#294「菩提樹と水晶」
リンデンで最後に交わした言葉を、今も覚えている。
ウィンター・トライ・リンデンライムバウムと、ルカ・クリスタラーの天幕はすぐ近くにあった。
鶯色の布地に、銀冬菩提樹の紋章。
はためく旗を探せば、それは王族の天幕からさほど離れていない距離に立てられていた。
顔を出すと、衛兵のひとりがフェリシアと俺を覚えていて、すぐに通してくれた。
クリスは外で待機だ。
「久しいな──貴公」
「お久しぶりです。ウィンター伯」
「元気でしたか? メランくん」
「ああ、元気だよ。ルカも、久しぶり」
「はい。久しぶりですね? フェリシアさんも」
「お久しぶりです!」
「ね? ウィンター様。ふたりとも、すっかり成長しているでしょう?」
「……フン」
リンデンの領主と、その側近のような立場に収まった刻印騎士。
美貌の伯爵は相変わらずの麗しさで、ルカも大きくは変わっていない。
ただ、ふたりとも──髪型を変えたようだ。
ウィンター伯は長髪から短髪に、ルカは前髪を長くして斜めに流している。
向こうも、こちらの容貌の変化を観察していた。
「自由民メラン。いや、今では群青卿か」
「どちらでも構いません」
「そういうワケにはいくまい。貴公、最後に会ったときの言葉を覚えているか?」
「ええ」
「ここはリンデンではない。たしかに、こうして顔を突き合わせるのは約束が果たされてからの方が、互いに居心地が良かっただろうが」
「ウィンター様?」
「分かっている。私もあれから、いくらか心境に変化があった。以前のように貴公を責めるつもりはない」
「……以前も、さほど責められた覚えはありませんよ?」
「そうか? 自由民には追放刑は軽すぎたか」
そこで、俺もウィンター伯も緊張を緩めるように笑った。
静かに息を漏らして、互いの罪と傷を確認し合う儀式。
ブラックジョークが飛び出るくらいなら、なんというか……
「ホッとしましたか?」
「そう、だな。でも」
「もちろん、依頼は継続だ。かつての言葉を薄れさせてもらっては困る。我々は互いに、緊張関係である方がいい」
「はい。そうですね、ウィンター伯」
「ああ……だが、敬語はやめてくれ」
「え?」
「貴公はもう、群青卿なのだろう? 一介の地方領主ごときに、そう謙る必要はない」
「いや、ですが……」
「貴公。一度その椅子に座ると決めたなら、我らはふさわしき主人でなければならない。椅子にふさわしい主人ではないぞ? 主人にふさわしい椅子が、皆から選ばれるのだ。だから、貴公はその椅子にいる。ララヤレルン太公、メランズール・ラズワルド・アダマス」
「……分かりました。いや、分かった」
「フン。難しければ、敬語キャラで通すのも手だがな」
最後にユーモアを交えつつ、ウィンター伯は助言をくれた。
あれだけのことがあったのに、なんて器の大きさだろうか。
トーリー王が性別の垣根を超えて好意を寄せているのも、納得できる。
「会談では、ともに頑張ろう」
「ええ、頑張りましょう──いや、頑張ろう」
「先は長そうだな」
「ダークエルフですから、長くてもいいんじゃないですか?」
「そういうものか」
肩を竦めて、ウィンター伯は侍従に合図を出す。「ワインを」
「どうせ暗愚な我が王は、飲み物の一杯も出さなかったのだろう? 薄酒で悪いが、飲んでいくがいい」
「あ、いや、俺は下戸なんで……」
「なに? ──その体格でか」
「メランくんは肝臓が赤ちゃんですからね〜。ね、フェリシアさん?」
「! は、はい。そうですね!」
「なら……茶か。ハーブティーを」
天幕内に懐かしい香りが満ちる。
カップを受け取り、俺たちは温かな味に喉を潤ませた。
リンデンでの日々が、脳髄に駆け巡る。
「ところで、例の件はもう聞いていますか?」
「聖地云々って話か?」
「そうです。メランくんも何かあったら、すぐに共有してくださいね」
「月の瞳と契約してるんだから、何も言わなくても分かるんじゃないか?」
「──それでも、誰かの口から直接聞きたいことだってあります。ね? フェリシアさん?」
「! っ、はい! そう、ですね……!」
「「…………」」
ルカとフェリシアのあいだで、なにか緊張感のある系が結ばれている。
俺とウィンター伯は目を見合わせ、どちらもが同時に悟った。ここにも緊張関係がある。
元上司と元部下のふたり。
最後に会ったときは、こんなふうに圧の籠もった視線をルカは送ってなかったはずだが……
「ねえ、メランくん?」
「なんだ?」
「フェリシアさんとは、上手くいってそうですね」
「──────そういうことか」
「いいんですよ? べつに」
「あ、あの、クリスタラー支部長……?」
「フェリシアさんも、そんなにビクビクしないでください」
「ははぁ。なるほど。修羅場だな? やはり私にはワインを」
ウィンター伯が完全に肴にする気だ。
それはともかく、これはマズイ。
「なにがマズイんです?」
「心を読めるのか?」
「読めません。未来を視ました」
「使い魔の能力を何に使ってるんだ……」
「失礼ですね。べつに私は、怒ってませんよ? またこうしてふたりに会えて、嬉しい気持ちでいっぱいなんですから」
ならその、妙に圧力の籠もった眼力をやめて欲しい。
フェリシアが完全に気まずくて、死にそうな顔になってる。
「まったく。メランくん? フェリシアさん? 私をよく見てください」
「「はい」」
「大人です。大人の女です」
「「……はい」」
「そしてメランくんも、腹立たしいですが中身はオッサンです」
「おい。なんで俺だけ、大人じゃなくてオッサンて言い換えた?」
「黙れ」
怖すぎだろ。
戦慄する俺に、ルカは表面上は和やかに。
ニコニコしながら言葉を続けた。
「あれだけの旅をすれば、ふたりの心が通じ合ってしまうのも仕方がありません」
「つ、通じ合ってるだなんて……」
「ほら。こんなにも頬を染めて! とっても可愛らしいですね?」
「えっとぉ……全部知ってるの?」
「全部知ってるの」
「覗きは犯罪だよ……?」
「世界を救うためなの」
「マジかよ」
月の瞳との使い魔契約が、ルカを恐ろしいプライバシー侵略者に変えてしまった。
「それに、正確には演算による未来予知なので、実物を見ているワケじゃありません」
「月の瞳を出してくれ」
プライバシーの概念を叩き込みたい。
が、俺の要望は却下された。
「彼女を呼ぶ必要はありません。私、本当に怒ってないです」
「嘘つき」
「だとしても、嘘をつかせる方が悪いと思いませんか?」
「せ、先輩は悪くないと思います! 私が、たまたま近くで先輩を支えていたから……」
「それは自分を卑下しすぎです、フェリシアさん。この男は女なら誰でもいいという浅はかなクズではないです」
「ウィンター伯。これはちなみに、不敬罪に当てはめられますか?」
「ララヤレルンの法によるだろう。だがクリスタラーは私の側近だ。罪に問うなら、外交問題にして徹底的に戦うぞ?」
「なんてこった」
ワインを傾けるウィンター伯が、とても興味深そうに俺たちのやり取りを見ている。
このひと、社交界でモテモテなはずだから、こういうのは見飽きてそうなのに何で興味津々なんだよ!
天幕から一刻も早く立ち去りたくなった。
「話を戻しますよ?」
「はい」
「私は大人です。メランくんはオッサンです。フェリシアさんは若くて綺麗で、とても魅力のある成人女性です」
「はい」
「……ぅぅ」
「つまり、今のふたりがどんな関係だろうと、私は受け入れられます」
「本当に?」
「失恋から立ち直るくらい、できない女じゃないってことも忘れちゃいましたか?」
「いや……」
「それに、フェリシアさんには本当に感謝しているんです」
「えっと、どうしてでしょう……?」
「あそこまで弱っていたメランくんを、よく支えてくれました。この男はしんどい時ほど平気なフリが上手いので、フェリシアさんが側で笑いかけてくれるだけで癒されていましたよ」
「ちょっ!」
「!!」
「ハハ──美味いな」
なに? なんなの? なんでこんな羞恥刑を食らってるの?
ダークエルフで本当に良かった。ニンゲンだったら、めちゃくちゃ赤くなってるのがバレてる……!
「へ、へ〜? 先輩、そうなんですか〜……?」
「クッ……」
「あと、私べつに諦めたワケじゃありません」
「「え?」」
「おお。これは急展開」
「失恋しましたけど、やっぱりまた好きになりました。そろそろメランくんも、次の恋をしてみませんか?」
「えええええええええええ!?」
フェリシアが激しく動揺した。
俺も同じく愕然とする。
なんか、めっちゃすごいコト言い始めたんだけどコイツ……!
「無理なら、別の手段も考えますが」
「怖ッ! ちょっ、なに!? 別の手段って何だよ!」
「競争率が激しそうなので、覚悟が要るんですよねー」
「クリスタラー支部長……!?」
「あ、私のことはルカでいいですよ。暫定一位のフェリシアさん」
「暫定……!?」
少し見ないあいだに、アグレッシブになりすぎだろ!
中が騒がしいので、天幕の出入り口付近でクリスがチラチラ中を覗き込みそうになっている。
ええい、月の瞳はどこだ!
「ルカを変えやがって……やっぱり一発とっちめてやる……!」
「おっと、もう行くのか?」
「ウィンター伯、会談の場でまた会いましょう!」
「し、失礼しますねクリ──ルカさん!」
「ありゃ。ちょっと脅かしすぎちゃいましたかね?」
「いいんじゃないかい? 我らはニンゲンなのだから」
去り際、伯爵がルカに柔らかな声をかけているのが、不思議と耳に残った。
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tips:いつかの城塞都市
泣き腫らした顔の才女が、瓦礫の物陰でうずくまっていた。
「どうした、クリスタラー」
「ウィンター様……」
「こんなところでジッとしていると、風邪を引いてしまうぞ」
「いいんです。私、体調を崩したい気分なんです」
「やれやれ。重症だな」
隣に座り、ウィンターもまた物陰に入り込む。
まだ復興は始まったばかりで、城塞都市はほとんど瓦礫街。
雪の降る曇り空に見下ろされて、領主と才女は連日疲れ果てている。
しばらく黙り込んでいると、
「私、もっと大人に振る舞うつもりだったのに……ぜんぜんダメだったんです」
「クリスタラー」
「ウィンター様は、誰かに想いが通じなかったことってありますか?」
「あいにく、私は誰かの想いを、無碍にして来たことのほうが多い人間だよ」
本当の性別は、もう教えていた。
「だが、クリスタラー。君にひとつアドバイスだ」
「なんです?」
「公人として自らを律しすぎると、我々は私人としての自分を見失いかねない。だから時には、思いっきり感情を吐露してみるといい」
誰かの心を揺らすには、まず自分の心を露出しなければならない。
「君の魔法はあんなに綺麗じゃないか」
なら、その心も想いも、恥じる必要はない。
「……ウィンター様が男性だったら、クラっと来てました」
「お。少し余裕が出てきたか? なら、今度暇なときに、私とドワーフストーンで遊んでくれ」
「ボードゲームを?」
「私はアレが好きなんだ。本気でやる」
「……分かりました。いいですよ」
「約束だ」