2-10 水面下監視と未知なる脅威
――再誕の暦867年4月20日、探検艦隊旗艦ラズエム=セグネール、ブリッジ――
探検艦隊の艦隊行動訓練5日目。もうカリスラントの海岸から900KM以上離れてる。かなり遠くまで来た。このあたりはもう西南海岸貿易ルートの航路ではない。漁民もここまで来ることはめったにない。こんな何もないところでは、普通に考えれば何事もないはずだが、今私たちは緊張感の中でレーダーを注視する。
「やっぱりいるわね」
「いますね。こんなにいるとは思いませんでした」
このレーダーは海軍が普段使う汎用レーダーや、昨日の演習で使った高精度レーダーとは違う。外洋航海のために開発した水面下監視用レーダーだ。地球では水中の索敵といえばソナーだが、実験で魔力波の性質を確かめてみたら水中でも伝わる。ただし例の一定の高さを保つ特性と、水中での魔力干渉を観測する手段が違うから、普通の魔力レーダーとは別のものを用意する必要がある。
「さーてさて、ツァルセルなのか、ネリトムなのか、はたまた誰も知らない新種なのか……」
「カーシュレ、わかってると思うが、海の魔物を見物しに来たわけじゃないよ」
航海中は大体研究資料を読んでるカーシュレが珍しく席を立って、興味津々にレーダーを眺めてる。その気持はわからないでもないが、このレーダーを開発したのは危険を遠ざけるため。海の魔物の研究のためじゃない。いずれはそれもできるかもしれないが、今は水中用の兵装一つも用意してないし、そんな無茶なことをする気が全くない。
この世界には海の巨大魔物の伝承がいくつもある。それは多分誇張された話でどこまで信じていいのかわからないが、確かにそんな生き物はいる。その存在を裏付ける証拠が実際にある。魔物がいない地球でも、クラーケンなど海に現れる怪異の伝説がある。おそらくダイオウイカなど非常に巨大な生き物が話の大元だろう。まぁ魔物でも怪異でも野生動物でもなんでもいい。それが航海の安全を脅かす存在になるか否か、重要なのはこの一点だけ。
「アンネさま。これから各艦にレーダー反応がある場所の座標を知らせます。それでよろしいですね?」
「ええ。手筈通りに行こう。予想以上に多いので情報管理士官たちに負担をかけるが、みんなの安全が第一だ」
小さい頃探検計画を練り上げるとき不思議に思った。どうしてこの世界は外洋に対してここまで無知なのか。ザンミアルや他の内海の海洋国家の航海術は地球の大航海時代初期に負けていない。水生成など便利な魔法もあるし地球より簡単に探索できるはず。なのにみんな近海から出ようとしない。私が海外探検したいと言い出して猛反対されるとその原因を知った。海の魔物の伝承が外洋に対する忌避となり、人々の冒険精神を蝕んだ。この点についても私はカリスラントに生まれてよかったと思う。航海の伝統がないから昔からの海洋国家ほど外洋を畏れていない。だから私の探検が許された。
カリスラントで有名な海の脅威といえばツァルセルだ。20年ほど前に一度人の前に姿を表して、フェルテジの港を半壊させた。今はその亡骸、というより殻が記念碑代わりに展示される。フェルテジに寄港するとき必ず目に入る。ツァルセルの姿はなんというか……直径16M超えの巨大オウムガイといえばいいのかな。海の中にそんな脅威生物がいると考えるとぞっとするね。伝承によるとツァルセルは温厚で船を襲わないらしい。フェルテジで大暴れしたのは漁船が捕った獲物の中にツァルセルの幼生が紛れ込んだから親が追いかけてきただけ。でもたとえツァルセルが大丈夫でも他にいろんな危険な存在がいる。真偽不明の話だが最初にロストしたジーカスト艦は戦闘による被害ではなく、角を持つ大怪魚ネリトムに船底を貫かれたらしい。他のメジャーの話ならリーメプレの木かな。触手を伸ばして船に絡め取るのは、冒険文学でよく見るエピソード……はぁ、思い出すとまた神殿からもらったあの杖を手放したくなるよ。
これまで私の新時代海軍は海の魔物について考えないようにした。他にもっと優先すべき課題があるし、近海で活動するなら遭遇する確率は極めて低いと思うから。でも探検するなら外洋は避けられない。この問題はもう無視できない。この水面下監視用レーダーの開発を提案したとき金の無駄だと散々言われたけど、こうして実際に使ってみると、外洋に生息する脅威生物は想像以上に多いのがわかった。この世界の海の探索が進まないわけだ。やはり水面下監視用レーダーを作って正解だったね。
「魔力量が多ければ多いほどレーダー上の表記が大きくなるのですね?」
「そうそう、個体の大きさではないからチャートの作成時は注意してね」
戦術分析士官たちがレーダーの観測結果を海図に記録する。これは将来どの海域の安全性が高いかの判断材料になる。水上のレーダーは人間の識別に特化して、他の種類の魔力干渉は全部除外する。一方水中観測はすべての反応を拾うが一定規模以上の魔力反応をフィルターする。基本的に生物の魔力量は体の大きさに比例するから、魔力量は脅威度そのままだと考えてもいい。稀に魔力が高い小型の魔物もいるがそういうのは大体厄介な魔法を使ってくるから、危険な存在であることに変わりない。なので水面下監視用レーダーは魔力量を基準で対象を識別する。
「あの……さっきから座標M-25の個体が3番艦に向けて加速しているように見えますが……気の所為なんでしょうか?」
「……間違いない。これは3番艦を狙ってますよ」
「どうしてそう断言できるのですか?」
「こんな感じでしばらく追尾して、狙い定めると加速するのはよくある魔物の行動パターンですよ。海の魔物が同じとは限らないけど、そろそろ何か対策をしないとまずいのでは?」
「そうね。カーシュレの言う通りにしよう」
こんな事態に遭遇するのは初めてだし、まだ状況を正確に伝達する信号が決まっていない。確実に伝えるには遠話で3番艦の艦長を呼び出すのが一番。
『アンネ様ですか?どうしましたか?』
「現在水面下監視用レーダーにより、推定魔力650の未確定個体がそちらに接近しているのを察知した」
『マジスカ……あっ、いや……本当なんですか?えっ、まさか……こちらが、その、捕食の対象に?』
上官に使っちゃいけない言葉を慌てて言い直す3番艦の艦長。まぁ、魔力650なら地上の魔物の王者ベヒーモス相当だ。あんなのに追われてるのを聞かされて動転するのは仕方ない。今の失言は聞かなかったことにしてあげる。
正直に言うと、私もかなり緊張してる。正体がわからない以上、あの個体が更に加速して、3番艦に追いつく可能性もゼロじゃないんだ。でも私まで冷静でいられなくなるとみんなが普段通りの力を発揮できなくなる。不要な感情を抑えるのも指揮官の務めだ。
「慌てる必要はない。我々のほうが速いから。今からこちらの誘導通りに動けば振り切れる」
『了解しました』
艦長には天候状況を見て針路と船速をある程度自由にできる権限がある。今の会話は要するに、旗艦の方にしか見えない危険が迫ってるからその権限を一時停止させてもらう、って意味。
未確定個体の追尾を躱すように、しばらく3番艦はスピードを上げてこっちの指示通りに進むと、レーダー上で例の個体を示す反応が方向転換してどんどん遠ざけてゆく。とりあえず今のでよくわかった。水面下監視用レーダーなしでは外洋を安全に通過できないかもしれない。本当作っておいてよかった。いずれ始まる大陸間貿易もこの問題を考慮に入れないといけないね。今の段階で民間船にレーダーを装備させるのは避けたいから、護衛船団形式で海軍が安全な道を案内するしかないかな。
「諦めてくれたみたいね」
「どうやら追いつけないとわかったらさっさと狙いを変えるタイプなんですね」
脅威がなくなったことに安心する私と、ふむふむと頷いて研究資料に書き込むカーシュレ。魔物の生態を研究する機会はなかなかないし(地上の魔物はもう絶滅したから)、わくわくするのもわかる。
「……ねぇ、カーシュレ。やっぱり考え直してくれない?私たちと一緒に来たら、きっとまたこんな風に興味を引く研究材料と出会えるよ?海の魔物だけじゃない。まだ見ぬ西の大陸にはもっとたくさんのチャンスが待ってるから」
そう、まさに「ランド・オブ・オポテュニティー」ってやつよ。我ながらうまいこと言えたんじゃない?
「……えっ?そ、そうですね……と、とても魅力的な提案なんですが……ごめんなさい。私は、やっぱり家族の方が大事です」
「そっか」
悩む素振りを見せたが、結局断られちゃった。まぁ、カーシュレが子供たちと離れるのが嫌のはわかってたし、ダメ元で誘っただけよ。
「それに、ほら……こういう研究ができるのは結局、魔導研究所しかありません。ふふっ、私が行かなくても、きっとアンネ様は資料を送ってくれます。そう信じてますよ」
へらへらと笑いながら、悪びれる様子もなくおねだりするカーシュレ。全くしょうがないやつだね。悪気がないのが知ってるから、そんないつもと変わらないカーシュレを私は今更責める気はないが……他の人はとうとう我慢の限界を超えたみたい。先程ブリッジに入って後ろに控えている参謀の一人、ティエミリアは舌打ちをしてカーシュレを咎める。
「……カーシュレさん。貴女は客人だからそんな振る舞いも許されているが、今のは少々厚かましくありませんか」
「えっ?あっ、その……いや、私、そんなつもりはないですけど……」
弁解しようとするカーシュレだが、ブリッジのみんなを見回すと硬直した。あまり空気を読まないカーシュレでも、自分に対して好意的じゃない周りの目線に気づいた。私はそういうのをあまり気にしないけど、客観的に見るとカーシュレの今の態度は一国の王女に対するものじゃない。ルクサーム=セグアンリペールではみんなが慣れているから問題なかった。現にあのときのメンバーのリミアとインスレヤは苦笑している。でもラズエム=セグネールの乗組員はあのときより年が若く、そして私への崇拝も増したからカーシュレの言動を見過ごせないのね。はぁ、人間関係のマネジメントは本当に大変……
「そもそも、今の態度以前に、姫様の誘いを無碍にすること自体が許されません。家族と離れ離れになりたくないのはわかりますが……いくら正当な理由があるとはいえ、もう少し断り方に気をつけるべきでは?この国の最も尊き方の顔に泥を塗ったのに、全く自覚がないなんて……」
0期生の元老たちを除けば、ティエミリアは海軍の最古参の一人。同じ1期生でもファルナより早く私と出会った。彼女の父、クリュサズ伯爵は王女とのコネ作りのつもりでティエミリアを送り出した。できれば一番乗りを狙いたいから他の誰よりも早く私のもとに来たんだろう。そして今の彼女は誰よりも私に心酔する。私のことは「アンネ様」と呼ばれることが一番多いが、いつの間にか海軍の女性の中に私を「姫様」と呼ぶ派閥ができた。ティエミリアはその筆頭とされる。彼女は出会った日からずっと私を「姫様」と呼ぶから。正直あの派閥にはちょっと……困っているというか……とにかく私に対して妄信的な人がこれ以上増えてほしくない。
「まぁまぁ、それくらいにしておきましょう」
「しかし、姫様、」
「カーシュレもこれで反省してくれるから。ね?」
「は、はいぃ……」
あっ。その目は、自分が何故怒られたのもいまいちわかってないみたいね。魔導研究所は完全に才能至上だから、風魔法の分野において誰よりも優れているカーシュレは自分の研究室にいる間まさに一国一城の主。カリスラント海軍も能力主義なんだけど、やはり軍隊だから上下関係が厳しいところはある。カーシュレは周りに合わせる気が全然ないというか、ここでは自分が異物であることさえも気づいてない。本当、協調性のかけらもないやつ……カーシュレのことは年が近いリミアに任せよう。目線で合図を送るとリミアはすぐに「心得た」って感じで頷いた。よし、これで私はティエミリアの方に専念できる。
「それより、ティエミリア。なにか報告することがあるのね?」
「はい。現在艦隊の物資管理を実習生の二人に教えていますが、水当番について説明したところでなかなか納得してもらえないのです。姫様のお手を煩わせるのは心苦しいですが、作戦室までお越しいただけますか?」
ああ、そういうことか。あの二人どっちも高位貴族だから、そういうのにうるさいのね。
「わかった。ファルナ、行こう」




