#054「真実は白日のもとに」
「何を……言ってんだ……?」
「死霊。死した霊魂。すでに死んでいて、生きていないモノ」
言葉の意味は分かる。
だが、そういうことじゃない。
この男は、何を急に、ワケの分からないコトを言っているのか。
「妙な冗談はやめてくれ……」
「冗談だと? オレはいたって、真剣だよ」
「だったら! 気でも触れたのかッ!?」
いまこの場に俺とアレクサンドロ以外の人間がいない?
そんなバカなことがあるか。
ケイティナがいる。
すぐそこで、剣を向けられ怯えている。
それは、他ならぬアレクサンドロ自身にも、明らかなはずなのに。
「何を急に、タチの悪いイジメみてぇなコト言ってんだよ……」
死霊なんていない。
生きた人間しかいない。
いまこの場には、三人いる。
そうに決まっているんだ。
「仮に、ここにいるのが二人だけだったとして。だったらアレクサンドロ……アンタはいま誰に剣を向けたんだ?」
「死霊だよ」
「違う!」
「なにが違う」
アレクサンドロは淡々と言葉を返す。
先ほどからこちらが、無様にも狼狽える一方なのに比して、エルフの男は段々と冷静さを増していくようだった。
背後にいるケイティナは、不気味なほど口を噤んでいる。
なぜ……
(クソッ)
俺は必死に目の前を睨んだ。
そうでもしないと、足元がガクガクと崩れ落ちていきそうな錯覚がしたからだ。
「……ケイティナが、死霊? そんなワケ、ないだろ。アンタはおかしい。絶対に間違ってる」
「そう考える根拠はなんだ?」
「根拠? 根拠だって? そんなの、俺が死霊を知ってるからだよッ」
「──ほう?」
そこで、アレクサンドロの目は大剣越しに眇められた。
眉は怪訝げに歪められ、少しだけ剣先が下がる。
俺はそれに、勝機を見出したと思った。
「ノタルスカ山麓の森林! トロールに食い殺された犠牲者たちの霊! 俺はそいつらを知ってる! 取り囲まれて、大慌てで逃げ出したコトだってあるんだ!」
「そいつらは、どんな様子だった」
「様子? そんなの、霊なんだから決まってるだろ? 霧とか霞みたいな、曖昧でぼやけた姿だったよ!」
あの時の光景は忘れない。
冬の衣と薄影をまとった亡霊たち。
実体を持たない不定形。
靄の集合体のようなものから、地面を這いずり回る沼のようなものまで千差万別。
ママさんも言っていた。
それはきっと、フロスト・トロールたちの犠牲者だろうと。
アレらが死霊でなく、他の何だっていうんだ?
「なるほどな」
俺の説明に、アレクサンドロは吐息と一緒に深く首肯を返すと──
「魔女はオマエを、そう騙したのか」
「……は?」
またしても、ワケの分からないコトを言った。
「哀れだな、小僧」
「は? は?」
「オマエの認識は間違いだ。オマエが視たモノは死霊じゃない。死霊未満の、亡者の念と呼ばれるもの」
アレクサンドロは言う。
生あるものが一度死に、死にながら魔性へ転じたものこそ死霊である。
墓穴から戻り、夜を徘徊し、不死塚の咎を永劫背負って生前の業を繰り返す。
動骸骨、悪霊、腐肉漁り、吸血鬼。
いずれも曖昧で不定形な存在などではない。
この世に呪いを振り撒き、たしかな輪郭を持って世界を穢す。
「ヤツらは〝矛盾の汚点〟だ」
すでに死んでいるクセに、なおも存在を続ける穢れの星。
アンデッドどもが蠢き回るその度に、世界には歪みが生じている。
逆に言えば、死霊とはそれほどまでに、確実な存在力を備え持っていると言えるだろう。
ならば、
「決して、霧や霞なんかじゃない」
それらに該当するのは亡霊。
死霊未満の亡者。
少しずつ世界に降り積もる〝よくないもの〟たち。
そして、
「死霊術師どもにとっては、使い勝手のいい下僕だ」
「ネクロ、マンサー……?」
「ああ。死者の尊厳を、徹底的に貶める魔道のクズたちだよ」
そこにいる少女のカタチをしたソイツも、死霊術による産物だ。
アレクサンドロはしつこいほど繰り返す。
「聖剣は、魔を打ち破る。魔物はこの剣に近づいただけで、相当な苦しみを得て絶叫する」
「待って。待ってくれ……」
「小僧。そういえばオマエは、この辺りの動植物にはそれなりに詳しい様子だったが、魔物を魔物として見るのは初めてか?」
よく見ておけ。
アレクサンドロは大剣を向けたまま、一歩こちらに近づいた。
瞬間──ボウッ!! と。「ッ……!」と。
「分かったか?」
剥き身の剣から立ち上る、撓むような熱気が、明らかに勢いを増した。
メラメラとメラメラと。
炎はまるで、焼き尽くすべき敵を察知したように、大剣から溢れ出ている。
じゅゥゥゥ……
アレクサンドロの両腕は、さらに焼かれた。
なのに、当の本人は少しも表情を変えない。
つまらなそうに、苛立たしそうに。
自身の痛みなど、疾うに忘れてしまったように。
……俺にはもう、何も分からなかった。
「なんでだよ……」
「あん?」
「なんで、黙ったままなんだ、ケイティナ……」
「…………」
「これじゃあ本当に、アレクサンドロの言ってるコトが正しいみたいじゃないかよッ!!」
怒鳴り声に反応はない。
振り返って確認しても、ケイティナは顔を伏したまま、一言も返そうとはしてくれなかった。
けれどおかしい。
俺はまだ納得がいかない。してはいけない。
「なあ、アレクサンドロ……死霊ってのは、体温があるか?」
「なに?」
「ケイティナはな、温かいんだ。触れれば鼓動も感じるし、息だってしてる」
これまでの生活で、本当にケイティナが死者だったなら、違和感を覚えないのはおかしい。
それに、初めて会ったその時から、この娘は元気でいっぱいだった。
快活で爛漫で、笑うと子猫みたいで。
幾度となく手を繋いだ。
幾度となく触れ合った。
同じ料理を食べて、夜になれば同じ時間に眠って。
「生きている人間と何も変わらない……何も、変わらなかったよ!」
だから嘘だ。
アレクサンドロは嘘を言っている。
この嘘つきめ。
俺はそう、必死な想いでアレクサンドロを睨んだ。
「──いまも、そうか?」
エルフの男は、冷たく返した。
その返答は、いっそ無慈悲ですらあった。
「……これまでの返礼に、いいことを教えてやる。さっきも言ったが、この剣は聖剣だ」
古代の秘宝匠が鍛え上げ、その価値を『至高』と認められた〝巨いなる聖域〟
「あらゆる魔性はコイツの前に膝を屈し、いかなる魔法も立ち入りを禁じられる」
女神の秘蔵品。
古の灑掃機構を除けば、地上に現存する遺物で、およそこれほどの聖なる工芸品は存在しない。
人類文明を守るというコトは、すなわち人類を守るというコト。
人界を脅かす魔物は、近づくだけで苦痛に蝕まれる。
「そこの死霊は、たしかに〝生きていた〟のかもしれない。
だがそれは、あいにくと聖剣に嘘だとバラされる前までの話。
魔女の魔法が打ち破られれば、当然、これまでの欺瞞は白日のもとに晒される」
だから、振り払った。
抱き締められれば、どうしたって異変に気付かれるから。
冷たいカラダを、死人の熱を。
触れられて、知られるワケにはいかなかったから。
「そして黄金瞳──金色の瞳。
まさかこうして、実物を目にする機会があるとは思ってもみなかったが、エルノスの三種族ならば誰もが知っている。
死霊の娘、オマエは〈神の落とし子〉……現代では疾うの昔に絶滅した種族だろう?」
「!」
直後、ビクリとケイティナは震えた。
顔を両手で覆い、アレクサンドロの言葉を否定しようともしない。
デーヴァリングが絶滅した? 絶滅?
現実が、音を立てて罅割れていく。
「かつて、デーヴァリングは信仰の対象だった。
だがそれは、神代の終わりとともに次第に忘れられていき、時の権力者はデーヴァリングの能力を、自分たちの統治のために利用することを選択した」
あらゆる種族、あらゆる国の言語を解する種族能力。
古代の四大は、結束のためにそれを必要とした。
だがそれは、同時に全世界にデーヴァリングの利便性を広める切っ掛けにもなり、結果として始まったのが、デーヴァリングの乱獲・独占。
「たかだか通訳のためだけに求められたワケじゃない。密書にしたためられた暗号、その種族でなければ通じぬ独特な言い回し。デーヴァリングは何もかもを解読可能だった」
ゆえに、その能力は権力者たちに重宝され、同時に、
「ひどく疎んじられて殺された」
暗殺、毒殺、謀殺、射殺。
「加えてな。デーヴァリングは成長しなかった」
「成長、しない……?」
「神の血がそうさせるのか、ある特定の年齢になるとそこで老化が止まるんだよ。とはいえ、不死ってワケじゃないけどな。子どもの姿から変わらないってだけで、寿命は存在した」
しかし、姿格好だけは永遠に子ども。
大人になることは決してない。
天が人を愛した証として、いつまでも可愛らしいまま。
すると、
「ある場所では、その神秘性を使って、デーヴァリングを生贄に捧げるところもあった」
「…………は?」
「生贄。要は捧げ物だな。雨乞いの儀式とか、よくあるだろ? あれと同じでな。特別なお供物をして、どうにか自分たちだけでも助かろうっつうくだらないアレだよ」
アレクサンドロはその瞬間、大剣の構えを解いてブッ! と唾を吐き捨てた。
嫌悪感と憎しみ。
軽蔑と虫酸。
エルフの男の中で、それは到底許容し得ない悪行なのか。
それとも、そこから続ける『本題』にこそ、唾を吐きたくなったか。
怒りを堪えるように呼吸を挟む。
「そこでな、小僧……オマエ、〈目録〉という言葉に聞き覚えはあるか?」
「もく、ろく……?」
「そうだ。正式な名は〈禁忌収容編纂目録〉」
この世に存在する数多の『禁忌』を集め、その情報を保存、適切に編纂、手を出してはいけない、決して触れるべからず、と世間へ警鐘するもの。
書物であり組織。
太古より人界を見守っている。
そこに、
「──白嶺の魔女」
発生年数五千年を超える極大の魔。
子ども攫い。子喰らい。
自らが人間だった時、原因不明の疫病によって子どもを喪ったとされる母親たちの怨霊。
死を弄ぶ有角。
同じような境遇の死霊群体。
人から転じた魔。
彷徨い歩く死。
「ヤツもまた、デーヴァリングの生贄を捧げられ、この数千年間、ずっと消息が分からないままだった。オレの家族と故郷を、台無しにして以来な──!」
ようやく見つけたぞ。
復讐鬼、アレクサンドロ・シルヴァン。
男は歯茎を剥き出しにして、ついにその名を語った。
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tips:〈禁忌収容編纂目録〉
別名、厄ネタ大図書館。
〈渾天儀世界〉に存在する数多の禁忌情報を蒐集、記録し、保存と編纂、世間への公開を実行する秘密組織。
本拠地は不明。
蒐集官、編纂官、目録官の三つの役職者で構成されている。
一般には書物の形で認知されることのほうが多い。
その特性から、人々は忌避の念を抱いて〈目録〉の略称で呼んでいる。