2-4 年長組の集合 1
――再誕の暦867年4月16日、港町サーリッシュナル、軍港――
早朝の薄霧の中、カリスラント探検艦隊は艦隊行動訓練に向けて準備している。既にラズエム=セグネールの乗組員全員が集まっている。そろそろ到着するはずの、特殊な身分の方一名を除いて。士官たちは艦内で機材のチェックをしている。外では海兵たちが副隊長キーミルの指揮下で物資を運んでいる。本拠地にいるから積載作業は軍港のスタッフにやってもらってもいいが、今は訓練の一環として海兵たちがやってる。探検中はほとんどの場合十分な陸上サポートを得られないからね。そんなとき、こういう力仕事は海兵隊の仕事になる。
新時代海軍は優れた索敵能力と長距離火力を活かして、敵に何もさせないように遠くから攻撃するのが基本戦術。移乗攻撃をやる機会なんてほぼないし、海兵の出番はたまにある上陸作戦くらい。平時は船上の秩序を守るのが役目。だから原則的に海兵は最小限の人数しか配置しない。民間船の違法行為を取り締まるために設計された、目標に接触するのが前提の護衛艦だけ多数の海兵を乗せる。しかし今回の探検艦隊は、新しい地域を発見するたび上陸して調査する必要がある。場合によっては現地の野生動物や魔物、住民と交戦する可能性もある。なので長距離探検船テルエミレス級はかなりの人数の海兵を乗せられるように設計した。
「アンネさま、艦内の準備ができました。もうお乗りになりますか?」
「まだよ。全艦用意できるのを見届けたらね。それにジャイラがまだ来てない。そろそろ来るはずなんだけど……あっ、来たよ」
甲板に出たインスレヤに返事すると、ちょうど最後の一人が来た。私より少し色が濃いプラチナの髪を束ねて、左頬に大きな傷跡がある、獰猛な笑みを浮かべる長身の女性が手を振って挨拶する。
「よぉ!チビとドチビが一緒にいるのを見ると、海軍にあたしが帰ってきたと実感が湧くねぇ」
「あの、ジャイラさま……私、これでも艦長になりましたよ。いくらなんでも、『ドチビ』呼ばわりはないと思います」
「無駄だからやめなさい。私、海軍総司令やってたけど、ずっと『チビ』と呼ばれているよ」
「そんなぁ……」
王女である私を「チビ」と呼ぶ度胸があるのはただ一人。探検艦隊の海兵隊長、私と同じ「プリア」のミドルネームを持つ、オリーストラス公爵夫人ジャイルリーラ・プリア・オリーストラス。元王女だから身分的に私と大差がないのもあるが、何より彼女は豪胆な女傑だから。
カリスラントでミドルネームを使うことが許されるのは、王家に生まれた人間のみ。王家の子供は10歳の誕生日で、両親よりふさわしいミドルネームを賜る。大体は子供の性格、得意分野、将来の展望を参考に、カリスラント王家の歴史から関連ありそうな人物の名前をつける。プリアと言うのは、カリスラント建国叙事詩に登場する伝説の王女。紅鋼の宝剣を執り、黒毛白鼻のティアバンを駆る姫騎士。反乱3氏族の連合軍を打ち破り、北の野蛮人の襲撃を退けた姫将軍。最後は故郷を魔物に占拠された雲と湖の国の王子を婿に、彼とともに冒険の旅をして国を取り戻した。まぁ多分地球のアーサー王みたいに、実在人物の話を盛ったと思う。亡国の王子の辺り明らかに魔導帝国滅亡の話だし。
カリスラントでは武芸、軍事の才能を示した王女は例外なく「プリア」のミドルネームを得る。私の場合はちょっと違うけど、海に関わる王女はこれまでいなかったから、軍事関連で「プリア」にしかなれない。一般的な「プリア」のイメージは、ジャイラのような剣術と馬術が得意な王女だ。
「ジャイラ叔母様、」
「あ゛ぁ?」
「……すみません、間違いました。ジャイラお姉様、お久しぶりです。また海軍に来てくれて、ありがとうございます」
ジャイルリーラは私のおば……じゃなくて、お父様の妹。小さい頃から男勝りで、剣が大好き、暴れん坊な王女だった。私の色々奇天烈な行動が許されたのは、「ジャイラに比べるとまだましか……」とみんなが思ったから。道を切り拓いてくれたジャイラお姉様に私はすごく感謝している。
ジャイラの一番有名なエピソードは、11歳のとき剣術師範との死闘。増長するジャイラに対して、「その根性を叩き直してくれる」と剣術師範が言い放ったのが事の発端。さすがのジャイラも、11歳の時点では師範に比べ地力で劣る。このままでは勝てないと悟ったジャイラは博打に出た。防御を捨て、決死の一撃を放った。意表を突かれた師範の剣が弾かれて、刃のつけていない訓練用の剣だが、勢いが強すぎてジャイラの左頬に深い傷をつけてしまった。ジャイラは自分の顔から血が流れているのに全く気にせず、拳を上げて「勝った!勝ったぞ!」って雄叫びを上げた。試合を観戦していた王家の人たちが、「あぁ、もう誰もこいつを止められない」と絶望する瞬間でもあった。
「いいっていいって。あたしも、やっぱり海軍にいる時が一番楽しいからさ」
傍若無人に見えるジャイラだが、実は王家に生まれた者の義務を忘れたことがない。本人曰く、自分がこうして剣に打ち込むことが許されたから、王女として最低限のことも果たさないといけない。それでジャイラは文句を言わずにオリーストラス公爵と結婚したが、夫婦の仲は冷え切ってる。特に左頬の傷が公爵を不快にさせるらしい。まぁ嫁の顔に傷があるのは普通嫌だし、ジャイラのアレは自己責任とも言えるから、その点ではオリーストラス公爵のことを責められないと思う。ジャイラと公爵は喧嘩すらしない、お互いのことを不干渉に徹する。オリーストラス家に王家の血を引く子供を二人産んだからジャイラはもう自分の義務を果たしたと思う。公爵が愛人を家に連れ込んだのも気にせず、自由気ままな生活をしてる。とても政略結婚らしい関係とも言えるかもしれない。
他人から見ると優雅な毎日を過ごしているジャイラだが、本当はその心が満たされていない。そんな退屈しているジャイラを私は誘ってみた。「思う存分剣を振るいたいなら、海軍に来てみてはどうかな」と。あの頃の海軍は立ち上げったばかりで、とにかく人が足りない。ジャイラの強さはもちろん、有名人だから宣伝効果もある。でも正直、騙したようで後ろめたくなった。私は新時代海軍に白兵戦をやる機会がそんなにないのを知っている上で誘ったから。先の戦争が終わってジャイラがまた海軍を離れるとき、私は活躍の場をあまり用意できなかったことについて謝ったが、彼女は気にしなくていいと言った。「堂々と剣を持つことが許されるだけでもあたしは満足だよ」と。そう言われて私はちょっと救われるような気持ちになった。探検艦隊にジャイラを誘ったのも、今度こそいっぱい戦わせてやろうと思ったから。
公爵夫人という非常に特殊な立場だから、ジャイラは海軍にずっといるのが難しい。非常勤でしか働けない。士官学校にも入らなかった。特別授業で船上戦の注意事項、移乗攻撃や上陸作戦のやり方、海兵隊長の心得などを習っただけ。ジャイラの探検艦隊参加はお父様の強い要望でもある。どうやらお父様は私が外交の場に出てほしくないようだ。いつもの過保護だよね。私がこんな子供のような見た目だから絶対舐められるのもあるけど。そんなとき私のかわりに切れるカードはジャイラだ。身分的に申し分ない。それにジャイラはヴェールで左頬の傷跡を隠したら、まるで人が変わったようにお淑やかな貴婦人を演じることができる。私には到底できない芸当だ。
「お師匠様。ご健勝で何よりです」
「おう、ファルちゃんこそ。今度またお手合わせしようぜ」
ファルナはジャイラを「お師匠様」と呼んでるけど、別にジャイラから剣術を教わったわけじゃない。ジャイラが海軍に来たときファルナはすでにサーベルの基本を一通りマスターした。そんなファルナに興味を持ったから、ジャイラは時間が空いてるときファルナに色々教えた。一人前の剣士としての心構え、より実戦的なテクニック、強敵相手との駆け引き……など。ファルナによると、とてもためになったらしい。
「あっ、そうだ。『アレ』の使い心地はどう?」
「とても良かったです。急な相談なのに、乗ってくれてありがとうございます」
ん?……「アレ」とは、一体なんのこと?ファルナはなんで私ではなく、ジャイラに相談したの?……気になるけど今は忙しい。後で聞いてみよう。
「ジャイラお姉様、今回の海兵隊の任務はこれまでよりも複雑ですから、」
「わぁってるって。ちゃんとキーちゃんの言う事を聞くから」
キーちゃんことキーミルはジャイラのもう一人の弟子。こっちはジャイラに剣術を一から学んだ、正真正銘の弟子だ。海軍ではいつもジャイラの補佐を努め、今回は探検艦隊の海兵副隊長。ジャイラは身分、強さ、カリスマなど上に立つ者の資質を備えているが、海兵隊長としての経験と専門知識は十分とは言えない。非常勤だから仕方がないことだ。幸いジャイラもそれに自覚して、ちゃんと私の指示とキーミルの助言に従うから、問題になる心配はない。
積載作業を終えた海兵隊の娘たちがジャイラとともにが艦に乗り、準備完了の艦長たちが次々と報告に来た。でも2番艦と4番艦にちょっとトラブルがあったみたい。まぁそれも含めて訓練だからね。まだ時間がかかりそうなので、私は小声でファルナにさっきのことを尋ねる。
「ねぇ、ファルナ。『アレ』って、なんのこと?」
「なんのことでしょう?あっ、『アレ』、ですか……」
意味ありげに微笑むファルナは他の誰にも聞かれないように、耳打ちで答えを告げる。
「『アレ』ですよ。この前の認定式で、アンネ様が身につけた『アレ』です」
「な、なななっ、なんで、それを……!」
「お師匠様が日常的に使っていますので、アンネ様に贈りしようと思った時急いでお師匠様に相談しました。おすすめの品を手に入れてよかったです」
「日常的に、使っているのか……?ジャイラが?」
いきなり暴露されたおば、じゃなくて、お姉様のプライベート。茫然してる私に、ファルナが補足説明してくれる。
「自分にとって、戦場で破れて死ぬのはまだ最悪じゃない、とお師匠様が仰っいました。囚われて手籠めにされ、カリスラント王家の血を引く子が敵の手に落ちるのが想定される最悪のシナリオです。一人の剣士として戦場に出るならそれは絶対に防がなければなりません。『アレ』さえあれば、とりあえず最悪の事態になることはないと」
「そ、そうか……プレイじゃなくて、実用的な意味で使ってるのね」
納得して、ちょっと落ち着いた私は、一つ恐ろしいことに気づいてしまった。
「でも、それではジャイラは、私が『アレ』を着たことを……」
「大丈夫ですよ。お師匠様は多分、使うのはわたくしだと勘違いしています」
それもそうか。私たちの間で主導権を握るのは私だと、みんながそう思うだろう。
「じゃ、大丈夫か……じゃなくて、それ同じでしょう!」
「私が変態的なプレイをした」から、「私がファルナに変態的なプレイをさせた」になっただけじゃん!




