#058「諦めない木漏れ日」
旧き神話に曰く──北方大陸にはその昔、七柱の獣神がいた。
発端は古代の最初期。
荒れ果てた世界を見兼ねたのか、一部の獣が生まれながらに転生を行うようになった。
正確には、転生のための前準備。
我らいずれ、森羅の元に還るが運命なら、その死後を先に貰い受ける。
見目麗しきは擬態の花道。
美しき自然よ取り戻されろ。
母なる星が泣いている。
あるいは、それは単に自然界の〝揺り戻し〟だったのかもしれない。
何にせよ、獣たちの一部はその土地土地で、自然環境との一体化を開始した。
原初の自然世界。
失われたかつての光景を、再び世界に満たさんがごとく。
北方大陸においてそれは、偉大なる七柱の誕生を導くことになった。
獣神とは、動物霊ならざる自然霊。
死した瞬間に骸を環境化させ、その土地の守護霊へと変じるモノ。
長い年月をかけて土地神に霊格を上げ、最終的にはその土地だけでなく、環境そのものを司る環境神へと昇華。
土地の従属化や環境に同位するだけでなく、敵と認めたものを強制的に自身に〝還元〟させる還元法までを権能とする。
たとえば、デドン川の獣神。
清澄なる水と氷の蛙神ならば、自らの往くところを新たな河川に変えてしまうといったふうに、獣神にはそういうコトが可能だ。
──では。
第一冬至──ユトラ・ドゥーべ
第二冬至──ユトラ・メラク
第三冬至──ユトラ・フェクダ
第四冬至──ユトラ・メグレズ
第五冬至──ユトラ・アリオト
第六冬至──ユトラ・ミザール
第七冬至──ユトラ・ベネトナシュ
長すぎる冬を七つに分けるとは、そも如何なる由縁か。
広大無辺な北方大陸で、苛烈にして冷酷な冬の姿が、七つあると知られていたからではないか?
「──“泰山雪崩”」
「うおおォォォォォォォォォァァァァァア──ッ!!」
大顎を開けた貪狼が、山崩しの雪崩となってアレクサンドロを襲う。
狼と熊の中間。
牙の四足獣。
地球においてそれは、俗にいうベアドッグ。
太古に絶滅したアンフィキオンや、プセドーサイオンにも似ていて。
強大な顎の力、貪り喰らう大食漢の口腔が、大地とともにちっぽけなエルフを呑み込もうとした。
「日輪剣……ッ!!」
聖剣の光熱を円を描いて雪崩にぶつける。
「──“雪渓氷瀑”」
「ッ、グ……!?」
一息つく暇もない。
続いて前へ出たのは、白緑の蛇。
アイスグリーンの光沢を持った美しき鱗。
陽光を浴びて煌めく谷底の雪融けが、流れ流れて固まり絶景の氷瀑となった。
氷柱と呼ぶにはあまりに視界を圧迫する大質量。
蛇のとぐろのようにアレクサンドロを囲む巨大な氷檻。
内側に割れて、一斉に倒れ込む。
「燃やせええぇぇェェ──ッ!!」
頭上めがけて一閃。
小規模ながらも太陽面爆発を利用し空中へ脱出。
玉座の魔女をそのまま一直線に狙うが、
「──“樹霜木華”」
「──ッ!?」
屍の山より突如突き出た無数の樹氷。
冬の森の王権を告げる水晶鹿角。
威厳深き赤目の鹿が、アレクサンドロを串刺しにせんと雄壮な角を振るった。
弾き、飛ばされる。
その先で、
「──“氷床棚氷”」
「クソおああァァァァァアッ!」
虚空に浮かんだ大陸としか思えぬ浮上島。
銀盤の霊亀、偉大なる玄武が、地面に転がるアレクサンドロへ伸し掛からんと落下していた。
人間が世界を、支えられるはずがない。
躱す余裕はなく、蒸発させる以外に道はないと、叫びながら紅炎を投射。
自爆に等しい火焔流。
全身に火が回る。
焼け爛れた骨肉を癒そうと、太陽源力が最大限まで自然治癒力を高める。
「そろそろ終わりかしら?」
「……ぐ、ググッ、ヅ、まだだ。まだ、終わらん……ッ! 終わらせて、たまるかあァァァァァアアッ!」
「そう。なら──“夜天銀月”?」
魔女の命令。
それと同時に世界が夜に染まった。
日輪が銀月に啄まれる。
不純なものは何もない。
澄んだ大気の冬の清冽。
翼を広げた梟。
天蓋の名をほしいままにし、ゆっくりと目蓋を開ける。
月の瞳が太陽を挟み込んだ。
極 夜 凱 旋
「ハァ、ハァ……なんだ、これ…………」
「人間が文明を築き上げるより遥かに前から、この仔たちは世界の支配者だったわ。
自然界の原風景。本来あるべき世界のカタチ。いくら堅牢なお城を築いても、どれだけ立派な王国を築いても、人類が本当の意味でこの仔たちに打ち勝つコトなんて、この先あると思う?」
「……ハァ、ハァ……まるで、貴様だけは、勝ったとでも言いたげだな」
「ふふふふふふふ」
「穢らわしい……死霊術師……」
「──“白闇冠雪”」
聖域を封じられ、息も絶え絶えとなったアレクサンドロに、魔女は愉しむような素振りさえ見せて口元を綻ばせる。
白き凍死体の山。
屍で積み上げた冷たい玉座。
眼下の獲物をどのように甚振って殺すかと、死霊の女王は思案していた。
あたりには次第に、白闇が広がり始める。
白闇冠雪。
地を埋め立て、何もかもを吹雪で攫い、闇の中に誘う黒王悍馬。
その嘶きが、蹄の地響きが、アレクサンドロに逃げ場のないことを教えている。
姿なき殺戮者。
白き風であり黒き冬。
それでも、
「……ユキア、シャーレイ……」
「?」
アレクサンドロ・シルヴァンには、負けられない理由がある。
彼女たちの笑顔を想うたび、尽き果てぬ憎しみが、汲めども汲めども湧き上がる瞋恚が、いつだって聖剣を取らせた。
太陽はすでに死せりだと……?
(バカを言え。ここにまだ、オレが生きている──!)
復讐を誓う鬼の魂は未だ健在。
さあ、術理を見せよう。
我は一介の聖剣使いに非ず。
もとは棒振りしか能のない、魔力なき凡庸な人間なれど、
「──“木漏れ日はいまも、エルノスの星に”」
「? なに……?」
「“我らは陽光より生まれ、陽光にて形作られた”」
〝魔術式・神代記憶接続〟
「“ならば偉大なるミサナラウグ……地上に光を与えしものよ”」
我ある限り日輪は没せず、我ある限り希望は滅びず。
「“いまここに、暖かな温もりを届けたまえ──ッ!!”」
大陸の霊脈が、エルフの呼び声に応える。
三兄弟三姉妹の神話におけるエルフ誕生の逸話。
象徴となる記号は不足なく魔術式を成立させ。
極夜の天蓋に、バキバキと地割れのような罅が刻まれる。
魔女は信じられないものを見た気持ちで、空を見上げた。
「──太陽」
聖剣の日輪が、再度極地を見下ろす。
それとともに白闇は晴らされた。
だが、その赫きは不完全だった。
夜天銀月・星霜の夜梟。
第五冬至が怒りとともに鳴いている。
……拮抗。
状況は、昼夜の互角を意味して。
じュゥゥゥゥ……
そして、アレクサンドロの肉体は煤煙を上げながら再生した。
爛れの臓物が、炭化していた体組織が、浄罪の焔となって戦士を復活させる。
立ち上がる大剣背負い。
その眼光に未だ曇りはなし。
聖剣がなぜ、エルフの両腕を焼いていたのか。
人類を守るための剣が、どうして人類を傷つけていたのか。
答えはここに眠っていた。
「オレはオレを、幾度となく傷つける。そのたびに、聖剣はオレを罰し続ける」
「オマエ……」
人類の中には当然、担い手たるアレクサンドロも含まれる。
魔術を使い冥府魔道を邁進する担い手を、聖剣は必死に浄罪していた。
その魂に救いあれ。
その生涯に許しあれ。
たとえ半ば人間の道を外れようとも、この木漏れ日はきっと優しいから。
「死なずのバケモノを殺すなら、テメェも不死身にならなくちゃなァァ──ッ!!」
「……悪魔ああァァァァァァ!!」
掻き毟るような苛立ちの絶叫。
エルフとは、木漏れ日の種族、陽光の種族。
アレクサンドロ・シルヴァンは天に赫く日輪ある限り、何度でも立ち上がる。
戦場はさらなる段階に進んだ。
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そして。
「ぅ、っ……」
「! ラズくん……?」
「くっ、頼む、ケイティナ……!」
青の瞳のダークエルフ。
運命の車輪は、彼もまたその場へ導かせる。
「俺はふたりを……止めたい……ッ!」
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tips:魔術
魔力なき者が起こす超常の現象。
また、その技術を指して評される言葉。
アレクサンドロ・シルヴァンの場合、『三兄弟三姉妹の神話』という強力な信仰基盤を利用している。
霊脈に眠る集合的無意識。
神代の記憶と記号になる己。
そこに日輪の聖剣を組み合わせ、エルフがもともと持つ優れた自然治癒力を敢えて過剰化・暴走状態に。
日輪と同義とした肉体は、絶えず焼き焦がれながら再生を続ける。
まさに復讐の鬼。
修羅でなければ目的は果たせぬと、彼は最初に己を慈しむことをやめたのだ。




