【短編】歯が痛すぎて無言になったら、冷たかった婚約者が溺愛モードになった件
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朝日が差し込む馬車の中には、穏やかな空気が流れている。
窓から覗く空は青く、雲ひとつない。
「ライオネル様、今日も天気がよろしいですわね。魔法学の授業は外で行われるのかしら」
「……そうだな」
向かいの座席に座っているのは、ライオネル・タックス侯爵令息。わたくしの婚約者だ。
青みががかった銀髪に鋭いアイスブルーの瞳は怜悧で聡明、スッと通った鼻筋に薄めの唇は品良く整っている。
「ねえ、ライオネル様。今度お休みの日に最近オープンしたカフェに行きたいの、連れていってくださるかしら?」
「ああ」
多くは語らないけれど、その穏やかな声色はわたくしの心をときめかせた。
スリムだけどしっかりの筋肉のついた身体はいつ見ても惚れ惚れするほどスタイルがいい。
長い足をゆったりと組んで、優雅に外を眺めている。決して視線はこちらに向かないけれど、その横顔にさらに声をかけた。
「ライオネル様はチーズケーキがお好きよね? そのカフェはチーズケーキだけでも五種類もあるのです! 半分ずつならすべての種類を制覇できるかしら?」
「そうだな」
「うふふ、楽しみだわ。そうだ、当日は平民の格好でリンクコーデしましょう。わたくしはアイスブルーのカーディガンを着ていくわ」
「わかった」
ライオネル様の視線が下を向く。きっとコーディネイトを考えているのだわ。
「それと今日は生徒会の仕事がありますので帰りは少し遅くなりますわ。ライオネル様は先にお帰りになりますか?」
「いや」
「では調整いたしますわ。そういえば、学院の課題はもうお済みですか? わたくし、今回はライオネル様の真似をして氷魔法の結晶を作りましたの。こちらを見てくださいますか?」
「……いいな」
「まあ、よかった! ライオネル様のお墨付きなら安心できますわ。自信を持って提出いたします」
「ああ」
ライオネル様はわたくしにだけ極端に口数が少ない。でもどんなに愛想なく冷たくあしらわれても、そんなライオネル様すら素敵だと思えるわたくしはある意味病気なのかもしれない。
今日もいつものようにクールなライオネル様が素敵すぎると、うっとり横顔を眺めていた。
わたくしはハーミリア・マルグレン。父がこの王国の伯爵として日々領地経営に勤しんでいるので、なに不自由なく十分な教育を施されて育てられた。
貴族としての義務も心得ているし、婚約者もいて貴族令嬢としてつつがなく過ごしている。
婚約は六歳の時に結ばれた。
ライオネル様は大変な努力家で、どんな相手にも物おじせずに意見を述べるし、公明正大な人格者だ。剣は苦手らしいが、その代わり魔法では誰にも負けない実力の持ち主だ。
学院では密かにファンクラブができるほど人気があり、王太子の側近として常に注目を浴びている。
つまりとんでもなく優良物件なのだ。だから婚約者のわたくしはいつも嫉妬の目を向けられ、よく陰口を叩かれていた。
いつも朝の馬車の中のような感じで、わたくしが話題を提供してライオネル様が視線も合わせずにひと言返すのが常だった。
ちなみに他の生徒にはごくごく普通に会話が成立しているようだ。わたくしがいるとこのようになってしまうので、学院ではなるべく近づかないようにしている。
わたくしはライオネル様に愛されていない、それはもう周知の事実となり浸透していた。
でもライオネル様は真面目だから、婚約者のわたくしを律儀に毎日送り迎えをしてくれている。先生に用事を頼まれたり生徒会の仕事で遅くなっても待っていてくれるし、ライオネル様の手が空いているときは手伝ってくれるのだ。
それが婚約者としてのお役目だから、仕方なくこなされているのだと思う。わたくしはそんなライオネル様の優しさにつけ込んでいた。
あの日、ひと目見た時にライオネル様に心奪われたわたくしは、この婚約者の立場を死守しようと必死だった。
だからどんなに冷たく返されても、好意を全面に押し出してアピールしてきた。
もう十年もそんな状態だった。
それが変わったのは、いつものようにライオネル様が送迎してくれる馬車に乗り込んだ時だった。
突然、言葉を発することができないほどの激痛が、わたくしを襲う。
ズキズキと痛んでいるのは、口の中のようだ。とりあえずライオネル様をお待たせしたくなくて、馬車に乗り込み痛む元凶を探し出す。
痛いのは……左側ですわね。頬かしら? いえ、違うわね。
これは、歯が痛いのだわ! でもどうして歯が痛むのかしら? 毎日口の中もしっかりケアしているし、今までこんなことはなかったのに。
ほんの少し舌先で触れてもズキズキと痛みが増すので、これでは話すこともままならない。今日の授業はどうしようかと考えていると、強い視線を感じた。
こんな狭い馬車の中でわたくしを見つめるのは、ライオネル様しかいない。痛みを堪えて顔を向ければ、バチッと視線が合った。
歯は痛いけど、滅多にないことで心臓がドキッと跳ねる。
まっすぐにわたくしを見つめるアイスブルーの瞳は、なにかを窺っているようだった。
絡まる視線を堪能していたら、馬車がガタンッと揺れてほんの僅かな振動を受ける。それだけでズキーンと痛みが響いて、思わず俯いてしまった。
ライオネル様に心配をかけたくないのと、話すこともできなくて無言のまま馬車は進んでいった。
学院に着いた馬車から降りるときもそーっとそーっと足を下ろす。いつものように手を差し伸べてくれるライオネル様に話しかけることもできず、完璧な淑女の微笑みを浮かべただけだった。
それでも表情筋を動かすだけで、激痛が走る。貴族令嬢魂でアルカイックスマイルを貼り付けたまま、校舎へと向かった。
普段話しまくるわたくしがひと言も話さないから、ライオネル様はまだわたくしをジッと見つめている。こんなに見つめられたのは初めてではないかしら。
歯は痛いけど、これはこれで嬉しくてたまらないわね!
「ハーミ——」
その時、校内がにわかに騒がしくなった。
わたくしもライオネル様もそちらに視線を向けた。どうやら誰かが倒れて保健室ではどうにもならずに、王都の大きな治療院へ運ばれていくようだ。
「おい、大丈夫か?」
「クァwせdrftgyふいじこ!!」
「え? なんだって?」
「あqwせdrftgyふじこ!!!!」
まともに歩けないようで女生徒が担架に乗せられて過ぎていく。
女生徒は涙を流しながら、両頬をパンパンに腫らした状態でゆっくりと進んでいった。どうも早く歩くと顔が痛むらしく、そろりそろりとしか進めないようだ。
それでも痛みに耐えかねるのか、まともに話せないのに必死になにかを訴えていた。
わたくしも女生徒の気持ちがほんの少しだけ理解できる。可哀想にと思って見ていると、なぜか女生徒はわたくしを憎悪のこもった目で睨みつけてきた。
あの方は確かモロン男爵令嬢のドリカさんよね? ああ、ジッと見つめてしまったから、気を悪くされてしまったのね。ただでさえ注目を浴びてお恥ずかしいでしょうに、申し訳ないことをしたわ。
ピンクブロンドのサラサラの髪が可愛らしい、活発なご令嬢だ。さぞおつらいことだろうと心を痛めた。
それから授業に出たものの、やはり歯が痛くてなにも話せない。ほんの少ししか口を開くことしかできないので、昼食は野菜ジュースを無理やり飲んで紛らわした。
毎日欠かさず婚約者の義務として、昼食を一緒に摂ってくださるライオネル様はなにか言いたそうにされていた。けれどわたくしから言葉を発することができず、昼休みの時間が終わってしまう。
なおもジッと見つめてくるライオネル様に、どうしたのかと尋ねたかったけど、紙もペンも教室に置いてきてしまっていて筆談もできない。
クラスが違うから次にライオネル様にお会いするのは帰りの馬車になる。
お互いに無言のまま、それぞれの教室へと戻ったのだった。
帰りの馬車の中は、重苦しい沈黙に包まれていた。
あまりの痛さに保健室へ行って治癒魔法をかけてもらったけど、まったく治らなかった。いったいどうしてしまっというのか。
結局お父様とお母様に相談することにして、事前に先生に事情をお伝えしてなんとか授業だけは受けてきた。正直、ずっと痛みが続いていてもう限界に近い。
「ハーミリア。なぜ、いつものように話さない?」
「…………」
確かにいつものわたくしなら、婚約者である貴方へ嬉々として話しかけまくっておりましたわ——でも、どんなにお話ししたくとも、今は無理ですの。
「……具合が悪いのか?」
「…………」
ああ! せっかくこんなにもライオネル様が話しかけてくださってるのに、返答できない自分が恨めしいですわ!!
「ハーミリア?」
いつもの怜悧な瞳は不安げに揺れて、わたくしを見つめている。
あー、ダメですわ。
もう痛みのあまり頭が朦朧としてきて、なにも考えられません。
朝からずっと歯が痛くて口も開けませんし、なあーんにも話せませんわっ!!
それきりライオネル様も口を開くことはなかった。
彼に迷惑だけはかけまいと、必死に痛みに堪えていた。頭がうまく働かず、事前に書いておいた手紙の存在も忘れてしまった。
馬車を降りるときはもう立ち上がるのもつらかったけど、なんとかライオネル様を見送る。
馬車が見えなくなったところで、わたくしはその場に倒れ込んだ。
次に目を覚ますと、オレンジ色の光が窓から差していた。
喉がカラカラで飲み水がほしい。ゆっくりと起き上がると、歯の痛みは少しマシになっている。
「お嬢様! 目を覚まされたのですね! お水でございますか? すぐにご用意いたします」
そう言って、そばに控えていたメイドが慌ただしくベッドサイドの水差しから飲み水を差し出してくれた。
「ああ、よかった。今奥様をお呼びします。旦那様ももうすぐ戻ってこられますから、お待ちくださいね」
すぐにお母様がやってきて、あれからわたくしに何度か治癒魔法をかけてくれたのだと聞いた。
痛みを軽減する魔法のおかげで少し良くなった気がする。でも痛みが無くならないので完治はしていないようだ。
その後、お父様とお医者様が一緒に来てくださって、問診も受けたけれど、やっぱり完治には至らなかった。
「仕方ないわね。痛みがなくなるまでは、学院はお休みよ。ライオネル様には知らせを出しておくわ」
こくりと頷いて、夕食に用意してくれたスープを口に流し込む。ポタージュやゼリー、プリンなら食べられるので、そういった食事だけでなんとかやり過ごしていた。
翌日、学院を休んで横になっていると、なにやら廊下が騒がしくなった。
ノックもせずに部屋に飛び込んできたのは、ライオネル様だ。あまりの慌てっぷりにわたくしの方が驚いた。
「ハーミリア! 大丈夫か? 身体の具合が悪いと聞いて見舞いに来たのだが……」
「…………」
相変わらず歯が痛くて話せないので、こくりと頷く。
それにしてもライオネル様が、わたくしにこんなにお話しされるなんて珍しい。
「あ……すまない。レディの寝室にノックもなしに……また、出直してくる」
それだけ言ってライオネル様は項垂れて帰ってしまった。
なにがあったのか、わたくしが話さなくなったらライオネル様がお話ししてくださるようになった。
え、もしかして。もしかすると、わたくしが喋りすぎだったのかしら!?
あああ! 心当たりがありすぎて、どうしましょう!
今すぐお詫びしないと! 話せないのだから手紙を書きましょう。そうよ、わたくしの状況もお伝えして、誤解のないようにしないと。
慌ててレターセットを取り出して、ライオネル様に手紙をしたためた。
それからライオネル様は、毎日お見舞いの品を手にして学院の帰りに寄ってくださるようになった。わたくしも毎日手紙を書いてはお渡ししているけど、どうも読んでいる気配がない。
だって昨日の手紙でお土産はいらないと書いたのだ。毎日毎日侯爵家の料理人に作らせたゼリーや、季節の果物をすり潰したジュースを持ってきてくれる。
とても嬉しいけれど、一度侯爵家に戻ってから、この屋敷に来るのだから時間がかかってしまうのだ。ライオネル様の貴重なお時間を無駄にするのは忍びなかった。
それよりも、少しずつだけれどライオネル様が話してくださるようになって、わたくしはもっとライオネル様の美声を聞きたいと思っていた。
愛されていないのはわかっているけど、真面目なライオネル様は律儀にわたくしのもとに日参してくれる。今だけはライオネル様の優しさを独り占めしたかった。
「ハーミリア、君の好きなメロンを使ったゼリーを持ってきた」
わたくしがこくりと頷くと、ライオネル様はメイドに手土産を渡して準備させる。ライオネル様の得意な氷魔法で程よく冷えたメロンゼリーは格別だった。
一瞬だけ痛みを忘れて幸せな気持ちに浸る。
「……うん、よかった」
それからまた無言になって、わたくしがゼリーを食べる様子を眺めていた。わたくしが食べ終わっても石のように固まって動かないライオネル様に、手紙を渡すとビクッと震える。
神妙な顔で手紙を受け取って、今日も帰っていった。
わたくしがなにも話せないから、手紙も読むのも嫌なくらい嫌われてしまったのかしら……でもそれならどうして毎日手土産まで用意して、お見舞いに来てくださるの?
どうしましょう、ライオネル様の考えていることが、ぜんっぜんわからないわ。
次に来てくださったら筆談でもしてみようかしら?
翌日、ライオネル様がやってきて、やっぱり今日も手土産を用意してくれていた。
「今日は鎮痛効果の香りを放つ花を持ってきた。これで少し落ち着くといいんだが」
その紫色の小ぶりな花がついた花束を、メイドが花瓶に生けてくれた。ふわりと漂うほんのり甘くて爽やかな香りに心まで落ち着いていく。
そこでわたくしは用意しておいた紙とペンを取り、ライオネル様の目の前でわたくしの気持ちを書きしるした。
【いつもわたくしのために手土産を用意してくださって、ありがとうございます】
「問題ない」
わたくしが書いた文字を読んで、ライオネル様が返事を聞かせてくれる。少し強張っていた表情が和らいだように感じた。
【でも、もう手土産は不要ですわ】
「な……なぜだ?」
一転してライオネル様は青ざめた表情で震えはじめる。
【わざわざ侯爵家に戻られるのは大変でございましょう?】
「そんなことはない」
【でも——】
もっとライオネル様と話す時間がほしいと書こうとした時だ。突然ライオネル様が、膝をついて頭を下げた。
「ハーミリア、すまない! 僕が臆病で無神経で気が回らないために君に不快な思いをさせてしまったのだろう!?」
突然の出来事に歯の痛みも忘れて、ライオネル様を見下ろした。
青を通り越して真っ白な顔でわたくしに縋るように抱きついてくる。
なんとか【手紙】とだけ書いてライオネル様に見せると、悲しそうに麗しい顔を歪ませた。
「実は手紙は受け取ったまま読んでいなかったのだ……もし、僕を拒絶する言葉が書かれていたらと思うと、怖くて開封すらできなかった……」
やっぱり手紙は読まれていなかった。
でもその理由が、わたくしの想像していたものとかけ離れていて思考が追いつかない。
「お願いだ、ハーミリア! 僕を捨てないでくれ! どんなことでもするから嫌いにならないでくれ!!」
いえ、ライオネル様はなにをおっしゃってますの?
ちょっと、まったく、理解できませんわ……そもそもわたくしは、ライオネル様に嫌われていたのではなくて!?
* * *
ハーミリアが口をきけなくなった翌日、僕は心配のあまり彼女の寝室にノックもせずに侵入してしまい、冷めた目を向けられた。
かつてないほどの失態に、激しく自己嫌悪したが時既に遅しだった。
僕はタックス侯爵家の三階にある私室に戻ってから、今度こそ愛しいハーミリアに捨てられるのかと激しく落ち込んでいた。
「はあ、ライオネル様。いい加減シャキッとなさってください」
「もう、ダメだ。僕は、ついに愛想を尽かされたのだ……!!」
「ハーミリア様がやっと不良物件を掴んだと理解されたのですね。よかったです」
「ジーク、なんてこと言うんだ! まだ婚約破棄されていないぞ!」
前日からいつもと違うハーミリアの態度に不安を感じて、侍従であるジークに話し相談に乗ってもらっていた。彼は僕の乳母の子として共に侯爵家で育ってきた兄のような存在で、本当に頼りになる。
不器用な僕は人の二倍も三倍も時間をかけて勉強も魔法も身につけてきた。剣術だけは絶望的なセンスでどうにもならなかったけれど。
それでもハーミリアの婚約者として不動の地位を築くために、なんでも必死にこなしてきたのだ。
だけど僕がこんなに情けないから、ついに見切りをつけられたのかもしれない。
僕はひと目見た瞬間に天使のように愛らしく、女神の如く心の美しいハーミリアに心を奪われた。父上と母上に彼女以外とは結婚しないと主張して、半ば脅しをかけて婚約を結んでもらった。
もちろんハーミリアの生家が潤うように、できる限り融通している。
ハーミリアの素晴らしいところは、見た目の美しさだけではなかった。努力しないと人並みにこないせない僕を笑うことなく、立派だと褒めてくれたのだ。
僕が努力の天才だと、ずっと支え続けてくれた。
それが本当に嬉しくて、いつだって僕はハーミリアに優しく背中を押されてきたのだ。
ただとても不器用な僕は、ハーミリアを前にすると思考停止してしまい、他の人間と同じように対応できなかったのだ。それでも今までは、嬉しそうに楽しそうに話しかけてくれるハーミリアを、五感のすべてを使って受け止めてきた。
幸いコミュニケーションはさほど苦労してこなかった。
ただの友人や、貴族の令嬢子息なら穏やかに微笑んでいれば、大抵相手から歩み寄ってくれた。もちろん僕の実家の影響もあるだろう。
でも本来自分は不器用だと理解していたから、穏やかで正しい人間であるように心がけてきたし、誇り高くあるべきだと矜持を持ってやってきた。それですべてが上手くいっていた。
だけどハーミリアの前に出るとダメだった。
彼女を前にすると、心臓が壊れるほど激しく鼓動して、息をするのも忘れてしまいそうになる。
彼女の声は僕の耳に心地よく、ずっと聴いていたくなるから、いつも返事がひと言で終わってしまった。
彼女の笑顔を見れば顔が緩んでだらしなくなるから、いつもより表情筋に力を込めていた。
視線なんて合わせたら目を逸らせなくなるから、いつもこっそりと盗み見ていた。
もし彼女と同じクラスだったなら、成績を維持するのも難しかっただろう。だってハーミリアに見つめられただけで、頭の中が花畑になってしまうのだから。
それなのに、昨日からひと言も言葉を発してくれなくなった。
あの高く澄んだ声が聞けない。貴族らしい笑顔を貼り付け、心から笑っていなかった。
「どうすればハーミリアを引き止められるのだろうか……ジーク、なにかいい案はないか?」
「いや、策はいくらでもありますけど、ライオネル様はハーミリア様の前ではポンコツですからね。どうにもなりませんて」
「うぐっ、確かにそうだが……それでも、なにかあるだろう!? 頼む、僕はハーミリアを失いたくないのだ!!」
駄々をこねる子供みたいだとわかってる。しかも自分の侍従に頭まで下げて、策を授けてくれと縋るのは本当にみっともない。それでも、どうやっても、ハーミリアの気持ちを繋ぎ止めていたいのだ。
「うーん、わかりました。それでは少しだけズルをしましょう」
「……それでハーミリアが僕のそばにいてくれるなら、どんなことでもしよう」
失いそうになってようやく、自分はもう彼女なしでは生きていけないと理解した。
彼女のそばにいるためなら、僕のちっぽけな矜持など捨ててもかまわないと決心したのだ。
僕は翌日からイヤーカフ型の通信機をつけて、ハーミリアのお見舞いに向かった。
この魔道具は馬車で待つジークにつながっていて、魔力を通すことで映像や音声を相手に届けることができる。これですぐに真っ白になって固まってしまう僕の言動をアシストしてくれるものだ。
ジークの指示のおかげで、今までよりも格段にハーミリアと会話ができるようになった。
マルグレン伯爵家の家令から歯が痛くて話ができないのだと聞いていたので、少しでもハーミリアが喜ぶようにと手土産も毎日用意した。
加えて僕の方でもハーミリアの症状について調べていたが、有効な治療法が見つけられず対処療法しかできなかった。
それでもハーミリアと過ごす時間は幸せだった。僕だけが彼女を独り占めして、彼女の瞳に映るのも僕だけだ。
だけど、そんな幸せな時間は長続きしなかった。
僕がズルをしたからなのか、やはり情けないままでどうしようもないからなのか、ハーミリアから拒絶の言葉を受け取ってしまう。
通信機からジークの声が聞こえてくるが、頭の中にまったく入ってこない。
ただただ、目の前の【もう手土産は不要ですわ】という文字がぐるぐると駆け巡っている。もう見舞いにも来てほしくないのだろうか?
それもそうか、いくらハーミリアが好きすぎるからといって酷い態度しか取ってこなかったのだ。
そんな男の顔など見たくないに違いない。
でも僕は、ハーミリアをあきらめたくない。
お願いだから、僕のそばからいなくならないで。
情けない僕が嫌いなら、変わるから。どんなことでもするから。
「お願いだ、ハーミリア! 僕を捨てないでくれ! どんなことでもするから嫌いにならないでくれ!!」
気づけば床に膝をつき、みっともなくハーミリアに縋りついていた。
* * *
ライオネル様が、わたくしに縋るようにして泣いている。
アクアマリンのような瞳に涙を浮かべて、必死にわたくしを求めてくれている。
これは現実なのかしら? 都合のいい夢ではないのかしら?
わたくしがこんなにも愛してやまないお方から、ここまで激しく求められるなんて想像もしていなかった。
だってむしろ嫌われていると思っていたから。
そっと慰めるようにサラサラの青みがかった銀髪を撫でる。大丈夫だと、安心してと気持ちを込めて。
「ハーミリア……?」
歯が痛いのなんて忘れて、ライオネル様に微笑んだ。あふれるほどの愛を隠さずに、わたくしにもあなたが必要なのだと今すぐ伝えたい。
わたくしは精一杯の愛を言葉にした。
「ライ……ネル、さ……す……き」
「っ! ハーミリア、それは……本当に?」
もうそれ以上は話せなくて、こくりと頷くと感極まったのかライオネル様がきつく抱きしめてくれる。
「ハーミリア! ハーミリア! ああ、僕の女神!」
今度は嬉し涙を流して、震えている。
そんなライオネル様が愛しくてたまらない。私もそっと背中に手を回した。
ずっと嫌われていると思っていた。
でもそれは間違いだったと、今のライオネル様を見て理解した。
もしかしてライオネル様は、気持ちをうまく表現できなかっただけなのかもしれない。
本当はライオネル様がとても不器用な方だと知っているから。
でも、だからこそ努力を惜しまないその姿に愛を深めていったのだ。
「ハーミリア、こんな情けない男で本当にすまない。でも、君のためにもっとちゃんとするよ。僕は君なしでは生きていけないんだ」
ふわりと微笑めば、ライオネル様の涙がようやくとまった。
わたくしの指先を拾い上げて、艶やかな唇をそっと落とす。
「ハーミリア、これからは君に捨てられないように、惜しみなく愛を伝えるよ」
シャラリと手首につけていたブレスレットが滑り落ちる。これはライオネル様に初めてもらった誕生日プレゼントだ。
三連のアクアマリンがついたもので、チェーンだけ変えて十年間ずっと身につけていた。
つい先日宝石が壊れていることに気が付いたけれど、ライオネル様からもらったプレゼントを外したくなくかったのだ。
あ、いけない。壊れてもつけているなんて、わたくしの愛が重すぎると引かれてしまうわ。
「え、これ……! ハーミリア、この石が壊れたのはいつだ!?」
【ハッキリとわかりませんけど、わたくしが静養する前までは無事でしたわ】
「……そうか! それならハーミリアの治療方法がわかった。すぐに手配する」
ライオネル様の笑顔が麗しいのはかわらないけれど、その瞳の奥に見たことのない闇を感じた。
その二日後、わたくしはいつものように迎えにやってくるライオネル様の馬車に乗り込んだ。
「ライオネル様、おはようございます」
「ハーミリア、おはよう。ああ、今日も麗しいな」
「っ! ラ、ライオネル様には敵いませんわ」
「なにを言っている? 君ほど可愛らしくて美しくて天使のような女性はいない」
「そ、そうですか! は、は、早く行きませんと、遅れてしまいますわ!!」
ライオネル様が溺愛モード全開で朝から攻めてくる。
今までが嘘みたいに、甘く柔らかく愛しくてたまらないと言わんばかりに見つめられて、神々しいほどの笑顔を浮かべている。
ただでさえ早鐘を打つように動く心臓は、そろそろ壊れそうなほど鼓動していた。
「それよりも、魔術士を手配してくださって本当にありがとうございました。お陰様ですっかり元通りですわ」
「本当に元気になってよかった……」
そう言って切なそうにアイスブルーの瞳を細める。
実は、わたくしの歯の痛みは呪いをかけられていたのが原因だった。
ライオネル様が贈ってくださったブレスレットには、守護の魔術が組み込まれていて、わたくしの身代わりとなって石が砕けたのだった。
派遣されてきた魔術士が言うには、このブレスレットがなければとうに命を落としていたらしい。
本当に出会った時から大切にされていたのだと、嬉しくて泣いてしまった。
その後もライオネル様の行動を振り返ってみて、その愛の深さにベッドでのたうち回っていた。
やっと眠れたのは空が白み始めてからだ。
「でもいったい誰がこんなことをしたのかしら?」
「それは僕がちゃんと処分しておいたから、ハーミリアは気にしなくていい」
「え? 昨日の今日ですわよ?」
「ふっ、ハーミリアに敵意を向ける存在を放置などできるわけないだろう?」
どういうことかと聞こうとしたタイミングで、馬車は学院についてしまった。
ライオネル様にエスコートされて馬車から降りると、注目を集めたようだった。ライオネル様はもともと人気のあるお方だし、わたくしが一週間にわたって学院を休んでいたからだろう。
「ハーミリア、さあ、僕が教室まで送っていこう。ほら、余所見してはダメだろう? 僕だけ見つめていて」
「はっ、はい……!」
ライオネル様の見たことがないようなとろけきった表情に、登校中の学生たちがざわめいた。
だが、なにより一番衝撃を受けているのは、このわたくしだ。
「ライオネル様、学院では今までと同じようになさってもかまいませんわよ?」
「それは無理だ。逆にもう抑えが利かない」
ええええええ! それはちょっと極端すぎませんか? いえ、嬉しいのだけれども!!
ざわめきは校舎まで広がっていて、いたたまれなくて教室へと急ごうとした。
「ああ、そうだ。今日からハーミリアは僕と同じクラスにしてもらった。今後はずっとそばにいて守るから」
「へ? そ、そんなことできますの?」
怜悧な微笑みを浮かべたライオネル様に背中がゾクリとするけれど、それがまたたまらない。ライオネル様の新たな一面を見られたわ! と喜んでいるわたくしも大概なので、もしかしたら似たものカップルなのではないか。
「ハーミリアは僕の隣の席と決まっているから、そのつもりでいて」
「まあ、それでは授業に身が入りませんわ」
「どうして?」
「だってライオネル様ばかり見てしまいますもの」
「ハーミリア……それなら放課後は一緒に復習しよう。僕はもう学業を修めているから教えてあげるよ」
「さすがライオネル様です! わたくしにはすぎた婚約者ですわ」
周囲の空気が若干おかしい気がしたけれど、ライオネル様の甘い魅力に浮かれていたわたくしは、ある女生徒が近づいてきているのに気が付かなかった。
「亜w瀬drftgyふじこ!!!!!!」
声の方へ振り返るといつしかのピンクブロンドの女生徒、男爵令嬢のドリカさんがギラギラとした瞳で、わたくしを睨みつけていた。
髪は振り乱れやつれた様子なのに、瞳だけは爛々としている。
「貴様、なんの用だ?」
絶対零度の声音にビクリと身体が震えた。ライオネル様がこんなにも、敵意を剥き出しにするのは初めてだ。
わたくしを背中に隠して、ドリカさんと対峙する。
「すでに警告は出したはずだ。貴様がハーミリアに呪いをかけた犯人だと調べもついている。その腫れ上がった顔は呪い返しを受けたからだろう?」
「っ!! あw瀬drftgyふじkぉp;ー!!!!」
「はっ、なにが真実の愛はここにあるだ。ふざけるな! 僕が心から愛しているのはハーミリアだけだ!!」
なんですって!! どうしてドリカさんの言っていることが理解できるのか気になるけど、それよりも、わたくしを、あ、あ、あ、愛してるですって——!!!!
ああ、神様、わたくしもう死んでもいいです。なんなら天国へでもどこへでも自力で行けそうですわ……!!
「亜w瀬drふぁせdrふぁせdr——」
その時、なにか言いかけたドリカさんの口から、前歯が丸ごとぽろんと落ちた。
それはもう見事にぽろんと綺麗に並んだ状態で、地面に転がった。
ショックで錯乱したのか、奇声を上げながら突進してきた。手元にはキラリと光るショートダガーが握られている。
「僕のハーミリアに近づくなっ!!」
ライオネル様は一瞬で女生徒を氷漬けにして、駆けつけた護衛の騎士たちに引き渡した。
「ハーミリア、大丈夫か? 怖い思いをさせてすまなかった」
「いえ、大丈夫ですわ。ドリカ様が本当に犯人ですの?」
「ああ、僕が無理やり婚約をさせられていると勘違いした挙句、ハーミリアの命を狙って呪いをかけたんだ。まったく、事実は逆だというのに、なぜあのように思い込めるのかわからない」
なにかサラッと重大な事実をこぼされたようですけど、もうひとつ気になることがありますのよ。
「でもよくあの女生徒のお話ししていることがわかりましたわね?」
「ああ、読唇術ができるんだ。顔が腫れていて少々わかりにくかったが」
そんなことまで努力で身につけられたというの!?
さすがライオネル様ですわ!
「それでは、ハーミリア。行こうか」
何事もなかったかのように、ライオネル様は足を進める。
これほど沈着冷静で心を動かさないライオネル様が、わたくしにだけ見せてくれるとろける笑顔は麻薬のようだ。
知れば知るほど抜け出せなくなって、もうライオネル様なしでは考えられない。
絡ませた指先から伝わるのは、ライオネル様の体温と深い愛情。
「ハーミリア、どうか僕だけ見ていて」
すぐに不安になってしまうライオネル様の耳元に、そっと囁く。
「わたくしはずっと、ライオネル様しか見ていませんわ」
だからわたくしだけに、そのとろける笑顔を向けて。
わたくしだけに愛を囁いて。
その後、学院一のラブラブバカップルと呼ばれるのは、また別の話。
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