5-15 クルジリオンにて~年長組編(三人称視点)
――再誕の暦867年10月8日、自由港クルジリオン、とある議員の別荘――
(やべぇ……退屈で死にそう……)
クルジリオンの中心部の東側。探検艦隊の上位男性士官たちが宿泊する場所とは別の議員の別荘。ここで開かれる夜会にカリスラント、テュークリム、更に周辺諸国の要人が出席している。だがアンネの姿が見えない。これはただ親睦を深めるための集まりだから、多忙なアンネは参加を辞退した。代わりにアンネの叔母、海兵隊長ジャイラが出席する。ようやく外交の場での出番が来たというわけだ。
(仕方ない。これもかわいいおチビちゃんのためだ。頑張らないとな……)
黒い蝶の紋様がある白いドレスを身に纏い、ベールで頬の傷跡を隠して、完璧な作り笑いを浮かべるジャイラだが、内心では一刻も早くここから抜け出したいと思ってる。見たことない酒をただで飲めるのは魅力的だが、それももう飽きた。しかし探検に出てから、ジャイラのためにアンネは何度も戦う機会を作ってくれた。だからアンネに報いるためにも、自分の責任は果たすべきと、ジャイラがそう考える。
「ジャイラ様。話しかけられていますぞ。しっかりしてくださいな」
「あっ、あぁ……じいさんか」
ジャイラのエスコート役に来たのは探検艦隊副司令ケロスヘニゲム。探検艦隊の男性は彼を除けば全員若い。公爵夫人のジャイラと同伴出席は世間体的によくない。だからこの役はケロスヘニゲムしか務まらない。
「アンネリーベル殿下が素晴らしい馬術を披露したと、夫から聞きました。でもどうやらジャイルリーラさまの馬術がもっとすごいみたいです。それは本当なんですか?」
この若い女性はある若手議員の妻らしい。興味がないからさっき紹介されたばかりなのに、もうジャイラの記憶にほぼ残っていない。でもその話題はまだ退屈じゃない方だから、ジャイラはちゃんと答えることにした。
「あぁ、チビ……じゃなくて、アンネがそう言いましたか。私は、なんと言いますか……どうも怖がられているみたいで、馬の力を引き出すのは得意じゃありません。どちらかと言うと、自分の身体能力に頼っているかな。まぁ、アンネより得意のは確かですね」
「まぁ!それはぜひ見てみたいですね!」
「それなら、今から見せてもいいですよ。ティアバンの飼育スペースに行きましょうか」
もしかしたらこの場から離脱する正当な理由になるんじゃないかと密かに期待しているジャイラだが、その淡い期待はケロスヘニゲムに粉砕された。
「お戯れを。もう夜ですぞ」
「……冗談だよ」
次にジャイラに挨拶するのは肌色が濃い、小太りの中年男性。貿易都市国家ムサナシピルの大使だ。
「ジャイルリーラ殿は我が国を代表するグルメの一つである『ミシェラン』が気に入ってくれたと聞きました」
「『ミシェラン』……あっ、思い出しました。あの香辛料とイノシシの燻製肉を使った料理ですね。あれは実に美味でした」
二人の会話に隣のケロスヘニゲムが口を挟む。ムサナシピルがとう言う国なのかを思い出したから。
「失礼ですが、ムサナシピルはルファークレク人の街だと聞きました。ルファークレクと言えば、女性の権利を一切認めないではありませんか。ジャイラ様にそんな風に話しかける意図を聞いてもよろしいですか?」
「あぁ、それはよくある誤解です。我々は人種的にはルファークレク人だが、文化は違います。ルファークレクの原始で野蛮な風習が嫌いで逃げ出した人々の街が、ムサナシピルです。確かに、中には移住して日が浅い、まだルファークレクの習性が抜けていない者もいるでしょう。だがムサナシピルはギーアルやストリュアなど先進的文化を積極的に導入して、全体的に見ると文明の世界にかなり近づけたと自負します。当然女性をモノ扱いはしません」
しかしケロスヘニゲムは知っている。ムサナシピルは奴隷貿易の中心地だということを。今の言葉をどこまで信じていいかわからないが、大使がそう言っている以上、この場は謝罪するしかない。
「そういうことですか。よく知りもせずに疑いの言葉を向けることに、お詫びします」
「いえいえ。本当によくそう疑われるから別に気にしませんよ。これもルファークレク人の業、というべきでしょうか」
そんなとき、急いで会場に来た海兵副隊長キーミルが慌ててジャイラに報告する。
「お師匠様。大変なことになったみたいです。歓楽街の方に……」
状況を聞いて、ジャイラは抜け出す理由ができたと内心で大喜びする。
「まぁ、それはいけません!直ちに対処しないと!」
「お、お師匠様!?そのまま行くのですか?」
「皆様、申し訳ありません。カリスラント探検艦隊の一大事なので、私は今すぐ駆けつける必要があります。今日はこれにて失礼いたします」
キーミルから予備のサーベルを借りて、プラチナの髪を後ろに束ね、ドレスのままのジャイラが会場を後にして現場に直行する。その顔はもう作り笑いの仮面ではなく、いつもの獰猛な笑みに変わった。
「ジャイラ様?お待ちを、うぐぅ、こ、腰が……」
「あの、ケロスヘニゲム様、どうかご無理をなさらずに……お師匠様は私がついていきますから」
――同じ時刻、歓楽街に近い酒場――
「あの……インスレヤさん。どうして、私を誘ったのですか?」
ラズエム=セグネールの艦長インスレヤと、艦隊随伴スルタキィームのカーシュレは窓際の席にくつろいている。この小洒落な酒場は街を縦断する川に挟まれる中洲、ちょうどクルジリオンの中心部と歓楽街の境界線にある。歓楽街で遊んで、その乱雑な雰囲気に疲れたら、橋を渡ってこの酒場で落ち着くのがちょうどいい。そんな立ち位置の店だ。
「この最近のカーシュレさんの様子がずっと変だから。部下ではないけど、カーシュレさんも乗員の一人。なにか悩みがあれば、艦長の私が相談相手になるよ」
地上にいる間、インスレヤの仕事はいつもより大分減ったが、真面目な性格だからこうして艦隊のみんなを気に掛ける。この酒場に入り浸るのも、もし近くの歓楽街になにかトラブルが起きたらすぐに対処できるから。酒を楽しんでリラックスしながらも、待機しているようなものだ。
そして今、特に気に掛ける必要がある人はカーシュレだとインスレヤが考えた。探検艦隊のメンバーはほとんど若い子。みんなよりかなり年上、しかも出向で来たカーシュレは孤立しやすい。その上あの嫌われやすい性格だから。それでやや強引な手を使ってカーシュレを晩酌に誘った。
「私の、様子が、変……そうなの?」
「はい。いつもは頭に研究のことしかなく、ズケズケと聞き込みするカーシュレさんだが……新しい研究のテーマが掃いて捨てるほどある西の地に来たら、この数ヶ月間はしおらしいくらいに大人しくなったじゃないか」
「ず、ずいぶんな言いようだね」
「でも、事実だよね?」
インスレヤの主張を認めたように、カーシュレはため息をついて、恐る恐る話し出す。
「あの……笑わないって約束してくれる?」
「うん、約束するよ」
「……未知の土地に踏み込んで、住人がみんな知らない言語を喋ってるのを見て、なんか急に怖くて、とても心細くなった……」
「ぷっ、くっ……」
「あっ!ひどい!笑わないって言ったのに!」
「ご、ごめん、予想外の答えが出てきたから、つい……」
カーシュレはおそらく一種の外国人恐怖症。ゼノフォビアともいう。最初は家族に会えないのがカーシュレの悩みだと考えたが、斜め上の答えにインスレヤは口を抑えて笑うのを必死に我慢する。あのふてぶてしいカーシュレがまさか外国人が怖いなんて、想像もできないから。
「あれ?でもカーシュレさんは研究所で外国人とも接したことあるし……交流のために内海にも行ったことがあるよね?」
「古代魔導帝国語がわかる相手なら、大丈夫……」
「なるほど。確かに言葉が通じるのは大きいよね……」
西の大陸に来るまで、カリスラント人が知る世界のほぼ全域がかつてのアフェングストリア魔導帝国の文化圏内。それでカーシュレも自分にこんな性質があるなんて知らなかった。
「はぁ、本当に自分が不甲斐ない。こんな研究のチャンスが溢れる環境なのに、これまでグズグズして何一つ成果を上げられないとは……」
「まぁ、そんなに思い詰める必要はないよ。原因がわかったなら対策を講じられる」
インスレヤの頭の中にすでにいくつの考えが浮かび上がった。言葉が通じないのが原因なら、カネミング石のイヤリングを使わせるようにアンネに頼んでみる?それと、なるべくカーシュレを一人にさせないように、周りに手が空いてる士官を配置するのも有効そう。カーシュレはいつも孤立しているから余計心細くなったんだろうと、インスレヤがそう考察する。
「そうだ、明日リミアさんへのお土産を選びに行くのはどうかな?」
「んー、リミアさんにはいつも面倒を見てもらってるし、何かを贈ってあげたい気持ちはある。でも、市場に行くのか?あの人混みの中に……?」
「大丈夫よ。私も一緒だ、」
そんなとき、信じがたいものを見たから、インスレヤの話は途中で終わった。
「……えっと、私の見間違いかな?ドレス姿のジャイラさまが店の前を横切った……」
「……幻覚だと思いたいけど……それ、私も見た」
「はぁ……何が起きたの?ほら、私たちも行くよ」
代金をカウンターに置き、お釣りも待たずに、インスレヤはカーシュレの手を掴む。
「え?なんで私達が、」
「もし必要なら魔法で援護するのよ!さぁ、行きましょう!」




