二人の出会い
ノットとローニャ、この二人が出会ったのは、もうずいぶん昔のように思える……いや、実際に昔のこと。二人が、物心ついた頃だ。
「おまえ、そこでなにしてんだ?」
背後から聞こえたその声に、幼いローニャは肩を震わせた。そこは、家だった。しかし、自分の家ではない。それどころか、誰の家かも知らない。ただ、たまたま窓が開いていたから家の中に入った、それだけだ。
家の、そのキッチンの隅に隠れるようにして、手には隠すようにしているが食料を持ち、ローニャはそれを食べていた。
恐る恐る振り向くと、そこには自分と同い年くらいの男の子がいた。自分が入ってきた窓の窓際に、足をかけて家の中に入ろうとしている。
幼いゆえに顔だけでは性別の判断などできなかったが、髪を短く切っているし、動きやすそうな服装。なによりその堂々とした姿は、きっと男の子で間違いだろう。
「あ、あの、えっと……」
その問いかけになにを言うべきか、ローニャは視線をさ迷わせる。なにか言わなければならないが、言葉が見つからない。
それはそうだろう、ローニャは今、盗みの最中なのだ。もっとも、盗みの途中で空腹に負け、視界に入ってしまったお肉を食べてしまった時点で本来の目的とは外れているが。本来は、すぐにでもこの場から立ち去り、どこかに隠れてほっそりと食べなければいけなかった。
ちなみに、食べているのは生肉だ。普通の人間には焼いていない肉など食べられたものではないが、獣人であるローニャには関係はない。加えて空腹だ、食べられる物ならなんだって食べるし、生肉特有の香りは今のローニャには耐えがたい食欲を抱かせた。
「あの、えっと……」
盗みの最中の自分に声をかけてきた。ということは、あの男の子は、この見知らぬ誰かの家の住人に違いない……と思った。
相手も子供とはいえ、男の子だ。唯一の出入り口である窓は塞がれているし、きっと逃げようとしても捕まる。この時のローニャはパニックゆえか、自分が入ってきた窓しか出入り口がないと思い込んでいた。
そのうちに大人を呼ばれたら、もう逃げられない。そして盗みを咎められ、叩かれるに違いない。痛いのは、嫌だ。
ローニャが震えているのは、怒られること以上に記憶の隅に残っている、トラウマが刺激されたからだ。盗みがバレた時のこと。悪いことをしたら叩かれる、その記憶が……
「んな怖がんなって。やるじゃねーか」
「へ?」
しかし、男の子からかけられた言葉は、ローニャの予想しないものだった。
怒られるどころか、褒められたのだ。ローニャは、きょとんとした……恐怖が薄れたせいだろうか、今更ながらに気付いた。
もしこの子がこの家の子なら、どうして窓から家の中に入ってこようとしているのだろう、と。
「ここ、おまえの家じゃないんだろ? 見りゃわかる。なのに飯をくってる……盗みのとちゅうってとこか」
「あ、あの……」
「いつやぬしが帰ってくるかわからないのに、ずいぶんふとい神経してるんだな」
なんだかよくわからないが、男の子はローニャの行いを怒りも止めもしない。とりあえず、ローニャが盗みの最中に堂々と食事をしているのが、気に入られたらしい。
盗みの現場、それも現行犯で食事をしているのに怒られないのは、ローニャには不思議であった。
「アタシはノットってんだ。おまえは?」
「ろ、ローニャ……」
「ローニャか……そんなちいせえのにこんな真っ昼間から盗みをはたらいてるってことは、おまえも孤児なんだろ? なら、アタシとこい」
言って、男の子は手を伸ばす。その手を取るかローニャは迷ったが、男の子は今、お前『も』孤児だと言った。孤児とはつまり、親のいない家もない子のことだろう。
ということは、この男の子も同じ境遇ということ。よく見れば、男の子が着ているのはボロ切れのような布で、とても衛生的とは言えない。短い髪もボサボサで、生活感は感じられない。
なのにその顔は世界に絶望しておらず、前を見ていた。にやりと、口の端を上げて笑う姿は、一種の光にすら見えた。口から覗く八重歯が印象的な、男の子だ。
「! おい、なんだこれは! どうなってる!?」
「あ、やべ」
その手を取ろうか、手を伸ばしたり引っ込めたりしていたところで、家の入り口から、声がする。おそらく、この家の家主が帰ってきたのだろう。荒らされている様子に声を荒げている。
このままでは、捕まるのは時間の問題だ。大人の男の声。捕まったら、またひどいことをされてしまう。
「ほら、早くこい!」
「……!」
手を伸ばす男の子。その手をローニャは……取った。
そのまま、二人は窓から逃げる。直後、家主の怒りの声が聞こえる……荒らされたキッチン、開け放たれた窓。家主は窓へと近づき、窓から身を乗り出すようにして外を見たが……そのときには、もう盗人の姿はなかった。逃げ足が、早かったのだ。
……これが、ローニャと名乗った獣人の子供と、ノットと名乗った人間の子供との出会いだった。二人とも孤児ということもあり、似たような境遇からすぐに仲良くなった。
二人とも、物心つく頃には、人通りの少ない道に倒れていた。どうやってここまで生き延びてきたのか、それすらもわからない。ただ、……わかっていたのが、自身のものと思われる名前のみ。まるで頭の中に刻まれたように、その単語だけが強く残っていた。
「自分の生まれ? あんまし考えたことないな。ま、生きていられりゃ他のことはどうでもいいさ」
とは、いつだったか。ローニャがノットに、なにもわからないのは怖くないのかと聞いたその、答えだ。
なにもわからない、どうして世界は自分にこんなに厳しいのか……それを考える度、ローニャは怖くなった。なんで、私がこんな目にあわなくちゃいけないんだ、と。
しかし、ノットはそんなものくだらないと笑い捨てた。どんなに今の状況を呪っても今の状況が変わるわけではない。ならば、今を精一杯生きることだけを考える。幸いにも、自分たちは奴隷になっていない。この町では奴隷という、人ではあるが人でなくなった者がいるらしい。目が覚めた時、そんなものになっていなくてよかったと、心底思った。
ノットのその生き方は、かっこいいと思った。ローニャにとっては、素直に眩しかった……闇の中に、そこだけまるで光が灯っているかのような。初めて会った時を、思い出すようだった。
この子に、着いていきたいと思った。この子と、一緒にいたいと思った。
「ひひっ、こうして誰かと落ち着いて話をするなんて、初めてだ!」
そうやって、笑った姿は子供らしくも、どこか大人びていて。だからだろうか、ローニャはすっかり魅せられてしまっていた。自分とそう年の変わらない男の子。そんな子が、こうも強く生きていることが、すごかった。
彼と一緒にいればこの先も生きていける。それどころか、もっと明るい光を見ることができる。そう思ったから、ローニャはノットに着いていくことに迷いはなかった。
「うん、わたしも……初めてで、たのしい。よろしくね、ノット!」
「おう、ローニャ!」
逃げた先、廃墟とも呼べるその場所に腰を落ち着けていた……そこに二人の子供の笑い声が、響いていた。
……ちなみに、ノットという男の子が男の子ではなく、実は女の子だったという真実に気付くことになるのは、もう少し後のことになる。