今のカリスラント商船も私の新型船がベースだが、細かい内装などは海軍が関わっていない。タスリカの父は今小さな貿易商社を経営しているから、商船事情に詳しいのね。
私は前時代の船に一度も乗ったことがないから具体的なことは言えないが、新時代海軍の快適さが昔より大きく改善したのは確かだ。これほど大きな変化は様々な要因による結果だ。まずは帆船からスクリュー動力になったから操船の重労働が減った。艦隊分散行動で天候予測を有効活用して悪天候を回避。衛生環境の管理に力を入れて乗組員の健康を保つ……本当色々手を尽くしたね。
「まぁ、ここまでしないと、王女の私が船に乗るのを許してもらえないからね」
「私が一番すごいと思うのはこれだけ豊富な物資を保持しながら航海できることです。もう出発してから2週間経ったにも拘わらず、各種食料品はもちろん、果物やこういう嗜好品も不足することがありません」
「そうですよね。海上でこんな風にお茶を楽しむことができるなんて、他の国の人には想像もできないでしょうね」
意外にも、このメンツの中で一番茶葉に詳しいのはインスレヤだ。彼女の父は大手貿易商だったから内海とフォミン原産の高級茶葉をよく扱ってた。それに比べると私たちが今飲んでるカリスラント南部地方産の茶葉は二級品だと言われているが、正直どこが違うのか私にはよくわからない。
新時代海軍は設立当初から物資の充足を重要視している。海上生活は新鮮な食材を取得できなくて栄養バランスが悪くなりがち。昔の地球の壊血病がまさにその代表例だね。そうならないように私は第三世代錬金術を用いて多様な保存食を開発、そして同じく錬金術由来の断熱材と中級水魔法の「水温操作」のコンビで擬似的冷蔵庫を作り出せた。それにこの世界には水生成の魔法があるから元々地球の船より物資の積載量に若干余裕がある。食料の問題はこれで大体解決した。
「そういえば、夫が陸軍にいた時それについて何度か話し合いに参加したような気が……」
「ティランズさんは確か、兵站担当でしたね。あれでしょう?我々のこんなちょっとした贅沢に陸軍がケチを付ける件」
「ええ。インスレヤさんの言う通りです。海軍に無駄な出費があり、予算が浪費されるくらいなら陸軍に回すべきと、夫の同僚たちがよくそう言ってました」
「海軍戦史研究会のメンバーの知人からも似たような話を聞いたことがあります。あのトロメルト襲撃以降はそんな話は一切なくなりましたが」
タスリカが言ったトロメルト襲撃とは、先の戦争の二年目で私が発案した作戦だ。海軍と商船で組んだ輸送艦隊で陸軍の別働隊を帝国軍防衛線の後方に運び、手薄の港町と物資集積地を襲撃する。少数で奇襲するあの作戦の肝はいかに陸軍の人員に快適な旅をさせることだ。地上に降りてすぐに全力を出せるようにしないと、モタモタしている間敵に気づかれて全部水の泡に。あの作戦の成功があったから陸軍の人々は海軍のことをもっとよく理解するようになったね。
「アンネさまの思想が先進すぎて理解してもらえないの仕方ないんですが……連中がアンネさまの施策を子供のままごとだとバカにしたのは本当許せません」
「まぁ、そこは陸軍と海軍の性質の違いによる誤解だからね。私は別に気にしてない」
陸軍はどうしても人数の拡張を優先したいところがある。海軍は相対的に少数精鋭になるから一人ひとりのモチベーションが大切だ。充分な休息を与え、娯楽や嗜好品の需要を満たし、栄誉を求める意欲を刺激する……様々の手段を講じて、みんなの力を最大限に引き出すのが私のやり方だ。それに戦争は敵と戦う前に、まずは不足との戦いだから。いつもこんな贅沢をする余裕があるからこそ、戦争が始まると重要性が低い嗜好品などから削ることができる。もし常に限界状態の部隊なら他に捨てられるものがなく、すぐに大切なもの――例えば食料、休息、果ては命を代価として差し出さなければならない。普段は少ない費用で大部隊を維持できるのを自慢するが、実戦に投入すると見掛け倒しであることが露見してしまう――独裁国家の軍隊がよくそうなるのはまさに人間性を軽視してコスト削減のしすぎが原因だと思う。
おやつを食べ終わったメーミィちゃんが眠くなったので、ミリシェラは娘を連れて客室に戻る。食堂に残っているのは私たち海軍の人間だけになった。
「さっきは航海の居住環境の改善について色々話しましたが、実は私達みんなあまり実感できないじゃないかと思います。父はよく若い頃ザンミアルの商船で働いた時の話をしてくれます。でも私はそんな船に乗ったことがないから、あまり実感できません」
「確かにそうですね。わたくしも大叔父様から、昔のザンミアルがどれだけ大変な思いをしてやっと航路の開拓に成功した、それに比べるとアンネ様の海軍がいかに優れているかを延々と聞かされましたが、そんなこと言われても……って感じになりました」
「ファルナにそんな冷たい反応されたときのケロスじいちゃんは面白かったよね」
船の設計と開発に、色んな船を知ってるケロスのじいちゃんみたいな大ベテランによるフィードバックはとても参考になった。でも年寄りの長話に付き合わされるファルナの気持ちもわかるね。自分に懐いたはずのファルナに冷たくされて、「反抗期か!」とじいちゃんが取り乱したのは懐かしい。
「実は私も、小さい頃は未知なる海を探検するのを夢見ました。父から船の上の生活がいかに大変で、長期間の探検なら更に過酷になるのを聞いて、一度は諦めました。アンネ様のおかげて私が海軍に入り、今こうして夢が叶いました。ただ、時々思ってしまうのです。こんなにも快適に航海してるのは、本当に探検って言えるのでしょうか」
「そうか……なんか、ごめんね。でもみんなの安全と健康にできるだけ配慮するのは決定事項よ」
「あっ、違うんです。アンネ様の方針に異を唱えるわけでも、不満があるわけでもありません。これはただの、その……個人的な、つまらない感傷と言いますか」
タスリカの言いたいことはわかる。例えば地球の大航海時代の序盤では、探検に出る艦隊の一部はあまり期待されていなかった。別に戻れなくても構わない、まるで捨て駒みたいな扱いだった。そんな艦隊に参加する人間の質も当然良くない、ひどい場合はゴロツキ同然。船上の劣悪な環境で身も心もすり減った状態で新天地に辿り着くと、蛮行に走るのもある意味当然な結果。大航海時代の陰の一面の大きな原因はそこにあると思う。「衣食足りて礼節を知る」という地球のことわざからわかるように、部隊のコンディションを保つことができなければ規律や栄誉なんて夢のまた夢。私の探検で同じような惨劇を起こさせないためにも、艦隊を常に万全な状態にしなければならない。
「……アンネ様。先日お話しいただきました、ザンミアル担当艦隊の話。私、受けたいと思います」
「もう結論が出たの?」
ザンミアルの防衛を担う艦隊の編成に、タスリカの参加を海軍本部が望むのは伝えたが、今すぐ結論を出す必要はないとも言った。まだ探検の序盤、いつ本国に戻るかもわからないから。
「はい。アンネ様の恩に報いるにはどうすればいいかと考えた結果……自分のなすべきことから逃げる訳にはいかないと気づきました」
「別に、そんなこと気にする必要がないのに……」
「いいえ。アンネ様が私達をどれだけ大事に思うのか、同じ船で間近に見るととてもよくわかりました。先日ミレスファルさんが怪我した時もそうでした。あれを見た人はみんな思うでしょう。もし似たようなことが自分に起きたらきっとアンネ様は同じくらい心配してくれる、と」
ファルナもインスレヤも頷いて賛同を示す。そんな事言われるとすごくむず痒い。私はただ指揮官の責任を果たすだけなのに、みんなどうしてそんなに大げさに……私のためになら命を投げ捨ててもいいと馬鹿なことを言う人さえいる。教え子たちが死んじゃうと私がすごく悲しいのがわからないのかな……
「自分の将来に関わる重大な決断だよ。もしそんな理由で決めたなら感心しない」
「もちろんこれだけではありません。私が思うに、ザンミアルは保守的になりすぎました。新しい概念を受け入れられず、変化に対応できなかったのが、先の戦争の原因じゃないかと考えております。ザンミアルは父の故国です。私も、ザンミアルの地に一度も踏み入れたことがないが勝手に親近感を抱いています。もしザンミアルが敵対国のままではこの思いを胸の奥に秘めておくしかありませんが、アンネ様が見据える将来にザンミアルの復興が重要な意味を持つなら、それを促すには私のような人間が最適です」
必要以上に警戒されているカリスラントは直接内海に干渉せず、属国のザンミアルを介して影響力を発揮するのが一番だ。それを実現するにはザンミアルを今のままにしておくわけにはいかない。特に重要なのはザンミアルに我々の優位性を認めさせてもらうことだ。でなければザンミアルは心からカリスラントに服属しないし、政治と経済の改革もできない。しかし文明の発祥地である内海の人種はとにかくプライドが高い。田舎者の我々の良さを学ばせたいが、彼らの自尊心を傷つけないようにするのは難しい。だからタスリカのようなザンミアルの血を引く人間にその役目を任せるのが最適だ。
「カリスラント海軍のことはもちろん、戦史研究会で私はザンミアルのことも深く知りました。この任務はきっと、カリスラントとザンミアル両方の良さを知っている私でなければ務まりません。そして私は今回の探検で見たことをザンミアルの人々に伝えたいです。閉鎖的になったザンミアル人にもっと広い視野を持たせるには、これが一番有効でしょう」
「わかった。これから時間が空いてるとき私とリミアが艦隊指揮の実務について教えるね。初めて指揮官を務めるのに任地が国外、きっとたくさんの困難と複雑な環境が待っている。でも心配しないで。海軍のみんながあなたの後ろ盾になる。何かあれば遠慮なく本国に頼ってね」
まだ先のことだから状況が変わる可能性もあるが、おそらくタスリカはザンミアル担当艦隊の司令、もしくは副司令になる。そうなると探検艦隊の次期参謀長は自動的にホーミルマになるか。それともティエミリアが急に覚醒するのを期待する?……まぁこれも今考えても仕方ないか。
「はい。もう心の準備ができています。多分、私は女であることが最初の大きな障害になるでしょうね」
あ、そうか。ザンミアルの伝統では女性が船乗りになることさえ許されない。彼らを守る艦隊の指揮官が女性のタスリカ、それ自体がかなり衝撃的な出来事になるね。それに、つい最近の第五艦隊の件もある。タスリカは戦史研究会初代会長としてザンミアル系海軍士官に強い影響力を持っているから、セリアーシェみたいに部下たちに舐められることは多分ないが、当地の権力者や役人とのやり取りで厄介事が起きそう。やっぱり心配だ……いや。ここは自慢の教え子がきっと試練を乗り越えるのを信じるべきところかもしれないね。




