1-EX3 トリミンス台地の戦い(地図付き)
ロミレアル湾でザンミアル艦隊を殲滅して、カリスラントは完全の制海権を手に入れた。5月25日、トゥーリーストを封鎖して海上から連合王国の防衛拠点に砲撃したが、突然の大雨によって攻撃継続が不可能。5月27日天気が回復するとトゥーリーストに対する攻撃再開。防衛施設が無力化され、カリスラントの海兵隊が上陸すると、守備隊は投降した。トゥーリーストに逃げ込んだジーカスト艦3隻もカリスラントの手に落ちた。これがジーカスト艦隊の最期となる。運命の悪戯なのか、又してもトゥーリーストがザンミアル主力艦隊の終焉の地となった。6月16日、トンミルグから通行許可が降りて、カリスラント第一艦隊と第三艦隊は海峡を通過して内海へ。3日後タリサミングの港を封鎖。
海上の決定的勝利でカリスラントを交渉の場に引きずり出す計画はすでに破綻したので、ザンミアルは傭兵を集めながら各地で急いで徴兵、陸上の戦いに備える。6月17日、フォミンの首都セミリエにて徴兵官の横暴に起因する大規模の暴動が発生。ザンミアルの官僚が逃げ出すとフォミン全土が無政府状態に陥り、巻き込まれたフォミン旧王家は内海に亡命、後にアファンストリュ帝国に落ち延びる。
7月15日、ザンミアルの部隊がケスラティリに集結。かき集めた徴集兵に合わせて13000になった。カリスラントの第五軍団最初はフォミン方面に進んだが、フォミンが混乱状態なのを知ると北の第四軍団と合流して、18000の軍勢でザンミアル本土に侵入。ケスラティリに籠城するザンミアル軍を無視してタリサミングへ直行。ザンミアル軍は慌てて打って出る。7月23日、カリスラント軍の背後から襲いかかるにもかかわらず、ザンミアル軍は接敵した瞬間から脱走者大量発生。反転するティアバン騎兵(カリスラント陸軍の花形。カリスの草原固有種の8足馬ティアバンで編成する重騎兵)に突っ込まれるとまともな戦闘もなく溶けた。7月29日タリサミングが包囲されると、ザンミアルは降伏した。魔導帝国の遺産である「絶対防衛圏」を保有、暗黒時代の魔物氾濫でも一度も侵入を許したことがない「文明存続の灯台」タリサミングでも、陸と海両方から完全に包囲されると為す術もない。
いくらザンミアルの陸上戦力を軽視しても、背後に敵軍が残っているまま鉄壁の防御を誇るタリサミングへ向かうのは侮りすぎ。なぜそんなリスキーな作戦を選択したかと言うと、カリスラントの状況がそれだけ切羽詰まっているから。時間をかけて城塞都市のケスラティリを攻略する余裕なんてない。開戦の4月9日から、北部地方はアファンストリュ帝国の攻勢にさらされ、ずっと後手に回っている。一見するとカリスラントは内線作戦の優位で帝国と連合王国を各個に撃破することができる。しかし帝国と接する北部の国境線が長すぎて、カリスラントの戦争準備が足りないから守りきれない。
4月22日、救援が間に合えず、北線東側のラーズリは帝国軍の強襲で陥落。2日後、ラーズリの近辺でカリスラントの第二軍団と帝国左軍が交戦、戦況不利でカリスラント側は退却。帝国軍は追撃を試みたがティアバン騎兵の逆襲によって撃退された。西側ではキルレンスク公爵が率いる北部領主連合軍19000が帝国右軍25000と対峙。帝国軍と比べると、領軍の質と数どっちも劣るが、自分たちの土地を守る戦意は高い。第一軍団が救援に来るにはまだ時間がかかる。後退して合流する命令が届いたが、自領を守るためにキルレンスク公爵はその命令を無視(公爵が指揮しているのは領軍だから、カリスラントの封建法では正当な理由さえあれば彼は命令を拒否する権利がある)。5月5日、ケルムー村の外にこの戦争で最も多い犠牲者が出る戦いが始まった。初日でカリスラント軍はなんとか持ちこたえたが、6日の午後に戦線中央が突破され、敗北が決まった。生きて帰ったカリスラント兵は推定5000未満。ケルムー村の西の丘に「碧き空まで続くカリスの草原で最も勇敢な戦士たち」と言う題名の慰霊碑が現存している。
決死の抵抗を受けた帝国右軍も非常に大きな損害が出たから、再編のため数日の休止をせざるを得なかった。5月16日、帝国軍がキルレンスク公爵領の領都ティウムを占領。事前に避難を済ませたのでカリスラント側の被害は最小限だが、北部地方西側の主要都市が敵の手に落ちることにカリスラント国内に衝撃が走った。開戦からカリスラントの戦略はまずザンミアルを叩く。北線は土地を放棄する遅延作戦で正規軍の被害を避ける。しかしこれ以上帝国の勝手を許すと国民の間に動揺が広がる。ロミレアル湾の空前の大勝利があったから戦意を維持するのに苦労することはなかったが、北部は相変わらず危機的状況。
いつものように、帝国軍は略奪行動を繰り返したため進軍が遅れた(古くから帝国軍は薄給で、戦利品は兵士たち自分で見つけ出すスタイル。その略奪の慣習をやめさせようとする試みは何度もあったが、必ず部隊が反発して最悪の場合反乱もありうる)。6月6日、第一軍団はダレミス川の左岸に到着。陣地を構築してここで帝国右軍を食い止める。6月11日帝国軍の渡河作戦が失敗すると、両軍はダレミス川で睨み合うようになった。6月24日、ようやく準備完了の帝国中軍が前線に接近中の報せを聞いて、功を焦る右軍の指揮官チミルレ将軍はより大規模の渡河作戦を発動したが、大敗を喫した。ティウムまで後退した帝国軍を第一軍団は追撃しようとしたが、川を渡ると帝国の主力部隊がもうすぐ到着と知り、結局左岸の陣地に引き返した。
西が膠着状態に入り、戦いの重心は東側に移った。7月29日ザンミアルが降伏すると、第四と第五軍団がフリーになって、帝国左軍と対峙している第二、第三軍団を支援できるようになった。8月22日、カリスラントの援軍を警戒して、帝国左軍のツゥリメーン将軍は後退して救援に来るはずの中軍と合流すると決めた。4つの軍団が合流して48000の大軍勢になったカリスラント軍は勢いづく、8月28日帝国左軍の18000をランシミス川まで追い詰めた。数が圧倒的だから序盤はカリスラントの優勢で進んだが、正午頃帝国の援軍が現れた。帝国中軍を率いるズマーサ将軍は谷の悪路を経由して予定より早く到着、カリスラント軍の左翼に突いた。戦いの最中谷からの援軍はタルス山岳兵(帝国精鋭の軽装歩兵)僅か5000程度だったから、カリスラント軍は決定的敗北を免れた。このランシミス川の戦いでカリスラント軍の人員の損失は軽微、寧ろ帝国側の被害が大きいだが、せっかくこれだけの軍勢を集めて敵軍の一部を捕捉したのに、期待していた成果を出せなかったの失望は大きい。翌日から帝国の援軍が続々と到着。カリスラントは機を逃した。9月から雨季が始まり、ぬかるみによって進軍が困難。その後は冬越しがあるからもう軍事行動ができない。こうして865年の戦役が終わった。
冬の間、カリスラント占領地域に2つの動きがあった。フォミンの動乱が収束し、王がいないままの貴族総会が開かれる。そこでカリスラントを支援すると議決した。現在のカリスラント王家にフォミン旧王家の血が流れているから(カリスラント王リージアスの祖母はフォミンの姫君)、フォミンの王冠をカリスラントに献上して、庇護を求めるのが一番と決めた。このカリスラント=フォミン連合王国の提案を、カリスラントは戦争が終わるまで一旦保留と返事した。一方ザンミアルは戦争が長引くのを避けたいから中央神殿に停戦の仲介を依頼した。戦争の影響でカリスラントへの輸出が減り、財政に響いた内海諸国もその動きに賛同。形勢有利の帝国に矛を収めさせるために、ザンミアルは自分だけが敗戦国の形で、カリスラントと帝国両方に高額な賠償金を支払うと提案した。しかしアファンストリュ帝国が占領地域の併合を要求するため和平交渉は決裂。866年3月、雪解けと共に戦闘再開。
半年の休息で態勢を立て直し、そしてフォミンが協力的になったから、カリスラントの状況はだいぶ良くなった。だが帝国も一冬で防御を固めた。866年は無理に攻めようとしないで、占領地域を併合するための支配強化を進めると決めた。西側では相変わらず右軍と第一軍団がダレミス川の両岸で睨み合う。東側は左軍がラーズリを拠点に第三と第五軍団と対峙。帝国の中軍は東にも西にもいつでも支援できるようにサルーフォンに駐在。それを第二と第四軍団が監視している。従来の戦い方ではこの膠着状態を短時間で打破するのは不可能。そこでカリスラント海軍を率いる王女アンネリーベルは新しい戦い方を提案した。
ザンミアルが降伏した後、カリスラント海軍は内海から引き上げた。サーリッシュナルに戻ったアンネリーベルは866年の戦役に向けて組織の改革を進めた。ケロスヘニゲムをはじめとする元老たちはロミレアル湾の戦いで有用なアドバイスができなかったし、逆に足を引っ張りそうになった。それを恥じ入って彼らは自主的に第一線から退いた。改革後の第一艦隊の司令は変わらず、総司令アンネリーベル(18)が兼任。第二艦隊の司令はジャスティミ(24)、第三艦隊の司令はクロールレム(19)、第四艦隊の司令はクラース(25)、そして新しく編成した第五艦隊の司令はリミア(28)。カリスラント海軍が発足してからまだ日が浅いから年齢層が非常に低い顔触れになった。
アファンストリュ帝国の海軍は新時代海軍が登場する前のカリスラントと同じ程度。つまり今のカリスラント海軍にとってなんの脅威にもならない。アンネリーベルは安全に新しい戦術を試すことができる。冬の間海軍保有の商用船と徴用した商船に合わせて28隻の兵員輸送艦隊を組織した。3月20日未明、第一と第五艦隊がトロメルトの守備隊に砲撃。敵の混乱に乗じて海兵隊が上陸。帝国軍の主力はダレミス川にいるから、大した抵抗もなく町が奪還された。午後輸送艦隊が第一軍団の別働隊2500人をトロメルトに降ろした。別働隊を指揮するレゾルト副軍団長はこの作戦を「船でこんなにも簡単、快適で敵の後方に行けるなんて思いもしなかった」と評した。これまでの船で部隊を輸送する試みと違い、アンネリーベルはそれぞれの部隊の役割を明確にした。陸軍はあくまで地上で戦うための部隊、上陸作戦には不慣れ。だから港の制圧は海軍だけでコンパクトに遂行した。そして船に慣れない陸軍の兵士を大量に乗せても衛生な環境を維持できるように、輸送用の商船は船室に簡単な改造を施した。陸軍の部隊は町に到着するまでまるで客人のような扱い。そこまで陸軍に気遣うメリットはすぐに目に見えるようにわかった。第一軍団の別働隊は疫病に苦しむことなく良好なコンディションを保ったまま下船。翌日即座に作戦行動に移る。昔みたいに部隊をぞんざいに運ぶならこんなすぐに動けるようにならない。
3月22日、別働隊は帝国軍の物資集積地リュムサルを襲撃。まだ別働隊の存在が気づかれていないからまるで抵抗がなかった。帝国軍が異変に気づいて、潜り込んだ敵を排除しようとしたが、3月28日の輸送艦隊第二波が増援の歩兵1000とティアバン騎兵500をトロメルトに届けた。背後にこれだけの敵がいればダレミス川の防衛などできない。更迭されたチミルレ将軍の代わりに帝国右軍を指揮するダミアスティ辺境伯はティウムに退却して、中軍に救援を求める。こうして帝国中軍と、それを監視しているカリスラント第二と第四軍団が西へ向かう。戦いの重心がまた西側に移った。
4月いっぱい両軍は東からの援軍を待ちつつ小競り合い。5月にも大きな動きはなかった。合流した帝国軍は46000の大部隊になった。もし兵站線の弱点を探し出し、攻撃すれば撤退を強いることもできる。しかし帝国本土からティウムまですでに強固な補給線を構築したため、隙を見つけられない。また膠着状態に入った。そこでアンネリーベルは2つ目の作戦――海上からの攻撃で戦いに直接支援――を試そうと思った。魔導砲の登場により、海軍がより遠くへ火力を投射することができるようになった。しかしその作戦を実行するには、海に近い場所で戦う必要がある。帝国はカリスラント海軍についてまだよくわかっていないが、ザンミアル艦隊相手に勝利したことくらいは把握している。迂闊に海岸に近づこうとしないはず。この作戦にふさわしい戦場の選定、そして帝国軍をそこに誘導するのは簡単ではない。アンネリーベルは陸軍の参謀と打ち合わせして、理想な戦場候補地としてトリミンス台地を選んだ。
トリミンス台地はティウムの西南120km、サリサラス海に突出した海岸台地。高さ15mほどの海崖だから海兵の上陸は不可能だし、船からの攻撃魔法も(射角の都合で)届かない。帝国軍がまだ魔導砲の詳細を掴んでいないなら、トリミンス台地で戦う時海からの干渉を心配しなくてもいいと判断する。北部地方西側の主要都市、現在の帝国右軍がいるティウムに程よく近いのも大きい。守りに適している高地だからそこに退却するのは別におかしくないし、孤立した地形だからそこに追い込むのも自然。帝国軍を誘い込むのにちょうどいい場所。
6月8日、第四軍団がルトルムで引き続き中軍を警戒する最中、ティウムの奪還に乗り出して第一と第二軍団が動き出した。6月13日ティウムを包囲、攻城兵器を組み立て城攻めを始める。6月15日帝国中軍が救援に向かうために移動開始。第四軍団はそれを妨害しようとしたが、6月23日迂回され補給線が切断される危険があるから退却を余儀なくされる。帝国中軍の接近によって6月26日ティウムの包囲を放棄、第一、第二軍団は西南方向に後退。
6月27日、866年の戦役の行方を左右する重大な決断が下された。帝国側が定めた戦略は占領地域の確保。カリスラント軍が引くならそれで十分なはず。しかし敵軍は背後を脅かされ急いで撤退、攻城兵器も放棄しなければならないほどの苦境。こんな好機を逃してもいいか、ズマーサ将軍は判断に迷う。彼とダミアスティ辺境伯の遠話通信の記録は2時間ほど追撃すべきかについて議論した。もう何もしなくても自分の領地が拡張するから辺境伯は最初現状維持を希望したが、こんな状況で出撃しないなら後に臆病者だと笑われると聞いて考えが変わった。翌日6月28日、右軍はティウムから出撃、中軍と共にカリスラント軍を追う。途中でなぜ敵が自分の退路を断つように動いたかに疑問を感じるが、海岸を警戒しつつ追撃継続と決めた。6月30日の午後、トリミンス台地で陣地を構築しているカリスラント軍に追いついた。両陣営とも夜に軍議を開いた。第四軍団と合流したためカリスラント軍の兵力が予想を上回る。陣地はまだ未完成だが無理に攻めるのは危険。同じく陣地を構え敵の補給線を切断して干上がるのを待つと帝国側は満場一致で決まった。カリスラント側では測量のデータを海軍と共有し、最後の配置調整と打ち合わせをした。
7月1日夜明け前の時点でカリスラント側の戦力は第一、第二と第四軍団、推定歩兵24000とティアバン騎兵13000、魔法兵とその他支援部隊4000。そして第一と第五艦隊。詳しい編成と配置の記録が残されていないが、戦いの様子の記録から推測するとおそらくティアバン騎兵は両翼の前に、艦隊は南の崖の下に投錨。帝国軍の戦闘序列と配置は戦い直後の陣地の跡地と焼け跡から推測できる。中軍は2つに分けて、正面の16000をズマーサ将軍が指揮。トゥルガス副将軍の左翼10000は今でも跡地が残っているウインドミルの横に布陣。ウインドミルの東は急斜面でカバーされている。ダミアスティ辺境伯が指揮する右軍17000は海岸の崖まで展開して帝国の右翼を担う。通説では右軍の陣地は「サントル=デミッツ(火、鍛冶と復讐を司る大いなる神)の炎が落ちる地」と言う題名の、第五艦隊司令リミアの仇討ち成就記念碑がある場所だが、最新の研究によるともう少し南の方にある可能性が高い。
午前4時30分、日の出と共にカリスラント艦隊が攻撃開始。崖の上の目標に気球で観測しても見える範囲はそこまで広くならないのでいっそ出さないと決めた(この時代は技術が未熟なためカリスラントの気球の上昇高度が厳格に制限されている)。南の海にいる艦隊は台地の北から見えないので、死角から飛んでくる火の玉は帝国軍にとって正体不明の攻撃に見える。カリスラント陣地からの射弾観測は気球ほど精度が高くないので、弾着点はかなりバラツキがある。でも幅広い帝国軍の陣地がターゲットだから問題ない。まず両翼に炎が降りかかる。ロミレアル湾の時と同じ、バリアの表面が燃える現象に帝国軍が恐慌状態に。カリスラント陸軍も攻撃が予想以上の効果が出たのに驚いた。後にカリスラントの最初の砲兵指揮官となるリルキャストは「私は戦争が変わる瞬間を目にした」と述べた。この共同作戦でカリスラント陸軍が海軍の情報収集、伝達能力と新兵器の威力を直接確認したことに大きな意味がある。戦後海軍発祥の発明を陸軍も導入して、近代陸軍の先駆けになった。
5時になるとターゲットを帝国軍中央に変える予定だったが、風の影響で左翼の被害が予想より少ない、射角を修正してもう一度攻撃する必要があった。逆に右翼では帝国軍の物資の可燃物に引火した。混乱する敵陣にティアバン騎兵が突っ込む手筈だが火勢が強すぎると危険なので行動を遅らせた。5時40分、ようやく中央へ砲撃開始、同時に両翼のティアバン騎兵が突撃。カリスラント側が仕掛けて来る可能性が高いと判断したから夜明け前に帝国軍は騎兵対策に方陣を構えたが、燃焼弾による被害と消火活動で完全に混乱した。6時20分帝国軍の左翼、30分に右翼も突破された。右翼の指揮官ダミアスティ辺境伯の遺体は戦いの後で見つかった。おそらくこの時で戦死した。左翼のトゥルガス副将軍は行方不明に。
両翼が砲撃される様子を見たズマーサ将軍はなんとしても汎用バリアを切らせないように厳命した。帝国の防御魔法士が交替でバリアを張り続け、どうにか炎を上空に隔離して、7時頃地面に被害を出さずに鎮火させた。だが帝国軍中央もバリアの中に隔離され、両翼の戦いに何もできなかった。バリアが消える時ズマーサ将軍はなぜ砲撃が止まったかを理解した。自分はもう窮地に陥ったから。両側を突破したティアバン騎兵は小休止で態勢を整え、すぐにでも反転して突撃して来る。正面にはまだ無傷の歩兵本隊が迫って来ている。寧ろこれ以上火をつけるのはカリスラント軍の攻撃の邪魔になる。実はこの時点でカリスラント艦隊はもう抜錨して、後の追撃戦をサポートするために北へ向っている。この場での自分たちの役割はもう終わったから速やかに次の行動に移るのであった。
カリスラント軍の正面から撃って来る攻撃魔法を、すでに魔力が底尽きる帝国の防御魔法士は防ぎきれなかった。魔法に切り裂かれた帝国軍の隊列に歩兵隊が総攻撃を仕掛ける。もはやこれまでと悟ったズマーサ将軍は親衛隊を連れて、戦陣の後方から脱出しようとするがティアバン騎兵に発見され、討たれた。ところどころで帝国兵が散発的抵抗し続けているが、9時30分頃総崩れに。
追撃は翌日7月2日の夕方まで続いた。初日はロルメスの町とハーメルの村まで到達。推定4000人が投降した。闇夜が訪れ、そして数多くの捕虜の処遇にも困るからロルメスで一泊。一晩中逃げ回ったから帝国軍にとって非常に長い夜になった。7月2日は艦隊の魔力レーダーと空中観測で捕捉した敗走の帝国兵集団を効率的に狩る。更に3000人が捕虜に。先遣隊は午後4時たくさんの市民の歓声の中でティウムに入った。敵軍がいない真空地帯になったため、カリスラントの失地回復はとても順調に進んだ。7月12日北部地方の西側をすべて取り戻した。
このトリミンス台地の戦いで帝国軍に推定8000人の死傷者が出た。12000人が捕虜に。残りは帝国本土に逃げ帰って殆どは原隊復帰しなかった。中軍と右軍の由緒ある軍旗が鹵獲され(アファンストリュ帝国中軍の軍旗が失われたのは今回が初めて)、将軍を含め多数の指揮官を失った。カリスラント側の被害は推定戦死者と重傷1500、軽傷5000。一番多いのは敵陣を突破する時の被害。その中には燃える敵陣に突っ込むことで火傷した人と馬も少なくない。海軍の兵器の威力と性質を正確に把握していないからこんな不必要な被害を受けたし、海軍と情報能力に大きな差があるから連携は完璧からほど遠い。それが今後の課題になった。
カリスラント北部地方の東側に、まだ帝国左軍がラーズリを占拠している。ラーズリの攻略より、敵がいなくなった西側から帝国本土に侵攻したほうが簡単だと判断した。後の和平交渉でお互いの占領地域を交換すればいい。カリスラント第一と第二軍団は帝国西南属州の侵攻を開始。8月18日州都リルリィームを落としたが、住民が非常に非協力的なため街の占領に手こずった。
まだ戦争の終わりが見えない、帝国領内で冬を過ごす可能性が出たので、冬までにカリスラントは最低でも一つ海上輸送の拠点を確保したい。9月6日第五艦隊の援護の中で、第二軍団は港町スレッザの攻略を始めたが、そこであのレルースイ=ラミエ大神殿砲撃事件が起きた。カリスラント側は大神殿の中に帝国兵が身を隠していたから攻撃したと主張。それを帝国側は断固否定。事件の真相は今でも定かではない。
800年の歴史がある大神殿が灰になったから、中央神殿はこの戦争に強引に介入すると決めた。開戦から2度目の冬、サンツルタの聖域で平和条約が調印された。カリスラント王国とアファンストリュ帝国の国境線が元通りに。連合王国は解体され、ザンミアルとフォミン両方ともカリスラントの属国に。フォミンの王位を受け取る選択肢もあったが、ザンミアル統治時代のフォミンの機能不全に鑑みて、カリスラントは同君連合体制が正しい答えではないと考えた。帝国に亡命したフォミン旧王家はカリスラントの属国になる条件を受け入れ、国を取り戻した。
ザンミアルを属国にした、すなわちカリスラントは内海への扉を開いた。きっとカリスラントはそのまま内海進出に乗り出すと、誰しもがそう予想する時、カリスラントは逆の方向に進んだ。この戦争の一番重要な影響は、陸上の安全を確保したカリスラントは王女アンネリーベルの探検事業に取り組めるようになった。カリスラントは陸の大国から、大洋にまたがる世界覇権国へ変身する第一歩を踏み出した。
――付録:大陸西南海岸地図――
白い線=国境線
大陸西四国以外の領域=内海諸国の領土
船=西南海岸貿易ルート
A 港町サーリッシュナル
B カリスラント王都
C カリスの草原(大草原)
D サラサーレル造船所
E フェルテジ
F ティウム
G テーツ
H ロミール
I クルゼサー島
J フォミン首都セミリエ
K トゥーリースト
L メリース
M 中立都市国家トンミルグ
N ザンミアル首都タリサミング
O ケスラティリ
P ラーズリ
大西方戦争の主な戦闘
(865年)-フォミン西沖合 -ラーズリ -ケルムー村 -ロミレアル湾 -トゥーリースト攻略 -タリサミングの包囲 -ダレミス川 -ケスラティリ -ランシミス川
(866年)-トロメルト攻略とリュムサル襲撃 -ティウムの包囲 -トリミンス台地 -リルリィームの包囲 -スレッザの陥落




