#330「鋼鉄の人」
ティタノモンゴットはすでに、ほとんどの国土が戦場化していた。
ターリアの外。
敵は異界の門扉を立て続けに解錠し、あらゆる場所に軍勢を送り込み、門扉を開ける大魔もまた国境線からすぐさま王都へ。
外側から完全に包囲し、内側からもハラワタを食い破る。
まさに、これぞ常軌を逸した魔謀の戦略。
徒党を組んだ魔物と戦う意味。
北方大陸の主要国家群は、渾天儀暦6028年1月25日、実に古代以来となる恐怖を思い出した。
霜の石巨人、雪狒々、剣歯虎人、野蛮人、半吸血鬼、悪漢。
怪人道の種族を中心に、複数種族で構成された混成軍。
なかには種族というワケではなく、ただ人間社会から排斥され、疎んじられる荒くれ者まで混ざり混んで。
ネルネザゴーンの軍隊は、グリムびとの将帥に率いられて巨人兵を次々に殺していった。
屈強なティタノモンゴット兵が、どうして?
理由は単純だ。
ネルネザゴーンの軍隊はほとんど全員、瞳の色が赤くなっていた。
下位の吸血鬼化である。
ただし、眷属化させられたのではない。
彼らはただ強大な魔のそばにいすぎて、その呪的感染から避けられず、また、各々がもともと備えていた悪性を肥大化させられ、魔物へ転じていた。
不死なるアンデッド。
弱点を突くか粉微塵に砕かなければ、無力化はできない。
巨人たちはさながら、蟻にたかられるように地面に引き倒されて、その首を掻き切られた。
地響き。野蛮なる鬨の声。断末魔の叫び。
「ネメオン様。このまま我らは、巨人どもを狩ればよろしいので?」
「そうだ。我らはあくまで、尋常の兵だけを相手にする」
「白眉のネメオン様ともあろうお方が、いささか弱気ではないですかな?」
「転変したばかりの小魔が、図に乗るな。まあ、巻き込まれて死にたいというのなら、止めはしないがな」
グリムびとの将帥。
白眉のネメオンと呼ばれた第八世界人。
灰色の肌、黒く尖った耳先、両側頭部から湾曲した捩じれツノ。
人界を避けると云う月白毛種にまたがり、薄紫の外套と灰銀の鎧に身を包んだ白髪白眉。
妖しい貌をしたグリムびとは、自分に声をかけた〝人間あがり〟に対する侮蔑的な感情を隠しもせず、戦場を一歩も二歩も離れた場所から眺める。
小魔と呼ばれた副官は、その視線の先に複数の大魔がいるのを知っていた。
大魔の圧力がぶつかり合い、その魔力が暴れ、この地上に地獄を作り上げているのを知っていた。
「……いやぁ、やめときます。アレに巻き込まれたら、たまらねぇ」
「フン」
鼻を鳴らすネメオン。
そう、その通り。
すでにティタノモンゴットを攻め続ける必要など、ネルネザゴーン軍を預かる将帥として、ネメオンにはまったく感じられていなかった。
大魔、大魔、大魔、大魔、大魔。
もはや巨人王国は、滅亡までのカウントダウンを止められない。
「グラマティカ様おひとりでさえ、充分だというのに」
今この戦場には、人間あがりでありながら大魔に至ったバケモノが複数。
そして、現在進行形で最も大きい戦果を挙げているのは、『堕ちた大魔法使い』だった。
ゼオメイガスは憤怒の剣と戦いながら、無限に近く増殖分裂を繰り返し、グラトロンやスレイプニールをも殖やし続けている。
「……まったく」
これでは、怪獣大戦争ではないかと。
ネメオンはすぐさま、「もっと下がるぞ」と命令するのだった。
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轟音が鳴り止まない。
暴威が間断なく悪意に猛り狂う。
「憤怒の剣ッ! 憤怒の剣ッ! この時をォッ、待っていたぞオォォォォォォォォォッ!!」
「ク、ソがぁ……テメェッ、ゼオメイガスッ!!」
「左様ッ! 貴様を殺すため、我は舞い戻ったッ! 我らは舞い戻ったッ!」
「バカみてぇ湧きやがって──! そんなにまた殺されてぇならッ、お望み通りぶっ殺してやるってんだよオラアァァァァァァッ!」
八つ脚の化け物馬と、四翅の飛翼を生やした蟲龍。
山王の間から引き離されて、グラディウスはおよそ三分にも満たない時間で、百体ずつスレイプニールとグラトロンを斬り殺していた。
頸を刎ね飛ばし、脚や翅を灼き、眼球を抉り。
襲い来る爪や牙、咆哮をも掻い潜って、熱光大剣を振りかぶり。
恒星爆発がごとき破壊力を敵へ叩き込む。
しかし、それでもなお敵の数に変化はなかった。
異界の門扉を自由自在に操りながら、自らもまた撹乱のために増殖するゼオメイガス。
堕ちた大魔法使いは、最強の英雄にリベンジを果たすため、最初から狂気を爆発させている。
空中を高速で動き回り、あちこちに瞬間的に出現し、この二者が戦うその余波だけで。
ティタノモンゴットに飾られる見事なばかりの建築物、巨像群が、崩れ落ち、粉砕され、瓦解し、被害を増やした。
英雄はほぞを噛む。
ほぞを噛みながら、怒りを燃やす。
拡大する戦場。
増大する被害。
目の前には、かつて倒したはずの難敵。
復活した?
吸血鬼になった?
「ふざけるなよクソボケがッ!」
「ハハハッ!」
「ハハハハハハッ!」
「ハハハハハハハハハハハ!ッ!」
「そうだ怒れッ! 貴様は我だけを見ていろッ! 我らだけを見ていろッ! 我らもまた、貴様に怒っているのだからなァァァァァァッ!!」
「始末に負えねぇんだよクソどもッ!」
怒気を炸裂させながら、グラディウスは常日頃の大らかさを完全にかなぐり捨てる。
こうしている今も、敵の首魁は山王の間で若者の命を摘み取ろうとしているだろう。
共に戦わなければならない。
若き日、グラディウスが身命に刻んだ誓い。
肌を焼き、骨を彫り、幾度となく生死の境界線を踏み越えながら背負うと決めた祈り。
まだグラディウスが、自らをそう名乗るより前のこと。
ニンゲンとして生まれながら、男は人類の突然変異としか思えない頑強を誇った。
クマよりデカい筋骨隆々。
顔は精悍とし、鷹のごとき双眸は真実猛禽のそれ。
体毛はまるで、野生の獅子の鬣かと見紛うほど。
ある時、流れ者の魔法使いが言った。
──壊れた渾天儀世界にて、歪んだ律の恩恵を受けるモノは、死者や魔物ばかりではないと思っていたが……
曰く、人の身でありながら超大陸と同等なのだとか。
何が同等なのかは分からない。
が、己は他人と違う。
弱くない。
非力じゃない。
病にも強い。
城塞都市リンデンの、瓦礫街。
困窮に喘ぐ周囲に比べて、男は自他の違いを明確に突きつけられて育った。
そして知った。
これだけ他人と違う自分が、それでもしんどいと感じるほどに世の理不尽は多く。
無慈悲な死と隣り合わせな世界で、人々はそれでも懸命を忘れず、助け合いながら汗を流している。
柵を作り、壁を作り、屋根を作り、建屋を繋げ。
恐ろしいモノから自分たちを守るため、どれだけ必死に努力しても。
血は流れる。
命は落ちる。
涙は乾く暇もない。
男にはそれが許せなかった。
出稼ぎに出た父親は旅先で霜の石巨人に食われた。
父親の墓参りで、母親はグールに殺された。
親代わりを務めてくれた近所の連中は、森で森林歩きに遭ったり、川辺で水死者の手に引き摺り込まれた。
男もまた、幾度となく同じ目に遭った。
だけど、男だけは毎度命を拾った。
自分は他人とは違う。
どうして自分だけが、こんなふうに強く生まれたのか。
理由を考え続けた。
考えて考えて、やはりどう考えても結論はひとつしかないと毎晩思った。
誰かの笑顔が好きだった。
懸命に働き、必死に明日を望む人々の姿が。
男には何より光り輝く温かな灯火に見えた。
それを奪われるのは、何より耐え難い拷問に等しかった。
人が人として当然に持ち得る善性。
親が子を慈しむ姿。
子が親に報いんとする姿。
若者が年寄りを労り、年寄りが若者を導く。
力ある者は力なき者を助け、かつて助けられた者が同じようにいつか誰かを助ける。
老若男女、誰しもが微笑み安らぐ世界の、なんと美しいコトか。
特別なコトなど何一つ無くていい。
ただ、当たり前に今日より少しだけ良い明日を送れさえすれば、それはこの上のない倖せだ。
男が鎧を纏う理由はそれで十分で。
名前を変え、剣を背負うのも、すべてはそんな慎ましやかな願いのため。
ゆえに──いつだったか誰かが言った。
キミはそれで、何を得るんだい?
尽くし、捧げ、身を粉にする生涯。
民衆はその献身に、感謝の歌を贈るけれど。
人生を、棒に振っているとは思わないのかと。
それに、男は笑いながら答えた。
何のことはない。
見返りならば、もうとっくに充分過ぎるほど貰っている。
抱えきれないほどの報酬だ。
この身が粉と擦り切れるまで戦う分の返礼は、すでにこの手にある。
──すなわち。
〝俺が戦うことで守られる誰かの生活。そこで見られるいつかの『笑顔』こそが、この身を費やすに足る至上の宝物だ〟
だからこそ……だからこそ……ッ!
「死ねよクソがァッ! なんべん死ねば気が済むんだ手前勝手な自己中どもッ!」
オマエらがいると、世界は曇って仕方がない。
邪魔なのだ。頼むから、消えて居なくなってくれ。
いったい命を、何だと思っていやがる?
人々の生を、営みを、何だと思って台無しにできる?
オマエたちが我が物顔で地上を闊歩するその度に、どうして彼らが涙を零し膝を抱えてうずくまらなくちゃならない?
「いいかげんにしろよ……ッ」
子どもに乳を飲ませなきゃならない母親が、オマエたちのせいで昼日中であっても飯が喉を通らない!
暗い昨日に引き摺られて、足元ばかり見つめて、太陽さえ信じられなくなっちまう!
そんな光景が正しいものだと?
在って然るべき日常だと?
認められるワケがないだろう!
そんなふざけた世界があってたまるかってんだ、馬鹿野郎がッ!
男は咆哮する。
咆哮せざるを得ない。
全身に漲る怒り。
己が魂には、およそ名も無きとされる市井の人々、決して誰でもなくなんかない通りすがりの誰か、無辜なる民たちの幸福をこそ想って憤怒を刻んだ。
“誰かのための怒りの剣”
「ウオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッ! ゼオメイガスウゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ──ッッ!!」
「憤怒の剣よぉぉォォォォォォォォォ──ッッ!!」
大魔法使いの攻撃を、すべて躱すコトなどできはしない。
たったひとりを狙って繰り出される殺意の怒涛。
どれだけ斬り倒しても復活し続けるバケモノ馬と星の最強種。
人界最強、人類最強と謳われる英雄であっても、生きた人間であるからには老いは確実に体力を磨り減らしている。
蟲龍のアギトに噛まれ、八つ脚の化物馬に蹴られ、致命傷を幾度となく食らいもする。
それでも。
(ああ──それでもだぁッ!)
鋼の英雄は倒れない。
剣とは、人類最古の文明の利器のひとつ。
刃金は鋼。
ならば何度疵つき、刃毀れ、損じようとも。
その度に炎によって鍛え直し、何度でも新生しよう!
刻印騎士団の長、アムニブス・イラ・グラディウスの刻印魔法とは。
すべての人の声なき声を代弁する、決して折れない不撓不屈の刃。
まさしく、鋼鉄の人に他ならなかった。
──したがって。
「ぬぅぅあああッ! これでもッ、これでもまだッ、貴様を殺すには足りぬと言うのかぁッ!? 何故だァッ!? 何故、我が魔導が通用せぬッ!?」
戦闘開始から実に三十五分後。
ゼオメイガスは激高の叫びを上げる。
気がつけば、数多と従えていたはずのスレイプニールとグラトロンが、徐々に徐々に彼らの周囲から引き離されていた。
英雄、グラディウスの振るう熱光の大剣が、ゼオメイガスの喉元へ迫る機会が増えていく。
「っ、不可解だ……あまりに、不可解だ……!」
大魔法使いは原因を、即座に探した。
吸血鬼化した現在、ゼオメイガスの魔法はたしかに魔導死であった頃より精彩を欠いている。
だが、二度に渡る転変。
今のゼオメイガスがどんな魔物かと言われれば、それは復讐の魔。
すなわち、アムニブス・イラ・グラディウスを殺すためだけに転変した魔物と言ってしまって、過言ではない。
「この状況……ッ! 貴様を相手にする場合に限ってだけはッ! 我はかつてよりも冴え渡った魔法を行使しているはずであろうがッ!」
「知るかよ──!」
「ッ……!」
ゼオメイガスは探す。
原因は必ず目の前の英雄以外にある。
なにせ、相手は生きた人間だ。
その昔、自らを討ち果たした時と比べれば、あまりに醜く老いさらばえた。
以前よりも弱い。以前よりも遅い。以前よりも脆い。
この地上で、およそゼオメイガスだけがその違いを確信できる!
ならば──
「ならばならばならばならばならばならばならばならばならばならばッ!?」
視界端に、明滅する白雷あり。
「! そうか……ッ!」
ゼオメガイスは、探していたものを発見した。
空を見上げれば、廻る星の渦もあった。
──白雷聖姫と、星辰天秤塔。
「エリンの嬢ちゃんと、天使たちか……!? 助かるぜぇッ!」
「もち! だって私、ファンだもの!」
「“全ての星と星座の配置”」
「──“天体の徴を教え授けるモノ”」
「“カウカベル・カバイエル・カビエル・コカブ”」
「──“全天夜光大星図に航路を刻む”」
「“カカベル・コカブリエル・コカビエル”」
「──“汝の名は、神の星”」
「私も行くわよっ! おじいちゃんっ!」
「フッフッフ、フハハハ……! 邪魔立てするか、アイナノーア・エリンッ! 〈第二円環帯〉ェッ!」
スレイプニールとグラトロンの軍勢が、星渦と聖雷に抑え込まれた。
だが、ゼオメイガスはだからこそ頬を歪め、両腕を開いて、グラディウスに叫ぶ。
「衰えたものだ、憤怒の剣ッ! 今や貴様は、ひとりでは我に打ち勝てない──!」
「かもしれねぇなぁ!? だがテメェはここで、結局俺に負けんだよッ!」
「ヌゥぅぅぅ!」
“創世・生命礼賛宇宙”では足りない。
堕ちた大魔法使いは、恒星の化身が自身に急接近するのを理解する。
吸血鬼の不死性など、所詮は急造のゼオメイガスでは大した役には立たないだろう。
これほどの焔に灼かれれば、太陽に灼かれるのと同義だ。
「忌々しい男よ! 人の身でそれだけの魔法を得ておきながら、剣なんぞを振るう道を選ぶとは──!」
「……テメェらみてぇなのがっ! 俺に剣を握らせたんだろうが──!!」
「やった! いける!?」
鋼の英雄が、堕ちた大魔法使いの首を、左右両側から叩き潰すように両断した。
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tips:戦場の緊急避難者たち
「はぁ、はぁ……なん、て戦いなのだ……」
「父上っ、大丈夫ですか!? お怪我はありませんか!?」
「どうしてだ……どうして、私たちがこんな目に……!?」
「父上!? しっかりしてください、父上!」
「オイっ、デカい声を出すんじゃねぇッ、見つかりてぇのか……!」
「ッ……」
混乱に陥った戦場。
突然の大魔襲来。
本軍とは離れ離れになり、散り散りになってしまった各国の軍隊のなかで、トライミッド連合王国のダァト王族とリンデンの騎士長は、巨大な瓦礫の陰に隠れて息を潜めていた。
陰にいるのは、彼らだけじゃない。
メラネルガリアの女性兵士や女騎士が数人と、ララヤレルンのクリスもいた。
「ジャックさん。貴方も落ち着いて」
「っ……悪ぃ」
「ジャックぅ、おれたちどうなっちゃうんだ……?」
「──ハァ。どうもなりゃしねぇよ、アレス」
従士の頭を乱暴に撫で、ジャックは気丈を装う。
しかし、その手が腰元の剣の柄に置かれ、落ち着きなく微かに震えているのは、アレスやクリスにも分かった。
「……ったく。ダメだな、オレは。前もこうして、隠れてるだけだった……これじゃあ騎士になった意味が無ぇ……領主様にも、肝心な時にそばに居ねえってんで、今度こそクビにされちまうかも……」
「だ、大丈夫だよジャック。ジャックはちゃんと、リンデンの騎士だよっ」
「へっ……ガキに励まされてらぁ……オイ、クレイコート」
「なんです?」
「敵は……いるか?」
「……いえ、少なくともこのあたりには、まだ」
「……そうか。チクショウ、なんだってデモゴルゴンなんかに出くわしちまうかね?」
瓦礫に背中を預け、騎士たちはあたりを注意深く警戒する。
だが、天と地を揺らす大魔と英雄の戦いのせいで、音はまったく頼りにならない。
粉塵も舞っていて、雪も降り始めた。視界も最悪。
すぐそこにデモゴルゴンがいても、まったく気付けない。
「フェリシア様から聞いたコトがあります。恐らくこれは、デモゴルゴンの女王と呼ばれる大魔の仕業です」
「は? マジかよ……なんでそんなのが、急にオレたちのところに出てきやがるんだ?」
「……それはたぶん、僕ら王族を狙ってだろうね」
ハーフドワーフの王子が、苦虫を噛み潰した顔で答える。
「黄衣の女怪は、高貴な人間を醜怪な姿に変えて弄ぶそうだから」
「美しい者もです。とりわけ、女は狙われます。そう、〈目録〉にはある」
メラネルガリアの近衛制服に身を包んだ女騎士もまた、さらりと補足した。
「……オイオイ、マジかよ。だったら、オレたちかなりヤバいな」
ジャックは引き攣った笑いをこぼし、クリスに言う。
「ここには、どっちも揃ってやがるぜ」
肝心な時に、主君のそばから離れてしまった騎士たち。
彼らは、自責の念に駆られながらも緊張の時を迎えていた。




