二人の決別
……うまくいくと思っていた人生。このまま平和な日常が、永遠と続くと思っていた。
もちろん、今が平和だとは言えない。それでも、うまくいっていた。盗みを働きなんとか食いつなぎ、今日を生きて明日も……そう、思っていた。
そう思いながら、過ごしていたある日。それは突然、だった。
「この、クソガキがぁ!」
「っ!」
地面に、顔を押し付けられる。それは、大きな男の手だ……今しがた、盗みを働こうとした店。その店主に、押さえつけられている。
あれからも、あらゆる場所を渡り歩いてきた。時には危ない時もあった。だが、今回のは、それまでと違っていた。
動けない……体格が、違いすぎる。ノットはまだ子供だ、小回りこそきけど力では、成人の男性には敵わない。今まではこうして捕まることもなかったが、今回それを実感した。
「離せ、この、くそ野郎……ぃっ!」
抵抗のためにもがくが、当然それで自由になれはしない。が、手を退けられる……なんの気まぐれか、今のうちに逃げてしまおうと思った。
ここにいるのは、三人。スキンヘッドで強面の店主と、もう一人、そしてローニャを捕まえている男だ。
なぁに、逃げることだけを考えれば、不可能ではない。問題はそれをどうやって実行するか……
「っ、ぉ……ぶ!」
刹那の思考、それすらも中断させられた。腹部に、鈍い衝撃……蹴りを、入れられたのだ。それを、もろにくらってしまう。
その後も、店主はノットを蹴り、殴り、まるで鬱憤を晴らすように痛めつけた。ノットは、動かなくなった。
「こっちだって生きるのに必死なんだ! てめえらみたいなクソガキは! 人様に迷惑をかける前に! おとなしく死んどけ!」
「おいおい、殺すのはまずいだろ。女のガキなら、売れるとこには高値で売れる。俺らの店の品を盗もうとしたんだから、逆に俺らのために身を売ってもらおうぜ」
男たちが、なにかを話している。今のうちに逃げ……られるほど、余裕はない。
このまま、殺されて……いや、今売るとか聞こえた。人身売買……聞いたことがある。文字通り、人間を売り買いするのだ。なんとも、腐っているのだろう。そんなことをする下劣な連中だ、盗みくらい見逃してくれてもいいじゃないか。
そもそも、どうしてこんなことになったのか。アタシが、なにを間違えたのか……ノットは、考える。考えて、考えて……
……アタシは、なにも間違っていない。間違ったのは……
「……」
ノットは、捕まっているローニャを見る。彼女だ……思えば、これまでもピンチに陥りそうな時はあった。捕まったのこそ今回が初めてだが、未遂はいくらかあったのだ。
その原因の全てが、ローニャによるもの……ローニャが足を引っ張ったからだ。ノット一人なら、簡単に逃げられた。ローニャがミスり、その尻をノットが拭う……そんな思い出、ばかりだった。
本当は少し前から、感じていた。彼女の力は確かに助けにはなるが、必須な訳ではない。この数年、盗みを繰り返し……ローニャに出来ないことでも、ノットなら出来る。人数は減るが、それも成長したノットには大したデメリットではない。
そうだ……ローニャさえ、いなければ……あんな、足手まとい……気にする必要なんか、ない。
「はは、そりゃいいかもな。聞いたかクソガキ、てめえらのようなゴミは、人の役にも立たねえんだ。ならせめて、最後くらいはいいことをして……」
男の声が、切れた。意図的に言葉を切ったのではない……強制的に、喋れなくなったからだ。
男は、赤い液体を吹き出し、倒れた。……血だ。男は、首を切られ……首と胴が、離れていた。
ノットを殴り蹴っていた店主は、本人も訳のわからぬまま、絶命した。
「ひっ……な、なにを……!」
……近くにいた男の首も、飛んでいた。少女が、成人男性の首を切り落としたとか、そんなことはもはや関係なかった。このままでは殺される……ローニャを捕まえていた男は、そう恐怖した。
逆にローニャは、助かると思った。ローニャの行いに、恐怖がないわけではない。だが、きっと自分を助けてくれる。
……その期待は、見事に裏切られた。
「……え?」
ノットは、ローニャを一瞥した後に背を向けた。それは、男も、ローニャも予想だにしなかった行動。
チラッとローニャを見ただけで、ノットは背を向け歩き出す。それは、ローニャを助けない……と、そういうことだ。今のノットの力ならば、それも難しくはないだろう。
だが、それをしなかった。ノットにとって、ローニャはすでに、足手まといとしての存在でしかなかったからだ。昔からローニャと組んでいたのは、二人の方がいろいろと効率がいいから……
しかし、今のノットならばローニャの手助けなくても、やっていける。そうだ、ローニャさえいなければ、もう誰かに足を引っ張られることはない……ノットは、生き残るためになら誰をも犠牲にしてやると、そう思ってしまった。
「の、ノット? ねぇ、助けて……」
「お前みたいな役立たずは、もういらない」
背後から、すがりつくようなローニャの声がした。だが、ノットはそれだけを言い残して……その場から、走り去っていった。
そして、もう二度と振り返ることはなかった……チラッと見たローニャの泣き顔が、一瞬浮かぶ。だが、すぐにかき消す。
ノットは、ローニャを見捨て……以降、一人で生きていくことを決めた。時には誰かを騙し、時には利用し……そうして、ついには人殺しに手を染め、暗殺者としての地位を築いていくことになる。
ある意味で、それは成功した人生とも言えなくはない。生きるか死ぬか、そんな瀬戸際の生活から抜け出すことはできたのだから。だが、対照的に……ローニャの人生は、ここからどん底へと、堕ちることになる。




