#072「国憂う王太子の独白」
ラズワルド・スピネルを殺す。
〈学院〉が始まる前、ナハトの母はいつものようにそう言った。
「だって、怪しいんですもの。
その子どもが本当に第二妃の子かどうかはともかくとして、怪しいという事実がある。
その時点で、もう殺しておいた方が良いと思うの」
誰かの命を奪うことを。
ただ一方的な、独りよがりの感情のためだけに良しと言う。
それも、いとも気軽に。
「煩いの種は、早々に無くしてしまうのが幸いだわ。
殺したはずの第一王子は生きていたのかもしれない。
そんな不安や苛々に、いちいち悩まされるくらいなら、たとえ人違いでも念のために殺してしまいましょう。不健康ですもの」
煩わしいものが嫌いなの、と母はよく口にした。
鬱陶しさや不快感を覚えるものに、微塵も耐えるということができない。
ただでさえ気持ちの悪い立場に置かれているのに、これ以上なにを堪えろというのか。
ジークシア・アダマスは、憎悪を孕んだ眼差しで世界を見つめている。
表向きは一見冷静に、とても穏やかに。
されど内面では、誰より癇癪を爆発させて。
好いてもいない老人の妻にさせられた。
得体の知れない妙な実験まで施されて子どもを産むことになった。
母にとって僕は、一度として望まない子どもだった。
(本来なら、僕は母に真っ先に消される邪魔者──)
それが、母が持つ唯一の価値観であり絶対のルール。
煩わしいものは排除する。
不愉快な存在は何としてでも取り除く。
王子を産んだ妃。
その肩書きから与えられる数々の特権がなければ、間違いなく例外は適用されなかった。
幼子を殺すことに何の躊躇も覚えない。
元よりそういう女性だ。
腹違いの兄を殺した時も、むしろ清々とした気分だったと本人の口から聞かされている。
眼差しのひとつひとつ。
ふとした瞬間に漏れる微かな嘆息。
声色に含まれるチリリとした嫌悪の感情。
巧妙に隠されていても、親子の関係で長年接していれば、幼心とて理解できる。
愛されようと努力するのは、徒労に終わった。
だから思った。
「母上。やめましょう」
「あら、なぁに? ナハト」
「僕はもう、うんざりです。兄上が生きていたなら、王位継承権は返すべきだ。
仮にそうでなくとも、不快だからという理由だけで同胞を殺す。
……そんなこと、いずれ誰からも見放されてしまいます」
「強く在れば何の問題もないわ」
「強さとは、暴力を指す言葉ではないのです」
「フッ、おかしな子」
「……理解されずとも仕方がありません。ですが、これだけはご容赦いただきます」
「! っ、……これは、まさ、か……」
母に毒を盛ろう。
意識を奪い一時的な仮死状態に陥らせるだけの毒だが、そうしなければこの女性は止められない。
殺し、殺し、殺し、殺し。
気に入らないものがあれば、何であれすぐに殺そうとする怪物。
なまじ、権謀術数に長けていたのも悲しかった。
(僕は王太子だ……)
肉親だからという理由で、否、肉親だからこそ、未来の王として為さねばならぬ決断がある。
王になることを望まれ、王になることを条件に生かされ続け、けれど、『王』というのは国の膿みを決して見過ごしてはならない。
皮肉である。
ナハト・アダマスには才能があった。
身分も環境も資質も性格も。
王太子という立場だけで得られる諸々の特権があれば、およそダークエルフの基準で美徳と称される諸々の能力は順当に鍛え上げられ。
伏魔殿に等しい王宮では、騙し騙され、情報の大切さを知り、誰が誰を憎んで何を欲しがって、どんな風に機会を探っているのか。
したたかに生き抜くため、時にはメイドたちの行動を操って、蜘蛛の巣糸のように罠も張った。
強さこそがすべてだと言うのなら。
ナハト・アダマスには、この国のあらゆる評価項目で『最優』の賞賛が貼られる。
強欲な母方親族は実力を以って従えた。
血の繋がった実の母親すら毒に沈めて監禁したのだ。
たかだか外戚ごとき、今さら有無を言わさず従えられぬ道理はない。
仄暗な過去を持つものは、叩けばいつだって面白いくらいに埃を出す。
いずれ正式に、ナハトが王位を継ぐ頃には、いくらか使い潰して、内部的な粛清も済ませてしまう予定でいた。
──だが、それでも。
「この国は……膿みすぎだ」
見かけ上は美しいが、根っこの部分はとっくに腐乱していて悪臭が止まらない。
ナハトが最初に違和感を覚えたのは、物心ついてすぐの頃だった。
王宮の誰も彼も。
黒色の同胞たちは初め、とても親切で優しかった。
会うひと皆がナハトの味方であり、口を開けば次々に阿諛追従。
齢六つか七つでは、世界は至極単純で、額面通りに受け取るほかはなく、純粋無垢な綺麗な心地ですべてを楽観していた。
しかし、
──強欲な第三妃家め。
──異母兄殺しの第二王子。
──陛下のたわむれにも困ったものだ。
──魔力など魔物の力であろう。
──忌み子の次は鬼子か。
──しっ! 口を慎め!
──魔法の恐さは忘れられぬ。
──不興を買えば、何をされるやら分からんぞ……
嘘だった。
何もかもは巧妙に押し隠されていた嘘偽り。
皆、腹の底ではナハトのことなど好いてもいなければ、愛してもいない。
王太子という立場ゆえに終始媚びへつらっていた。
魔力という才能を持っていたがために、徹頭徹尾、嫌悪・恐怖していた。
どれもすべて、ナハトにはどうしようもない所で厭悪の理由が出来上がっていて。
(──醜い)
だが、ここまでなら別にどうだってよかった。
嘘偽りを醜いと感じ、周囲から騙されていた気分に陥り勝手に反感を覚える。
それは、所詮どこまで行こうと、ナハト個人の感情の問題。
幼すぎた純心に、早い段階で成長の機会が与えられた。
そう前向きに受け止めることで、苦々しく思いながらも納得は可能。
けれど。
(真に許しがたいのは……メラネルガリア)
国の全体を覆う何よりも醜悪な差別意識。
たとえば、
「チッ……異形女どもめ。よくも栄えある〈学院〉の敷地を」
「あいつらが息をして、同じ空気を吸ってると思うだけで俺は吐き気がする」
「いつ見ても気味が悪いぜ。あいつら、本当は怪人道なんじゃないのか?」
「ハハハ! かもしれないな」
「ふふふ。本当に怪人道なら、そのうち奴隷にするのもいいわね」
「おっと。ネビュラスカ嬢はさすが、性酷薄でいらっしゃる」
「自慢のコレクションは、いったい幾つほどで?」
「いやね。スネイカー様には劣るわよ」
ある日の〈学院〉。
ナハトが廊下を歩いていると、通りすがりに三つのブラック家が、ニヤニヤと談笑しているのが目に入った。
彼らはどうやら、他種族の奴隷に関する話をしているようだった。
「まあ、俺はたしかに、奴隷に関しては一家言ある方だと自負していますからね」
「スネイカーのお気に入りは、豚猩猩とかの馬鹿種族だったか」
「ああ。あいつらはロクな知性もないし、何より不細工だからな」
見ていてなんの理由もなく、痛めつけてやりたくなる。
スネイカー・ブラックジェイダイトは、蛇のような顔で頬を歪めていた。
「それに、知ってるか? ヤツらの体毛はとても頑丈なんだ。ムチを打って皮膚を裂こうとしたら、まずは全身、綺麗に刈ってやらなきゃならない」
「はぁ? 気持ち悪いことを想像させるなよ」
「さぞや醜いんでしょうね」
「もちろん。だから楽しんだ」
下等な生き物がさらに下等に落ちぶれる。
その様は見ていて愉快でたまらない。
と、そこで。
「ま、俺はいささかもったいないと思うけどね」
ディープ・ブラックパピリオが意見を挟んだ。
蝶のように気取った口調が特徴だった。
「奴隷っていうのは、一種の財産なワケだろ? それなら、もっと有用なことに消費するべきだよ」
「あら、たとえば?」
「魔術の実験に使うのさ」
「失敗が前提の?」
「黙れ。失敗なくして成功はない」
「失敗から学べばの話だがな! いいことを教えてやる。オマエの魔術式は無駄が多すぎだ」
「ふふ。たしかに、詠唱をもう少し短縮できたら、魔術院での評価も上がるでしょうね」
「なんとでも言うがいい。俺はそれでも、実験をやめないぞ」
「興味深いわ。黒蝶真珠家では、いったいどれだけの奴隷が無惨な姿に成り果てているのかしら」
ネビュラスカ・ブラックオパールは、さも愉快げにクツクツと肩を揺らしていた。
「……けれど、そうね。仮にあのオブシディアンの双子をどっちとも奴隷にできるなら、私だったら徹底的に、まずは尊厳というものを奪うかしら」
「尊厳?」
「尊厳破壊か?」
「ええ。お二人ともどうも、目的に対してずいぶんと直接的なアプローチを採るみたいだけど、私は女として、一番大切なはずのものを、真っ先に台無しにしてやるのが良いと思う」
「「……おぉ」」
「指嗾させるというなら、それこそスネイカー様の豚猩猩なんて、まさにピッタリじゃない?」
「いやはや、お見逸れしたよネビュラスカ嬢」
「女性はさすが、やることがえげつないな」
(クズどもめ)
王宮で構築した独自の情報網で、ナハトはあらかじめ、彼らを『膿み』と判断していた。
普段ならば立ち止まって、この三人の会話を盗み聞くなどしない。
盗み聞いたところで、耳障りでしかない雑音なら、聞くだけ損な連中である。
必要に迫られないなら、一瞬足りとも関わりたくはなかった。
しかし、
(……豚猩猩を嗾ける?)
オブシディアン家の令嬢に?
(オマエたちはそれほどまでに、腐ってしまったのか)
種族の誇りを貴ぶ気持ちは理解できる。
黒い髪と黒い肌。
肉体的特徴と鉱物資源に根差した文化を所以として、黒色を信仰するのも別に悪いことではない。
理屈は正しく、筋自体は通っている。
他種族の奴隷についても、古代セプテントリアの正統な後継を謳い、ダークエルフこそ北方大陸の覇者だと傲岸に振る舞うなら認めよう。
人として間違ってはいても、感情としてなら理解できるからだ。
けれども。
(……彼女たちは同胞だろう)
髪色が白いが、それ以外は貴種と呼んで差し支えない生粋のダークエルフ。
だというのに、いったい何故、オマエたちはそうまでして他者を貶めることに専心する?
大きな流れの中に生じた小さな波紋を、どうしてそこまで悪し様に罵ることができるのか。
異端は罪で、生まれ出でたこと、それそのものが間違いだとでも?
ナハトは怒りに震え、悔しさからつい大声で飛び出してしまいそうになった。
そこに。
「おや、諸君。こんなところで悪巧みとは感心しませんね」
「! 導師!」
〈学院〉で教導を務める導師の一人が、まさに見計らったかのようなタイミングで三人の前に姿を現す。
ナハトは一瞬、大人の良識を期待してしまった。
だが、その導師は言った。
小さく、声を抑えて、だがたしかに愉悦を含んだ音色で。
「狙うならまずは、ひ弱な妹の方からになさい」
人質を取れば、あの傲慢なセラスランカとて、無抵抗でその身を差し出すはずだ。
それを聞いた三人は、今でも吐き気がするほど歪んだ笑顔を浮かべていた。
この国は膿んでいる。
だから思った。
すべての誤ちを正すため、やはり一度、すべてを破壊し尽くそう。
頼りになる協力者と一緒に、僕はこの国をあるべき形に作り直す。
(……ただ、もう少しだけ、兄かもしれない人と言葉は交わしてみたいな)
ラズワルド・スピネル。
第二妃ルフリーネの奇妙なまでの沈黙が、もしそういう意味なのであれば、彼はまさしくメランズール・アダマスに他ならない。
奇矯な装いと非常識な言動。
〈学院〉での振る舞いを見るに、相当な奇人ぶりだが、だからこそ他とは違う彼なりの視点で、メラネルガリアの将来を語ってみて欲しかった。
仮に兄ではなかったとしても、それはきっと、貴重な知見になり得る気がする。
(もっと、なにか良い機会があればいいんだけど……)
ラズワルドとは入学の式典以来、一度もちゃんとした会話をしていない。
一言二言、すこしの応答なら幾度かしているが、三十秒以上の対話はゼロ。
ナハト自身、他の人間に対しこうまで口が回らなくなることはないから、負い目というのは本当に厄介でたまらない。
(……術式の発動には、長くてもあと五ヶ月)
何であれ、猶予はそこまで。
メラネルガリアにはじきに、太古の王が復活する。
そして、その時こそ……
(僕の人生には、終わりが与えられる)
救国の代価としては、まあ相応だろう。
────────────
tips:奴隷
メラネルガリアにおいて奴隷は他種族を指す。
しかし、それは労働力を担うための奴隷ではない。
ひとでありながらひとではないもの。
すなわち、あらゆる権利を剥奪され、〝モノ以下〟として扱われるヒトガタである。
……十三歳の少年にとって、世界はだから矛盾していた。




