二人の生活
「こら待ちやがれ! クソガキ!」
「へへ、やなこった!」
男の怒号が、昼下がりの街中に響く。それを聞いた周囲の人々は、何事かと声の方角に視線を向けるが……同時に、またかという感想も抱いていた。
ここのところ、毎日だ、こういった騒ぎは。決まってどこかの店から、食料が盗まれる。または高価な物品だ。それに怒り、追いかける店主。しかし、いつであっても犯人を捕まえることはできない。
犯人の正体は、わかっている。二人の少女だ。一人は人間、一人は獣人……どちらとも、年端もいかない女の子だ。盗賊どころか大人でもない。そんな人物による盗みなど、簡単に捕まえられるはずだった。
しかし、二人の連携は凄まじい。一人が撹乱し、一人が逃げる……または、二人で撹乱しそのうちに逃げる……そうやって、各々が役割を、その時その時に応じて変えていく。いつも同じやり方なら、まだ捕まえようもあっただろうに、少女たちの作戦勝ちだった。
「鬼さんこち、ら!」
「おわっ」
追いかけてくる店主を、すばしっこく逃げ回る人間の少女が、おちょくるように足払いをする。それにより店主は転び、少女は愉快そうに逃げていく。さらに、近くのごみ箱を倒しごみをぶちまけていくおまけ付きだ。
獣人の少女は商品を持ち、遠目に見ていた。その少女は、人間の少女に比べおとなしそうだった。その雰囲気から、盗みには向いていないと思った。少し脅かしてやれば、すぐに捕まえられると。
その見通しは甘かった。彼女は、確かに思った通りの性格で、積極的な人間の少女と違い消極的だ。だが、それイコール捕まえやすいに繋がるわけではない。
「わ、ひゃ!」
獣人の少女の背後から、先回りしていた二人組が捕まえようと姿を現す。しかし獣人の少女は、怯えた声を漏らしつつも、男たちの体当たりを避けていく。臆病者ゆえに、捕まえにくいというやつだろうか。
大きな大人の脇を、鮮やかに抜けていく。
そうして、二人の少女は去っていく。今日もまた、街のどこかで、誰かの店で、なにかの食料が盗まれた。あぁまたかと、人々は頭を抱えるのみ。
「へへ、ここまで来りゃ大丈夫だろ」
「うんっ」
走り、走り、走り……賑やかだった街中から、移動したのは寂れた区域。街の外れにある、いわゆるスラム街だ。
ここには街の人間は寄り付かない。下手なことをして近づけば、身ぐるみ全部剥がされてしまうことを知っているからだ。兵隊でもいれば別だが、一人や二人がスラム街に足を踏み入れて、無事に帰ってきた者がいないことは、誰もが知っている。
そんな場所に、少女二人。しかも二人とも、薄汚れた服を着て体も汚れているとはいえ、磨き年月が経てば上玉と呼ばれるほどに、美しい女性へと変貌するだろう。
そんな二人が、無防備に歩いている。しかし、不思議と襲われない。この場において襲われないのは……すでに、スラム街の連中では手に負えない力を持っていると、示しているからだ。正面から襲っては返り討ち、複数で囲っては返り討ち、寝込みを襲っては返り討ち……
街の人間は、スラム街にいるのはおっかない人間だと思っている。いや、人間とは思っていない者もいる。そのおっかない人間の中でも、一番おっかないのがこの二人であると、街の人間は知らない。
「んっ……ぐ……ぷはぁ! うめぇ!」
盗んだ水を浴びるように飲み、渇いた喉を一気に潤していく、朱色の髪を持つ人間の少女……ノットは、先ほどの店主の醜態を思い出し、無邪気な笑みを浮かべている。
あれは傑作だった。ものを盗まれた人間は大抵怒る。その怒った相手から逃げ、その上逃げている最中に煽るように、醜態を晒させる。このなんとも楽しいものか。
「でもあそこまでやることは、なかったんじゃない?」
ノットのバカ笑いに、困ったように笑って言葉を返すのは、タヌキの耳と尻尾を生やした、獣人の少女ローニャだ。
彼女はノットのように豪快ではなくちびちびと水を飲んでいる。おとなしい、その性格が一挙に出ているような仕草だ。しかし、そんなローニャに、ノットはまるで酔っているのではないかと思われる赤い顔で、ローニャの背中をバンバン叩く。
「なんだいいじゃねぇか、ローニャは相変わらずかてぇなぁ」
「そうかな……?」
ローニャとしては、一目散に逃げればいいと思ってのことだ。追いかけてくる人間をおちょくるなんて、それでなにかしら失敗して捕まってしまったらどうするというのか。
もっとも、もう何年も同じことを続けている。それで捕まったことは一度もないのだから、ちゃんとノットも、程度はわかっているということだ。以前危ない時はあったが、あれが良くも悪くもいい線引きになった。
ローニャとノットが出会ってから、数年。幼子から少女へと、二人は成長していた。体つきは少なからず女のものへと成長しており、発展途上である身体と身に纏う布が危うげに男の視線を誘う。それでもスラム街の真ん中で襲われないことが、二人の強さの証明になっていた。
このように盗みをするのも、もはや毎日の茶飯事となっていた。
初めて出会ったあの場所……そこから、二人の関係は始まった。それぞれの得意分野を活かし、盗みを働き……生活のために、日々一生懸命生きてきた。
「あーむっ……おいし!」
生肉を、ひとかじり。獣人であるローニャは、生肉だろうとそのまま食べられる。それをノットは羨ましそうに見ることもあり、一度同じように大胆に肉にかぶりついた。腹を壊してからそうするのはやめた。
殺しをしたことはない。が、他にはほとんどなんでもやった。二人の行動パターンは、いつしか決まっていた。
一つの国に留まるのは、長くても三ヶ月……足がつきそうになれば、すぐに別の国ないしは村へ移動する。一つの場所に留まり続けては、いくら拠点を構えてもいずれ見つかってしまう。ならば、場所ごと変えてしまったほうがいい。
移動の際は、徒歩では大変なために手頃な乗り物……いや乗り生き物を盗む。移動に最適なのは、やはりボニーだろう。乗り心地もいいし、足も早いので重宝している。とはいえ、生き物を連れたままでは目立つので、目的地についたら逃がしてしまうのだが。
「ここもそろそろ潮時かもなぁ」
干し肉をかじりながら、ノットが言う。この国に留まって、もう二か月は経つ……確かに、そろそろ移動を考えてもいい時期だ。
スラム街のあるこういう国では、拠点とする場所にある程度の当たりがあるため困ることはない。それに、ノットの力があれば、スラム街の連中程度に襲われても心配はない。
とはいえ、どんなに居心地のよく、安全と思える場所でも、最長でも留まるのは三ヶ月。どうして期限を決めているのかというと、以前一つの国に留まりすぎて、ろくでもない目にあったのが原因だ。
兵隊を呼ばれ、捕まって、尋問されそうになった……が、なんとか抜け出せた。あれは失敗だった。以降、どんなに安全と見える場所でも、期限を決めて留まろうとルールを設けたのだ。
「そうだねぇ。この国、結構美味しいもの多かったんだけど……」
「ま、仕方ねえわな」
この国は、今までに訪れたどんな場所よりも食べ物が美味しい。だから、離れることに抵抗はあるが……これも、決めたことだ。仕方ない。
次はどこへ行こうか、東か西か。思い切って地面に棒を立て、落ちた方向へ向かってみようか。最近では、こうして行き場所を決めるのも、一つの楽しみだ。
盗みの日々。働いたことはない。二人は、そういうことを考えるよりもずっと前から、生きていくには盗むしかないと知っていたからだ。誰に教えられたわけではない、ただ環境が、そうしなければ生きられなかっただけだ。
もぐもぐと、盗んだ食料を腹に溜めていく。全部食べるわけではなく、日持ちするものは隠しておく。
……そう、いつもの日々が送られるはずだった。このときまでは。
「……!」
なにかの気配が、する。そしてそれに気づいたときには……すでに、囲まれていた。スラム街の人間……だけではない。
そこには、国の警備隊らしき人間もいる。こういう人種に追いかけられるのは初めてではない……が、こういう状況は、失敗したあの日以来初めてだ。いや、それよりも状況は悪い。
スラム街の人間と、国の警備隊とが、一緒になって自分たちの前に立ちはだかるなんて。国の警備隊はスラム街の人間の言葉なんてまず聞かないし、スラム街の人間は国の警備隊なんかに話しかけようとも思わない。
少なくとも、これまでの国ではそうだった。ここが例外なのか……ともあれ、見誤った。状況は、悪かった。