売られたその先は
「おら、とっとと入れ!」
「あぅ!」
男は、少女を放り投げる。それは小さな牢屋だった……大人一人が入れば、余裕がなくなるくらいの小さな牢屋。そこに、少女……ローニャは、乱暴に投げ入れられた。
ノットに見捨てられた彼女は、もはや抵抗する気力も残っていなかった。いや、それ以前に散々痛めつけられていたため、もとより抵抗はできなかっただろうが。
ローニャを牢屋に入れた男は、鍵を締め、忌々しげに舌を打つ。
「くっそ! 本当ならてめえを殺してやりてぇよ……!」
男の仲間は、ローニャの仲間……ノットに殺された。男は別に、人攫いを生業としているわけではない。だが、この国では人攫いは黙認されている……仲間の店で、盗みが働かれたというので犯人に、罰を与えようと思っていた。
しかし、仲間は死んだ。殺されたのだ。元々売ってしまい金にしようと思っていた。当初の目的を変え、ここで少女を殺してしまおうとも思った。
だが……思い直した。人殺しに躊躇したわけではない。ただ、殺しておしまいではあまりに割に合わない。仲間を殺され、そしてこの少女を殺して……自分に、なにが残る。ならばせめて、この見捨てられた少女を売って金にしてしまおう。
この女は、仲間に見捨てられた……そう、見捨てられたのだ。それも、男に殺しを躊躇させた理由の一つだ。仲間を殺した少女に、この獣人の少女は見捨てられた……それ自体が、この少女にすでに大きな傷を残していた。
見捨てられた少女を殺したところで、男の気は晴れないだろう。だから、憎々しくもとっとと売っぱらってしまおうというのだ。そして、死んでおしまいにするより、生きながらの地獄を味わわせてやる……そう、考えた。
世の中には、まだ少女という歳でも積極的に買おうという変態もいる。獣人という種族にとてつもない執着を見せる変態もいる。そんな連中に売ってしまえば、この少女の人生はどん底に落ちるだろう。
「ぅ……」
小さな牢屋に入れられ、頭になにかを被せられ、ローニャの視界が遮られる。闇だ、暗くてなにも見えない。かろうじて音だけは聞こえる。それに、体が……いや、乗り物が揺れている。
牢屋は、馬車の荷台に置かれていた。つまり、馬が、歩き出したのだ。男と、牢屋に入れられたローニャを乗せて。
これからどこへ連れて行かれるのか。口も塞がれてしまい、それを聞くこともできないし、聞いたところで答えは返ってこないだろう。なにより、聞く気力も起こらなかった。
……しばらく、動き続けていた馬車は、急に止まる。移動中の景色も、当然ながら見えない……が、牢屋にかけられていた鍵が、開けられる。牢屋が開けられたのか。そして中に誰かが……おそらく男が、足を踏み入れる。そして、ローニャの頭に被せた布を取った。開けた視界に遭ったのは、やはり男の顔だ。
「おら、とっとと出な!」
男に引っ張るように外に出される。そして、目に映ったのは……あまり綺麗とはいえないが、とても大きな、屋敷のような建物だった。どうして、こんな所に連れてこられたのか……考えこそすれ、答えは出ない。
男はローニャを連れ、屋敷の入り口を叩く。すると少ししてから、扉が開き……一人の男が、姿を現した。少し太り目の、男だった。出てきた男は、訪れた男を見るとニヤニヤと笑っていた。男の歯は、金色に光っていた。
「これはこれは、待っていたよ」
太い男は、笑みを浮かべている。それに、待っていたという言葉……どうやら、男がローニャを連れてここに来ることを事前に連絡していたらしい。太い男は、ローニャを上から下まで、じっくりと見つめる。
その視線に、まるで蛇にでも体を絡め取られる感覚がして……ローニャは、身震いした。自然と、己の身体を抱きしめていた。
「ふむ、お前、名前は?」
「……」
「名前は?」
「!」
にこにこしていた太い男の声。それに応えなかったが、次の瞬間には低い、ドスの利いた声になった。さっきの、優しい声とはまるで違う。それだけで、ローニャは肩を震わせる。
機嫌を損ねたら、なにをされるかわからない……そう思わせるには、充分な勢いがあった。
「ろ、ローニャ……です」
「ローニャか、そうかそうか」
名前を告げた瞬間、太い男の声は再び柔らかいものに戻る。その豹変した姿に、ローニャはすっかり戸惑ってしまっていた。だが、わかったことがある……男の言葉を無視したら、なにをされるか、わからない。
そしてその男は、ローニャの肩をポンと掴んで。
「私は、ローベルトだ。今日からここが、キミの家だよ、ローニャ」
「……え?」
言われた言葉に、なにがなんだか、ローニャにはわからない。その言葉の意味することが、わからなかった。自分は、これからひどいことをされるのではないのか? なのに、寝床をくれる……?
わからないから、聞き返そう。ここが家とは、どういう意味ですか、と。……そう思っても、声が出なかった。なにか、気に障ることがあったら叩かれるのではないか……ここに来るまで、そして先ほどのやり取りで、ローニャの頭にはそんなことが刷り込まれてしまっていた。
「あの、私の……家、って……」
「あぁ、そうとも」
それでもやっと絞り出した言葉。それに、にこっ、とるローベルトは人の良さそうな笑顔を浮かべ。その笑顔は、ローニャの心をざわざわさせた。さっきの、ニヤニヤしたものとは違ったからだ。
ローベルト曰く、ここにはローニャ以外にも子供が数人いるとのこと。ここで生活する代わりに、家事など生活の手伝いとをすること。そうすれば、温かいご飯や寝床を貰えるのだという。
その話を聞き、ローニャは最初感じた不気味さが小さくなっているのを感じた。話を聞く限りでは、ここでローベルトのお手伝いをすれば、ご飯や眠る所には困らないというのだ。これまでの生活よりも、遥かにマシと言える。
ノットと共に捕まり、どうなるかと思ったが……悪いことは、ないのかもしれない。売るとかなんとか言っていたが、きっとこの人は、いい人なのだ……そう、思ってしまった。
「おい、旦那」
「あぁ、わかってるとも」
視界の端では、ローベルトが男になにかを渡している。あれは……お金だ。ローベルトが、男にお金を渡しているのだ。 それがなんの意味を持つのか、ローニャにはぼんやりとしかわからなかった。やっぱり、自分はこの人に買われたのだと……それだけだ。
そして、ローニャ自身……自分の危機管理が足りていないことに、気づいていなかった……
ローベルトの話に、まんまと警戒を解いてしまったのだ。もしも警戒を続けたままなら、気づけたかもしれない。この屋敷の、異様な雰囲気に。
「さあ、おいでローニャ」
バタン……
男は去り、ローニャは屋敷に招かれた。ローニャが屋敷の中に入ったことを確認し、ローベルトは扉を閉める。
こうして、ローニャは……今日から、この屋敷で暮らすことになった。