5-16 クルジリオンにて~場外乱闘編――発端(三人称視点)
――再誕の暦867年10月8日、自由港クルジリオン、歓楽街――
西の大陸東海岸で一番の規模を誇る、クルジリオン東区画の歓楽街。ここを「夜のない街」と呼ぶ人もいるが、本当は「昼夜逆転の街」と言った方が正しいかもしれない。なぜならこの場所は昼間になると眠ったように静まるから。
この歓楽街は大まかに三つのエリアに分けられる。クルジリオンの中心部に近い、川沿いで地勢がやや低い西側には関係者の住処や、事務関係の拠点、後は数少ない飲食店がある。歓楽街の喧騒を街の中心部から隔離する緩衝地帯の役割も担っている。由緒ある義侠団体「ドリンストル・ファミリア」の影響を強く受けるが、ここに拠点を置く勢力が多いし、お互いを牽制し合って一種の休戦地となっている。
坂道の上にある東側から、更に東のスラムまでの広い敷地は「イヴェリの牙」が支配する南部と、「カラピスケラ・リフレイン」の影響下にある北部に分けられる。北部は昔から上品な店が多い。娼館だけでなく、歌や舞などの芸だけを提供する店もある。歌姫クルヴィの伝説もそんな場所から始まった。クルヴィのもとに女性の従業者が団結して、自分たちの権利の保証を要求するのが「カラピスケラ・リフレイン」の始まりだった。それから北部の労働環境がだんだん改善して、同時に店の採算が取れるように高級路線に突っ走る。逆に南部は劣悪な環境だが安いのが売りの売春宿が多い。新興団体「イヴェリの牙」の暴力と恐怖による支配の下に、逃げる宛がない人々が延々と搾取される。「イヴェリの牙」の構成員に国外からの流れ者が多く、南の海岸にある船着き場で密輸や人身売買にも手を出していると噂されている。
今回のクルジリオン公式訪問より前から、カリスラント探検艦隊の男性士官は歓楽街を利用している。怪しい場所に近づくなと厳命されているし、金に困っているわけでもないし、彼らは上官の言いつけ通り、「カラピスケラ・リフレイン」傘下の高級店にだけ通っている。この日の事件はまさにそんな高級娼館から始まった。
「きゃあぁぁ!」
二階の部屋から悲痛な叫び声がして、店のスタッフと用心棒が駆けつけた。ベッドの上に半裸の女性がいて、背中に痛ましい痣が見える。隣の男性はもう純白の海軍軍服を脱いたが、カリスラント探検艦隊の男性士官であることに間違いない。
「いや、違う……俺、やってない!」
こんな高級娼館で従業員を傷つけるのは当然ご法度だ。若い士官はカタコトのギーアル語で必死に弁解するが、状況が状況だから、用心棒たちはとりあえず彼を拘束する。事態がさらに悪化する恐れがあるから、士官は下手に抵抗せず、自分の仲間に状況を伝えるように、とだけ頼んだ。
娼館のマネージャーも部屋に入ってきて、女性の痣をよく観察したら、顔色が真っ青になって、彼女を激しく責め立てる。
「あなた……クルヴィさんの恩を仇で返すつもりなのか!」
「わ、わたしは、」
「言い訳無用!その傷、少なくとも一日前のものよ!どうしてわざわざカリスラントの客が来てる時騒ぎ立てたの!」
探検艦隊の士官は無実た。これでは娼館が彼に罠を仕掛けたみたい。どう転んでもカリスラントとの問題になる。
「……ごめんなさい!こうしないと、弟の命がない、と言われたの……」
「『イヴェリ』の連中に脅されたの?バカね、どうして私達に相談してくれなかったの……」
どうやら女性の弟は「イヴェリの牙」に拉致され、背中の傷もあのとき痛めつけられた。
これは自分では対処できない問題と思って、マネージャーはクルヴィに連絡を入れようとするが、彼女にそんな時間も与えられない。
「さっきの悲鳴は何だったんだ!」
「カリスラントの軍人が、女に暴行を加えたぞ!」
「なんだって!許せねぇ!」
リエメイアがスリの子供を捕まえたときと同じ手口だ。まずはカリスラント人を悪者に仕立て上げ、それから周りの人を煽って騒動を起こす。だがあのときは昼前の市場で通行人が多い。今は夜の歓楽街で出歩く人が少ない。だから「イヴェリの牙」の構成員が群衆を装って娼館を包囲する。マネージャーは理解した。敵の目的は「カラピスケラ・リフレイン」とカリスラント人の関係を悪化させるだけじゃない。攻め入る口実を作って直接襲撃するつもりだ。「カラピスケラ」の縄張りで暴れて、被害の責任は全部娼婦に乱暴したカリスラント人のせい、もしくはカリスラント人を嵌めた「カラピスケラ」のせいにする。しかしこんな回りくどい手段は「イヴェリの牙」らしくない。いつもならもっと簡単、直接な手段を選ぶ筈。計画の裏に他の存在がいると感じたマネージャーだが、今は状況の対処が先決だ。
「一体何が起きたのですか?」
探検艦隊の士官が問題を起こして用心棒に拘束されたことは、すぐにこの娼館にいる仲間たちに伝わった。それでこの場にいる最高位の5番艦艦長が代表として事情を聞きに来たが、想像以上に複雑で大変な状況になってるのを知った。
「連絡、我々の方がやります。この建物の防衛、急いで強化、必要があります。おい、お前たちはさっさと戦闘準備をしろ。そうだ、3番艦の海兵副班長もいるのをさっき見た。あいつを呼んできて、指示を仰ぐように」
ターゲットに選ばれたのは「カラピスケラ・リフレイン」の重要拠点。歓楽街北部で一番大きい店だから、中にいる探検艦隊の士官は10人以上いる。海兵以外は白兵戦に長けてるわけじゃないがそこそこの戦力になる。しかし所属がバラバラで早急に指揮系統を明確化する必要がある。艦長は自分をこの場の最高責任者と定め、前線指揮は海兵の副班長に任せる。ここに2番艦の気球班補助員もいるから、彼の「遠話」の魔法でリフィミシエ・ホテルにいるファルナと連絡を取れて、キーミルが率いる援軍が来るまで持ち堪えろと命じられる。報告を聞いたジャイラも現場に向かっていることは、まだキーミルしか知らない。
「こちらの用心棒も加勢します!」
マネージャーは店の用心棒たちを呼び寄せて、無実の海軍士官を解放した。しかし共闘の提案は艦長に拒否された。
「いいえ。喧嘩を売られたの、こちらですから。彼らは建物、中にいて、あなた方の守り、専念すべきです」
艦長がそう言うのは指揮系統の混乱を避けるため。敵の数は多いが、ならず者の烏合の衆にすぎない。当面はカリスラントの人員だけで凌げられるだろう。寧ろ命令を聞かない用心棒に場をかき乱されるのが危うい。
「て、てめぇ!」
「こんなことしてただで済むと思うのか!」
無策に突っ込む暴徒は、店の入口で防御を固める士官たちに撃退された。まだ死人は出てないが、腕を斬られた重傷者は何人もいる。「イヴェリの牙」はこんな組織的な反撃を受けることを想定していなかった。本来なら店の中にカリスラント人と「カラピスケラ」が仲違いして、その隙につく筈だが、そうはならなかった。いくら凄んで、挑発しても、士官は反応せず、持ち場から微動ともしない。義侠団体同士の抗争とは全然違う。このまま手こずると、近くに事務所を構えているライバル組織「ドリンストル・ファミリア」に介入されてしまう。焦り始めた暴徒たちは全員で押し寄せ、入口だけでなく、壁を登って建物に侵入しようとする。
「おう、これは随分と楽しそうにやってるじゃねぇか」
しかし総攻撃の成果が出る前に、黒い蝶の紋様がある白いドレスを身に纏う女が後ろに現れた。あれが自分たちにとっての最凶最悪の敵であることを、「イヴェリの牙」はまだ知らない。




