2-6 探検艦隊の意思決定プロセス
――4時間後。探検艦隊旗艦ラズエム=セグネール、作戦室――
港を離れて、沖合まで来た。初日は特に予定がない。ただ西へ航海するだけ。艦隊として動くのをみんなに慣れてもらう時間だ。二日目から色々訓練メニューをこなすことになる。手が空いてる私とファルナ、あと参謀のみんなも一緒に作戦室に移動。ちょっとした課題を用意したのでこれからやってもらう。
「まずは配った資料を読んでね」
みんなが手にする分厚い紙には、私が考えたいくつの探検中に遭遇しそうなシチュエーションをシミュレートする課題が印刷されてる。いずれも必ず正解と言える答えがなく、判断に難しい状況だ。ちなみに植物紙と印刷技術は魔導帝国の時代で発明され今も受け継がれている。地球の中世より知識の普及が簡単だが、全体的識字率が低いので紙と本の需要がそこまで高くない。大量生産によるコスト削減の恩恵がないからそこそこ高価だ。
「か、課題なのにすごく本格的……」
ファルナとリミアはもちろん、他の参謀3人も以前似たようなことをやらされた。でも実習生の2人はこの手の課題をやるのが初めて。この課題はとにかく情報量が多い。例えば今回のシチュエーション。海の向こうのある国の上層部と話し合いをして、まずは友好的な関係を結ぶことに成功した場合を想定する。しかし私たちはその国の商人と偽った海賊に襲撃され、返り討ちにしたのはいいけどそいつは逆に私たちに襲われて積み荷を奪われたと訴える。向こうの国の役人は当然自国の人間の話を信じる。この状況で私たちはどう動くべきかを決めるためにこれから議論する。状況をシミュレートするためにいろんな架空な材料を準備した。向こうの国の技術レベル、経済、文化、政治体制、宗教。私たちが接触した向こうの要人について、私たちの味方になりそうな人物がいるかどうか。向こうの全体的戦力分析、この近辺で今すぐ争いが起きる場合の双方の戦力比較。本国から支援を受けられるか、物資を提供してくれるならいつ届けられるか、援軍を出せるならどれくらいの戦力で来てくれるか。ぶっちゃけ現実ではこれだけの材料を用意できることは稀だ。現実での情報収集に色々困難があるから。
「あなたたちに与える時間は10分だけ。全部頭の中に入れるのは不可能でしょう。ざっくりと読んで要点を抑えるように」
「10分だけ、ですか?無理です、こんな量では……」
「一人でなんでも完璧に把握する必要がない。気づいてないところは他のみんながカバーしてくれる。そのためにこれだけの人数の参謀がいるから」
と言っても、非常に重要なところを何故か参謀の全員が見落としてしまうことも極稀に起きる。いくら人員を増やしても訓練を強化してもそれは完全に防げない。まぁ事故のようなものだ。
「では、まずは私の考えから。せっかく良い関係を築くことができたんだ。不幸な誤解で台無しになるのは惜しい。トゥレグス外務官(この課題での架空人物。私たちに好意的な現地役人)に連絡を入れて、事態を収める方法はないかを検討しよう」
「わたくしは反対です。話をまとめるまでどれくらい時間がかかるかがわかりません。向こうが海軍を動かせるとすぐにでも紛争になります。まずは艦隊の配置を見直して、遭遇する場合の対応を決めるのが先決です」
「安全を考えるならそれでいいかもしれないが、艦隊に派手な動きがあると相手を刺激することになる。こんな時だからこそ慎重に動かなければならないと思うわ」
「わかっています。でも相手への配慮より、こちらの守りを優先すべきではありませんか」
10分過ぎると私とファルナが議論を始める。ファルナが真っ向から私の意見を否定するのを見て実習生の二人はぽかんとする。彼女たちの世代では私の言う事はもう神の言葉に等しいから。
「仮に話し合いの余地があるとして、どうやって誤解を解くおつもりですか?」
「向こうの役人をティンテズ(この課題での架空のカリスラント海外領地の港)の倉庫に招き入れて、強奪した積み荷がどこにもないのを見せれば納得するでしょう」
「その役人が最初から敵の手先、虚偽の報告でわたくし達を陥れることもありえます。最悪なのは、役人の検査自体が襲撃の偽装という可能性。陸上で争う場合わたくし達のアドバンテージはほとんど失われます」
指揮官が私のとき、艦隊の方針を決める場ではまずファルナに私の意見を反対してもらう。今みたいに粗を探すつもりで、どんな些細なことでもいいから全部指摘するように頼んだ。この役目は他の海軍の首脳陣、例えばリミアにもこなせる。でも一番適任なのはやっぱりファルナ。私相手に誰よりも遠慮なく自分の意見を言えるのはファルナだから。
実習生の二人はずっと黙っていたが、ここでリエメイアが挙手して発言する。
「すみません。一つ疑問に思うことがありますが……どうして倉庫を見せれば私達が積み荷を盗っていないことがわかるのですか?すでに換金したか、それともどこかに隠したか、と疑われるのではありませんか?」
初歩的な質問だけどここで怒ったりイライラするのはダメ。むしろ初めての参加なのに勇気を出して質問するところを評価すべき。それに、他のみんなでも私でもたまにこんなごく単純な見落としをする。
「リミア。それについて説明して」
「はい。こちらに濡れ衣を着せようとする賊が申告した物的損害はかなりのものです。それも簡単に処分できるようなものではありません。事件から4日経った今では買い手が付くとは考えづらいです。ティンテズに他にこれだけの荷物を隠せる場所がないし、倉庫にないならもう私達が所有していないことを証明できます。そしたら私達だけでなく、告発者のことも調べるはず。取引記録を見れば一発で虚偽告訴だとわかります」
「問題はあの賊がもし司法を捻じ曲げるほどの力があれば……普通に考えればそこまでの影響力を持っているならこんなチンケな虚偽告訴なんてやりませんが、何事にも例外があると言います」
そして他のみんなも交えて議論を進める。
「トゥレグス外務官の仕事場がちょっと遠いからこの件に介入するのが遅れそう。ならムーリェ(架空の港町、カリスラントの勢力範囲から一番近い)で前回のトラブルを仲裁してくれたあの管理官に助力を頼むのはどうでしょう?確か、名前はクリミティと言いましたか?」
「あの方と直接会ったのは、ホーミルマね。あなたが見た感じ、どうなの?」
「は、はい!」
そう返事しながらホーミルマは慌てて資料をめくる。他のメンバーに渡したものより、ホーミルマの資料が2ページ分多い。例の管理官との架空の会合について書かれている。課題によってはこんな風に特定のメンバーだけが把握している情報もあったりする。
「え、えっと……クリミティさんの権限ではこの件への助力は難しいと思われます。事件発生の場所もあの商人もクリミティさんの管轄区域とは無関係なので」
「やっぱり厳しいか……とにかく今は時間がほしい。少しの間でもいい、なにか彼らの動きを抑える手段はないか?」
「時間稼ぎなら私に一つ考えがあります。あの賊は海上で私達に襲われたと言いましたね。その事実を完全に否定するより、私達の関与だけ排除するほうが簡単じゃないでしょうか。資料の13ページに南ティンル海の海賊に関する記述があります。『あの商人が襲われた件についてこちらは把握していません。しかし事件の前日近辺に海賊らしき動きを捕捉した』と返事して偽情報を流せば、向こうは別の可能性を考慮しなければなりません。うまく行けば、私達が襲撃者と言うのは商人の誤報で、真犯人は南ティンル海の海賊だと勝手に勘違いしてくれます」
……失念したよ。タスリカに言われるまで気づかなかったなんて。カリスラント海軍の優れた情報収集能力に慣れた弊害だね。魔力レーダーによる監視体制がないなら、海の上の出来事は確かめようがない。当事者たちが自分に都合がいいように話を作り変えることなんて日常茶飯事。極端に言えばカリスラント海軍が管理していない海は無法地帯だ。当然私たちもその点を利用できる。
この計略の肝は、相手の主張を直接否定せず別の可能性を提示するところ。「あの商人は嘘をついてこちらを陥れようとしてる」は向こうにとって受け入れがたい話。でも「あの商人はこちらが犯人だと勘違いしてる」なら十分ありえる。ちょっとずる賢いが当面の衝突を確実に回避できるだろう。実にタスリカらしい案だ。
「発言よろしいでしょうか」
まだ遠慮してる様子のサーリエミが挙手した。初めてなのに実習生の二人ともちゃんと参加しようと頑張ってるね。偉い。
「その作戦は今うまくいっても、将来カリスラントの不利益に繋がる恐れがあります。詳しく取り調べると、こちらがあの商人に偽装した賊に襲われた事実にたどり着くでしょう。そしたらこちらが偽りの証言をしたことが露見します。誰かを陥れようとする悪意な嘘ではないので責められはしないでしょうが、こういう記録は今後の外交上あまりよろしくありません」
「あなたになにがわかるのですか?眼の前の問題のほうが大切なのに、そんな理由で先輩の案にケチを付けるなんて」
否定的な意見を出したサーリエミに、案の定リエメイアが噛み付いた。だからこの二人を一緒にさせたくないのよ。反論は大歓迎だが私情を挟むような意見はいらない。んー……リエメイアはこのままではダメになりそう。能力と向上心はあるが、今の態度はいただけない。あとできつく言っておこう……そうだ、リエメイアが崇拝するリミアからの訓誡ならより効果ありそうね。
「まぁまぁ、サーリエミの言う事に一理ありと思う。こんなくだらないことでカリスラントの信用を損なうわけにはいかない。でもタスリカの策を少し修正すればその心配がなくなるじゃない?私たちが襲ってきた賊の正体に気づいてないということにすればいい。私たちは西の大陸では新参者だし、やつを南ティンル海の海賊だと誤認しても別に不思議なことではない」
「なるほど。私たちに襲われたというあの商人の証言と、南ティンル海の海賊を返り討ちにした私たちの証言。この2つが同時に来たら、南ティンル海の海賊が暴れ回っていると考えるほうが自然ですね」
「それに、後に賊の犯行が露見しても、こちらは偽証をしたわけではありません。賊の正体に気づけなかっただけです」
そろそろ結論を出したい頃なので、リミアの判断を聞く。この手の議論中リミアのポジションにいる人はあまり意見を出さず、みんなの意見をまとめるのに集中する。そして最後は私のために客観的立場からの判断を提供する。とても大事な役目だ。最終決定を下すのはやはり司令、もし私はリミアの判断が間違ってると思うなら無視することもできるが、そんなことは滅多にない。大体はそのまま行くか、少し修正を入れる程度だ。
「……タスリカ発案の時間稼ぎ策を実行すれば、当座の危機は回避できると考えます。その間にトゥレグス外務官とクリミティ管理官に連絡を入れましょう。状況をこれ以上ややこしくしないためにも今は艦隊を動かすべきではありません。こちらの民間船に警戒を強めるように注意喚起をするだけで十分じゃないかと考えております」
「ではその案で行こう。時間稼ぎは外交ルート経由だから私とファルナがやる。護衛艦隊とティンテズのスタッフへの状況説明と警戒態勢強化の手配はリミアに任せよう……あとは副司令とも意見交換しないと。カーシュレを呼ぶね」
実は今2番艦ミレギーレ=トリンヤでもケロスのじいちゃんの下で参謀たちが同じ課題をやってる手筈。海軍の意思決定はどうしても旗艦に集中する。これは私が通信体制を改善しても変わらない。でも余裕があるときはできるだけ副司令の予備指揮機関と状況を共有する。
通話して向こうの結果を聞くとしようと、私は遠話を使ってカーシュレに呼びかけてみたが……反応がない。
「ブリッジにいない……自室に戻ったのかな」
こんな風に、たかが十数メートル程度の誤差で私の遠話は通じなくなる。本物のスルタキィームのすごさがよくわかるね。
「カーシュレ、聞こえるか?」
ターゲットを客室に変えたら繋がったみたい。ちなみにカーシュレは特別扱いだから共同寝室ではなく、客室を自室として使うのを許された。
『……アンネ様ですか?何かご用でしょうか』
「今から副司令に遠話をかけてもらいたい。ブリッジに行ってミレギーレ=トリンヤの位置情報を確認したら作戦室に来なさい」
『……はいはい。相変わらず人使いが荒いですね』
カーシュレを待つ間、参謀たちはリミアの下で課題の指令書を作成する。ファルナは私たちが使った資料を片付ける。
「あの……アンネ様の指揮の下、いつもこんな時間がかかるやり方で決断するのですか?」
作業しながら。釈然としない表情をするリエメイアが質問してきた。
「思ってたのと違う?」
「あっ、はい……」
きっと、私が鋼の意思を持って迅速果断に指揮するのを想像してたんだろうね。本物の私がこんな感じで、ごめんね。
「人間なら誰でもミスするときがある。だから指揮官一人で決断するのはよくない。それにみんなで一緒に考えると、さっきのタスリカみたいにいい考えが出ることもあるし」
それぞれの艦隊司令の性格と状況に適合するように調整されているが、カリスラント海軍では基本的にこの意思決定プロセスを採用している。私の場合、威信が高すぎるから特に反対意見を重要視する必要がある。でないと私の一言で何もかもが決められて、私のミスを防ぐチャンスがなくなる。
このやり方と対極のワンマン体制がいいと考える人もいる。確かにそれで寄り道せず、素早く決断できる。もしトップが超人的な知恵と意志を持つ天才なら驚異的な力を発揮できるだろう。地球の歴史上最高の軍事天才ナポレオンがまさにそうだった。しかしワンマン体制に限界があるのを教えてくれたのも、そのナポレオンだ。ナポレオン戦争期前半では双方が投入する戦力は多くて7~8万人程度、ナポレオンは一人でそれを完璧に操り、過去のどんな名将よりも凄まじい戦果を上げた。1805年のアウステルリッツの戦いでの芸術的采配はその体制の頂点と言える。しかし後半戦に入ると戦場では常に最低10万、時には20万、30万以上の大軍勢がぶつかり合うことに。より大規模の部隊を指揮するナポレオンはちょくちょくミスをするようになった。1806年の戦役、結果だけを見るなら大勝利だがそれはプロイセン王がもっと酷いから助かった。1809年は両面作戦によってスペインのことを部下に託すしかなかった。後にわかるがそこが長年続いた戦争のターニングポイント。フランス元帥の一人だったベルナドットが連盟側に寝返ると、手土産としてナポレオンの体制に致命的な弱点があるという情報を差し出した――「ナポレオンが部下に求めるのは能力よりも忠誠だから、彼の即時な命令が届かない時独立な判断ができない元帥は何人もいる」。それで1813年の戦役で連盟軍はナポレオンがいるところで決して戦いに挑まず、彼の元帥たちだけを狙おうと、徹底的にその弱点を突いた。結果、フランスにとって気の毒に思うくらい惨めな戦いになった。どんなに傑出した人間にも限界がある――これは私がナポレオン戦争から学んだ一番の教訓だ。
「でも、緊急の時はこんな風に議論する余裕がないのでは?」
「もちろん状況によって議論の時間を調整するよ。例えば今回やった課題も、当地政権の船が既にこっちに向かっているから、決断時間が短くなる別バージョンがある。だがどんなに時間がなくても、私の提案からファルナの反論、そしてリミアの吟味は省けない。最低でもこの3つのステップが必要だ」
こうして見ると、参謀長であるリミアの責任が非常に重いのがよくわかる。だからホーミルマもタスリカも次の参謀長になりたがらない。まだ自分には荷が重いと思ってるだろうね。
ベルナドットは実に数奇な人生を歩んだ男だから、彼が連盟側につくのを「寝返り」と表現するのは正しいかどうかに相当悩みましたが、このほうがわかりやすいかなと思ってこのままにしました。




